大柄さんと私の・・・②
2.大柄さんと私の遭遇戦・その1
ミツバ区役所の機体格納庫、四番隊用の機体を収容している区画で新米パイロットが機体を眺めながら佇んでいた。全六機中の一機が他と比較して様々な箇所で形状に違いが見られ、これが新型機と思われる。従来型も含めて全機に共通する特徴として目に付くのがまず顔に相当する部分で、基本的な形状は概ね人型の範疇に入るが、頭部には人の顔を連想させる造形物は一切無かった。それだけに止まらずセンサー類やカメラ等も存在せず、言ってしまえば『のっぺらぼう』という例えが実にしっくりきた。ただし一目見て分かるほど大きな物が無いだけの話で、顔の部分はもちろん全身にくまなくカメラ等が配置されており、そこから得られた情報を統合した上でコクピット内のモニターに表示する仕様になっている。しかしこれでは頭部の存在意義が無いような気もするが、稼働状態になればその辺りが明らかになると思われる。更にもう一つ奇妙な点を挙げると、新型のみならず全ての機体が装甲等の素材そのままの色であり、作戦開始が近いにも関わらず未だに無塗装状態のままとなっている。稼働直前でなければ塗装できない理由があるのか、それとも無塗装で使用するのが当然なのか、これもまたその時になるまで答えは分からない。
「よお、新入り。ここに居たか。」
新米が声に反応して振り向くと、こちらに向かってくる隊長の姿が目に入った。無意識の内に敬礼をしそうになるが何とか踏みとどまり会釈に切り替える。隊長も同様に会釈を返すが、どことなく満足そうな表情が浮かぶ。
「うちの方針に馴染んできたようだな。」
「ええ。まだあやふやな所がありますけど。」
新米の隣に立った隊長が世間話を始めるような調子で話しかけ、まだ硬さを残す新米がそれに答える。
「俺達は軍人じゃ無いからな。まあそれなりに規律は必要だがそんなにガチガチにならなきゃいけないってもんでもない。」
「結構難しいですね。感覚を掴むまでにまだかかりそうです。」
「要は慣れだ。そのうち自然と身につくからあまり難しく考えなくてもいい。」
話に一段落ついた所で新米がここしばらく気になっていた話題を取り上げる事にした。
「今回の業務で新型機を担当するように指示されたんですが、一体どういった事情なんでしょうか?」
「ああ、その事か。理由は至って単純だ。」
そう答えつつ隊長は目の前の機体を指差した。
「あれが今回配備された新型機だ。性能は従来機種と比べてざっと1.3倍って所だな。」
「だったら・・・」
「ただし実働は今回が初めてだ。」
口を挟みかけた新米を制するように一言被せた隊長はそのまま話を続ける。
「もちろん設計時点から問題点の洗い出しは徹底してあるし、完成後は試験場で動作確認を済ませてある。とは言え現場で何が起きるかなんて100パーセント予想できる訳無いからトラブルも有り得る。」
「ええ、確かに。」
新米の相づちにつなげる形で結論を示す。
「それに加えて現場で何かトラブった時も現行機種なら今までの経験を生かして直せるかも知れないが、新型じゃあそういった積み重ねが無いからな。ほぼ戦力外になると考えた方が良い。」
「そうなった場合の備えとして今回の配置となった訳ですね。」
納得しつつもやはり複雑な気分を押さえきれないといった感じの新米に
「何しろお前は今回が初の現場だ、悪く思うなよ。それに良い事も無い訳じゃ無い。」
「と・・・言うと?」
何やら意味ありげな発言に惹かれた様子の新米。隊長の言葉はその期待に応える物だった。
「現場でのトラブルを発見して一通り対策を施した後に機体を取り上げるような事はしない。つまり本当の意味で完成した後もこいつはそのままお前の専用機って訳だ。どうだ、悪い話じゃ無いだろ?」
「それは・・・、ええ、とても。」
表情などにそれほど大きな変化は見られない物の、幾分重苦しさが解消された様子の新米に改めて声をかける隊長。
「ま、業務が始まってからしばらくは何かと苦労もあるかも知れないが、焦らずじっくりな。」
「はい、心して取りかかります。」
そう答える新米の表情からは多少ではあるものの、何か吹っ切れた様子が見て取れた。
中心部からある程度離れた町中で、男が上空に浮かぶ巨大戦艦にカメラを向けていた。やがてこの位置からの撮影は終了したらしくカメラを下ろすがその表情はこれまで得られた情報が思わしい物では無い事を物語っていた。
「どうです、見通しは?」
背後からかけられた声に反応して振り返ると女性が一人立っていた。帽子を目深に被っている為顔はよく見えない。
「あんたは・・・」
「自衛団の班長さんですよね?お初にお目にかかります。私は・・・、とりあえずアラン・スミシーとでも名乗っておきましょう。」
班長の問いかけを遮るようにしてまくし立てる女性。いや、見え見えの偽名とかあからさまに変だろ。
「・・・職業は?」
「映画監督」
うん、最初からごまかす積もり無いね、これ。
「そんな奴は実在しない。」
「あー、さすがに分かっちゃいますか。実はですね、私は・・・」
改めて自己紹介をしようとした女性だが今度は班長が反撃に出る。
「あんたの事ならとっくに知っている、堀瀬博士。」
「おや、ご存じでした?いやー光栄ですね。」
等と言いながら帽子の端を軽くつまんで持ち上げる博士。その顔にはにやけた笑みが浮かんでいる。その真意を測りかねて若干戸惑いを感じつつも呆れた様子で班長が口を開く。
「あのなぁ・・・、日本を代表する世界的マッドサイエンティストなんだぞ、あんたは。まさか自覚してない訳じゃ無いだろうな。おまけにしばらく前にこの町に引っ越してきたんだから、ここの住人であんたの事知らない奴が居る訳無いだろ?」
「あー、言われてみればたしかにそうですね。こんな小手先の誤魔化しじゃ無くてもっと本格的に変装を極めるべきだったかな。」
このまま延々ととりとめも無く雑談が続きそうな危険性を感じた班長は仕方なく自分から話を切り出す事にした。
「で、一体どういった目的で声をかけてきたんだ?まさか今の状況でのんびり世間話という訳でも無いだろ?」
「あー、そうでしたそうでした。つい盛り上がってしまって本題を忘れてました。」
やっぱりか。まあなんとなくそんな感じはしていた。というわけで危うく本来の目的を忘れそうになっていた博士は仕切り直しの意味もあってかしばらく考えをまとめている様子だったが、それも済んだらしく本題に向けて話を切り出した。
「そろそろ指定の期日も近いし敵情視察をされていたようですが、決戦に向けての見込みはどうですか?」
「・・・ノーコメントだ。」
当然ながら部外者に軽々しく情報を明かす訳にはいかない。実質的に民間組織ではあるが、特に今回は軍事的な要素を含む業務であるだけに、慎重な対応が要求される。博士の方でもその辺りの事情は理解している為食い下がるような事はせず、その代わりにある提案を持ちかけた。
「まあそうなるのも仕方ないですけどあの艦見せられただけで十分きつそうじゃないですか。という訳でここは一つ私がお手伝いをしようかなーって思うんですけど。」
もちろん班長にとってこれは実に魅力的な提案だった。まだ敵戦力の情報はほとんど得られていないが頭上に浮かぶ巨大な艦だけで十分な重荷であり、いずれその中から飛び出してくる敵機も軽くあしらえるレベルである訳が無い。それらを踏まえた上でこんな提案をしてくるという事はよほど手持ちの駒に自信があると思われる。本来なら即決で飛びつきたい申し出だが・・・
「俺の一存では決められない。この件は司令部に持ち帰って検討する。」
「えー、そんなぁ。」
さすがに予想していなかった反応に思わず二度見してしまう班長。博士の様子はと言えば『唖然』という言葉が実にしっくりくる有様だった。
「こういうのって、使う人に直にお話しするんじゃ駄目なんですか?」
「そりゃそうだろ。あんたの言う『お手伝い』が一体何なのかは知らないが、運用や管理なんかの権限は俺個人じゃ無くて自衛団司令部にあるんだからな。」
班長の返答を聞いて今更納得顔の博士。まあマッドサイエンティストが商売に関しては全くの素人なのも無理の無い話ではある。
「なるほど。では私から司令部にお話ししておきますね。何かご要望があればそちらを通して下さい。あ、でももしかして急ぎの場合は直接自宅に来てもらってもOKです。ではまたー。」
そう言って早速司令部の方へ向かう博士。
「ああ、考えておく。」
その背中に向けて隊長は返答を返した。
猶予期間が終了した翌日、少人数用の会議室で四番隊のパイロットが集合して業務内容の確認が開始された。やはりいよいよ業務開始と言う事もあってか、盛り上がった隊員達のあーでも無いこーでも無いといった類いの会話で室内はかなりざわついていた。
「はいはい、おしゃべりはそこまで。今から隊長の話があるからちゃんと聞いて。」
副隊長を務める二番が手を打ち鳴らして場を鎮める。全員の体制が整ったのを確認して脇に寄り、入れ替わるように隊長が進み出る。その仕草はいかにも歴戦のベテランといった感じで落ち着き払っている印象を受けたが、実際には内心結構追い詰められていた。局長との内密の打ち合わせで今回の件は長期戦に持ち込む事になったが、隊員達にどう説明するか未だに良い案が浮かんでいなかった。事実をそのまま伝えると言う選択肢はあり得ない。何しろまだ動かぬ証拠を掴んでいないのだから全員を納得させられるとは到底思えないし、こちらの意図が漏洩してしまう危険度が跳ね上がる。この中に『裏切り者』はいないと自信を持って言えるが、うっかり誰かが外部に情報を漏らしてしまう恐れは十分にある。となれば選択肢は一つ。真実を隠し通し、部下達を納得させられるだけの『それっぽい』理由をでっち上げるしかない・・・訳だが、残念ながら隊長にそういった資質は全く無かった。とりあえず一般論を土台にして何とか無難にまとめ上げる方向で行こうと決めて、隊員達を見回しつつ口を開いた。
「まず初めに言っておくが今回の業務はいつもとは勝手が違う。そこはしっかり意識しておけ。なにしろここの住民と接触するのは俺達が最初なんだからな。」
「やっぱりいきなりガツンと力の差って奴を見せつけてやりましょうよ。その方が後々楽になる。」
やはりというか何というかこの中で最も力任せな手法を好む三番が予想通りの意見を述べる。
「それはない。今回の相手は別に海賊の類いじゃ無いから。そうですね、隊長?」
「まあそういう事だな。わざわざこっちから事を荒立てるような真似はしたくない。」
この程度なら十分自前で対処できたが、先に四番が反応してくれたので遠慮無く乗っかる事にした。ついでと言ってはなんだが、軽く釘を刺しておく。
「相手は一般市民なんだからな、とにかく穏便に。いいか、間違ってもこっちから手を出すなよ。」
「・・・分かりました。でもあっちから仕掛けてきたらどうします?個人の意見としちゃあ向こうがその気ならドーンと行きたいんですがね。」
冗談じゃない、どっちから始めようがそんな事は知ったこっちゃ無いんだ。とにかく持久戦に持ち込む事だけ考えろ。・・・とまくし立てたくなるのを必死で押さえ込む。こんな事を口走った日には、『隠された意図』の存在に気付かれるのは避けられない。そうなればここに居る者に真相を明かすしかなく、それはそのまま目の前に居る『うっかりさん筆頭』を通じて一気に拡散するのが事実上の確定事項となる。
(なんとかして怪しまれないように気をつけながら長期戦モードに誘導、ってキツすぎだろ、おい!)
余りにもハードル高すぎな状況に内心ぼやきつつも逃げ出す事が許されない闘いに挑む隊長。
「あー、まあそうなったらだ、反撃は最低限に抑えつつ、相手の攻勢を凌ぎ切る方向で宜しく。」
「いやいや、そんな弱気な対応じゃ舐められますよ。それじゃいかんでしょ。やはりここはひとつ毅然たる対応を・・・」
「はい、そこまで。」
なおも食い下がる三番を押し止めるように二番が割って入る。急に横槍を入れられて不服そうな三番に腕を組んで仁王立ちで向き合った。
「あんた、この星の事情忘れてるでしょ?」
「んんー?なんだそりゃあ?」
予想はしていたがいざその通りだと呆れ果てて物も言えない、といった心情を感じさせる溜め息の後に気を取り直して説明を始める二番。
「この星が『アンタッチャブル』としてずっと接触を禁じられてきた事くらいはわかってるわよね?」
「そりゃあまあな。で、それがどうしたんだ?」
この場に居る者には何となく二番の言いたい事が分かってきたが、三番は今一ピンと来ないらしい。
「逆に言えばここの住民は一切外部と接触した事が無い。つまり区役所の存在なんて全く知らないの。」
「む…」
さすがに三番にも現状の難しさが理解できて来た。そして二番のダメ押し。
「あっちから見たら私達は謎の武装勢力という訳。そんな状況で下手に刺激したらどんな反応が返ってくるか言うまでもないわよね?」
「んー、まあそりゃそうなんだが、だからといってあまり弱腰だと図に乗るんじゃねえかなぁ…」
なおもぶつぶつ言いつつもとりあえず矛を収める三番。代わって五番がおずおずと手を挙げた。
「あのー、一つだけいいですか?」
「おお、何だ?」
隊長に指名されてもすぐには話し出さず、まだ少し躊躇している様子だったがぽつりぽつりと発言を開始した。
「えーと、現地の人たちとのお話の進め方なんですけど…。もうちょっと穏やかにした方が良かったんじゃないかと思います。艦は宇宙に待機してまず交渉役の人を送るとか。その方がもしかしたら丸く収まったんじゃないかと…。」
「確かにお前さんの言い分にも一理ある。でもな、そこがお役所仕事の難しさって奴でなぁ。」
どことなく歯切れが悪い語り口で回答を始める隊長。
「そもそも『アンタッチャブル』とかかわるなんて事態は想定されてないから当然そうなったときの対処とか全く決まってないわけだ。だから通常通りの手順を踏む以外の選択肢が存在しない。」
「えーと、新しく決まりを作ることはできませんか?」
五番の質問を受けた隊長はますます痛いところを突かれたと言わんばかりの表情を浮かべる。
「まあ、普通はそう考える所だ…、普通に考えるなら。だが前例の無い事をやりたがらないのが役所って所なんだよ。仮に同様の事例がこの先もあり得るのならしぶしぶながら動くかもしれないが、たぶん今回限りの話だしな。」
「そうですね。ここと同じ扱いを受けている所は他に無いですし。」
五番の同意を受けて隊長は最後のまとめに入った。
「という訳で現行の制度を基本にできる範囲で現場の裁量を入れて事に当たると言うのが今回の方針なんだが何か言い忘れた事とか無いか?…よし、それじゃあ各自準備に当たってくれ。」
事前の打ち合わせを終えて解散…という所になって他ならぬ自分が連絡事項を一つ忘れていた事に気付き、慌てて呼びかける隊長。
「おおっ、しまった。五番と新入りはすまんが残ってくれ。ちょっとした話がある。」
唐突な居残り指示に少々不安そうな二人に対して、それほど改まった内容ではないと前置きする隊長。
「新入りは今回が初めての現場だって事は分かってるだろ?だからお前さんには付き添いを任せたいと思ってな。」
「へ…?あー、はい。それでは今回は、えー、新人さんのお世話ですか?あう、わ、分かりましたぁ。」
何故か妙にうろたえた様子で返答する五番。新米は五番のほうに向きなおって一礼する。
「今回はお世話になります。よろしくお願いします。」
「あっ、その、えーと、そんなにかしこまらなくていいから。ね?」
あたふたしながら新米を制する五番。その顔は徐々に赤らんできている。
「あの、私もまだそんなに慣れてないから、んーと、ほかの人たちから見たら新人が二人いるみたいなものだし、だから、その…うー…」
言葉に詰まって顔を真っ赤にしながら思わず俯いてしまう五番。どうやら初めて後輩ができたという事実を改めて突き付けられた結果、動揺が強すぎて思考が空回りしているらしい。
「大丈夫か?なんだったらあいさつはこんなもんで切り上げても構わんと思うが。」
「そうですね。無理してまでやらなければならないわけでもないと思います。」
気を使った隊長と新米が口添えをした次の瞬間五番は勢い良く顔を上げて忙しなく両の掌を左右に振り始めた。
「いえっ、あの、そこまで気を使ってもらわなくても。ちょっと固まっちゃったけどもう大丈夫ですから。」
そして仕切り直しの為か一呼吸おいて改めて口を開いた。
「えっと、いきなり情けない所見せちゃって頼りないと思われたかも知れないけど、私なりに精一杯新人さんのお手伝いをしていく積りなのでどうかよろしくお願いします!」
「あ、はい。こっちは全く業務経験が無いのでいろいろ頼らせてもらいます。」
そしてお互いに深々と礼をする二人。楽し気にそれを眺めていた隊長だがさすがにそろそろ準備に取り掛からないといけないため移動を促した。
「よし、丸く収まったことだしそろそろ格納庫に向かうぞ。」
二人とも即座に返事を返し、隊長に続いてやや足早に会議室を後にした。
いよいよ予告の期日となり、刻限に備えて自衛団が動きを見せ始めていた。その中でも現場で直接対応を担当する特機第八班の面々は張り詰めた空気を漂わせて…と思いきやそれほどピリピリした雰囲気は感じられなかった。しかしだからといって緊張感のかけらもないだらけ切った状態という訳でもなく、実戦経験は無いはずだがそれを感じさせない、程好く落ち着いた様子を保っていた。
「さて、そろそろ全員揃っているか?」
班長が副官を務める『顧問』に集合状況を確認する。
「えーと、大体揃ってますけど『秋葉』と『稲荷』がまだですね。いつもの事ですが。」
「ああ、あいつらか。まあ遅刻はしないだろうな。いつもの事だが。」
もはやすっかり習慣と化しているといった雰囲気満点のやり取りがなされている最中に…
「わわわっ、遅刻遅刻ぅぅぅぅぅっ!」
という叫び声と共に集合場所目掛けてダッシュする人影が確認された。このセリフならお約束と言わんばかりにパンを口に咥えるというベタな真似をしている。なかなか足が速いらしく見る見るうちに近付いて…え?ちょっと待て。ありかそれ、ありなのか?パンだとばかり思ってたけど焼き魚咥えて走ってるよ…。
「いつも通りですね。」
「ああ、そうだな。」
目の前にたどり着いて膝に手を置きつつ肩で息をしている団員を見ながら軽く流す指揮官コンビ。他のメンバーも特に動揺しているようには見えず、仲間内では『いつもの事』らしい。やがてなんとか呼吸を整えた駆け込みさんがわずかに音がこもっているものの滑舌良く問いかけの言葉を発する。焼き魚はそのままで。
「じ、時間は、間に合ってます?」
「ああ。というかまだ余裕がある位だ、あれだけ全力で走ればな。とりあえず落ち着いてさっさと朝飯を…ん?」
質問に答えつつ何気なく視線を下げた班長の言葉が途切れる。やや困惑したような表情を浮かべる班長の様子に不安を覚えて問いかける駆け込みさん。
「あのー、何か問題でも?」
「ん?ああ、ちょっとな。また大した事じゃないんだが、はいてないぞ。」
それを聞いた途端に一気に顔が真っ赤になる駆け込みさん。腰から膝にかけて忙しなく両手を動かし、確かにそこにスカートが存在する感触を確認すると明らかにほっとしたと言いたげにため息をつき、わずかながら脱力した様子を見せた。しかし次の瞬間いわゆる『最悪の事態』に思い当たったらしくかっと目を見開き瞬く間に顔色が真っ青になる。涙目になりながらぷるぷる震える両手をゆっくりスカートの裾へ持っていった所であきれた様子の班長からツッコミが入った。
「何かすごい勘違いをしているみたいだが大した事じゃないと言った筈だ。落ち着いて足元を見てみろ。」
「あ…」
班長の言葉通りに視線を下げると、『はいていない』のは靴だった事が確認できた。確かに改めて思い返してみても慌てて家を飛び出した時に靴を履こうとした記憶が無い。
「えーと、何て言うか、その…はあー…」
「まあ、もう少し余裕を持って行動するように心掛けた方がいいんじゃないか?」
いろいろやらかして居たたまれない感じの部下にとりあえず無難な意見を述べる班長。その横から柔らかな表現ながら内容的には辛辣なツッコミが入る。
「本人もそのあたりよく分かっていると思うし何とかしようとはしてるんでしょうけど…。うまくいくかというと難しそうですね…。」
「だからと言っていつまでもこんな有様が続くのは問題がある。」
小声なので話の内容はよく聞き取れないが状況的に自ずと分かるので肩を落として項垂れる話題の主。その背中に呑気そうな声が掛かる。
「秋葉ちゃん、早いねぇ。私の方が先に出たのに結局到着は後になっちゃった。」
「…稲荷姉…」
この二人、双子の姉妹ではあるが周囲に与える印象がかなり異なるためそうと気付かれない事も珍しくない。ちなみに焼き魚咥えて裸足で駆けてきた方が妹の秋葉で、特に無理しないで時間内に到着したのが姉の稲荷。稲荷の登場を確認すると秋葉は口を尖らせて抗議を始める。
「ちょっとぉ、出る時ついでに起こしてくれてもいいじゃない!?」
「うーん、そうしようかとも思ったんだけど、気持ちよさそうに寝てるの見たらなんだか起こすのかわいそうになっちゃって。」
典型的な人をダメにするタイプの気遣いに対して間髪入れずに秋葉のツッコミが入る。
「いやいや、そのまま寝過ごして遅刻する方がもっとかわいそうだからね!?」
「んー、それは大丈夫だと思うよ。」
妙に自信ありげな返しをする稲荷。果たしてその根拠は…?
「秋葉ちゃん足速いからお寝坊さんでも遅れた分取り返せるもの。今日もしっかり余裕を持ってここに着いたでしょ?」
「ええ、まあそれはそうだけど…。でもその代わり朝ごはんほぼ抜きで靴はき忘れてるんですけど…。」
弱弱しく反論する秋葉に横から無情な追い討ちが。
「でもね、秋葉ちゃん。こういう事は人に頼っていたらいつまでたっても良くならないんじゃないかな。自力で起きる習慣をつけるようにしよう、ね?」
「うぐっ!…は、はい。ごもっともです。返す言葉もございません…」
顧問に止めを刺されてほぼKO状態の秋葉。一方稲荷の方は自販機にむかいつつ秋葉に声をかける。
「あれだけ走ったら喉乾いたでしょう?いま飲み物買うからね。」
「うん、まあ…。走ったのはそれほどだけどたった今思いっきり冷や汗かいたから…」
ここの自販機はキャッシュレス対応ではないので財布を取り出し…ん?えー、取り出し…ん、んんー?
と・り・だ・し…うーん…。あちこち探った末に何かを訴えるような表情で振り返る稲荷。どうやら家を出る時財布を忘れていたらしい。
「あー、いいよいいいよ。自分で買うから。」
「うん。ごめんね…」
などといったやり取りを眺めていた班長がぼそっと呟く。
「方向性は微妙に違うがやっぱり似た者姉妹だな。」
「えーと、そ、そうですね。あはは…」
返しに困ってとりあえず笑ってごまかす顧問。そうこうしている内に集合時間となり、総勢六名の班員が格納庫前に集まった。四人分の視線の集中点に立つ班長が口を開く。
「自称区役所の奴らが予告していた期日が来た。連中がどう出てくるか予測できないがここまでの所割と慎重な動きを見せているので、たぶんそれほど無茶な事はしてこないだろう。」
「そして私達としては、わざわざこちらから事を荒立てるような真似はしたくありません。なので相手の動きを抑え込む程度にしてできるだけ情報を集めて下さい。」
班長の後を受けて、副班長的な立場の顧問が基本的な行動基準を示す。
「まあ、今の所はそのあたりが無難でしょうね。指示に沿った立ち回りでいくとしましょうか。」
「で、あっちがガチで攻めて来たらどうするんだ?潰しちまっても構わねえならそれで行くが。」
『十徳』が指示に同意し、続けて『ハイオク』が本格的な武力衝突に陥った場合の対応を確認する。
「その場合も基本的な対処は変更ありません。いずれにしても先方には自力でお帰りして頂く方向でお願いします。」
「下手に撃破してしまうと向こうも引くに引けなくなるからかなりややこしい事になる。そういった展開を避けるためにもそこそこ痛めつけて撤退に追い込みたいんだがいけそうか?」
顧問が本格的な交戦状態になった場合も基本的には方針を変更しないと告げ、班長の補足と念押しが続く。
「まあそういう事ならできるだけやってみますよ。ただ今の所まだ向こうの戦力が不明ですからね。」
「だな。個々の性能も数もてんで分かっちゃいねえ。手加減できるほど余裕があるかどうか。」
とりあえず指示に関しては了解しつつも情報不足に懸念を示す二人。続いて秋葉と稲荷も不安材料に言及する。
「もしもあっちが戦闘機メインだとかなりきついんですけど。」
「勝負にならないと言うほどではないけれど、不利なのは間違いないですねぇ。」
確かに航空戦力主体で来られると苦戦は免れず、それどころか最悪一方的に叩かれる可能性すらあり得る。しかし状況的にそのような展開は無いだろうという一種の確信めいたものがあった。
「奴らは今の所区役所という自称に沿った行動を続けている。そもそもあんな物騒な艦でやって来たのに移動手段兼宿泊施設としての利用に止めている。」
「もしここで本気の戦力投入をしたら今まで作り上げてきた印象を自ら否定することになってしまいます。ですので今回は露骨な戦闘用の機体等はおそらく来ないでしょう。」
幾分希望的観測が含まれてはいるものの、軍ではなく役所だという主張を続けるのなら『戦争』を仕掛けてくる訳にはいかない筈で、そうなれば穏便に話し合いなどというぬるい展開は望めないにしてもせいぜい小競り合いレベルにとどまると予想できた。それならば勝てないまでも膠着状態に持ち込む事は十分可能と考えられる。そこからどういう展開に持ち込むかは上の人間の腕の見せ所で、現場としては与えられた業務をこなすだけ。そう腹を括った班長は他の五人にきっぱりと告げた。
「奴らが積極的に攻めてくることはまずないから落ち着いて対処すればいい。ただしこっちの過剰な反応を誘う目的で挑発行為を仕掛けてくる可能性は否定しきれない。とにかく冷静に、慎重に行動するように。では各自操縦席にて待機。」
班長の言葉を受けて八班のメンバー達はそれぞれの機体に乗り込む為解散した。