「ひまわりの種」~競技~
お待たせいたしました。
パソコンの故障により投稿が遅れてしまいました。
修道院お抱えの謎の絵描きとアンドレーアスがいよいよ対決です。
結果は?
修道院に抱えられている絵描きは、ジャトゥと名乗る身元の定かでない男だった。
身なりはきたなく、とても裕福そうには見えないが、顔色は良くつやつやとして、その瞳は生きがいを感じてか、生彩な光を放っていた。
どちらかと言えばきりりとした学識者ふうの容貌だったが、不精に伸ばされた髪と髭が、不自然にその正体をおおい隠しているようにも見えた。
絵の腕前は、誰の目から見ても大したものだった。技法を学んだことのある、正当な筆使いである。
ジャトゥは様々な絵を描いて見せた。神々や天使たち、聖書の物語や僧侶の肖像まで、次々とキャンバスを埋めてゆき、朝夕の務めに退屈していた僧侶たちを大いに喜ばせた。
さらに、僧侶や信者たちの話題をさらっていたのは、修道院の全景や街の様子、そのほか周辺の自然などを写し、それを多少誇張させた優雅で精密な風合いの絵であった。
修道院長は、ジャトゥを神の遣わされた絵描きであると世間に触れ回った。
「ジャトゥに肖像を描いてもらうなら、きっと良きことがあるであろう」
そう吹聴して、修道院は利益の獲得に余念がなかった。
人々は、こぞってジャトゥのもとを訪れ、神妙な態度でその前に座し、にこりともせずに緊張したまま額縁におさまるのであった。100ジトマの金貨が、次から次へと修道院の懐をこやしていった。
「サラス二世に申し上げます。わたくしにどうか、ジャトゥ絵師との競技をお申しつけください」
修道院の卑劣な行為を耳にしたアンドレーアスは、自ら国王に申し出た。
「なんと申す?」
「わたくしは、修道院の無謀な金銭集めに目をつぶってはおれないのでございます」
「で?どうしようと申すか?」
「はい。わたくしを宮廷画家として世間に紹介し、さらに、国王の御名をもって修道院長に競技を申し出ていただきとうございます」
「はて?どのような競技をしようというのかな?」
「はい。わたくしとジャトゥに、同じ絵を描かせるのでございます」
「うーん。なるほど」
サラス二世は、太った丸い顎をなでながら唸った。
「して?我に恥をかかすようなことはあるまいなあ?」
「もちろんでございます。必ず勝っておみせいたします」
「ほう。そちにそれほどの勇気があったとは……、さっそく手配しようぞ」
「ありがたき幸せでございます」
サラス二世が、修道院長宛の書簡を家臣に持たせると、三日後、若い修道僧が返事を携えて宮廷へやって来た。
「なに?天使三者降臨絵図とな?」
王は一瞬、顔をしかめた。
「……」
若い修道僧は何も答えなかった。
「我の要求は、風景画だ。簡単な、ごく単純な風景画だ。分からんかなあ」
「……」
「なんとか答えんか!」
「むりでごさいます。わたくしめは、ただのお使い。お返事を持って参上いたしましただけでございまして……」
「わたくしは一向に構いませんよ、国王」
アンドレーアスは、もう既に構想を持っているかのような余裕を見せて言った。
「なんと?聞いたか、みなの者」
王は、にやりとほくそえんで何度も頷き、堂々と胸を張って見せた。
「頼もしいかぎりであるなあ。ほっほう、そうか。では、使いの僧よ、伝えるがよい。お受けいたします、とな」
部屋扉二枚分もある大きなキャンバスが、宮廷と修道院に運び込まれ、いよいよ競技が始まった。
二人に与えられた期間は、たったの半月であった。
完成した絵は、宮廷前広場で披露される。修道院長にとっては、出向く手間がいささか不満ではあったが、院内を人民が踏みにじることになるよりは気がきいていると判断し、承諾した。
決選当日は、予想以上の混雑となった。貴族、平民を問わず、よその街からも人々が噂を聞きつけて集まって来たのである。
二つの絵は、厳かに広場へ運び込まれ、アンドレーアスとジャトゥは、正装して、それぞれの主人の脇で物静かに立っていた。
アンドレーアスの髪はこざっぱりと刈り込まれ、きりりとした顔立ちと潤んだような大きな瞳は、とても風来坊には見えなかった。
「やっぱりただものじゃあなかったわい。わしの目に狂いはなかったのう」
ボロ宿のじいさんも、遠くから眺めてひどく驚き、感心していた。
ジャトゥは、正装といっても修道僧の出で立ちで、無造作に伸びた髪と、さらにそれをおおい隠すようにフードを被っていて、容貌は全く分からなかった。アンドレーアスも、一目彼を見たいと思っていたがかなわず、彼が、ただ、ひどく不精者に見えただけだった。
二つの絵画が、一斉に公衆の面前にさらされると、群衆からどよめきが起こった。
構図はほとんど同じであった。
三人の大天使が、天上から今しも地上に降り立とうとしている図である。天の雲間から黄金の光が末広がりに地上を照らし、そのなかを滑るように、大天使が飛んで来るのである。一人は竪琴を、一人は杖を、一人は文字の刻まれた本を持って、大きな翼を広げている。
天使たちが降り立とうとしている地上の背景には、生き生きとした森や湖、そして澄んだ青い空が描かれており、見る人々に安堵と優しさを与えていた。
神々も、その風景を深く愛し、そこへ愛の風をゆるやかに吹かせている。
ただ、よく瞳を凝らすと、一点だけ、微妙に、そして大きく違っている箇所があった。
それは、中央の杖を持った天使である。
アンドレーアスの天使は、三人ともちょうど同じ高さにきれいに並んでおり、しかも初々しく若い。
一方、ジャトゥの天使は、真ん中の杖を持った天使のみ、若干他の二人よりも上方にいて、しかもかなり年を取っていた。
それを見た国王も修道院長も、なんとも判定しがたく、眉をひそめていた。
家臣たちも僧たちもざわめいていた。
王妃も王女たちも街の女たちも、みな、結果を訝ってつぶやきあった。
「アンドレーアスの勝利でございます」
突然の判定の声に、どっと群衆がわきたった。
「誰だ?いま申した者、前へ」
「はい、わたくしでございます」
国王の前に歩み出たのは、ジャトゥであった。
「なんだ?なんだ?八百長かあ?」
人々は驚き、呆れ、また、国王も修道院長も開いた口がふさがらない。
「理由を申せ」
国王は、なんとか体面を保って尋ねた。修道院長は黙っている。
「はい。申し上げます。わたくしの天使でございますが、大変古いものでありました。でありますゆえ……」
「古い?とな?」
「芸術は常に新しく、文化は常に未知のものを引き寄せるものでございます」
「ほう、そなた、なかなかの哲学者らしいが。では、そなたに尋ねよう。いかに新しく見えようとも、それが本物であるか否かは、どう判断する」
サラス二世は、答えられまいとでも言うように、鼻を鳴らし、大仰に顎を突き出した。
「申し上げます。それは、神の愛に包まれているか否かでございます」
国王は、唖然として息を飲んだ。
「して、そなたにはそれが分かるとでも?」
「分かります」
集まった人々はざわめき、国王は、ジャトゥの率直な、決してへりくだらない言行が癇にさわった。
「なまいきな」
国王はそう心のなかで呟き、しかめ面をしてどうしてくれようかと息を荒くした。
「神の愛を受け取っているなら、自ずと引き合うものでございます」
この言葉を聞いた修道院長は、ジャトゥの意見に従わざるを得なかった。
自ら得る名誉よりも、神にお仕えする身の証明を大衆に示すことの方が重要だった。
「なんと私は、多くの愛を受けていることであろう」
修道院長は、おもむろに立ち上がり、両の腕を広げて天高くさしのべて叫んだ。
「おお、神よ。残念ではありますが、この結果を甘んじてお受けいたします。国王サラス二世に偉大なる繁栄を」
そう修道院長が祈ると、勝利の栄冠は、アンドレーアスの頭上を飾って輝いた。
不如意な勝利ではあったが、勝ちは勝ちである。国王は恥をかかずに済んだ。
が、修道院長が敗北の理由を尊い思いに高めることに成功したことは腑に落ちないことではあった。
競技に負けたジャトゥは、修道院長に申し出て、せめてもの償いにとミヒャエル・ロ・モソの遺作である壁画の修復を試みることになった。
壁画自体にはそれほどの傷みはなかったが、年月の埃が、絵画の美観を損ねていた。
ジャトゥは、丁寧に、まるでもう一度描くようにして、偉大な壁画を磨いていった。
壁画は、次第にその本来の明るさを取り戻してゆき、天使の美しい横顔もくっきりとした目鼻立ちとなり、金色の髪も典雅に、そして神秘に流れ出した。
ジャトゥは嬉しかった。
「もうひと仕事終えたら、この街から出て行こう」
そう思いながら心地良い汗を拭って、ジャトゥは、かつて「先生」と共にこの壁画を制作していたときのことを、懐かしんで微笑んだ……。
「私の仕事は、もうこの時にはじまっていたのだ。先生、必ずお心をお伝えします」
天窓から、昼の明かりが差し込んでいた。
壁画は息を吹き返し、弾むように辺りに神聖な息吹を投げかけた。
「金の絵具はどこにあるのだろう……」
ジャトゥは、ひとり呟き、その見事な構図と曲線を見つめて嘆息した。
「こ、この絵は……?」
ひとりきりだと思っていたジャトゥの背後から人の声がした。
オージェルだった。
「ああ、きみか」
「仕上がりましたね、ジャトゥさん」
「そうだな」
「出ていかれるのですか?」
「負けたからね。しかし、今しばらく、街にはとどまるよ」
「そうですか……」
オージェルは、愛想好く相槌を打ちながらも、心と視線は壁画に釘付けにされている様子だった。
「どうかしたのかね?」
ジャトゥは、不思議に思って尋ねた。
「ええ。考えていました。なぜあなたが負けたのだろうかって。僕はあの人、アンドレーアスさんですが……、彼のことを少し知っていました。しばらくここにいたからです。僕を助けようともしてくれました。でもできなかった……と僕は思っていた……」
「それで?なにか勝敗の原因が分かったのかね?」
「ええ。たった今、分かりましたよ。あの言い伝えは本当だったのです」
「私も同意見だね」
ジャトゥは、オージェルと肩を並べて壁画を見つめた。
巻き毛の天使は微笑んで、天窓から降り注ぐ神の光を浴びて躍動していた。
二人の耳に天使の翼がはばたき舞う音が聞こえた。ときに小刻みに小さく、ときに大きく雄大に、天に昇るように。
はばたきは次第に、ジャトゥには不思議な音色の言葉に聞こえ、それは美しく韻を踏んでいた。またオージェルには、新鮮なメロディとなって聞こえ、それは美しい和声を奏でていた。
「オージェル、これを持っていきなさい」
そう言って、ジャトゥは一枚の紙を手渡した。
「これは?」
「紹介状だ。タチェクに私の知り合いがいる。彼は社交界に顔がきくんだ。きっと役に立つよ」
「ジャトゥさん、あなたはいったい……」
「何者でもかまわんさ。私を信用するかしないか、それはきみの選択だ」
オージェルは、意を決して、音楽家マーティレッタに会うべく、音楽の都と噂の高いタチェクへと向かった。父から譲り受けた古びたヴァイオリンと、自筆の楽譜を持って、着の身着のままの旅となった。
ジャトゥは修道院を出て、次の定住場所を求めて歩いていたところ、折しも、例のボロ宿のじいさんが淋しがって余生の相棒を捜し求めていた。
ジャトゥは、アンドレーアスとの再会の日を願いながら、そこで過ごすことに決めたのだった。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
オージェルもようやく旅立ちました。
ジャトゥとアンドレーアス、二人は再会できるのでしょうか?
次回の投稿は10月6日を予定しております。
お楽しみにお待ちください!