「天命」~天使の正体~
こんにちは!
路寄りさこワールドへようこそ!
いよいよ最終話です。
金の絵具とアンドレーアスの秘密が明かされます。
八十年ほど前のことである。
その村に、ある貧しい絵描きの男が住んでいた。
男は、自分の才能に大層な自信と確信を持っていたが、一向に芽生えをみせず、生活は苦しくなるばかりであった。
日々を乾いたパンと水で暮らし、身体はどんどんと痩せ衰えていった。
そんなある日、一人の旅の僧侶が彼の家の前を通りかかり、一夜の宿を求めた。
僧侶は、四十ほどの年恰好で、修行を終えたばかりであると話した。絵描きは、さぞかし深い事情があるのだろうと想像し、僧侶の人生に同情した。
「なにか、お恵みはございませんか?お恥ずかしいことですが、思わぬ長旅で、散財してしまいました」
夜も次第に深まると、僧侶は空腹を訴えた。見ると、旅の疲れからか、顔もげっそりとして衰えていた。
「こまったな」
と絵描きは思った。実は今朝、村の司祭が彼を心配して訪れたとき、一皿のスープを置いていったのがあったのだった。絵描きも空腹だった。
「もうすこし先へ行くと、教会があります」
と口先まで出かかったが、絵描きは言わなかった。もうあまりにも時間が遅く、しかも窓から様子をうかがうと、今夜は月もなく、表は真っ暗なのである。
「ええ、気づかなくてすみません。ちょうどよかった。スープが一皿残っていたはずなんですが……」
そう言って、絵描きは司祭からもらったスープの皿を棚から取り出した。
よい香りがただよった。
「ああ、それはありがたい。いただきますよ。でもあなたは?」
「私はもう済ませましたから。どうぞご遠慮なさらないで下さい」
「そうですか。いやぁ、ありがとう。助かります。あなたに神の御加護を……」
僧侶は空腹を満たすと、夜の祈りを捧げ、それからすやすやと気持ち良さそうに寝入ってしまった。
絵描きは、空腹には慣れていたので、水を一杯飲むと短い祈りを捧げ、すぐに床につき、そして、良いことをしたと、いささか満足して寝入った。
翌朝早く僧侶を見送ったが、数時間すると僧侶が再び絵描きのところへ戻って来た。絵描きは驚いて、
「何かお忘れ物でも?」
と尋ねた。
「私は、この村を出る前に、村の司祭にご挨拶をと思い、教会を訪ねました。そこで、あなた様にご厄介になったことをお話しいたしますと、司祭様は、あなた様のことをいろいろと語ってくださったのです」
絵描きは、僧侶が自分の貧しさと、夕べの清い布施のことを聞き知って、わざわざ再び礼を言いに来たのだと、嬉しく思った。
「そうですか。構わないでください。私の心をつくさせていただいたのですから。どうぞ良い旅を」
絵描きはそう言うと、深々と頭を下げた。
「ああ、勘違いされてはこまります。どうか頭をお上げください」
「勘違い?と申しますと」
絵描きの心に、ふっと冷たい風が通りすぎた。僧侶の顔はにこにこと微笑んでいるが、そこから絵描きの心に伝わって来るのは、空っ風のような虚しさであった。
「あなたは、絵をお描きだそうで」
「はい」
「ずいぶんと貧しいお暮らしぶりのようですねえ」
「ご覧のとおりでございます」
「なぜでしょう?お考えになられたことがおありですか」
「…………」
「そうでしょうねえ」
僧侶の経験はまだ浅かったが、せっかく得た説教の相手と思わんばかりの態度を示してきた。
「なぜ絵など描いているのですか?」
「絵など?ですか?」
「そうです。絵など、余暇ではありませか。自分の楽しみのために使う時間は、尊い時間とは言い難いのですよ」
「楽しみ?」
「でなければ何ですか?」
「私は、私は……」
絵描きの声は、悔しさと、驚きに打ち震えた。
「私は、神の命を受けて描いているのです」
絵描きは、ついぞそんなことを思ったこともなかったが、僧侶に問い質されて、どういうわけか心底、そのように感じるのであった。
「不遜なことをおっしゃいますね。それは冒涜というのではありませんか」
僧侶は、次第に横柄な態度を見せ始めた。
「私は、神より絵の才を授かり、それを現実のものとするための尊い時間を過ごさせていただいていると確信しております」
「自分が見えていないのですね」
「いいえ。知ってる、とは申しません。私は何も知らない無知な人間ですから。でも、私は、己れの気持ちに忠実に生きているつもりです」
「あなたにとっては、尊い時間のように感じても、それが自分一人のために使われるのなら、卑しい時間と言わざるを得ませんな」
「それは、神様だけがご存知のことだと思いますが。少なくとも私は努力をし、その結果何かを残し、それによって誰かが幸せを感じ、何かを学びとってくださるのなら、私の努力にかけた時間は尊い時間であったと言えるのではないでしょうか。創造的な時間であったと言えるのではないでしょうか。もちろん、私の努力が何も生み出さないのであれば、それは、創造的とは申せません。しかし、真の努力は、必ず、何かを生み出すものと信じます」
「傲慢ですな。このようなけったいな努力で、誰かを幸福にすることができるというのですか」
「しかし、作品を創るときには、そのようなことは考えてもいません。ただ自然に、自らの愛することをしているのです。できるだけ神に近づきたいと、それだけを願って……。
僧侶様に問われましたので、ご説明させていただいたまででございます。不届きをお許しください」
絵描きは、深々と頭をたれた。
「いったいいつ結果がでるんだね?少なくとも私は、こうして、毎日、人と話し、導いておる」
「分かりません。それは、分かりません。一年後か、十年後か、百年後か……」
「そんな百年も二百年もあとのことなど分かるものか」
「では、僧侶様は僧侶であられるのに、魂の永遠性を否定なさるのですか?」
「あなたは、不老不死の薬物でもお持ちですかな?」
「そうではございません。神からいただいわたくしたちの魂は、永遠の命を持って、神の国とこの地上とを何度も経巡って多くを学び、成長していると聞きました」
「……あなたは、」
僧侶は、平然とした顔付きで絵描きを見つめていた。顔色一つ変えず、表情もつくらず、淡々と、堂々と、そして、他を受けつけない鋼鉄の鎧をまとっていた。それは、もともとそうなのか、それとも繕っているのか、絵描きにも判断しかねた。
「あなたは、信心が足りないようですね。信仰心が薄いのですよ。だから、分からず迷っているのです」
僧侶は切り札を出した。たいていの者が、「信心が薄い」という言葉には逆らえないからである。
絵描きは、僧侶がこの言葉を言うためにわざわざ戻って来たのかと思うと、内心、気落ちがした。
「信仰とはなんですか?お教えください」
絵描きは、謙虚にそう訪ねた。
「神のみ前に跪き、祈り、そして全てを捨て、自らの命をも捨て、仕えることです。あなたのように、神を計ってはなりません」
「私にとって、信仰とは芸術です。芸術とは神そのものです。そしてそれは、私の命を捧げた黄金の喜びであり、憧れなのです」
絵描きがそう言い終わった途端、突如、晴れ渡った天空から、黄金色の雨が降り注いできた。はじめは小雨のようにパラパラと、そして次第に大粒の豪雨となって地面を叩きつけた。
「おお、神が悲しんでおられる」
僧侶は、顔を震わせて天を仰ぎ、両膝を地面につけて手を組み合わせた。
「違います。神が祝福してくださっているのです」
「誰を?」
「我々をですよ、僧侶様」
「なんだって?」
僧侶は、驚いて絵描きを見、そして、負けたと思った。
なぜなら、絵描きの言葉には力があり、顔はつやつやと光り輝いていたからである。
僧侶の眼に、絵描きの姿がだぶって二重写しに見えた。うっすらと光りに包まれた絵描きの背で、大きな翼がはばたいているようだった。
天から降り続いている金の雨に混じって、小さな妖精のような天使たちが飛び回っている。
「僧侶様、ありがとうございます。あなたが私を目覚めさせてくださいました。ありがとう、ありがとう、ありがとう……」
「天からやって来た金色の雨は、雪のように降り積もって、そして溶けも消えもしなかったそうだ。最初人は、それが何であるか分からなかったが、絵描きが溶液で溶くと素晴らしい絵具となったそうなんだ。噂を聞きつけて画家たちがその村に集まって来たが、その絵具を操れるのは、この絵描きのほかは誰もいなかったということだ。司祭は、金色の雨を集めて大切に保存した。そして、絵描きの小屋を壊してそこに教会を建て、一部をアトリエとして絵描きを住まわせた、というわけだ」
ヨーヘンの話は大分長く続いてやっと終わった。
楽団員たちは、音合わせを始め、プローべに備えている。
「それで、あの村には教会が二つあったんだな。何も知らなかったよ」
「絵描きが死んでから、その話はタブーとなった。絵描きが僧侶に勝るなどありえないとね。この魔法の絵具は悪魔の絵具と呼ばれて、教会の地下深く眠らされていた。とくに、きみの耳には入れたくなかっただろうね」
「その人の絵を見た?」
アンドレーアスは好奇心を隠せない。
「ああ、素晴らしいよ。後でゆっくりとお見せしよう。それほどの数はないが、各地に散らばっていたのを、私が買い集めたんだ」
「商人まがいだな」
「そのような仕事も考えているよ。芸術には理解者の保護が必要なんだ。いつの時代もね。大商人と親しくなりたいものだな」
「よしておくれよ」
ヨーヘンとアンドレーアスは顔を見合わせて大声で笑い、その笑いは、聖堂内に反射して響き渡った。
「そこ、お静かに願います」
コンサートマスターが、二人に注意を促した。二人の代わりに、そばでオージェルが、しきりに頭を下げていた。
合唱団も入って、準備が整うと、指揮棒が振られ、演奏が厳かに流れ出した。
天上への扉、静かに開かれ、
黄金の輝き洩れ来ると、
そこは一面、金の海。
高波が雄大に浜辺を洗い、
岩を打ち、
沖は優雅に凪ぎ、たゆたう。
さらに進めば、道筋に、
天の軍勢行進し、
道案内を買って出る。
「アンドレーアス、見てごらん」
ヨーヘンが、奇跡の壁画を指差した。
「これは、まだ完成されていない」
「え?」
アンドレーアスは、よくよく壁画を眺め見た。
「天使が一人、足りないのだね?」
「その通り」
じっくりと瞳を据えて見ると、微妙に目立たないように、絵に空間がつくってある。
神にダイヤモンドの杖を差し出す天使、神にダイヤモンドの楯を持ち来たらんとする天使、そこまでは描かれている。神の玉座と護衛兵の間に、奇妙な空間がある。
「ダイヤモンドの王冠を被せる天使だ」
アンドレーアスの心には、もうその図案が描かれていた。いまにも、腕が動きそうである。
「先生、お役目を果たしました」
ヨーヘンの瞳に涙がにじんだ。
天窓が明るく照らされ、そこから天上の光が舞い降りて来た。
天使の合唱が、聖堂のバルコニーで響き、祭壇の方では、弦楽器が高らかにその重層で勇壮な音を放っている。それに合わせて、天の楽団が光の道なりに降りて来る。次から次へと降りて来て、楽団の後ろにはお付きの天使たちが並び、その後には喜びの天使たちが可愛らしい羽をはばたかせ、その後方に、護衛の天使の列がしばらく長々と続いた。
折しも、ティンパニーが勢い良く打ちつけられたとき、特別大きな翼を持った、一際立派な出で立ちの天使が降りてたって来た。
天使は何も言わず、ただ笑みを浮かべてゆったりとはばたきながらそこにいる。
アンドレーアスは、絵筆を握った。
ヨーヘンは、脚立を用意し、それを支え持った。
荘厳な音と光が辺りを満たし、アンドレーアスの筆は、金の絵具を魔法のように操った。絵具は、勝手に踊り出すがごとく、浮き彫りのように絵を描いていった。
「そなたの描きし天使が訪れ、神の栄光をその才あふるる右腕より放つであろう」
天窓より差し来る神の光は、壁画の天使を照らし出した。
ダイヤモンドの杖を神に差し出す天使。
巻き毛の前髪が愛らしい、少年。
「アンドレーアス。きみだよ」
ヨーヘンがそう叫んだ。
最後まで読んでいただきまして、まことにありがとうございました。
楽しんでいただけましたでしょうか?
第1話から再読していただきますと、このファンタジーを貫いている一筋の光を
はっきりと目にしていただけると思います。
次回作品は、ただいま準備中です。
別の書き物で少し忙しくしておりますので、
年明け、2018年1月中にはアップできますよう努力いたします。
今少し、お待ちください。
一年間、お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
(2017年12月8日)




