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理不尽とわだかまり

 市立浜ノ宮中学校の修学旅行は三年生の一学期、六月上旬に挙行されている。

 京都・大阪への二泊三日。前年度から大阪にあるテーマパークに立ち寄ることになり、概ね生徒からの満足度は高かった。

 旅行の全日程は滞りなく進み、今はもう帰路へ着く新幹線に乗り込む時間だ。



「あれ? 翼まだお土産買うの?」

 

 出発までの短い空き時間で生徒たちは、最後のお土産物を買いにあちこちに散っている。

 翼と美香も集合時間を気にしつつ土産物店を見て回っていた。


「うん。配達分って届くの明日以降でしょ? 今日のお土産のおやつ買おうと思って」


 今朝、宿泊先のホテルから希望者のみ土産物などの手荷物を配達してもらっている。

 身軽な分、地域限定のお菓子を一、二個買い足しても楽に持って帰れる。

 自宅分と将太の分。


 ―― そう、結局、田村将太は修学旅行には来なかった。

 クラスで将太とよくつるんでいる男子が「来ないってさ」と、当日の朝に欠席を担任に伝えていた。

 欠席の理由は伝えられなかった。将太の欠席の理由を知っているのは多分、翼だけだ。

 家庭の事情を考えれば仕方ないのかもしれない。けれど、家庭の事情に将太が犠牲になっているように思えて、とても嫌な気持ちになった。




「つーばさ。どうしたの暗い顔して。疲れた? チョコ食べな」

「ん、ちょっと眠いかも。チョコもーらい」


 美香が差し出したチョコレート菓子を一つ摘まんで、口に放り込んだ。

 今は帰りの新幹線内で、三列シートを向い合せにして、翼たちのグループ六人がお喋りに興じている。


「あーあ、三年生唯一の楽しみの修学旅行も終わったし、後もう全部つまんないや」

「鈴木ぃ。わたしもそれちょうだい」

「ポテチあるよ。開けよっか」

「体育祭は? クラス対抗リレー燃えるっしょ」

「半田は運動神経良いから楽しみにできるんでしょ?」

「そんな先の事より、実力テスト帰ってすぐじゃん」


 こんな日程あり得ないと、それぞれがブーイングをだす。

 一学期の残りの日程を思い出し、うんざりしてくると美香がぼやいた。


「来週には実力テスト、七月には期末テスト、合間合間に塾のテスト。今度の日曜は六ツ木の模擬テストだわ」

「なんでこんなテストばっかり……」

「あ、でも、早く帰れるからそこは好き」

「谷川はお家大好きだよね」


 誰と誰が話しているのか分からない様子で、好きに喋って好きに答えている。


「そーいえばさ、田村くんって次のテストちゃんと受けるのかな」

「え、なんで?」

 

 急に話題にのぼった男の子の名前に、翼はどきりとした。


「ほら前にカンニングして呼び出されてたじゃない? 親呼んだけど来なかったって竹内先生と神田先生が職員室で文句言ってた」

「そうなの?」

 

 翼は将太の親が担任と学年主任から、呼び出されていたことは知らなかった。

 学校でも図書館でも何度もあっていたのに、愚痴すら聞かなかった。

 そのことを少し、さびしく思う。


「次もカンニングなんてしたら内申ぼろぼろじゃん。てかそのせいでうちのクラスだけ監視一人増えるらしいじゃん」

「うっわ。とばっちり? じろじろ見られてたら集中できないし」

「田村君、そういう事はしないよ」


 翼の小声での反論にグループの数人が翼に視線を向けた。その顔はなんだかとても不思議そうだった。


「田村君、暗記得意だって言ってって、ちょっとその場のノリで社会の点数どっちか上かって競争になったの」

「ああ、弟同士が友達だって話してた時ね。言ってたねそういえば」


 思い出た美香の言葉が援護になり、その場の雰囲気が変わる。


「そうなの? え、じゃあ実力?」

「てかさ、それならなんでやってないって先生に言ってあげないの?」

「言ったよ。竹内先生は聞いてくれたけど、神田先生は、庇う理由を言いなさいとか本人のためにならないからとか言って聞く耳持ってくれなかった」


 その時のやり取りを思い出し、翼はむっと口を曲げた。

 担任の竹内が疑いはまだもっていても、翼の訴えを信じようとしてくれたが、学年主任の神田は疑るとこしかしなかった。


「神田って分かりやすい良い子ちゃんしか好きじゃないもんね。田村なんかはど真ん中で嫌いだろうね」

「わたし神田嫌ぁい。知ってる? アイツの授業って毎年内容一緒なの。お兄ちゃんのノート見せてもらったら、まったく同じでキモかった」

「てかさ、さくらっち気をつけた方が良いんじゃない? へたに庇うと目つけられるよ」

 

 友達からの心配に、翼は大丈夫と笑った。

 将太は結構、見た目よりは真面目だ。図書館での勉強も、まだ数回だけれどもサボったことはない。

 授業をもっと真剣に受けていれば成績だって上がるはずだ。


「田村君、結構いいやつだよ。やさしいし」


 

 弟が心配で、修学旅行を休んだクラスメイトが悪い奴だとは思えない。


「…………」


 今日は午後四時には学校に着く。昨日とおとついの二日間だけ父親に仕事を早く切りあげて帰宅してもらう事は出来なかったのだろうか? それができていれば、心配事が減って旅行にこれたかもしれないのに。

 準備はしていると話していたから、最初から参加する気が無かったわけではないはずだ。

 本当は、来たかったのに、家庭の事情で諦めたのだとすれば。そのことで、もうずっと色々なことを我慢していたのだとすれば。

 そんなのはとても、理不尽だと思う。




***




「ええっと、スーパーこいこい裏のマンションだから……ここかな?」


 学校から徒歩十五分。翼の自宅からだと徒歩二十分。薬局やクリーニング店もある地元密着型のスーパーマーケットの近くに田村将太の自宅がある。

 会話の中で一度だけ自宅マンションの場所を聞いたことがあるだけだったが、スーパーこいこいの裏と聞けば迷うこともない、とてもわかりやすい場所だ。

 修学旅行から帰ってきたばかりの翼は、荷物を置きにいったんは帰宅し、着替えを済ませると将太へ渡す土産をもって家を出た。

 土産なら学校で渡せばいいとは思う。わざわざ一度も行ったことのない家にまで押しかけて渡すほどの物でもないとも思う。でも、なんとなく、今日中に渡したかったのだ。

 茶色いレンガ調の外壁を見上げる。

 七階建て。見ただけでは戸数はわからない。


「…………」


 田村家がどこなのかもわからない。

 翼は、ポストに表札出してますようにと呟いてエントランスに入っていった。

 将太の家が七〇三号室だということはポストを見たらすぐに分かった。そして、多少緊張しつつエントランスインターホンで部屋番号と呼出しボタンを押した。

 押してすぐに後悔する。友達の家にアポなしで遊びに行ったことは今まで一度もない。いや、何度かはあるが主体となって押しかけたことはない。


(あれ? これって物凄く迷惑じゃない? なんで私今日に拘ってるの? 学校でも図書館でもいいのに)


『はい―― って、佐倉?』


「ぅあ、ごめん、電話すれば良かった。あの、ごめん」


 逃げようかとも思ったが、向こうにはこちらの姿がモニターに映っているのだから逃げようがない。

 焦ってしどろもどろな話し方になってしまい、翼は余計に緊張してしまう。

 お土産を渡すだけだからと、自身に言い聞かせて深呼吸をした時、オートロックの自動ドアが開いた。


『エレベーター降りて左側だから』


「あ、うん」


 すんなりとマンション内に招き入れられて、翼は少し拍子抜けした。

 エレベーターの乗り込み、七階までの浮遊感を味わいながら思う。「何しに来たの?」とすら聞かれず、迷惑そうな様子もなかった。


(声だけだから、わからないけれど)


 案外ちゃんと、自分たちは友達になれているのかもしれない。




 エレベーターを降りて通路を左へと向かう。号数から考えて単純に左から三件目が将太の家だろう。

 念のため表札を確認しドアホンを鳴らすと、返答よりも先に玄関ドアが開いた。

 翼はお土産の紙袋を掲げて「急にごめんね。これ渡したく、て――」と、言ってぽかんと口を開く。なんだかとても驚いたから。

 久しぶりに見た同級生は、えんじ色のロックティーシャツにジーンズ姿で、髭が生えていた。


「ぇえ! 田村君って髭あるのっ?!」

「え? あるよそりゃ。三日もほっときゃ生えるし。つーか、玄関先で騒ぐなよ」

「ああそうだね。そっか髭かぁ。あ、あのね、渡したいものあって来たの」

「中三にもなったら毎日剃ってるやつもいるよ。俺は薄いほうだからな。掃除してないけど、ジュースくらい飲むか?」

 

 翼は紙袋を持ち直して首をかしげる。将太はさっさと部屋の中に戻ろうとするから、閉まりかけた玄関ドアを手で押さえ聞き返す。


「入っていいの? 健太君いる?」

「健太? 今友達と公園に遊びに行って、る。べ、別にやまっ―― くつ下黒くなってもいいならなっ」

「え? うん。お邪魔します。掃除してないの?」

「掃除機はたまに親父がやってる」


 拭き掃除をしているところは見たことがないし、将太もやったことがない。

 スリッパでもあればいいのだが、どこかにあるはずのスリッパは、放置されている段ボールのどこかにあるはずだ。探す気がおきない。

 ダイニングのソファに座るよう言って、将太は冷蔵庫を開けて出せそうな飲みものをチェックする。


「炭酸とリンゴジュースどっちがいい?」

「あ、リンゴ。あとこれ。お土産」


 佐倉って律儀だなと言った将太の顔はキッチンにいたせいで翼には見えなかった。

 二八〇mlのペットボトルをそのまま渡されて、飲んでもいいのか迷う。開けても飲みきれそうにない。


「弟の分じゃないの?」

「あるからいいよ。プリン? ぶっ。なにこのキャラ」

「大阪人ならみんな知ってるらしいよ」


 黒縁メガネで太鼓を叩いているピエロ。


「ご当地キャラってやつ? 健太と夜にでも食うわ。サンキュな」

「うん。キーホルダーもそのキャラだから」

「え? 魔除け?」

「え? 違うと思う」


 ウケると言って、あははと笑う。

 ひとしきり笑うと会話に穴が開く。翼は間を持たせるためにペットボトルのふたを開けて飲み始めた。

 何を話そうか?

 せっかくここまで来たのだから。聞きたいことを、言いたいことを、口にできればとても楽なのにと思う。

 なぜ、修学旅行に来れなかったのか。

 なぜ、我慢しているのか。

 なぜ、そこまで弟を優先するのか。

 なぜ、なぜ、なぜ―― 。


 一緒に修学旅行行きたかったのに――。


「……。ん。ジュースありがとう。直飲みしてるしもらっちゃうね?」

「ぉおう。帰るのか?」


 うんと頷いた翼と二人して玄関に向かう。見送りではなく、鍵の開け閉めのためだとはわかってはいるが、なんだが気恥ずかしい。

 靴を履いている翼の背中を見て、将太はそういやと、口を開く。


「佐倉んとこって体操服の泥汚れどうやって落としてる?」

「え?」


 きょとんとした顔で振りかえられて、将太は今する話じゃなかったと耳が熱くなった。 

 帰り間際に、脈絡もなにもない話題なんて、翼のことを引き留めているようじゃないか。

 しかも内容は「体操服の泥汚れの落とし方」だ。


(ない。この話の振りかたはない)


「うちは洗濯せっけんでもみ洗いしてから洗濯機で洗ってるけど」

「百均で売ってる?」


 聞くと百円ショップが大好きなクラスメイトは呆れたような目を向けてきた。


「百円ショップは万能じゃないよ。薬局かホームセンターで売ってるから」と、自宅で使っている洗濯せっけんの商品名を将太に伝えた。


「手で洗ってから洗濯機でいいのか?」

「うん。うちは手洗いか洗濯板使って洗って、かるく濯いでから洗濯機にいれてる」

「洗濯板?」


 聞き覚えのないアイテムに、将太は首をひねる。


「昭和の生活って社会の教科書で見たことない? こすりつけて洗う板」

「ああ。売ってるのかあんなの」

「うん。百円ショップので十分使えるよ」

「結局そこかよ」


 突っ込んだら「使いようなの!」と、むきになる翼に将太は笑った。

 




 翼からのお土産のプリンは風呂上りに健太と食べた。

 三つ入りだったそれはどうしても余ってしまう。将太は健太が寝ている間に食べてしまおうとキッチンへ向かう。

 そういえば、翼のくつ下の裏は黒くなったりしていないだろうか? 気にしたことがないことが気になる。

 ―― 女の子を家に上げたのは初めてだ。男友達ならリビングではなく自室でゲームでもして遊んでる。

 自分の部屋のありさまを思い浮かべる。

 女友達が家に来ることなどまったく想定していない。気まずくなるものは年相応にある。入れなくてよかったと心から思う。

 

「…………」


 キッチンから淡い灯りがもれていた。

 二十二時はとっくに過ぎている。点けた覚えのない灯りの正体は数日ぶりに顔を合わせる父親だった。

 懐かしいような、当たり前に見慣れているような、奇妙な感覚が胸に湧く。

 おかえりと、声をかけたほうがいいのか迷う。


「起きてたのか」


 先に口を開いたのは父親からだった。話しだすきっかけを作らずに済んだことに将太はほっとした。


「まだ十時過ぎだろ」

「……冷蔵庫の、大阪のお土産なんて誰から貰ったんだ」


 そんなことが気になるのかと、将太は口の端をゆがませる。


「クラスの子。修学旅行の土産に」


 こいつはきっと、気づいてない。

 かるく眉を寄せた父親の顔は見ない。


「お前―― 行ってないのか」


 日程すらも知らなかったくせに。

 興味もないくせに。


「俺が三日も家空けたら健太どうすんだよ。まだ無理だろ、一人で、三日も」


 そういうと、心底不思議そうな顔を向けられた。

 言っている意味が、理由が、理解できないと――。

 訳が分からないといったふうに父親から問われた。


「お前、ずっと嫌ってたじゃないか」


 なぜ今になってと、困惑する父親の顔は、見ていられなかった。

 冷えたプリンを冷蔵庫から取り出す。

 父親が話さないから、将太も黙る。

 

 けど――。


「健太、保護者宛てのプリント捨ててた。水筒なくてペットボトルに水道水入れてた。体操服、あいつのだけ泥落ちきれてなくて笑われてた」


 沈黙が空気を澱ませる。それは濁って肌にまとわりつく。

 なにも言い返さない父親に、将太は苛立ちを覚えた。

 それ以上、会話をする意味が見つけられなくて、将太は何も言わずに自室に戻った。




 せっかく、楽しみにしていたプリンは味気ないものになってしまって、食べた気がしなかった。

 机の上にあるお土産のキーホルダーを指ではじく。黒縁メガネのピエロは不条理に転がされても、可笑しな笑顔を浮かべていた。



 

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