エラーヒューマン
誰にも見送られることのないまま、上りの列車に乗車した。
上京することに夢も希望もない。
18年間過ごしてきた、閉鎖的な故郷を離れる。それ以外に意味はない。
それ以上の期待はない。
色のない思い出のかわりに、車窓からみえる景色をながめる。
灰色のビル群と大きな工場。住宅街。マンション。暮らすことになるかもしれないアパート。高層ビルもみえてくる。故郷の町とは比較にならない、大勢の人たちが歩いている。
目的の駅についた。
人の波に押されるようにして、駅前の広場にはきだされた。
少し吐き気はするものの、悪い気分ではない。
騒々しい街。いろんな人がいる。スーツを着こなした壮年男性もいれば、幼い女の子を連れた若い女性、制服姿の中高生、杖をついて歩く高齢者もいる。派手なメイクと衣装で存在感を放っているトランスジェンダーの集団が、街の風景に溶け込んでいる。
ふらふらと歩いて、噴水のそばに腰を下ろした。
都会は、他人に興味のない人間であふれている。
何者であっても、なくても、紛れてしまえばわからない。
どんな田舎者でも、やがて都会の一部になる。
「……みんな違って、違いはない。ぼくは間違いなんかじゃない」
うつむいたまま、立ちあがろうとして、異変に気づいた。
水音しか聞こえない。
喧騒が止んでいる。
誰もが立ちまり、ばらばらの方角を、ぼんやりと眺めている。
「……なんだよ、これ」
立ちあがる。
遠吠えがきこえる。
すぐ近くで、犬のような。
振りかえると、噴水の反対側にいた中年男性が、遠吠えをしていた。
前方斜め上を睨みつけながら、犬の真似事する、サラリーマンらしき中年男性。その存在に気圧されていると、べつの方角から、複数の鳴き声がとどく。
犬が不審者を威嚇するように、誰かが激しく吠えている。
制服姿の女子高生たちが、ばらばらに前方を睨みつけて、激しく吠えている。
べつの場所で、幼い女の子が、小型犬のように吠えている。
となりで母親らしき女性が、やはり前方をにらみながら、遠吠えをしている。
高く、低く。
激しく、遠く。
獣のように吠える、異常な叫び声が、あちらこちらから聞こえはじめる。
敵意が伝播する。
騒乱が広がる。
年齢も性別も関係ない。
ありとあらゆる人間が、おかしくなっている。
まるで街そのものが、ぼく以外の、すべてが────
狂乱した叫び声がふいに途絶えて、あたりは静寂につつまれた。
流水の音だけが響いて、そして、動きだした。一時停止中だった画面が再生されたみたいに、何事もなかったかのように、人々が活動を再開して、もとの騒々しさに回帰した。
崩れるようにして、噴水のそばに座りなおした。
いまの不可解な現象は? なんらかの不具合が生じて、システムがエラーを起こしたような、そんな印象を抱いた。ぼくの頭がおかしくなっていないのなら、ぼく以外の、すべてがバグったことになる。
もしもそうだとしたら、エラーを起こした要因は?
この街に潜んでいる、バグの正体は──違う。そうじゃない。そんなはずがない。ぼくは間違いなんかじゃ──
「わん」
どこかで、叱られた犬のような、情けない鳴き声が響いた。
顔をあげると、ホステス風のお姉さんが、ぼくのほうを見ていた。
目が合うと顔をしかめて、足早に遠ざかっていった。