「ひまわりの種」~宿屋~
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「神の天窓」第5話をどうぞご堪能ください。
世の中は徐々に、また急速に、変化しつつあった。
人々は、繁栄を求めて前進するものと、古巣から抜け出られずに温床で安穏としているものとに分かれていた。
教会の腐敗とおびただしい暴力のような権力が、あらゆる市民生活に浸透し、うまく取り入って恩恵を受ける者が勝者となった。
また、宮廷と教会も、なにかと争いの種をふりまいていた。
オージェルは、アンドレーアスを軽蔑していた。
アンドレーアスからしてみれば、なんとも迷惑な話だったが、気持ちはよく分かるので、オージェルのその眼差しが哀れでしかたなかった。
心残りではあったが、アンドレーアスはついに耐えられなくなって修道院を出た。
そして、今にも崩れ落ちそうな朽ちた宿にねぐらを定めた。
質素な食事と重労働が、アンドレーアスの肉体を苦しめた。
「私は、金など稼ぎたくはないのだが、金を稼がねば肉体が死んでしまうからしかたない、そう思っていますよ」
アンドレーアスが言った。
「変わったお人だ。日々の糧ってやつか。わしなんぞ、若い時分から、そりゃあ、稼ぎまくったさ。うまい話がありゃあ、すぐさま飛びついたね。こう見えても勘がよくてね。たいていの大仕事は当たるときたもんだ」
宿屋のじいさんが、しわしわの顔をしわしわの手で撫でながら、アンドレーアスに語って聞かせた。
「したいほうだい。なんでも思いのままさ。王様になったようだったなあ。四頭立ての豪華な馬車を駆って、もちろん御者がな、わしは、そのお馬車に乗り込んでだ、女と酒の待つ屋敷へと向かうのさ。どうだ?うらやましいか?」
じいさんは、にたにたと気味悪く笑って、アンドレーアスに顔を近づけた。アルコールの臭いが鼻を衝く。
「しかし、じいさん、その財産はどうしたんだね?」
アンドレーアスは、汚く煤けた、壁のはげ落ちている宿屋の中を見回して言った。
すると、じいさんの顔が一瞬にして曇った。
「わしゃぁなあ、戦ったんじゃ。精根込めて戦ったんじゃ」
「誰と?」
「教会とさ。やつらはしこたま搾取しやがる。いつだったか、奇跡が起きたとかで、あんときもごっそりぼられたさ。わしもバカだったんだなあ。ご利益とやらを信じたもんだから。信仰の薄いもんにゃあ何も起こらんのだと……やつらは言いやがったよ。さんざんしぼり取ってからさ。お布施はわしのためだと、うそぶいた。ケッ」
じいさんは罵りながら、床に唾を吐いた。
「まあ、嘘とも言いきれないが……」
「ウソじゃないって?じゃあ、わしを見ろ、生き証人だぞ。こんなにボロボロになっちまった」
「布施というのは、尊い教えであるのは確かなのですよ、じいさん。東の国の教えにもあるのですからね。しかし、その心をどう受けとめ、どう行い、それから互いがどう影響しあうか、というのが簡単ではないところなのですがね」
「ああ、わしだとてそのくらいは心得ておるよ。なにせ昔から時代の波には敏感でね。そうそう、おまえさん、知っとるかねえ。なんとかいったなあ、……ちょいと度忘れしたが、お偉い学士さんでねえ、教会の悪事を訴えて回っているのさ。いずれここへも来てくれるじゃろうて」
宿屋のじいさんはそう言うと、気持ち良さそうにパイプをくゆらした。
「じいさん、宿をいくらか手直ししましょうか」
アンドレーアスが申し出た。
「いや、ほんとかね?そりゃあ大助かりだ」
じいさんは、大いに喜んだ。
アンドレーアスは、早速、持ち前の腕を生かして修繕屋を始めた。
壁を整え、門を直し、雑草を抜き、家具を色づけして、それから整えた壁を美しい絵で飾っていった。
外壁には鮮やかな風景が描かれた。それらの山や湖や森は、アンドレーアスの二十年間の旅の思い出であった。
玄関口には、美しい十字架と二人の大天使が配された。じいさんは、わしのうちには似つかわしくないなどとぼやきながら、照れたように喜んでいた。
「ご利益があったのお。ウソじゃなかったわい」
確かに、見事な出来ばえであった。
じいさんのボロ宿は息を吹き返し、アンドレーアスの絵も際立って喜びを表現していた。
それを見聞きした近隣の人たちは、アンドレーアスの腕前を高く評価して、仕事を頼みに来るようになった。
アンドレーアスは、過酷な重労働から開放された。好きな絵を描いて収入を得ることができるのだ。
単調だった街の建造物の壁が、魔法にかかったように、次々と鮮やかに輝き、踊り出した。
実際、アンドレーアスの絵筆は魔法のようだった。筆先から、一分の迷いもなく、絵具が拍子を取って形を表すのである。
アンドレーアスのもとに、共に仕事をしたいという若い連中が集まって来た。また、腕のある彫刻家も名乗り出て、壁を飾り、庭造りを手伝った。
ボロ宿だったじいさんの宿も、思いのほか繁盛した。観光客のほかに、アンドレーアスに仕事の依頼をしに来る貴族や、弟子入り志願の青少年たちで宿はごった返し、息つく暇もないほどである。
元ボロ宿のじいさんは、人生最後の栄華を極めていた。
「おまえさんは、絵描きなのかい?」
じいさんが、不思議に思って尋ねた。
「ただの風来坊ですよ」
アンドレーアスは、力なく笑って答えた。
「もったいないのお、大した腕じゃ。おしいのお。わしは、商人だった時分にずいぶんと各地で絵を買ったもんで、目はこえとるつもりじゃがね。そうか、風来坊かあ……」
アンドレーアスの天才ぶりが世間に広まるのに、それほどの月日はかからなかった。
一年ほどしたある日、アンドレーアスが道端で、子供を相手に絵を描いているところへ豪壮な馬車がやって来た。それは、金と宝石で飾られた、美しい曲線を描いた馬車で、公式訪問のときに貴族が使うものだった。御者はきめ細かい刺繍の丈の長い上着を身につけ、ボートのような形の帽子を行儀良く被っていた。
よく見ると、馬車の扉に王家の紋章がはめ込まれていた。
「どおー」
御者が馬車を止めると、辺りに埃が舞い、アンドレーアスも子供たちも眼をおおった。
御者が地面に降り立ち、馬車の扉を開けると、中から豪華な衣装を身にまとった、でっぷりと太った五十歳ぐらいの男が、のっそりと大儀そうに降りてきた。
ガウンのような上着は、きらきらと眩しく、手の込んだ刺繍にも鮮やかに宝石が縫い付けられていた。
「そなたが、アンドレーアスと申す者か?」
太っているわりには小柄なその男は、慇懃な調子で口を開いた。
「……は、はい。そうでございますが……」
「うん。我は、サラス二世である。そちに頼みがある。今日は、わざわざ我が迎えに参った」
アンドレーアスは、いったい何事が起こるのかと、自分を迎えに来た横柄なサラス王を訝って見上げた。
その日から、アンドレーアスは自由を奪われた。
サラス二世のもとに、お抱え宮廷画家として迎えられたからである。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。
お楽しみいただけましたか?
さて、宮廷でアンドレーアスを待ち受ける運命は・・・
次回投稿をお待ちください。
8月18日を予定しております。




