第21話 旅行編(出発)
部屋に戻ると、ベッドにメイドがうつ伏せになって寝ていた。
枕に顔をうずめるような形だ。
「……寝ているフリか?」
近づいたら急に起きて、写真を撮るなんてことは普通にあり得るからな。
最近は、また昔のように警戒する必要があるのだ。
ベッド脇に立ち、顔を覗き込む。
枕と顔の隙間から、静かな寝息が聞こえた。
「……すー、すー……むにゃ……それは……エビですって……」
どうやら本当に寝ているようだ。
それにしてもどんな夢を見ているんだ、こいつは。
何をしていたらこんな状況になるのだろうか――周囲を見てみると、サイドテーブルにノートを見つけた。
筆記用具が挟まっているらしく、表紙が膨らんでいた。
置いてあるというよりも、投げ捨てた感じだ。
今にもテーブルの上から落ちそうなほどにぎりぎりのバランスを保っているように見えた。
「ったく……、完璧主義なのか適当性格なのかまったくわからないやつだな……」
俺はノートを手に取る――が、筆記用具が転がり落ちてしまった。
「あぶね」
とっさにページに手を差し入れる。
ペンを拾い上げて、筆記用具を改めて挟もうとすると、いくつかの文章が見えた。
『リイチ様にしてもらうこと。
1、温泉に入ってゆっくりしてもらう(水着でお背中をお流しする)
2、森林浴をしてもらってリラックスしてもらう(熊を雇って、吊り橋効果を作る? それか近くの小さな吊り橋を爆破? どっちかにする)
3、おいしいお食事を作ってさしあげる(お母さまのレシピメモを忘れずに)』
色々異議を申し立てたい内容ではあるが、最後の一文に言葉を飲み込む。
「……お前は、何がしたいんだ。リオ」
そして母さんは、リオに何を話したんだ。
嘉手納さんは何を伝えたかったんだ。
わからないことばかりだ。
掴めそうで、掴めない。
理由はわかっている。
きっとこれは、数学のようにはっきりとした答えがあるわけではないからだ。
人の気持ちが多く介入した話だから、憶測だけでは決して答えには辿り着けないのだろう。
「……すー、すー……Gは……エビじゃない……むにゃ……」
だからなんの夢を見てるんだよ……。
聞いてみたかったが、なんだか起こすのも憚られた。
俺はしばらくその寝顔を見ていた。
もちろん起きた時、いろいろと言われたけれど。
ノートのことは知らないふりをした。
◇
あっけなく夏休みは始まり、あっけなく旅行の日はやってきた。
なんというか、昔からイメージしていた旅行というのとは若干ずれている朝だ。
たとえば、移動は嘉手納さんの運転する黒塗りの車。
その後ろに数名の使用人が乗った小型バスが追走する。
そのバスには様々な必需品が詰め込んであるみたいだ。
パーキングエリアにつくたびに数名の付き人が付くし、トイレに入っている間も同様である。
隣の親子が、『パパー、あのお兄ちゃん、なんかしたのー?』『っし! かかわるんじゃないっ!』などと話していたが、俺は聞こえないふりをした。
誤解だよ、とでも話しかけた途端に、周りの使用人が親子に何らかのアクションをしかけるに違いない。
「ま、それでも楽しいけどな」
俺は再び動き出した車の後部座席でつぶやく。
目的地は北側に位置する自然豊かな県で、俺にとっては初めての場所である。
「あら、リイチ様。心の声が駄々洩れですよ?」
隣に座るリオが、あらあらと口に手を当てる。
「心の声じゃないさ。俺、旅行とかあんまりいったことないからな」
「そうでしたか。最後に行かれたご旅行はどこでしたか?」
「うーん。河原、かな。どっかの」
「やっぱりこの話はやめましょう。わたしにはついていけない世界が広がりそうです」
「お嬢様だもんな」
だって今から行くのは水無家の別荘だ。
別荘なんて、普通のサラリーマンは持っていない。
リオは一瞬でエリートメイドモードに変化した。
「御冗談を。お止めください、鬼炎リイチ様」
「……お前こそ、冗談をやめてくれ」
鬼炎家に残れるかどうかもわからない中、毎日鍛錬と勉強の日々だ。
そもそも、これが幸せなのかどうかもわからないが、どうしてか俺はここにいる。
リオは少しだけ黙った。
「……とはいえリイチ様。今日から三日間はゆっくりとお過ごしください。水無家は、鬼炎家に仕える一族とはいえ、直接的な過干渉はございませんし、行く先には内通者もおりません。何をしても、鬼炎家にはばれないことでしょう」
「なるほど……、それは落ち着くかもな」
「ちなみに、水無家の現当主――つまりわたしの父と母は、二日目の朝には発ちますので、二日目の夜と三日目の朝は、わたしたちと一部の使用人だけです」
「……なんだって?」
「解放感、マックスです」
「……何も起こらないよな?」
なんだろうか、この根拠のない不安感は。
「何も、とは?」
「それを聞いているんだが……」
「さあ?」
「途端に不安なんだが……」
「旅行にトラブルはつきものですよ」
「物々しい警備付きでそれはおかしいだろう!」
「さ、嘉手納さん、れっつごーです」
『了解しました、お嬢様』
ぐん、とあがるスピード。
ああ、なんだか嫌な予感がするぞ――。
◇
人の直感は、意外と当たるものである。
俺はそれを後日、知る。
その時の俺はまだ気が付いていなかった。
この旅行ですべてが終わること。
そしてすべてが始まることを――。
【ひとこと】
ぽつぽつ、先を望む声をいただき、完走を目指して頑張ることにしました。
平行して行うので、多少は甘い目でお願いします。
ただ適当に終わらせることは許されないので、予定通りきちんと書きます。
【おしらせ】
また、『↓』のポイント欄から評価をいただけると、傾向がわかり助かります。
この作品、初期のもので、ポイントの傾向だとか意味を理解していませんでした。
今だと、色々と自作品との対比などで大変たすかるので、よろしくお願いいたします。
現在ご協力、【200名】にいただいております!
ありがとうございます!




