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「神の天窓」  作者: 路寄りさこ
4/12

「ひまわりの種」~放浪者と修道僧~

ようこそ!

路寄りさこワールドへ!


新しい展開です。

お楽しみください。



 修道院の天窓は、相も変わらず、中楼の天井高く悠々と、そして涼しげにその顔を見せていた。

 太陽や月や星々と親しげに会話を交わして、雨にその顔を打たれ、雪に埋められ、風にさらされながら、ずっとずっとそこにあった。


 オージェルは、鼻唄を歌いながら、明日の儀式のために祭壇を整えていた。

 全てが首尾よく整ったとき、オージェルはふと、聖堂内の不信な人影に目を止めた。そして祭壇の横の大きな柱に身を隠して、その人影の様子をうかがった。


 見知らぬ男が、壁画をしげしげと眺め見ている。

 男は、ときおり深いため息をつきながらあちらこちらへと足を動かし、ときに立ち止まっては腕を組み、また、祈祷席に腰を降ろしては壁画を見つめた。

 壁画は、二十年の歳月を経て、うす汚れていた。

 男も、その壁画のようにくたびれた様子であった。髪はぼさぼさと振り乱され、不精髭がぼうぼうと頬と顎を覆っていた。

 それから男は、おもむろに聖歌隊席を見上げた。パイプオルガンの大きなパイプが背景を飾っていた。

 オーケストラも入って演奏するという噂を聞いていた。マーティレッタなにがしというピアノ弾きが、楽隊を引き連れて巡礼しているという。


「マーティレッタ様の演奏をお聴きに?」

 オージェルが、痺れを切らせて男に近寄って行った。

「?ああ、そのお……」

 男はびくっと肩をすぼめ、いたく困惑しているふうだ。

「失礼。私は、オージェルと申します。ついこの間までそこで歌っていたんですよ」

 オージェルは聖歌隊席を指差し、軽くミサ曲をハミングした。が、少し掠れた声は、音色を響かせることはできず、すぐに途中で切れた。

「すみません。ハハハ、もう歌えません。天使のようにはね。でも、またすぐ復活しますよ。今度は福音家の役で」

「イエス・キリストというのはどうです?」

 男は、オージェルのしゃれた教養深い言葉を受けて、自分にも芸術の心得があるところを示した。

「音楽がお分かりですか?」

「多少だがね。私は、アンドレーアス。いや、実は・・・その、音楽ではなく、絵をね」

「絵?ですか」

「そう、この壁画は立派なものだ」

 アンドレーアスは、巨大な壁画を見上げながら、感嘆の声をもらした。

「ええ。なんでも、今は亡き巨匠、ミヒャエル・ロ・モソの遺作だと聞いていますが」

 オージェルも、共にその壁画を眺めた。

 このうす汚い旅の男にそう言われるまで、立派だとか、素晴らしいだとか、思ってもみたことがなかったが、しかし、その絵の由来だけは知識として心得ていた。

「そうらしいですな」

「音楽にも絵画にも造詣がおありなのですね」

「いやあ、造詣などはこれっぽっちも持ち合わせませんよ」

 アンドレーアスはそう言うと、肩を小さく揺らして笑った。自分にあきれているといったように頭を振りながら。

 オージェルは持ち前の勘の良さで、目の前のこの男が謙遜からそう言っているのを見て取った。が、オージェルはそれ以上、何も尋ねようとはしなかった。


 アンドレーアスとオージェルの間に沈黙が流れた。

 壁に描かれた葡萄の房の様な巻き毛が、金色に浮くように流れていた。

 そのときちょうど、天窓から一筋の光が差し込んだ。

 浮き彫りのような壁画が、躍動した。

 辺りがざわめいているようだった。人の息遣いが聞こえてくる・・・。


「アンドレーアス、先生の足場をしっかりと支えて!」

「はい」

「よーし、いいぞお。この絵具はねえ、特別なのだよ。見ていてごらん」


 ・・・鐘楼で、幾つもの鐘がカランコロンとうるさいほどに打ち鳴らされていた。

 正午を知らせている。

「アンドレーアスさん、よかったらご一緒に昼食をいかがですか?無理にとは申しませんが。なにせ、修道僧のつくる食事ですからね、お味のほどは保証しませんよ」

「いやいや、私は、ずいぶん各地を旅して歩いたが、修道院の食事ほど充実したものは他にありません」

「旅を?そのお姿からすると、だいぶ方々回っていらしたのでしょうねえ。ぜひ旅の話なども聞かせてください。さ、参りましょう。僧たちは、時間にうるさいですから。ハハハ」

 オージェルは陽気に笑い声を響かせて、回廊を先立って歩き、アンドレーアスを食堂まで案内した。


「オージェル、歳は?」

「十七です」

「十七。・・・・・・私は十五だった・・・」

「え?」

「いや・・・。お若いですな」


 僧たちのなかには、アンドレーアスの知った顔も見受けられたが、アンドレーアスに気づく者は一人もいなかった。

 当然のことながら修道院はいたって静粛で、風来坊のアンドレーアスには、今もって窮屈な雰囲気を漂わせていた。

 だいぶ修復されたらしく、以前と較べてずいぶんと華々しく立派なたたずまいとなっていた。

「羽振りがいいようですな」

「はい。あの絵のおかげですよ」

「噂には聞いていたが、これほどとは」

「私は、もうすこし質素なのが好みですが」

「賛成ですな」

 アンドレーアスとオージェルは、顔を見合わせてくすくすと笑った。

「しーっ。お静かに、旅のお方。主に祈りを捧げてください」

 アンドレーアスは、少年のころにも同じように注意を受けたのを思い出した。

 ヨーヘンはどうしているだろうか。生きていれば、ぜひとも会いたいものだ。


「芸術家は大切にされているのかな?」

 アンドレーアスが尋ねた。

「ええ。昔はずいぶんと冷遇されていたそうですが、先ほどのミヒャエル・ロ・モソの遺作とそれにまつわる奇跡の話というのが出回りまして、それを聞きつけた参拝者が押し寄せて来てからというもの、いたく芸術家たちに寛容になったということです」

 と、オージェルが答えると、

「人の心とは、なんと単純なことよ」

 スープを啜りながら、アンドレーアスが呟いた。

「そうですか?……私にはまだよく分かりません。それほど多くの事々を知ってはいませんし、それに、ようやく神学を学びはじめたところです」

 オージェルの瞳は、若さと希望にみちみちていた。

「僧になるおつもりかな?」

「・・・わかりません・・・ただ・・・」

「ただ?」

「い、いえ。初めてあったお方にお話しするようなことではありません。すみません」

 そう言うと、オージェルは黙りこくってしまった。

 アンドレーアスは、彼が思い悩んでいる事が手に取るように理解できた。

 しかもそれが、自分が抱いていたのと同じ種類の悩みであることに懐かしさを感じ、同時に、少しばかりの痛みすら感じていた。


 翌日、盛大な祭りが催された。ミヒャエル・ロ・モソの昇天を祝う儀式である。

 若き音楽の才能マーティレッタが、楽団を引き連れ、豪華な馬車で到着した。街はわきかえり、はなやいだ。

 修道院の聖堂には、民衆が、精一杯の紳士淑女の格好でおしあいへしあい詰めかけて来た。

 その日の演奏は、大変素晴らしいものだった。アンドレーアスも、これほど洗練された新しい音楽をついぞ聴いたことがなかったので、大いに感動した。

「こんな演奏会には、貴族でないとお目にかかれませんな」

「運がいいですよ。アンドレーアスさん」

 これから一週間、街に滞在するというマーティレッタの世話をすることになっているオージェルは、いたく興奮ぎみだった。


 ところが、修道院に宿泊する予定が、急遽、国王の指図で宮廷に迎えられることになった。それと同時にオージェルのお役目はなくなり、彼は、ひどく落胆してしまった。

 アンドレーアスは、長居をするつもりではなかったが、生気を失っているオージェルを見捨ててゆくことはできなかった。


 アンドレーアスは、オージェルの抱く夢を見て取った。

 オージェルの前には分かれ道があった。

 それをアンドレーアスは、一種悲しみの眼でもって眺めた。なぜならば、この選択の決定とその行く末は、誰にも教えてもらうことができないからである。

「神も、沈黙しておられる」

 決めるのは、己れである。決めることができるのは、己れ自身だけ、なのだ。


「自分のことを一番よく知っているのは、自分自身だからね。いろんな人が、いろんなことを言うだろう。しかし、彼らは決してきみを傷つけようとしているわけではない。それぞれの人が、それぞれの価値判断で語りかけてくるのだ。それぞれの経験を通して、それぞれの幸福観を通して、それぞれの立場から。みな、善かれと思って語っているのだ。それは、何十、何百とあるのだよ。だが、結局は、自らが自らの判断で選ばねばならん。己れのできることはひとつ。そしてそれは、他の人にはできないことなのだ。自分にしかできないこと。それは、神様から与えていただいた大切な宝だ。たとえ、他の成功者が良いと言ったことでも、それがきみの種子でなければ、きみは、きみにはできない他の花を咲かそうとして苦しむことになるのだ。それは、神様のお喜びになることではないと思うが」

 アンドレーアスが静かに語った。

「神様は、私に何を与えてくださっているのでしょう」

 オージェルがつぶやく。

「きみの生命を与えてくださっているよ」

「私は……少しまってください」

 オージェルは、アンドレーアスを修道院の中庭に残して立ち去った。

 回廊の列柱が穏やかな空間に立ち並び、小さな噴水池には、小鳥たちが姿を見せる。なんとも心地良い。

 しばらくして戻って来たオージェルは、手になにやら紙の束を抱えていた。


「これを見てください」

 オージェルが差し出したのは、見事に完成された楽譜であった。

「ああ、きっとすばらしいのだろうねえ。けれど、残念なことに私は音符が読めないのだ。ほんとうに残念だよ」

「いいんですよ。読んでいただこうとは思っていません。これは交響曲です。私の心とその心が憧れる神々の世界をイメージしてみたのです」

「誰かに見せたかね?」

「……いいえ」

「どうしてだね?」

「誰も理解しません」

「まあ、そうかも知れんが、しかし、聖歌隊の指導者がいるだろう。きみの先生だ」

「ええ。聖歌は得意でも、新しい音楽は知りません。もうご老体ですから。私は、運が悪かったのです。マーティレッタ先生の滞在が一週間と聞いて、その合間に指導が受けられたらと……。予定と計画は順調だったのに」

「オージェル、きみはまだ若い。あきらめるには早すぎるよ。マーティレッタは宮廷を離れ、隣の街に行ったそうじゃないか?楽譜を持ってすぐに追いなさい。追ってだめなら後悔はしない。だが、追わなければ、必ず後悔に責めさいなまれる。己れの意志の弱さにね」

「でも……」

 力強いアンドレーアスの言葉は、オージェルには無謀に感じて、驚き、戸惑った。

「アンドレーアスさん、あなたは、他の人とは違ったにおいがします。あなたが私を助けてはくださいませんか?」

「たしかに、きみと私は同種の根を持っているようだ。しかし、種、・・・果実が違うのだ。正直に言えば、きみの種のなかにある果実を私は見極めることができない。だが、見極めてくれそうな人を教えることはできる。残念だが、私にはきみを助ける力量はない」

 オージェルは、期待を裏切られ、がっくりっと肩を落とした。

「わかりました。アンドレーアスさん。ごめんなさい」

 そう言いながら、なんだやっぱりただのうらぶれた中年男だったのか、と心の底で見下してしまった。

「さあ、オージェル、早くあの音楽家を追いなさい。迷いが道をせばめ、その門を閉じることもある」

 アンドレーアスの熱心な助言も、オージェルの心に勇気の火を灯すことはなかった。


 アンドレーアスは何度か親切に促したが、結局、オージェルは音楽家の跡を追わなかった。




いかがでしたか?


アンドレーアスとオージェル。

純真な夢を持つ二人に、何が訪れるのでしょうか。


次回をお楽しみに!


投稿予定日は8月4日です。

お待ちください!


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