特訓する満月
2週間程度時間が経てば、満月の気持ちも落ち着くだろう、という僕の目算は甘かったようだ。
満月に別れを告げてから3週間以上経ったが、満月からの着信は途絶えることがなかった。
電話は1日に平均して10回以上来ていたし、LINEも、僕は既読スルーをしているにもかかわらず、1時間〜2時間おきには来続けていた。
「会いたい」「どうして?」「電話に出て」「ごめんね」「やり直そう」「私が悪かった」「LINEは見てる?」「私のこと嫌い?」「私は桔平が大好きだよ」「元気にしてる?」「桔平が心配」「私、桔平がいればほかは何も要らない」……
僕は3週間の間、このようなメッセージを浴び続けていて、メッセージが届いた数と同じ数だけそれを無視し続けていたのだが、少しも慣れなかったし、むしろ罪悪感は積み重なってきていた。
できるものなら僕だって満月に会いたいし、できるものなら僕だって満月とやり直したい。
僕も満月が大好きだし、満月がいればほかに何も要らない。
とはいえ、この想いを満月に伝えることは許されていない。僕は返信をする代わりに、スマホの画面に向けて呟くほかなかった。
諦めの悪い満月が、LINEで僕に「約束」を持ちかけて来たのは、僕が別れを告げてからちょうど1ヶ月が経った日だった。
「この1ヶ月間、桔平がどうして私をフったのか、私なりに考えてみたの。思い返してみると、桔平にフラれる少し前から、桔平の態度は変わってた。それがいつからかというと、私が桔平に肉じゃがを作ったとき。桔平は、私の肉じゃがのあまりにも酷いデキに失望し、こんなに料理のできない女とは結婚するわけにはいかない、と思ったんだと思う。当たり前だよね。私が桔平の立場だとしても、同じように考えるよ。だから、私、今日から料理の特訓をすることにした。桔平を唸らせるような肉じゃがを作ってみせるね。だからお願い。私が美味しい肉じゃがを作れたら、桔平はそれを食べにお家に帰ってきてね。約束だからね。私、めちゃくちゃ頑張るから」
別に僕は満月の料理には最初から期待しておらず、ゆえに、たしかに「酷いデキ」ではあったが、満月の肉じゃがに失望したということはない。
そのため、満月の認識は全くの的外れである。
さらに、一方的に送りつけているLINEで「約束」とは一体どういうことか。
色々とツッコミたいことはあったが、僕はそのLINEを既読スルーするほかなく、満月の「料理の特訓」を止めることもできなかった。
その日の夜、満月は、僕に、画像を送りつけてきた。
それは、我が家の赤いステンレス製の鍋を写したものである。鍋の中身は真っ黒だった。
「桔平ごめん。肉じゃが焦げちゃった……まあ、1日目はこんなもんだよね。明日頑張る!!」
翌日も、満月は、同様の画像を送りつけてきた。同じく鍋の中身は真っ黒である。
「火が強すぎたのかな……次こそは。3度目の正直って言うし!!」
その翌日の肉じゃがも真っ黒焦げだった。
「2度あることは3度あるでした(泣)うーん、火加減って難しいね。桔平に食べてもらったときは火が通ってなかったから、ちゃんと火を通そうという気持ちが強すぎたのかな……明日こそはきっと上手くいく!!」
おいおい。まさかこの調子で、満月は毎晩肉じゃがを作るつもりなのか。
しかも、おそらく、作った肉じゃがは満月が責任を取って食べているのであろう。
あの黒焦げの肉じゃがを。
やめて欲しい。身体を壊すから。
僕は一刻も早く満月の「特訓」を止めたかった。LINEに返信できないことがもどかしい。
しかし、僕の心配とは裏腹に、4日目以降、徐々にではあるが、満月の料理に上達の兆しが見え始めた。
「やった!! 今日の肉じゃがは焦げてない!! ただ、味はビミョー」
「昨日は味が濃かったから、今日は薄めにしたんだけど、全然味がしない……ヤバ……」
「具材に均等に火が通らないんだよね……大きさを揃えて切らなきゃ駄目みたい」
「お肉に下味付けてみたら、見違えるくらい美味しくなったんだけど!!」
「ねえ、桔平、見た目的に普通に美味しそうじゃない!? 食べてみてもそれなりに美味しいよ」
料理の特訓から2週間も経った頃には、送られてくる画像に写っていたのは、とても美味しそうな肉じゃがであった。
満月は肉じゃがを極め始めたのだ。
予期せぬ満月の成長に、僕はただただ感動していた。やはり満月はやればできる子なのだ。
「桔平、私作れるようになったよ!! 桔平が唸るような肉じゃがを!! だから、桔平、私の肉じゃがを食べて!!」
特訓から20日後、レシピ本に載ってるものかのように綺麗に整った肉じゃがの画像を送ってきた満月は、ついに桔平に対して「宣戦布告」をしてきた。
内心、僕はすごく迷っていた。
せっかく満月に別れを告げ、家を飛び出したのに、今ここで家に帰ってしまえば、僕の計画は台無しである。
とはいえ、僕のために20日間料理の特訓をした満月の努力を無下にするのも気が引ける。
——帰るべきか。帰らないべきか。
満月に別れを告げたあの日とは、事情が変わってきている。
満月は2週間経とうが、1ヶ月経とうが、いつまでも僕を諦めてくれない。
僕は満月のことを見くびっていたのだ。
もっとも、僕が本当に満月のことを見くびっていたことを身をもって知らされたのは、あくる日のことだった。




