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思ってはいけない

 今朝も将太は目覚ましが鳴る前に目を覚ました。それは規則正しい生活をしているからではなく、ただたんに暑くて寝苦しいからだ。

 時計に目をやれば、六時になったばかりの時刻。

 寝なおすには蒸し暑いし、冷房をつけてしまうと寝すぎてしまいそうだ。

 あくびをしながら枕元に放置しているゲーム機を引き寄せて電源を入れる。やり込んでいるパズルゲームは時間つぶしには丁度いい。

 ピコピコと、聞きなれた音楽が流れる。

 扇風機を強にしていてもやっぱり暑い。

 横目でもう一度時計を見る。カレンダー機能付きの時計。日付けは六月二六日。


「……今日じゃん」


 ほんの少しぼうっとしただけで、やり込んでいたはずのそれはゲームオーバーになってしまっていた。

 リプレイする気にはなれず、ゲーム機をベッドに放り投げて、のそのそと起きだした。

 冷たいものでも飲もうと、キッチンへと向かう。まだ父親も弟も寝ている時間だから家中がしんと静まっている。

 冷蔵庫を開ければ、飲み物とマヨネーズやケチャップ程度しか入っておらず、大容量の冷蔵庫である意味がないなと、なんだかおかしくなって将太は少し笑った。

 



***




 その日は一限目から実力テストの結果が出た。担任の竹内はほっとした表情を浮かべていて、学年主任の神田はどこか忌々しげだった。

 この二人の、それぞれの反応は予想していた範囲だったので、どんな顔をされても将太は何とも思わなかった。

 苛立ちを感じたのは理科担当の教師からの言動だった。

 いきなり両手で将太の手を握り締めてきて「やっとわかってくれたのか。頑張ればできないことはないんだ」と、馬鹿げた自論を力説してきたのだ。

 本当に、馬鹿馬鹿しくて仕方がない。何をわかったというのか、頑張ればできないことはない? 頑張ることすらできない、どうしようもないことはいくらでもあると、大人のくせに知らないというのだろうか。

 善き理解者顔したやつらなど、みんな、いなくなればいいのに。


 教室にいるのは億劫で、学校にいるのもうざったくて、将太は誰にも何も言わずに早退した。

 平日の昼間に制服のまま街中をうろついていても誰も声はかけてこない。

 バカの一つ覚えのように「学校に行くのは当たり前」と考えている大人が周りにたくさんいるのに、当たり前をやっていない子供のことなど眼中にない。

 もちろん親切ぶって心配げな顔で話しかけられることも、したり顔で寄ってこられることも決してされたくはないのだけれど、なんだか全部がやっぱり馬鹿馬鹿しくて仕方がなかった。


 ふらりと寄った本屋で週刊誌を立ち読みする。

 ぱらぱらとページをめくると、主人公がぼろぼろになりながらも立ち上がり敵と対峙している場面があった。正義には正義の信念と言い訳があって、悪には悪の信念と言い訳があって、どちらもまったく引かなくて血を流して戦っている。

 肉薄した戦い。けど、どうせ主人公が最後には勝つんだ。頑張ったからこそ手に入れられた勝利ではなくて、最初から頑張ればできると決まっているのだから。

 ぱらぱらぱらとページを繰り表紙裏の広告を読む。カラフルな色彩のゲームの告知。このゲームの主人公も結局最後は勝ってクリアだ。

 ふと、雑誌の発売日が書かれたポップ広告が目に入った。派手で、わかりやすくて、広告のお手本のようなそれに書かれた日付。

 本日発売とだけ書けばいいのにと、週刊誌を棚に戻して将太は本屋を出ようと出入り口に足を向けた。

 誰も注目などしない。 


「…………」


 ―― 教室を出るとき、翼が立ち上がっていたけれど、引き留めようとしてくれたのだと考えるのは、とても身勝手だと、将太は思う。

 そんなのは子供のわがままだ。

 だって、翼は同級生の女の子なのに。 

 だからそんなこと、思ってはいけない――。




***




 行ける場所も行きたい場所もなく、将太の足は結局、自宅マンションに向かうしかなかった。

 ぼうっと歩きながら、この後の予定をたてる。

 健太も帰宅している時間だから、スーパーこいこいに夕飯を買いに行って、宿題みてやって、風呂掃除って親父やってたっけ? 汚いままなら小遣い二十円で健太にやらせよう。

あとは、あとは……。


「お兄ちゃん!」


「健太くんのお兄ちゃんだ」


「あ、田村君やっと帰ってきた」


 三つの声に呼ばれて将太は呆けた顔をした。

 弟の健太と、その友達の雄介。そして雄介の姉であり、自身のクラスメイトでもある翼――。マンションに併設された小さな公園で、楽しそうに笑いながら手招きしている三人が、とても不思議な存在に思えた。

 将太は急ぎそうになる歩調をぐっとこらえて「お前らなにしてんだ?」と、なんともないふうを装う。


「なにが、なにしてんだ? よ。田村君のほうがどこ行ってたのよ」


「逆上がりの練習してた。おやつにチョコアイス食べたけどお兄ちゃんは?」


「逆上がり二回連続でできたよ。健太君のお兄ちゃんできる?」


「いっぺんに喋んな、逆上がり以外わかんねえよ」


 将太は呆れ気味に答えて、公園の出入り口にある車止めポールに腰かけた。

 

「なによその「やれやれこいつらは」って顔は」


 むっとしながら言う翼に将太は苦笑いを浮かべ。


「やってねえよそんな顔。逆上がりの練習付き合ってたのか?」


「二人で勝手にやってたの見てただけだから。それより、はい今日のノートのコピーね。一回でもサボったらついていけなくなるんだから」


「……俺別にそんな勉強好きじゃないんだけど」


「受験生なんだからしょうがないじゃん」


 言い返された言葉は、その通りだとしか言えないことで、かえって反発心が生まれてしまいそうになるが、心底うんざりしている翼の顔を見ていたら気がそがれてしまった。

 しょうがない。うん。しょうがない。受験生なのだから嫌いでも勉強しなくちゃいけない。


「しょうがない、か」


「そーそー。あ、あとこれね。お菓子なんだけど、ごめんねこんなので。おめでとう」

 

 そういいながら翼は紺色のシックな柄のラッピング袋を将太にわたした。

 受け取ったそれを将太は、物珍しそうにしげしげと眺め、これはなんだ? と翼に目を向ける。


「だって今日」翼は笑って言う「誕生日なんでしょ?」


「お兄ちゃんおめでとう」


「今日だって聞いてお姉ちゃん慌ててレクトに袋とか買いに行ってたんだ」

 

 ちょっと言わないでよ! と翼が弟に抗議する。

 レクトはスーパーこいこいの中にある百円ショップだ。家に来て健太から将太の誕生日を聞き、きっと急いでプレゼントを用意したのだろう。


「……あ、りがとう」


 将太が小さな声でお礼を言うと、翼と弟たちが嬉しそうに笑う。

 自分がお祝いされるわけでもないのに。見返りがあるわけでもないのに。それに。


「健太、俺の誕生日知ってたんだな……」

 

 家族なのに、そんなことがとても不思議に感じた。

 将太の呟きが聞こえた翼は、当たり前のことだというふうにかえす。


「そりゃあ兄弟なんだから知ってるでしょう」


「そんなもんか? 雄介は佐倉、姉ちゃんの誕生日知ってんのか?」


「十一月二十日! おれは七月二日!」


「もうすぐだな。……健太は八月十九日だから」


「ほらね。兄弟の誕生日なんだから覚えてるわよ」


「ああ、そっか、そんなもんか」


「そんなもんだよ。んじゃあそろそろ帰るね。雄介帰るよ」


 姉の言葉に雄介は「あと一回、逆上がりしてから!」と、健太を引っ張って鉄棒にかけていく。

 年の離れた弟の面倒をみる姉。誰が見ても、きっとそう見える。

 憧憬を、感じるほどではないけれど、無関心で見ていられるほどではない。

 満足したのか、しぶしぶなのか、雄介が翼へと駆けよってその腰にしがみついて「じゃあね! ばいばい」と顔をくしゃくしゃにして笑い、翼をぐいぐい押して歩きだす。

 痛いやめてと抗議しながらも、弟にじゃれ付かれている翼は楽しそうだ。

 なんとなく、角を曲がって見えなくなるまで見送ってから健太を連れて夕飯の買い物に出かけた。




***




 家に帰るとプレゼントの中身を健太がとても気にして、そわそわしている様子がなんだかおかしかった。

 ラッピングのリボンをほどいて中身を取り出す。


「おかしいっぱい!」

 

 二、三十円で買える駄菓子がたくさん出てきて健太の目がきらきらしだす。けれどもすぐにぐっと堪えるように眉をよせた。


「翼ちゃんがお兄ちゃんにプレゼントしたやつだもんね」


「おう。だから大事に食べような」


 半分ずつな、というと、健太がすごく喜んだから、将太も笑った。


 

 袋の底にはHAPPY BIRTHDAYと書かれたカードが一枚。ろうそくが立てられた苺のケーキと、ファンシーなウサギとくまが描かれたそれには小さなボタンがついていて、押すと電子音で誕生日をお祝いしてくれた。


「これも百均で売ってんのか? スゲーな」


 カードから流れるメロディを聞きながら、四角い小さなチョコレートを口の中に放り込む。

 誕生日を祝ってくれる人がいた。そのことが単純にただ嬉しい。

 

 翼は、またくれるだろうか? 嬉しいと思えることを、裏のない笑顔で、同情ではなく、一途に、見返りなど求めずに―― なんて、そんなこと思ってはいけない。

 翼たち姉弟の仲の良い関係を思い出す。弟を、姉を、ちゃんと大事にできている。それが普通なのか、普通より仲が良いのかはわからないけれど、翼は普通の優しい女の子だ。


 オマエガ シネバ ヨカッタノニ ―― なんて、そんなこと、本気で弟に言うような人間が、好きだなんてそんなこと―― 決して思ってはいけない。

 



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