不登校
最近のわたしは不登校気味だ。一カ月に一回あれば良い方で、気が向いた時に登校するんだけど、気が向かないんだからしょうがない。
誰かの心ない言葉に傷付いてとか、人間関係に疲れてとか、頑張ってるのに成績が伸びなくてとかで登校しなくなるっていう話は、結構よく聞く。ただわたしの場合はそういう深刻な事情なんて全然ないから、安心してほしい。(誰に言ってるんだろう)
たしかに成績は良くない。でも別に気にしてないし、今のままでもいいかなって思ってる。そんなこと言ったら「精神的に向上心のないものは馬鹿だ(※)」とか言われるのかな? まあ現状に不満はないから、とにかくこれでいいのだ。
それに人間関係に疲れるほど友達もいないわけだけど、これも気にしてないんだから、いいよね。そりゃあ、みんなとワイワイお喋りしてる人とか見たら、楽しそうだなって思うけど。羨ましいかと言われたら、うーん、どうなんだろう。
こんな感じだから、わたしってすごく存在感が無い。このまま不登校を続けたら透明人間になっちゃうって、時々ある集団登校の時くらいは頑張ろうと思うんだけど、やっぱり駄目で、キラキラしてるみんなを見送るだけだった。
わたしにとって登校するのは、結構気合いがいるっていうか、気分がノってる時じゃないと難しいから、毎日登校してる人は本当に尊敬する。
もういっそやめてしまってもいいのかもしれない。でもやめずにいるのは、たまに登校した時に、気付いてくれる人がいたりするから。こんな地味で目立たない、ちっぽけなわたしのことを。
どうして見つけてくれたんだろうって、不思議に思う。それから、すっごくすっごく嬉しくなる。
見つけてくれてありがとうって、心の底からそう言いたい。だって、誰にも気づかれないんじゃないかと思ってたんだ。私にとって、これって本当に奇跡みたいなこと。
だから、たった一人でいい、誰かに見つけてもらえる奇跡に出会いたくて、こうしてまた登校してみる。
※夏目漱石『こころ』より引用
時々、単なる誤変換なのかスラング的表現なのか、本来なら「投稿」とするところを「登校」と書いた文章を見かけます。そこから着想しました。
最近は時々投稿するといっても、検索除外で投稿だから、「保健室登校」くらいな感じかもしれません。
「集団登校」は企画の時など、みんな一斉に投稿することを表しています。