なにもわからない子供だと、どうして大人は思うんだろう
電車に乗っていると体に感じる振動。レールのつなぎ目を通るときのカタタタンという音と振動が、睡眠不足のせいもあって、眠気をさそう。
ついてきてしまった弟たちを間に挟み、将太と翼は始発の各駅停車の三両目に乗っている。
始発電車に初めて乗った感想は、意外と人が多い、だ。
これから仕事に向かうだろうサラリーマン風の人に、土曜日だからかもしれないが、遊び帰りの人もいる。
「ごめんね、付きあわせて。」
翼がそういうと「別にいいよ」と、将太が小さく笑て答えた。
それよりと、将太はつづける。
「なんでこいつらまで付いてくるかな。」
うとうとし、それぞれの兄と姉の体にもたれて寝始めた八歳児の頬をつつく。
「ほんと、なんで付いてくるかなあ。」
明け方にそっと、物音を立てないように気を付けて家を出たはずなのに、お姉ちゃん待って! と、リュックサックにお菓子を詰め込んだ弟が、走って追いかけてきたときはぎょっとした。
連れていくいかないの押し問答をする時間が惜しくて、結局連れていくことになってしまった。
待ち合わせの駅に着いたとき、すっかり髪が黒くなった将太のそばで、見慣れた男の子がぶんぶん元気に手を振っているのを見て、とても親近感がわいたのは言うまでもない。
***
実力テストが終わり(私立校受験に重要なテストだと散々言われた)本人たちより教師や親たちのほうが、入試までの時間の無さを口にするようになってきた。
「まだ時間はあると思うのは若いからなだけで、実際には時間なんてないんだ。」と、担任はよく口にするが、日々の受験勉強をさぼってもいないのに、言葉だけで追い詰めれている気がして、最近学校にうんざりしている。
「始発で出てきて平気だったのか?」
「それすっごい今さらだね。夜遅くなるなら朝早めに出かけて門限までに帰ってきなさい、だってさ。」
まあ、始発で出かけるとは思っていなかっただろうが、知ったことではない。
母親と喧嘩をして一週間。ほとんど話してもいない。家にいるときは部屋に引きこもっている。ご飯はちゃんと食べなさいと言われることも、命令されてるようで腹がたってしかたがない。二日ほどは塾帰りにスーパーマーケットに寄り、半額シールが貼られたパンやおにぎりを買ってやり過ごしていたが、雄介まで一緒になって立てこもるようになってしまい、食事に対するハンストはやめるしかなくなった。
母親はあきれているだけのようで、父親は反抗期かとのんびり構えている。
反抗期だとか、思春期だとか、そんな言葉を当てはめて向き合いもしない両親が、日に日に嫌いになっていく。
弟に対しては……シスコンを心配しだした。この子こんなに私にべったりで大丈夫かしら? と。しかし、弟の友達も兄にべったり懐いているので、年の離れた兄弟だとこんなものなのかもしれない。八歳年の離れた兄弟がいる友達が将太しかいないので、平均がわからない。
始発で向かった目的地は、電車とバスを乗り継いだ先にある、自然と遊ぼうがテーマのアスレチック公園だ。
空中アスレチックやゴーカート、巨大草すべりなどがある。公園部分も広く川遊びもできる。
「やっぱ出るの早かったか。オープンまで一時間あるぞ。」
「おにいちゃん、探検してきていい?」
「おねーちゃんいい? いい?」
「見えてる範囲でね。探さないからね。見えなくなってもお姉ちゃんたちが迎えに来るなんて思わないでよ。」
道に出ない。駐車場に入り込まない。草むらに突っ込まない。注意事項は後からあとから思い浮かぶが、迷子にさせないことが、最大の注意事項だ。
道端の溝をのぞき込んで、何やらはしゃいでいる小1コンビを眺めてため息がでる。
「佐倉、弟連れてきて金足りるか?」
「うん。私も雄介も夏休みにおじいちゃんたちに、内緒のお小遣いもらったの持ってきた。」
「あ、一緒だ。」
「それぞれこっそりくれたから潤ってるよ。」
「じいさんばあさん様々だな。」
すこし話して、すこし黙って、弟たちのはしゃいだ声を聞いてーー 時間なんてもったいないと思うほど早く過ぎていく。
お小遣いをもらったことよりも、テレビの話よりも、学校のことよりも、話したいことはもっと別にあるはずなのに、口をでるのはその場かぎりの、それこそ休み時間の十分で消えるような話題ばかり。
もっと別に話したいことはあるのに。
それでも、意味のない話をぽつりぽつりと続けるのも悪くはないと、そう思えた。
***
空中アスレチックで騒いで遊んで、ジュースを賭けて坂道をダッシュして、笑って、くたくたになっても感じる心地よさはきっと、好きな子と一緒だから。
巨大ジャングルジムのてっぺんまで登って、年齢制限で上まで来れなかった弟たちの頭上から手を振る。
「見えるところにいてよ!」と、大声をあげるけど聞こえているか―― 聞いているかは不明だ。
お母さんがと、翼が小さな声でいう。
急に話が変わったので将太が「ん?」と頭を傾げた。
「お母さんが、受験の大事な時期なんだから男の子遊ぶなって。」
「……うん。」
「なんか、腹立つ。」
本当はもっと言われた。誰から聞いたのか、修学旅行にも行かないでうろうろしてるとか―― 行けなかった理由を言って反論してら、そんな家の子はと、強い言葉で言い返された。
母親と仲違い中の今の状況が、わかってもらえない状況が、将太にとても申し訳なく思えてつらい。
「ごめん。」
「来月さ、佐倉の誕生日あるよな。期末の真っただ中に。」
「え? うん。」
ケーキどころじゃないわと、小さく笑う。
「またどっか遊びに行く?」
誘われて、将太は首を横に振る。
「行かない。受験、終わるまでは、会わない。」
だから、その日にプレゼントは渡せないから弟に持たせる。なんて、そんなことを翼の顔も見ずに言うものだから、翼は寂しくて拗ねた。
「……クラス一緒じゃん。」
「うん。外で会わない。図書館も行かない。」
「なにそれ―― お母さん、なにか言ってきた?」
違うと言われ、翼はほっと肩の力をぬく。
でも、じゃあどうしてなんだろう。なにがだめなんだろう。
受験勉強の妨げになんてなっていないし、邪魔もしていないつもりだ。
「俺、は、たぶん……好きだとか、言っちゃいけない人間なんだと思う。」
「……なにそれ。」
「ははおや、ほんと、急に死んで……。楽しみに、弟産まれるの楽しみにしてて、夜中で、俺はばあちゃんと留守番してて、朝になったら会いに行けるって、疑ってなくて……死ぬとか、そういうこともあるとか、考えてもいなくて、知らなくて、だからただ楽しみにしてて、分けわかんねえ内に葬儀終わって。」
お母さんが入った箱が重い扉の中に入れられた。
お父さんがボタンを押した。
押したボタンの色は忘れてしまったけれど、一つだけはっきりと覚えていることがある。
「誰だったか忘れたけど、親戚が言ったんだ。『ああ綺麗な骨だ。若いからしっかり骨が残ってる』
だから何なんだ? もうどこにもいないのに、骨があるからってなんなんだろうな。」
「…………」
「なんか、羊水が血の中に入ったとかって言ってた。親父が、だめになったのそっからで、全部、お母さん死んだからで、ぜんぶ、ぜんぶ悪いの、は、健太のせいだって、健太に、まだ病院いて、お前が死ねばよかったのにって、本気で思って、口にして。ほんとにそっちが正しいと思ってて、ずっと思ってた。」
「……ちゃんと、おにいちゃんしてるじゃない。」
翼の擁護に将太は口元を歪ませて笑う。
「去年の暮れに一緒に住んでたばあちゃん、母方のな、亡くなって、覚えてないんだよな。母親代わりを引き受けてくれてたばあちゃんが死んでからさ、健太、どうしてたんだろう。俺はなんもやってない。親父は……。」
小学生の頃から幼馴染で、小中高とずっと一緒で――。
「親父まだお母さん好きだから。なんか、まだ駄目みたいで、健太の世話とかできてなくて。」
「そんなの、大人の責任じゃん。」
「そうなんだけど、そうじゃなくて、なんかぐちゃぐちゃしてて、まともに見れない。」
「…………受験終わるまで遊ばないのはどうして?」
「俺、佐倉のこと好きだ。だからもっとちゃんと、自分をもっとちゃんとしたい。」
何をどうしたいのか分からないけれど、今のままではなく、卑屈にならず、好きだと言えるようになりたいと思う。
「佐倉のお母さんが心配しなくていいくらいにはなるよ。」だから「受験終わったら、二人で遊びに行こう。」
約束する以外、なにもできなかった。