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会いたいと思う

 自動ドアをくぐるとすぐに、八月の息苦しいほどの蒸し暑さからは解放された。見慣れないロゴの百円ショップに買い物に来た将太は、店内のエアコンの涼しさに息をつき、鼻下に浮いた汗を手の甲でぬぐう。

 夏休みの間将太は父方の祖父母の家がある鹿児島に、夏休みに入ってから弟と二人で半月ほど滞在しており、明日の午後、自宅に帰る予定だ。

 金髪になった将太を見て祖父は目つきが厳しくなったが、祖母はけらけらと笑っていた。けらけら笑って「髪痛めたらはぐっよ」と、楽しそうに言ってきた。頭髪が寂しくなってきた祖父は悲しそうな目つきになっていた。


「…………」


 この、百円ショップで売っているヘッドリフレッシャーは効果があるのだろうか……。買うかどうか悩みそうになった自分に、中学生で悩むことじゃないと思いつつも、祖父の頭皮を思い出し、父親の額の十年後を思う。


 ブリーチはもうやらないと決めて、ヘッドリフレッシャーは買わないことにした。そして、本来の目的であるご当地限定の百円グッズを物色するために店内をうろうろと歩き出す。

 百円ショップが大好きなあの子だから多分きっと、地元で販売していないものがあれば喜んでくれると思うから。



***



 ただいまと言いながら将太は祖父母宅の玄関ドアをくぐる。土間におかれている靴は買い物に出かける前と同じで祖母のサンダルだけだった。ということは川釣りに出かけた祖父と健太はまだ帰ってきていないということだろう。

 お土産になるような目新しいものがなかった百円ショップをおもい、自分も断らずに川釣りに行けばよかったと肩を落とした。

 薄暗くはないが明るいともいえない廊下を居間へと歩く。マンション住まいしかしたことがない将太にとってこの家の廊下は広くて長く感じる。

 廊下と居間を仕切る年季の入ったすりガラスの引き戸は、エアコンの冷気を逃がさないためにぴたりと閉められているが、防音仕様では戸の隙間からは室内の話し声が漏れ聞こえてきていた。


  怒っている、というより憤っている声音の祖母。よく笑う祖母がそんな声を出す相手は……。


「あんたもうちゃんとしやんせ。健太はまだまだ目を離したややっせんな年やし、将太は受験生なんじゃっで」


 相手の声は聞こえない。それでよかったと思う。 


「……吾郎、あんたそれ、本気でゆちょっと?」


 祖母の声が一段低くなる。

 かすかに震えが伝わってくる。


「楓子ちゃんに顔向けでけんごつなっじゃ」


 母の名前を、久しぶりに聞いた。


 きゅっと唇を引き締めて、将太は引き戸を勢いよく開けはなち素知らぬ声で祖母に「ただいま」と声をかける。居なかったふりをしてその場を立ち去ることも、聞いていたことを知られることも、どちらもとても嫌だったから。


「おけり。あ、ちょっとまちやんせ! ああもう! バカ息子!」


 祖母が悪態をつき、受話器をひと睨みしてから諦めたように息を吐いてフックに置いた。

 受話器から手を離して孫へと顔を向けた祖母の表情はいつもと何らから変わりがない。取り繕っているのではなく自然に気持ちの切り替えができているのだろう。

 それは年の功なのか、祖母自身の経験からなのかは十五歳の将太にはわからない。

 けれど目の前にいる祖母が自分や健太のために父をしかってくれていたのはわかる。

 そのことについては、余計なことをするなとも思うし、ありがたくも思う。守られていることがどこか気恥ずかしくも感じるし煩わしくも感じた。



 スイカを切っていたからと、台所へと向かう祖母の背中を見ながら、少し薄くなった座布団に座りこみテレビをつける。

 夏休み中と言っても平日の昼間だから、中学生が見て楽しい番組は放送していない。興味がもてない情報番組は時計代わりに放置して、テーブルの上に置きっぱなしにしていたゲーム機を手に取り電源を入れた。

 やり込んでいるパズルゲームの最高得点は田舎にきてから更新されている。

 右、左、左、回転させて加速。なれたボタン捌きでステージをクリアしてスコアを上げていく。

 座布団の上で組んでいたあぐらをといて両足をのばすと、足先に硬いものがあたった。何が当たったのだろうと視線をむける。


「……アルバム?」


 えんじ色の布張りの表紙には、絆と書かれた金色箔押し。アルバムはアルバムでも卒業アルバムだ。

 祖父母の物にしては新しい。では誰のだろうと考えるまでもなく父親の物、なのだろう。


「…………」


 引き寄せて表紙をめくる。


「…………」


 同級生だと、小学生の時から高校まで、ずっと同じ学校だと言っていた。

 自宅にもこれと同じ物があるはずだ。父の部屋か、それとも。

 母の遺品をまとめた物の中にーー。


 中学校の卒業アルバム。父が三年一組で、母が三年五組。四角い枠の中で生真面目そうに口を閉じている。

 二十年以上前の両親の姿をアルバムからひろっていく。

 クラスが違うためか一緒に写っているものは一枚もなかったけれど、運動会も修学旅行も文化祭も音楽会も校外学習も、全部、父も母も一緒っだったのだと思うと、なんだかとても気が沈んだ。


 アルバムの、両親とは関係のないページをぼんやりと眺めていると、三角形に切りそろえた赤く熟れたスイカを運んできた祖母が「お父さんとお母さんわかった?」と声をかけてきた。

 使い込んだ艶のある黒檀のテーブルに麦茶とスイカをおいて、祖母も座布団に足を崩して座った。最近どうにも膝が痛くて正座ができないらしい。

 

「似ちょらん似ちょらんて思うちょったけど、なんかこうして同じ年頃ん写真を見っと、やっぱい親子ね、よう似ちょっ。不思議なもんね」


 しみじみと呟く祖母に将太は「そうかな?」と、首を傾げた。

 たしかに、父に似ていると言われたことはなんどかある。でもそれは赤の他人から言われる「いい天気ですね」という捻りのない挨拶と同じくらい深い意味のない言葉だと思っていた。

 血の繋がるのある、親兄弟の次に近しい人から言われるとなんだか変に現実味を感じる。


「自分じゃぴんとこないよ」


 そういうにとどめた。

 そんなことよりもーー。


「ばあちゃん、俺ら登校日あるし夏休み来週までだし、週末には帰ろうと思うけど、父さん、そのことでなんか言ってた?」


「え? 三十一日は来週じゃなかやろう?」


 きょとんとした顔の祖母に。


「夏休み前にいったじゃん。夏休み短くなってるんだって」


 言うと。


「やだ、そうだっけ? おやっどんも三十一日までに戻ればよかとかゆてけど」


「前の学校はそうだったから勘違いじゃない」


「土曜日授業なか分、夏休み短うして授業時間増やしちょっと?」


「さあ、そこは知らないけど、エアコンが教室全部に付いたからとかってのは聞いた」


「え、そうと。まあまあ昔と暑どん質がちごっでねえ。あんた蝉って何時くれに鳴っか知っちょっ?」


「蝉? 朝の九時くらいまでうるさいとは思うけど」


「昔は八時九時から昼前までくれに鳴いちょったじゃ。あれ暑すぎたや鳴かんで」


「それって朝の九時くらいには蝉が鳴けな暑さってことかよ」


 クーラーなかったら死ぬなと、まだ冷たい西瓜をしゃくりと噛んだ。


「それなら、健太ん誕生日パーティー終わったや帰っと?」

 

 そう言った祖母の言葉に将太がうなずくと「じゃあ ケーキ用意せんなね」と、祖母が笑った。



 祖父との釣りから帰ってきた健太に帰宅する日程を伝えると、嬉しいようでつまらなそうな複雑な顔をした。

 それでも久しぶりに友達に合えるとなって帰ることにだだはこねなかった。

 将太も帰ることにだだをこねるつもりはない。だって、待ち遠しいから。

 学校で毎日のように会っていて、放課後にだって会っていて、勉強をして、他愛ない話をしていた。

 もうずいぶん長く、顔を見ていない――。


「お兄ちゃんも翼ちゃんと遊びたいよね」


 屈託ない笑顔で言い当てられ、将太は口ごもる。

 夕飯の美味しそうな煮物の匂いがして、テレビではお笑い芸人が食レポをしていて、なんだか急に空腹で腹が鳴りそうになる。

 弟は誰それと誰それにおみやげを買うんだと、楽しそうだ。

 祖父が夕刊を手に居間に戻ってきて健太の隣にどかりと座った。


「―― うん。そうだな」


 祖父はないがだ? と首をかしげる。

 健太は一瞬きょとりとして、それからにこにこと笑った。






 


 



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