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「神の天窓」  作者: 路寄りさこ
3/12

「神の天窓」~奇跡~

路寄りさこワールドへようこそ!

「神の天窓」第3話。

どうぞご堪能ください。

「私は、おまえが何を望んでいるのか、分からんよ」

 翌朝、先生はそう言った。

 アンドレーアスは、逃げなかったのだ。

「先生。僕は一言、お別れと、そしてお詫びを申し上げたかったのです」

「ますます、分からんなあ」

 ミヒャエルは、大きくため息をつきながら頭を振っていたが、諦めているのか、怒っている様子は全くなかった。

「先生。僕を叱らないのですか」

 アンドレーアスはそう尋ねながら、ヨーヘンの方を窺った。

 ヨーヘンは壊された壁画を眺めていたが、あまりにも無表情なので、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、アンドレーアスには見て取れなかった。

 しかし、少なくともこの瞬間から、ミヒャエルの弟子はヨーヘン一人きりとなった。この事実が、喜びでなくて何であろう。先生の寵愛を一身に受けられるのだから。

「感謝してもらいたいよ」

 アンドレーアスは、そう心のなかで呟くのだった。


「達者でな、アンドレーアスよ」

「先生?」

「・・・・・」

「先生・・・」

「立派な画家になるんだぞ。おまえの求める師匠は、きっとどこかにいようぞ」

「…………さようなら」

 アンドレーアスにも、もう何も語ることはなかった。

 辺りは、事を聞きつけてきた修道僧たちでざわめき立っていた。

 表へ出ると、朝の陽差しがひどく眩しかった。

 賑やかに馬車が行き交い、仕事場へと向かう人々の、せわしない様子が不思議に感じられた。

 壁一つ隔てて、全く別の世界がそこにあった。

 街には活気があった。生命が漲っている。

 アンドレーアスは、なんだか妙な気持ちになっていた。

「うれしい」

 そう思った。

 解放感に満ち足りたアンドレーアスは、聖堂から続く修道院の煉瓦の塀に沿って、ゆっくりと歩き始めた。


「アンドレーアス」

 後ろからばたばたと大きな足音を立てて、ヨーヘンが追いついて来た。

「さようなら」

 ヨーヘンは、むりやりアンドレーアスの手を取って、両手で握りしめた。

「さよなら」

 朝陽を浴びたヨーヘンの顔が、生き生きと輝いて見えた。

「ヨーヘン、きみも一緒に来ないかい?」

 アンドレーアスは、突拍子もないことを口走った。あれほど嫉妬していたヨーヘンを今、朝陽の街路で、とてもいとおしく感じたのだった。

「一緒に、太陽の下で、はばたこうじゃないか」

「あ、ああ。ありがとう。うれしいよ」

 ヨーヘンは戸惑ったように自分の足元を見つめ、そばにあった小石を蹴った。

「これからどうするの?」

「きままにやるさ」

「アンドレーアス、きみの絵はすばらしい可能性を秘めていると思うよ。世間は広い。あきらめることはないさ。……僕は、正直言って、ついさっき、きみがいなくなることを嬉しく思ったよ。でも、たった一人の弟子がいたって、いったいどうなるというんだ。神の愛を一身に集めることなどできないのさ。神の愛は、共有してこそ美しい。そうでなければ、人は罪を犯したことになる」

「断言するのかい?」

「…………」

「哲学者だな、ヨーヘン。だけど僕は、すこし違う。あるとき、神は、その大いなる愛を、ある特定の人物にのみ注ぐことがある。それほど大きな愛を受ける人も時代を経てこの世にはいるのだ」

「冒涜だね」

「そうかな?じゃあ、きみの先生を見たまえよ。ミヒャエル・ロ・モソは、その筆を動かすとき、この世の誰よりも深く愛されていると思わないか?」

「なるほど。それでアンドレーアス、きみ自身もその種類の人物だと?」

「それは……僕かもしれないし、また、これから旅の途中で出会う人かもしれない」

「もし出会ったら、ぜひ知らせておくれよ」

「必ず」

 二人の若者は、それぞれの希望を胸に秘め、強く抱き合うと静かに別れた。

 互いの道を歩み出す、互いの人生にとって深い意味のある瞬間であった。


 ミヒャエル・ロ・モソは、アンドレーアスの無謀に心を痛めていたが、自らの老い先のことを考えると、大急ぎで再び壁画の完成を試みなければならなかった。

 が、次々と弟子を失ったミヒャエルは、仕事の完成の覚束なさに次第に言い知れない悲しみを感じていった。


 ヨーヘンは、持ち前の気をきかせて、近辺から人を集めてきた。僧のなかにも絵心のある者が数人いたので、お務めの時間以外は手を貸してもらう約束をとりつけることができた。

 街の住民は、巨匠の名をよく知っていたので、こぞって名乗り出た。

 国王も噂を聞きつけて、宮廷画家の弟子たちを修道院へ送り出してきた。

 聖堂の壁画は老匠ミヒャエルの指揮のもと、一ヵ月足らずで完成をみた。

 修復とおおかたの描写は、多くの人々の手でなされた。しかし、あの不思議な金色の絵具だけは、ミヒャエルたった一人が使用を許された。

 それは決して、ミヒャエルが独り占めしていた、ということではない。

 老匠は、愛弟子のヨーヘンにも、宮廷画家の弟子たちにも、その金の絵具を試させた。しかし、誰一人として、思うように描ける者はいなかった。


 ミヒャエルは、自ら筆を取り、金の絵具を魔法のように操った。

「この絵具は、これから誰の手に……」

 老匠の指先から、こぼれるように絵具が踊り出し、筆は滑るよう壁を這い、浮き彫りのごとく壁面を飾っていく。

「神が私にだけくださったのか……。なんとありがたいことか。だが、この絵具を使いきれぬまま、残して、召されてゆくとは……」

 ミヒャエルは、最後の筆をなでつけると疲れはて、その場にくずおれた。

 共に作業をしていた者たちは、その死にかけている老匠のそばに駆け寄った。

 皆は、ただ見つめていた。

 もう夜だった。


 ふと、天窓から一筋の光が差し込んできた。皆は驚いて、その方に視線を上げた。

 月明かりではなかった。確かに、光ではあったが、この世のものとは思えぬ、美しい、眩しいほどの光の束である。

「おお、天使が!」

「ああ、これは美しい、天の軍勢だ……!」

「おお、神よ。われらが主よ」

 皆は、口々に感嘆の声をあげ、深いため息をもらした。

 僧たちは、人生最良の時に巡り合わせたと、跪き、手を合わせ、祈りを捧げた。

 天使たちは光の道に沿って、あちらこちらと飛び交っていた。ラッパを吹き鳴らしている天使もいた。

 また別の天使は、竪琴を抱えて美しい音色を響かせていた。


 しばらくすると、後方から、護衛の天使に囲まれて、一際立派な翼を持った体格の良い天使が姿を現した。彼をおおう光もことさら大きく、また長くその尾を引いて、お供を引き連れていた。

「ミヒャエルよ。さあ、汝の使命は終わった。我とともに天界へ、いざ舞い戻らん」

「できません。私には、やりのこしたことが……。この金の絵具を伝える者がありません。どうか、今一度、生命を……」

「ならぬ。それはかなわぬ。そなたの想いは十分仕事に託されておろう。案ずることはない。何事も、伝えられるべきとき、伝えられよう」

 大きな翼の天使は、辺りをゆっくりと見渡した。その光と息吹が、熱波のごとく人々の顔に押し寄せ、皆は、あまりの眩しさに瞳をおおわずにはいられなかった。

 天使は、おもむろに右腕を振り上げて、持っていた杖で壁画を照らした。杖の光に写し出された壁画は、躍動するように見る者たちの眼に迫った。

「そなたの描きし天使が訪れ、神の栄光をその才あふるる右腕より放つであろう」

 瞬間、火花が散ったように辺りに火の粉が飛んだ。ぼっという炎の音が集まった人々の耳を掠め、大きな翼がそこらじゅうに敬虔な影絵を残しながら、どこへともなく、その堂々たる大きな天使はかき消えた。

 ミヒャエルの魂は、いよいよ肉体を離れた。まるで蛹をぬけだす蝶のごとくふわりと浮くと、たくさんのかわいらしい天使たちに支えられ、光の道を昇って行った。ラッパや竪琴や太鼓、それに鈴の音も、高らかに帰天を祝っていた。


 奇跡を見た。

 神を見た。

 修道僧も絵描きたちも、口を揃えて神聖な夜の出来事を吹聴して回った。

 いつしか聖堂には、御陰に預かろうと様々な国から多くの信者が訪れるようになり、修道院は大変な繁栄をみた。


 全ては、ミヒャエル・ロ・モソの遺していった壁画の御陰であるとして、彼もまた、聖人として祭られた。

 それは、決してミヒャエルの本意ではなかったが、彼の意志を伝える愛弟子もおらず、全ては臨終の地、この修道院に帰属されたのだった。


 ヨーヘンは、先生の葬儀ののちすぐさま土地を離れ、人知れずになってしまった。


 修道院と街には、いずれ天使の予言した人物が現れてさらなる奇跡を起こすだろうという言い伝えが、奇跡の壁画とともに残ったのだった。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

お楽しみいただけたと思います。


さて、アンドレーアスとヨーヘンの運命は・・・・

次回をお楽しみに!

7月21日投稿を予定しております。



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