「天命」~ジャトゥの正体~
こんにちは。
お待たせしました。
今回は、
いよいよジャトゥが何者なのか、本人の口から明かされます。
ミヒャエル・ロ・モソの遺作、奇跡の壁画が復活してから、三か月ほどしたある日のこと、街に一人の男が二人の共を連れてやって来た。
名をドンタビーノと言った。
大きな男で、身長はゆうに二メートルを超えるようだ。あまりの大男で、のっそりのっそりと背を丸めて歩く風体はまるで木偶の坊で、彼を見る人々は、彼が学士であるなどとはとうてい想像もできなかった。その職業を聞いて、誰もが驚くのが常である。
教会は、再び、奇跡の壁画を売りものに、荒稼ぎを始めていた。
壁画保存のための寄附金を募り、様々な行事を催しては、人々から金をせしめた。その他に、民衆は高額の税をも収めねばならないのである。
教会の荒事業は、信心する者たちにとっては、大変ありがたい弱い心の支えでもあった。裕福な者たちにとっては、ちょうどよいステータスであり、また、その行為が現世もあの世も我が身を守ってくれるとあって、無闇に金を注ぎ込んだ。
「たしかに、奇跡は起きたのだろう。しかし、今でも奇跡はあるのかな?」
ドンタビーノは、早速、修道院へと乗り込んでいった。
ドンタビーノの質問に、僧たちは頑として「ある」と答えるばかりである。
「そんな話はいっこうに聞かんがね」
「カラティのガックじいさんの目が見えるようになった話はお聞きではございませぬか」
「ああ、それなら、ここへ来る前に聞いてるよ」
「ポプティのソダという娘は、幼いころの高熱で足萎えとなってしまいましたが、先日、ここでみごとに立って歩きましたですよ」
僧は、昔話でも語って聞かせるように、おおげさな身振りと声色で、瞳をぎょろつかせた。
「ああ、知ってるよ」
ドンタビーノは、ゆっくり何度も頷いた。
「?……ならば、なぜぇ……そのようなことをおっしゃるので?」
僧たちは、いささか困った様子で顔を見合わせた。
「私は、奇跡を否定してはおらぬのだ。現に私の友は、ここでの奇跡を目の当たりにしておるのでな。その話は耳にタコができるほど聞かされたさ」
「それなら、学士さま、……」
「私は、全てを否定してはいない。しかし、全てを肯定してもいない」
「理解しかねます。もうすこし、簡単にお話しください」
僧は、ますます当惑した。
「奇跡というのは、天から下る、永遠に尊い神の御業だ。だが、その場しのぎの業でもって人々の弱みや欲望につけこみ、それを金銭に変え、何も起こらなければ信心が足りないからだとうそぶき、布施が少なければ、これまた信心不足と人を脅えさせる」
「うそぶいてもいませんし、脅えさせてもいません。みんな大変ありがたがってくれますです」
「そうだろうか。私にはそうは見えんが。真実の神の御教えを説き、伝えるのが、あなたたちのまことの務めではありませんか?」
「学士さま、あなたに神のご加護がありますように。そう祈ることしか、私にはできませんです」
僧は、落ち着いた様子をどうにか保ちながら、いまにもその場を立ち去ろうとした。
「僧侶殿、あなたにとって神とは何です?」
ドンタビーノは、逃げるようにしている丸まった僧の背に向かって叫んだ。
僧は、立ち止まり、顔だけドンタビーノの方を振り返った。そして、
「私は、命をかけております」
そう叫び返すと、さっさと姿を消してしまった。
「いあや、まいったねえ。ここもひどいよ」
ドンタビーノは、ボロ宿のじいさんの宿屋で一息つき、ようやく仲間たちと再会した。
「そうだろう」
ジャトゥは、大きく頷いてドンタビーノの頼もしい姿を、愛深い眼差しでもって眺めた。
そして、一足先にここへ来ていた事の顛末をじっくりと話して聞かせ、ジャトゥ、ドンタビーノ、カラヤ、スーティの四人は、世直し事業の話で夜を徹した。
ボロ宿のじいさんは、大いに喜んで、彼らの話に、遠巻きながら加わっていた。
「いつかは来てくださると思っとったよ。この宿をな、繁盛させてくれたのは、あのアンドレーアスじゃったが、……やつも、今ではお偉いごりっぱな巨匠様・・・いや、」
じいさんは、首をふりふり、以前のアンドレーアスのことを思い出して、いささか愚痴をこぼした。
「すっかりご貴族さまだ。この間もなあ、その角んとこで見かけてな、声をかけたが、いやはや、素知らぬ顔さな。……そのアンドレーアスがここに住んどったときさ、おまえさん方の噂をしたことがあってな。思い出すよ。控え目な、いいやつじゃった・・・」
じいさんは、目を細めながら、ジャトゥたちを食い入るように見つめた。
「おまえさん方に、どこか似とるがなあ」
「じいさん、あんたの勘は正しいかもしれないよ、なあ、ジャトゥ」
ドンタビーノが言った。
「そうだな」
ジャトゥは、遠くを見つめるような視線で、宿に描かれた、アンドレーアスの残していった壁画を眺めた。
「高値がつくでしょうねえ」
ドンタビーノが、にやつきながらじいさんに向かって言った。
「そうさなあ……」
じいさんも、笑みをこぼして宿の美しい壁を見回した。しかし、それも一瞬のこと、
「……いやいやとんでもない。わしはもう、金儲けのことなんぞはこれっぽっちだって考えてやせんよ。大層なことは言わんでおくれ。わしは、若い頃から誘惑には弱いんじゃ。それでさんざんな目にあっとるからして」
じいさんは、慌てて自分の欲望を否定し、それからお愛嬌を見せて、四人の改革者たちの笑いを誘った。
「あいつには、もともとそういうところがあったんだ」
ジャトゥがぽつりと、昔をふりかえるように言った。
「ジャトゥ、おまえさんはアンドレーアスのことをよく知っとるようだが、どういった間柄なんだね」
じいさんが不思議がって尋ねた。
「私は、」
ジャトゥは、今さら隠すまでもないと心を決め、自分の身の上をかいつまんで話し出した。
「私は、ヨーヘン。それが本名です。ジャトゥというのは、ここにいるドンタビーノと大学で出会ったときに、生まれ変わるつもりでつけた名です。
私は、まだ十代の少年だったころ、ミヒャエル・ロ・モソの弟子となり、仕事で各地を回っていました。モリエエストの先生のアトリエに籠もって仕事をすることもありましたが、旅をすることがしばしばでしたよ。修道院や、宮廷や、貴族や商人に雇われて仕事をするのです。先生は、旅をしながら、その途路で、多くの弟子を受け入れ、破門し、また受け入れ、ときには謀反され、最後にこの地へ来たときには、先生の弟子は、私とアンドレーアスの二人だけでした。
アンドレーアスは、まだ新米で、私の目から見て、才能は確かでしたが、わがままで幼稚でした。なんでも自分の思い通りに事を運ぼうとするのです。
私は癪にさわりました。自分の方がいかに良い弟子であるかを彼に見せつけて、いい気分を味わうこともありました。しかし、模範的でない彼のその個性が、本当は私には羨ましいものであったのです。
ハハハ、おかしいですね。私は彼の自由奔放さに嫉妬し、彼は私の優等生ぶりに嫉妬していた……。
しかし、私には分かっていました。彼の生来の才能とその大きさが、いかばかりのものか……」
「そうじゃろうて。わしの目に狂いはなかった。大商人の勘は鈍ってはおらんかったよ」
じいさんは、嬉しそうに声をあげた。
「アンドレーアスは、ちょっとした事件を起こして、壁画の完成を待たずにこの地を離れました。私は、あの奇跡のあと、先生の弔いを済ませて、先生の跡継ぎとしてしばらくは修道院に留まったのですが、とても任が重く、またそれにも増して、教会の遣り口には非道なものがあり、考えるところがあって旅立ちました」
「そうさな。わしも、しこたまやられたからなあ」
じいさんが当時を思い出して、合の手を入れた。
「旅の途中でクオニ市の噂を耳にしました。なんでも立派な大学があって、新しい文化が始まっていると。私は早速、不義理はしていましたが、商人の叔父に頼み込んで、保証人となってもらい、大学へ推薦してもらったのです。大学は私の情熱を買ってくれましたが、入学を許されるまでに三年かかりました。なにしろ私は、画家になるつもりでおりましたから、一般教養などなにもなく、叔父が手筈を整えてくれて、運良く、優秀な家庭教師について勉強したのです」
「アッハハハ、商人というのは役に立つもんじゃろうて、アハハハハハ」
じいさんは、豪快に笑って、同業者を褒め称えた。
「まったく大したもんだって。ジャトゥさん、いやいや、ヨーヘンさんよ」
ドンタビーノは、大仰に構えて、自分の仲間を引き立てた。
「私は、捜しました。アンドレーアスの行方を。どうしても伝えねばならないことがあったからです」
ヨーヘンは言った。
「そうそう、おれも付き合わされてね。あちこちで、正義の哲学をぶちまけながら、人捜しとくるんだからねえ。いやあ、まいったねえ」
ドンタビーノの口の悪さは、決して自分を衒うことはなかった。
「いい友人をお持ちだねえ、ヨーヘンさん」
ボロ宿のじいさんが、しみじみと言った。
「わしもなあ、いい仲間が大勢あったさ。もうあらかたの連中は死んじまったがね。人は一人ではなんにもできんて。誰かに助けられて、誰かを助けて、天の神さんに守られてさ、今回の人生を全うしてゆくんじゃのう。おまえさん方も、せっかく出会った仲間じゃ。大切にして、仕事を全うしてゆくこったな。それが使命ってもんだ」
四人の改革者たちは、それぞれがそれぞれの人生の主役であったが、また、それぞれがそれぞれの協力者でもあった。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。
さて、このあと彼らに何が起きるのでしょうか。
次回をお楽しみにお待ちください。
10月20日の投稿を予定しております。