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13/20

思い出の満月

 ビジネスホテルに駆け込んだ僕は、部屋に入ると同時に、ベッドに倒れ込んだ。


 満月に終わりを告げて以降、心臓の鼓動は落ち着かず、頭もガンガンと痛かった。

 寒気もするので、発熱もあるのだと思う。


 ひどく気分が悪い。


 とはいえ、これでも満月が受けたであろうショックと比べれば、大したことはないのだと思う。



 ブーと音を立てて、ズボンのポケットが振動する。


 家を出て以降、スマホのバイブが鳴り続けている。


 満月がひっきりなしに僕に電話を掛けているのだ。


 満月はまだ僕と結婚する未来を捨て切れていないのだ。僕が翻意する可能性があると信じているのだ。


——それはそうだろう。


 僕は、満月に対して、別れる理由をロクに伝えていない。それどころか、満月のことを「嫌いじゃない」とまで言ってしまっている。

 あれは失態だったと激しく後悔する。中途半端な優しさは、満月のためにはならず、それどころか今後の満月の行動を縛りかねないのだ。


 とはいえ、完璧なヒールを演じられるほど、僕は強い人間ではなかった。

 僕にしてはよくやった方だとすら思う。最愛の人に自ら別れを告げるという、人生で一度も経験しないであろう試練を、どんな形であれ、僕は乗り切ったのだ。



 ブー、ブー、ブー——


 スマホのバイブ音を聞くのは、僕にとっては苦痛以外の何物でもなかった。


 すがる思いで僕に電話を掛け続けている満月の姿を想像してしまうからである。


 きっと泣いているのだろう。きっと震えているのだろう。きっと怯えているのだろう。


 だから、僕は、できるものならスマホの電源を切ってしまいたかった。そうすれば、僕は楽になれる。



 しかし、僕にはそれができなかった。



 なぜなら、僕は、満月が()()早まった行動をとらないか心配だったからである。



 僕が心臓発作で死んだとき、満月は、律とともに自殺を図った。僕がいなくなってしまったことで、満月は人生に絶望してしまったのである。


 もちろん、今回は、僕が死んだときとはだいぶ事情が違う。

 僕と満月はまだ結婚していないし、2人の間に子どものいない。


 とはいえ、結婚予定日当日に婚約者にフラれることが与えるショックというのは、計算できないところがある。

 衝動的に、満月が自死を考える可能性は十分にある。


 前回同様に都市ガスを使ってくれればまだいいが、律との心中ではない今回は全く違う手段を使う可能性が高い。駅のホームから飛び降りなどされたら最悪だ。


 僕は、人生を巻き戻したことによって、より満月を不幸にしてしまったことになる。本当に最悪だ。



 ゆえに、僕は、満月を監視できるように、スマホでだけは満月と繋がっていなければならなかったのだ。


 こちらから連絡を取ることはないが、満月が死を仄めかすような連絡を送ってきたら、警察に通報して保護してもらおうと考えていた。



 2週間程度はこうやって満月を監視していようと思う。


 僕が満月を守るのだ。

 「天国」にいるよりも、この世にいた方が、それはずっとしやすい。


 もっとも、それ以降は、僕の出る幕はないだろう。


 一旦気持ちが落ち着けば、満月は、僕を諦めて、僕のいない人生を踏み出してくれるはずだ。



 昨日の時点で、僕は貯金のほぼ全てを満月の口座に振り込んでいた。僕からすれば、それは「妻である」満月への「相続」なのだが、満月から見れば「手切れ金」というやつだ。

 金額は些少だが、満月の収入と合わせれば、2、3年程度なら満月は苦しむことなく生活することができるだろう。


 それまでの間に、満月ならば、立派な人生の伴侶を見つけることができると思う。



 満月の気持ちが落ち着きさえすれば、もう僕が満月に対して何かをしてあげる必要はない。


 それどころか、僕の存在は、満月にとって邪魔なものにしかならない。



 そもそも、満月のための「やり直し」なのだ。


 満月のためにできることがなく、むしろ邪魔な存在となるのであれば、僕がこれ以上生き続ける意味はない。生きる価値はない。



 だから、僕は、自ら命を絶とうと思う。


 満月に知られないように、遠くの地でこっそりと。



 ブー、ブー、ブー——


 満月に別れを告げ、家を飛び出したことにより、僕の「試練」は終わったと思っていたが、バイブ音を聞くたびに張り裂けそうな胸の痛みもこれもまた「試練」に違いなかった。


 今の満月の状況を勝手に想像してしまうから、胸が苦しくなるに違いない。


 なるべく別のことを考えるのだ。なるべく楽しいことを。


 そう思い、僕は、楽しいことを考えようとしたが、その中心にはいつも満月がいた。


 満月と出会ってから、僕の人生は満月一色だったのだ。


 すべての楽しい思い出には満月がいる。


 笑顔の満月がそこにある。



 スマホを握りしめて泣いている満月を想像するよりも、僕に笑顔を向けている満月を想像する方がさらに辛かった。



「……満月、本当にごめんね。僕が幸せにできなくて。ごめんね。ごめんね……」

 

 繰り返し謝る僕に対しても、頭の中の満月は、常に笑顔を向けていた。


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