「じゃあ、約束ね」
「それでは、卒業生の入場です。」
そんなありきたりなセリフを合図に市立浜ノ宮中学校の三年生たちは、ご卒業おめでとうと書かれたリボン記章を胸に飾り、一組から順に体育館へと入っていく。
拍手の中で座席まで進むのは、なかなかに気恥ずかしさが襲ってくる。
翼は照れや緊張から笑いそうになるのをこらえつつ、神妙な顔つきで席に着く。座りさえすれば行進中のように注目はされないので、両隣のクラスメイトと小声で雑談を交わし緊張を和らげた。
淡々と式が進んでいく。座っていられる分、長い祝辞もくたびれることなく聞いていられた。
卒業式の練習は何度もしていたけれど、本番となると涙ぐんでいる生徒も数名いて「ああ、もう本当に終わりなんだな」と、胸に沁みるおもいがした。
体育館の寒さは、制服のスカートのポケットの中にしのばせた使い捨てカイロひとつでは凌ぐことなど到底出来そうもなく、翼はふるりと足をふるわせた。
各クラス五十音順に着席しているため、田村将太は翼より後ろの席に座っている。
すこし後ろを見る程度なら誰も気にしないだろうか? それとも目ざとい誰かに気づかれてしまうだろうか。
卒業生の入場が終わり、淡々と式次第通りに進んでいく。卒業証書を授与される生徒の名が一人づつ呼ばれていく。
友達の名前と将太の名前に反応して、その時ばかりは拍手に真剣さがこもる。
校長の式辞よりも長いPTA会長の祝辞とあいさつに、疲れる前にうんざりしてきたころで切り上げられ、在校生の送辞と卒業生の答辞が掛け合い形式でなされ、そのやり取りの軽快さに眠気がとれた。
校歌を歌い、卒業ソングの定番曲のポップスを歌い式は進んでいく。
閉式宣言がされると、早く終わってほしかった祝辞とあいさつも恋しく思えてくる。
送辞と答辞の時間がもっと長がければ良かったのにと、そんなことを思いながら式場である体育館を後にした。
***
人と人の隙間から翼の頭がちらちらと見えた。
低くはないけれど、高くもない身長の翼は人が密集していると離れた場所からは見にくい。
翼の頭を見ていたら、いつの間にか卒業証書を受け取る順番が回ってきて、感慨深い思いもないままに卒業式が終わってしまった。
担任には特に思い入れなどなかったけれど、クラスメイトの誰かが言い出して、一本づつソープフラワーを渡すことになっている。
今日で見納めとなる三年二組の教室の教卓の前で、担任を取り囲むようにカラフルなソープフラワーを渡していく。
バラを模した石鹸でできた造花はとてもいい香りがしている。
「これって使うときは一枚一枚花びらちぎるのか?」
「手、紫になんね?」
「三十八本。手洗い石鹸一年分か。」
渡す順番を待ちながら、そんなことを話していたら、あきれ顔の翼たちが。
「観賞用決まってるでしょ。」
「香りを楽しむの。」
「花びらちぎったらダメじゃん。」
と、かしましく反論してきたので「石鹸なのに?」と、返せば男子わかってないレッテルを貼られた。
本物のバラに香水垂らすよりは安いよなとしか思っていなった将太は、しっかりと口をつぐんでおいた。
ねえもう渡しにいこうと、翼が担任の竹内のほうへと足をむける。
「まだ混んでないか?」
「なんか恥ずかしいから紛れて渡したいの。」
異論はないので翼と一緒にクラスメイトに紛れるようにして花を渡したのに、しっかりと気づかれてなんだか熱い声かけをされ将太は恥ずかしくて仕方がなかった。
***
卒業式を終えたといっても、公立高校の合格者発表は三日後なのだ。
合否の結果を伝えるために職員室には顔を出さなければいけない。
将太自身が転校生であり、入学からの思い出がないからなのか、中学校の制服をもう一度着て合否の結果を伝えなければならないからか、あまり最後という気がしなかった。
担任に花を贈ろうと言い出したグループが予約していたお好み焼き屋に、クラスメイトと移動する。
二組のほとんどが参加している打ち上げには、もちろん翼も参加していて同じクラスであることを、本当に良かったと思えた。一組はボーリング、三組はカラオケ、四組は何グループかにわかれているらしい。
翼のことが好きだとばれてもかまわなかったので、どうどうと翼の隣に陣取った。が、翼の友達の鈴木美香が翼の前の席に座ったので、男友達が反対側に座ってしまった。
警戒してしまったが、翼にではなく美香に頻繁に話を振っているので、すぐに敵対心はなくなった。
しかしふと気になることを思い出したので、スマートフォンを取りだして隣にいる翼にメッセージを送る。
【鈴木って彼氏いるとか言ってなかったっけ?】
【うん。待ち受け彼氏との写真になってるよ】
【ここで『鈴木の彼氏どこ高いくの?』とか聞いたら三田村泣くんじゃね?】
「え!?」
勢いよく翼が隣に座る三田村を見て、びっくりした顔のまま将太に向き直る。
美香と三田村に怪訝な顔をされ、将太と翼は笑って適当な話題でごまかした。
二次会は誘われたけれど、弟が一人で留守番することになると話して、それを理由に断った。
だらだらと喋っていたい気持ちもあったが、優先事項は他にある。
それにどうせ皆同じ校区に住んでいるのだから、別れを惜しむほどでもない。
お好み焼き屋で解散した数人と話しながらしばらく歩き、翼と二人、道をそれる。じゃあな、ばいばいと、軽いのりで最後になるかもしれない挨拶をかわす。
翼と二人で離れたが、誰にも何も言われなかった。からかわれなったことにほっとした。
一言目が出てこない。気の利いた話題なんて、そんなのどうやってふればいいのか分からない。
女子受けする話、女性との会話のコツなんて検索していても、今だというときに緊張してたら意味がない。
かっこつけられる土台が自分にあるとは思わない。もうここは素直に行くしかない。
「昨日さ、面白い話し方とか、女子受けのいい受け答えとか、調べてた。」
「え? え? 本気で調べたの?」
「縋るおもいで調べた。ってなんだよその笑い方。」
「んん。イメージと違ったから、なんか可愛い。」
「すっげぇうれしくない。」
いつも自宅マンション横の公園までは、まだ距離がある。
弟たちの下校までが邪魔されない時間だ。
好きだと言ったきり、放置していた続きの言葉を口にする。ここをちゃんと言わなければ曖昧なまま次に進めない。
「受けの良さなんかわかんねえけど、佐倉の話は聞きたいと思うし、聞いとくだけの時間とか、作っていい仲になりたいし、遊びにも行きたいし、壮太たち抜きで。」
弟たち抜きでというのは、とてもとても重要だと思っている。
「うん。」
「だから……なんでそんな笑ってんの?」
「今すっごく機嫌がいいの。」
「ぁあそう。あ~だから、彼女になってください。」
「はい。なので、彼氏になってください。」
堪えるつもりなどない様子で、にこにこと笑ってる翼を見ていたら幸せな気持ちになってきた。
「春休み、どっか行こう。出来れば壮太たち抜きで。」
「小学校が春休み入る前に行かなきゃね。」
「入ったら無理か?」
「絶対についてくるよ。」
『お兄ちゃん待って!』
『お姉ちゃんどこ行くの!』
騒いで絶対に何が何でも付いてこようとする弟たちの姿が、安易に想像できる。
「あいつらのいつからだっけ?」
「えっと、給食が二十三日が最後でしょ? 次の日終業式で、二十五日から春休みかな。」
給食なしで帰ってくる日があるなら家にいてやらないと駄目だろう。
「二十日にどっか行こう。」
「別の日は?」
「近場で、なんかして遊ぼう。」
いつもの公園でしゃべるだけでもいいし、自転車で行ける範囲にあるショッピングモールに行くのもいい。映画を見に行くのも、デートらしくていい。
計画するだけでも楽しくなる。百円ショップ巡りなんかしたら、翼は喜びそうだ。
「じゃあ、約束ね。」
そう言って笑った翼の顔が、初めて出かけた時に将太に向けた笑顔を思い出させて、将太はあの時のように視線を外した。
外して、思い直す。
そうだ、一年前と違って今は見ていてもいい立ち位置を手に入れたのだから、くれる笑顔をもらってもいいのだ。
「ああ、約束な。」
翼の指先を軽く握って、将太は笑った。