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黒猫のミーコ

出会い、そして再会

「うわあぁぁぁ! く、来るなぁ!」


 守山裕太モリヤマ ユウタは叫びながら、目の前にいるものを振り追い払おうとする。

 しかし、相手は全く怯まなかった。それどころか、さらに大きくなっている。動きも、心なしか活発化しているようだ。


 今、裕太の目の前で起きている現象は尋常ではなかった。この世のものとは思えない何か。真っ黒い影としか表現しようのない存在が、二メートルほど離れた場所で蠢いているのだ。

 まだ十歳の裕太にとって、それは今まで味わったことのない恐怖を呼び起こす。彼は腰を抜かし、立ち上がることも出来ずに震えていた。

 そんな裕太の目の前で、影は生物のような動きを見せ始めた。黒く巨大な布のような形になり、床を這うように動いて向かって来る。彼は為す術も無く、震えながら後ずさった。

 やがて、影は裕太の顔に覆い被さって来る。彼は悲鳴を上げながら目を閉じ、手で顔を覆う――


「お前、何やってるニャ」


 不意に、背後から声が聞こえた。明らかに人の声、それも女性のものだ。

 恐る恐る、目を開ける裕太。そこには、依然として影がいる。黒い布切れのような影が……もっとも、その動きはピタリと止まっている。宙に浮いた状態で静止しているのだ。

 次の瞬間、影は消える。現れた時と同じく、唐突に消えてしまった。

 裕太は振り返った。懐中電灯で、先ほどの声の主のいるであろう場所を照らす。

 だが、そこに居たのは一匹の黒猫であった。

 裕太は、その猫をまじまじと見つめた。田舎の猫にしては珍しく、とても美しい色の毛並みをしている。ちょっとした汚れなどはついているものの、全体的には痩せすぎておらず太りすぎておらず、前足を揃えて佇んでいる姿からは優雅ささえ感じさせる。

 そんな不思議な雰囲気を漂わせている黒猫には、他の猫とは決定的に違う点があった。長くふさふさした尻尾が、二本生えていたのだ。

 唖然としている裕太を、黒猫はじっと見つめる。


「お前、ここで何してるニャ?」


 黒猫の口から発せられたのは、流暢な日本語であった。


「えっ? 何で猫が――」


「お前は、言葉が通じないのかニャ? あたしは、何をしているのかと聞いたんだニャ」


 その有無を言わさぬ口調に、裕太は己の置かれた状況を語り始めた。




 裕太は最近、家族と共にこの村に引っ越して来た。

 ある日、彼は村の小学校にて他の子供たちと言い合いになった。

 テレビの心霊番組なんか嘘ばっかりだ、と主張する裕太。

 一方、番組は本当だ、と主張する村の子供たち。

 両者は、自分の意見を曲げることなく言い合った。その挙げ句、裕太は村の子供たちと、こんな勝負をすることになった。村の外れに、無人の古い別荘がある。幽霊が出るという噂だ。夜中に、別荘の地下室に行き一晩過ごせたなら、裕太の勝ち。しかし途中で逃げ帰ったなら、裕太の敗け。




「そんな下らないことのために、ここに来たのかニャ。お前ら人間は、本当にアホだニャ」


 裕太の話を聞き終えた黒猫は、耳の裏を後足で掻きながら、呆れたような口調で言った。一方、裕太はおずおずと口を開く。


「凄いなあ、お前。猫なのに喋れるの――」


「お前とは何だニャ! あたしは偉い猫叉様だニャ!」


 言うと同時に、黒猫は尻尾で地面を叩いた。ビシャリ、という音が響き渡る。裕太は怯えた表情で頭を下げた。


「ご、ごめんなさい」


「まったく、人間の小僧は礼儀を知らないニャ。あたしは二百年も生きてる猫叉のミーコ様だニャ。敬意を持って、礼儀正しく接するのが当然だニャ」


「へえ、ミーコって名前なんだ」


 そう言って、裕太はクスリと笑った。すると、ミーコが睨む。


「何がおかしいニャ?」


「いや、ミーコって普通の飼い猫みたいな名前だから……妖怪らしくないし――」


 そこまで言って、裕太は慌てて口をつぐむ。すると、ミーコは呆れたように首を振った。


「近頃の人間の小僧は、本当に礼儀を知らないニャ。呆れたもんだニャ。三百年も生きてきた猫叉様に対する敬意を持っていないのかニャ」


 そう言って、毛繕いを始めるミーコ。さっきは、二百年生きたって言ってたのに……などと思いながら、裕太はそっと近づいてみた。


「ねえミーコ様、さっきの影みたいなのは何だったの?」


「あいつは、妖怪ぶるぶるだニャ」


「ぶるぶる?」


「そうだニャ。人間を怖がらせるのが大好きな妖怪だニャ。まあ、あたしから見れば雑魚妖怪だけどニャ。あんな奴、あたしなら簡単に捻り潰せるニャ」


 そう言って虚空に猫パンチをして見せた後、勝ち誇ったような表情になるミーコ。その様子はとても可愛らしく、裕太は思わず手を伸ばしミーコの背中を撫でていた。すると、ミーコはジロリと睨む。


「小僧、気安く触るニャ。あたしは四百年も生きてる偉い猫叉様だニャ」


 言いながらも、彼の前で体を丸めるミーコ。言葉とは裏腹に、本気で怒っているわけではないらしい。その偉そうな口調とは真逆の可愛らしい仕草に、裕太は思わず微笑む。


「ねえミーコ様、俺と友だちになってくれないかな?」


 気がつくと、裕太はそんな言葉を口にしていた。すると、ミーコは顔を上げる。


「何をバカなことを言ってるニャ。あたしは、人間なんかとは友だちにならないニャ」


「あの……俺、みんなと仲良くできなくてさ。どうしても友だちが出来ないんだよ。どこに行っても人と揉めちまうんだ」


「お前はアホだニャ。友だちなんか居なくても、暮らすのに困らないニャ。長いものには巻かれて、みんなの言うことにヘラヘラ笑って従っていればいいんだニャ」


 言いながら、ミーコは関心なさそうに毛繕いを始める。だが、裕太は顔をしかめた。


「俺は、そんなの嫌だ。間違っているのは、あいつらの方だ。あいつらは、下らない心霊番組に騙されてるんだよ」


「何が間違っているニャ? 心霊番組が嘘であろうが無かろうが、お前の人生には関係ないニャ。そんな下らないことで、いちいち言い争うなんてアホのすることだニャ」


 ミーコの言葉に、裕太は悔しそうな表情で下を向いた。


「だって……」


「お前は、本当にアホだニャ。下らん言い合いなんか、適当に負けておけばいいんだニャ。人は信じたいものを信じる、それだけだニャ」


 そう言うと、ミーコは裕太のそばに寄り添った。


「まったく、世話のやける小僧だニャ。仕方ないから、今夜一晩だけお前の友だちになってやるニャ。言いたいことがあるなら、全部聞いてやるニャ」


 ・・・


 それから、二十年が経った。


 夜中、裕太は妙な気配を感じて目覚めた。部屋の中は、暗闇に包まれている。窓からは、月の光が射していた。

 そして、部屋の隅から自分を見つめる二つの瞳。


 驚愕の表情を浮かべ、裕太は起き上がった。この部屋に入れる者など、いるはずがない。

 だが、目はそこにあった。綺麗な緑色の光を放ちながら、真っ直ぐ裕太を見つめている。裕太は恐怖のあまり、動くことが出来なかった。

 だが、その目はお構い無しにどんどん近づいて来る。

 と同時に、聞こえてきた声。


「お前、あたしの事を忘れたのかニャ?」


 裕太は愕然となった。目の前にいるのは、尻尾が二本ある黒猫だったのだ。この部屋に、猫が入れるはずがない。いや、それ以前に猫が喋るなど有り得ない。

 だが、その時……裕太の頭に昔の記憶が甦った。二十年前に、その有り得ないことが起きたではないか。

 記憶の奥底に封じ込めていたもの。地下室で一晩、妖怪と語り明かした思い出。

 翌日、裕太はそのことを色んな人間に話した。が、誰も信じてくれなかった。そればかりか、みんなは裕太を嘘つき……いや、キチガイ呼ばわりしたのだ。やがて裕太は精神病院に入れられ、少年時代を病院で過ごす羽目になってしまった。

 退院した後、裕太の人格は完璧に歪んでいた。

 さらには、人生すらも――




「ミーコ? 本当にミーコなのか?」


 呆然とした表情で呟く裕太。だが、ミーコは素知らぬ顔だ。悠然とした態度で、毛繕いを始める。

 ややあって、ミーコはじっと睨み付けた。


「お前、あの時はまだ可愛げがあったニャ。でも今は、本物のクズになってしまったようだニャ。あたしの言う事を、全く守らなかったようだニャ」


 ミーコの言葉に、裕太は下を向いた。


「何だよ、その言い方。あの時、助けなきゃ良かった……とでも言いたいのか?」


「別に、そんなこと言う気は無いニャ。お前が人間の世界で何をしようが、あたしには関係ないニャ。けど、もう少し上手くやっていく事は出来なかったのかニャ?」


「だってよお、医者がミーコの事を幻覚だとか言いやがったんだ。それだけじゃねえ、みんなは俺を嘘つきだって言った――」


「幻覚でも嘘つきでも、言いたい奴には言わせておけばいいニャ。肝心なのは、お前とあたしが出会えた思い出だニャ。それを、お前がどう感じたのか……そこが、大切なんじゃないのかニャ? あたしとの出会いは、お前にとってそんなに薄っぺらなものだったのかニャ?」


「いや、違う。大切な思い出だよ」


 確かに、そうなのだ。他人がどう言おうが、関係なかった。自分にとって、ミーコとの思い出は宝物にも等しいものだったはず。

 それなのに――


 うつむいている裕太に対し、ミーコは語り続ける。


「他人がどう思おうが、関係なかったニャ。他人に信じさせる必要もなかったニャ。お前は、大人になってもアホのままだったニャ。まあ、今さら言っても遅いけどニャ」


 素っ気ない態度で言い放つと、再び毛繕いを続けるミーコ。裕太は、そのあまりにマイペースな態度を前にして、思わず笑ってしまった。この猫叉は、あの時とまるで変わっていない。


「お前は、相変わらずだな」


「お前とは何だニャ! あたしは五百年も生きてる偉大な猫叉様だニャ! 相も変わらず、失礼な小僧だニャ!」


 言葉と同時に、尻尾で床を叩くミーコ。ビシャリという音が、静かな室内に響く。

 しかし、裕太はお構い無しだ。今さら、恐れても無意味なのだから。


「なあミーコ、頼みがあるんだ。あの時みたいに話相手になってくれよ。一晩くらいいいだろ?」


「まったく、しょうがない奴だニャ。お前は本当に、世話のやける小僧だニャ」


 ブツブツ言いながらも、ミーコは裕太に寄り添う。

 二人は時間を忘れ、夢中になって語り明かした。二十年前と、全く同じように。




 コツ、コツ、コツ――


 数時間後、廊下を通る足音が聞こえてきた。既に陽は昇り、朝になっている。

 裕太は、覚悟を決めていた。夜中にミーコが、彼の部屋を訪れた理由……それは今日が、裕太の番だからだ。ミーコははっきりとは言っていなかったが、あの態度からして間違いないであろう。

 だが、彼には不安も恐れもない。ここに来て以来、初めて清々しい気分で朝を迎えられた。


 ミーコ、本当にありがとう。

 お前に会えて良かった。

 お前は、俺のたったひとりの……そして、最高の友だちだ。


 裕太は、心の中で呟いた。澄みきった気持ちで、足音を待つ。

 予想通り、足音は裕太の部屋の前で立ち止まった。

 ガチャリという音。ついで、金属製の扉が軋みながら開かれた。


「称呼番号二〇八七七一番、守山裕太」


 扉を開けた者は、重々しい口調で言葉を続けた。


「本日、死刑を執行する」









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― 新着の感想 ―
[良い点] 人間の愚かさ(大多数の言うことを正しいとみなし、少数意見は排除する)が、感じられて、何とも考えさせられるお話でした。(考えさせられるのが好き) [一言] 意外なラストで驚きました。  …
[一言] 面白かったのニャ
[一言] 生き方が不器用な人間の少年と素直ではない猫又の心の交流かと思えば、これは良い意味での想定外でした。 幼い頃の素敵な"未知の存在"との遭遇の思い出があったとしても、人は受け取り方や選択次第で…
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