「天命」~競技会再び~
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再びの競技会。
その結果は?
アンドレーアスは、その名声を博して、一躍世界の舞台に踊り出ていた。
才能は、余すところなく発揮され、描くものは次から次へと認められ、その名声ゆえに、秀作も駄作も同じように評された。
彼は、自分の作品の真価を一番よく知ってはいたが、高く評価してくれるものを、わざわざ自ら低めるようなまねはしなくてもよいと判断していたので、評されるままにしていた。
更に、今の今まで自分を認めようとしなかった人々が、自分を褒め、祭り上げ、また恩恵に預かろうと執拗に媚びてくるのだから、面白くてしかたがない。
世間の人というのは、こんなにも無闇やたらと態度を変えるものなのだ。
「ツキがわまってきた」
アンドレーアスは、少年の頃からの苦しさと様々に受け続けた屈辱とを思い起こして、世間の権威づけの主体性のなさに、呆れ顔の笑みをこぼしながらも、己れの名誉を誇らしく思っていた。
そしていよいよアンドレーアスは、自分の弟子をサラス二世に紹介し、宮廷から解放された。
援助は依然として受け続けていた。多少の窮屈を我慢すれば、身分が保証されて、派手な生活にとって好都合でもあった。
社交界でも、後楯がサラス王だと分かれば、なおさら待遇は良くなり、仕事の依頼も増え、自分の意見が通るので仕事もしやすかった。また、国王自身も良い評判が立って株が上がり、芸術文化の手厚い保護者としての名が広まっていった。
しかし、アンドレーアスの心は、本当には満たされてはいなかった。
自分が今、手に入れている「これ」はいったい何なのか……?
ふと疑問の過ることがしばしばあり、その度に胸の奥底が痛む。その傷みは、捉えどころがなく、内側からズキズキと来るようでもあり、また、天からグサリと刺されるようでもあった。
「せっかく得た名声を失うことはしたくない。ここまでくるのに、どれだけの努力と月日がかかったかしれないのだ。神よ、どうか私の幸福を奪わないでください」
ついぞ、祈ることなど忘れていたアンドレーアスが、離宮の一角に設けられたアトリエで、夜空に向かって殊勝にも手を合わせた。
例の音楽家マーティレッタが、奇跡の壁画の復活を祝って、再びやってくるという噂が流れた。修道院で演奏会を開くというのである。
後れを取ったサラス二世は、透かさず公権を使ってマーティレッタを牛耳った。莫大な費用をかけて、王立劇場でのきらびやかな公演と宮廷でのはなやかな舞踏会を企画し、各地から名士を多く呼び集め、何日にもわたる盛大な祭りを催すこととなった。
街は一気にわきかえり、客人たちは大金を落とし、まるで商人の集まる港街といった具合である。
国王は、自らの権力の偉大さを確認して大いに満足した。
修道院も、奇跡の壁画をだしに、その恩恵に与った。
ボロ宿のじいさんも、商人時代を思い出してにわかに若返った。
改革者たちは、人々を淡々と観察しながらも、愉快な事の成り行きを面白がって楽しみ、またその中に、時代の風潮の移り変わりを見出そうとしていた。
アンドレーアスは、そんな豪勢さのひしめき合うなかで、新しいパトロンを捜し出そうとしていた。
正直なところ彼の奔放な魂は、常に新しい刺激を求めてうずうずとしているのであり、同じ場所で静かに優等生ぶっているのは性に合わない。それに、国王の恩寵にも、窮屈どころかあきあきしていた。
「たったの一日で、素晴らしい額をつくってごらんにいれます」
「また、競技か?そちも懲りない奴だ」
アンドレーアスは、サラス二世に提案して、競技会を開いてもらうことになった。
「きっと、国王の名誉は不動のものとなりますでしょう」
そう言いながらもアンドレーアスの心には、国王を思う気持ちなどみじんもなかった。
これだけ大勢の目利きが集まっているのだから、必ずや、自分を認め、更なる幸運をもたらしてくれる人物が現れるはずである。そう信じて疑わなかった。
街に集まっているのは、パトロンばかりではなかった。芸術家崩れや、野心を持った若者が多く駆せ参じていた。思いつくことは同じらしい。こういった金や権力や教養ある人物たちが大勢集まる場所には、チャンスが山のように転がっているのを、皆、よく心得ているのだ。
よって、多くの者が、競技に名を連ねることとなった。
主催者の国王には、その方がかえって、願ったり叶ったりであった。
課題は、国王からじきじきに出された。
「もっとも偉大な」。
競技者たちは、登録を済ませると、翌日の夜明け前から、一斉に仕事にとりかかった。
仕事場にあてがわれた宮廷の大広間の床には、大理石の上に厚い絨毯がしきつめられ、絵具が床を汚さないようにと配慮された。
老いも若きも、数十名の絵描きたちが所狭しと腕を振るった。
前庭に面した大きな窓からは見物人たちが顔を覗かせ、開放された宮廷の庭園には屋台も登場して市民たちを楽しませた。
アンドレーアスは、東のタズトマの大商人に目を付けていた。
彼の名は、その商売の手口のあくどさも手伝って、世界の隅々まで轟いていた。この大商人が、何かめぼしい買い物をしようとこの地を訪れ、物色していることは、誰の目にも明らかだった。
マーティレッタの演奏会や昼食会その他のあらゆる機会をとらえては、アンドレーアスは、大商人と言葉を交わし、自らを印象づけようと試みていた。
アンドレーアスは、一日も早く新しいパトロンが欲しかったのだ。しかしその気持ちが、彼に安易な発想を起こさせ、己れの筆のなんたるかを忘れさせることとなったのだ。
競技は、翌朝の日の出とともに鳴らされる終了の鐘を合図に終わった。
描かれた渾身の作品群は、それぞれ額縁に収められ、大広間は一転して美術館に早がわりし、午後からは貴族や商人、名士たちを集めて品評会が開かれた。
優秀作品は何点かに絞られ、アンドレーアスの作品もそこにあった。
「紳士、淑女の皆様、ようこそお集まりくださいました」
品評会も押し迫って、いよいよ、作品は最後の三点に絞られた。
多くの客人たちを広場に集め、その場での選考となった。
「さて、ここに三点の絵が選ばれ、いずれも優秀な、甲乙つけがたい立派な作品でございます。が、しかし、世というのは非情なもの。このうちたった一人の頭上にのみ、勝利の栄冠と名誉、そして金貨は与えられるのでございます。さあ、とくとごらんあれ!」
あまり上品とはいえない進行役の男が舞台から退くと、三つの額に収まった絵が次々と壇上に運び上げられ、一斉に群衆の目をひきつけた。
一つは、国王の戴冠式の図であった。そこには、神官と国王が身分の差なく、並んで描かれていた。
もう一つは、単純なある一商人の肖像であった。題材は質素ではあったが、その出来ばえは見事で、他の二者を差し置いて、素晴らしい筆遣いの絶品であった。
最後の一つは、古代の芸術の神、グストーヴの昇天の図であった。全体として構図や配色に難があり、稚拙な雰囲気ではあったが、題材の珍しさと、作者の若さが、将来性を匂わせていた。
言うまでもなく、アンドレーアス作品は、商人の肖像であった。彼には絶対の自信があった。なぜなら、国王は国王の肖像を、神官は神官の肖像を第一に好むのもだからである。それは、これまでの経験上、よく知っていた。
サラス二世は、アンドレーアスの作品を見て愛想をつかし、その真意を読み取って、援助打ち切りを決めていた。
アンドレーアスも、サラス二世のそのような決断は、前もって心得ていたので、あとは大商人が、機嫌よく自分の絵を高値で買い取ってくれるのを待つばかりであった。
決断は、なかなか下されなかった。
退屈した人々は、ざわめき出した。
「わしがいただこう」
と、そのとき、間を持たせすぎてはいけないと気を利かせたのか、東のタズトマの大商人が、大きなごつごつとした手をあげた。
アンドレーアスは、胸を抑え、高鳴る鼓動を全身で感じていた。
「グストーヴ昇天図。どなたのかな?」
群衆は、どっと波打つように声をあげながら、きょろきょろと作者を捜した。
まだ、うら若い青年で、となり街では天才と名高いスラトという農家の次男だった。
スラトは、震える脚をどうにか壇上まで運び、そこで大商人と握手を交わした。
「どうだ。わしと一緒にこんか?たっぷりと絵の勉強をさせてやろう」
大商人は、満足のいく買い物をしたとみえて、まだ続く祭りを尻目に、さっさと帰国の途についた。
「タズトマの大商人殿、もうお帰りですか」
アンドレーアスは、放心した様子で、大商人を見送りにやって来た。
「やあ、きみか。仕事が待ってるんでね。……そうそう、大層な絵を描いたもんだ。礼をいわんとな。なんせ偉大、ときたもんだ。だが、わしは、悪党だ。はずかしいよ。それにだ、成熟しきってるもんは、わしには分からんでな。悪く思わんでくれ。また会おうじゃないか。訪ねてくれ。いつでも歓迎する」
タズトマの大商人は、そう言って大笑いをし、アンドレーアスの肩を何度も強く叩いてから、馬車を駆って、東へと行ってしまった。
そっけない別れだった。
そして、惨めな結末であった。
だが、あきらかにアンドレーアスの絵は、申し分なく見事であった。
のちの世に、数少ない人物画のうち大商人の肖像は、人間を描きながらも清い魂の宿った作品として高く評価を受けるのである。
それでも恋しい王女の肖像画ほどの芸術性が認められることは決してなかった。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。
思惑通りの結果を得られなかったアンドレーアス。
さて、彼はどこへいくのでしょう?
次回の投稿は
11月10日を予定しております。
すこしお待ちください。