今日はあたたかいね。
二月。私立高校の前期日程は終了し、後期日程も一部の学校を残すのみとなっていた。
公立狙いの同級生たちも、滑り止めの私立の併願は後期日程で受験する。
本番に向けて余裕が出た者、気が抜けてしまった者、焦りだした者などさまざまだ。
いつも通りのようでいて、いつもとは違う教室の喧騒。
小学校から中学校へと進学する時には感じなかった空気をまとっている。
前期試験ですでに高校受験を終えている翼と美香は、喧騒も違う空気もすでに他人事だ。邪魔にならないように受験を終えた組はおとなしくしている。
「翼のとこも春休み中のオリエンテーションあるの?」
「四月中に一泊二日であるって聞いてる。」
入学予定の高校での一回目の行事が一泊二日での合宿だと聞き、ほとんど知らない人だらけの中での旅行に、今からすこし不安がある。
こういう時は、勉強をもっと真面目に頑張って美香と同じ高校を受験できれば良かったと思う。真面目に勉強していても簡単に合格圏内にも入らないのだが、それはそれ、仲のいい友達と居たいと思うのは自由だ。
埃の匂いがするこの教室で、あとどれくらい一緒に過ごせるか、なんてどこか年よりじみたことを思う。
翼は他愛のない話をしながら、視線を教室の後ろへとむける。
少しの時間だけ。気づかれないように、ちらりと一瞬だけ。
すっかり黒くなった短髪の髪。
県立の、地元の工科高校を受験予定の彼はこれからが本番の受験生だ。あとひと月は一緒に遊べない。
受験が終わるまで、外で会わない。図書館も行かない。
将太は、本当にそう言った通りにしている。
入試が控えていたって遊んでいる子は遊んでいるけれど、だからといって受験生から一抜けした翼が、苦行は終わったとばかりに無神経に無配慮に遊びに誘えるわけはなく、将太の試験が終わるのを離れた場所から見ているしかなく、なんだかとても一日が長い。
美香とおしゃべりをしながらも、目も耳も―― アンテナは一人に向いている。好きだと言ってきたくせに、まったくこちらを見ることのない男の子。
偶然視線があうなんて、そんな漫画のようなことは一度も起きたことはない。
目が合ってドキドキする。なんてことを真剣に期待しているわけではないけれども、ちょっとくらいは『好きな人の素振り』をしてくれても罰は当たらないだろうに。
「そういえば、美香は告ってきた男子とその後どうなの? 向こうも高校決まったんでしょ?」
「ええ。うん。土曜日に映画見に行く予定、かな。」
「いいなあ。二人でお出かけできるの。」
「翼だって田村と結構遊びに行ってたんでしょう?」
「二人とも必ず弟がくっついてきてた。いやいいのよ? かわいいし。」
「田村面倒見いいんだね。最初声かけてきたときはビビったけど。」
「なつかしいわ。」
金髪ピアスの男子なんて関わったことがなかったので、あの時は内心怯えながら呼び出しに答えたのだ。
今はただただ呼び出しが無いことがつまらなくて仕方がない。
それに、好きだと言われたけれど、付き合い始めたわけでもない。
「全部、早く終わらないかなぁ。」
ぼやいや翼に美香は「ほんとだね。」とかえした。
***
将太は夜に勉強するときは、なんとなく集中できる気がするので、部屋の照明はディスクライトのみ付けることにしている。
集中するためにそうしているのだが、伸びをしたとき、飲み物を手にしたとき、そんな小休止のときには必ず一つのことが頭をしめる。
同級生の、女の子。好きだと、伝えてしまった女の子のこと。
会わないと言ったのは自分からで、教室でもなるべく話さないと言ったのも自分からで、だから何日もまともに会話をしていなのは本をただせば自分のせいだ。
自分のせい。まったくもってその通りなのだが、将太は数か月前の自分に『お前は馬鹿だ』と、言いたくてしかたがない。
別に、偏差値の高い高校を受けるわけでもないくせに、いったい何をかっこつけたかったのか―― 馬鹿だなと、しみじみ思う。
好きだと伝えた。確かに伝えた。
「……返事。」
薄暗い部屋にぼそっと呟かれる自分の声。
そう、返事がまだもらえていない。
翼の受験は終わっている。もう合格している。卒業式を待つだけだ。受験前で余裕のない時期は終わっている。でもまだ保留中ということは? うやむやにして無かったことにされているのか。
(いやでもチョコくれた。)
お気に入りの百円ショップで買ったのだろう可愛らしい袋にはっていたバレンタインチョコを確かに貰った。ちゃんと貰えた。弟の健太の分も貰ったが……クラスの女子に友チョコも配っていたけれども、男子には配っていなかったはずだ。
告白するまでうじうじしていた自覚はある。
告白してからもうじうじしている自覚もある。
しょうがないじゃないかと思う。好きだなんて言えるわけないと思っていたのに、口にしたとたん抑えが利かなくなった。
こんな自分でも受け入れてほしいと思ってしまった。
(やばい。重い。きもい。)
こんなだからきっと教室で目も合わないのだ。
もしかすれば、このまま話すこともなく、弟がらみでも遊ぶこともないまま月日がたてば、もしかすれば好きという気持ちが無くなってしまうかもしれない。なんて、寂しい気持ちが胸を焼いていく。
(そういやほんと何日しゃべってないんだろう。)
気持ちがなんだかぐるぐるする。
あしたの じぶんは つばさのことを すきなんだろうか。
***
三年生の教室がある北校舎の非常階段は、休み時間になると生徒たちがたむろして外の空気を吸う場所になる。
真冬の寒さの中でも階段に座り込んで話にふける子たちがいるほどだ。今日のような陽気だとなおさら人は多い。
将太は友だち数名と、非常階段の踊り場でゲームのことや勉強のこと、目立つ教師のことなど日常の話題で時間をつぶしていた。
休み時間のリラックスタイムはとても重要だ。
ふと、校舎の中に目をむける。
教室から、クラスの女子が数名出てきた。
彼女の染めたことのない黒髪は、今日は一つに三つ編みにされていた。しゃべりながら、こちらに向かってくる。
非常階段の踊り場まで彼女がくる。
休み時間なのだから、来たってぜんぜんおかしくはない。
なんの話をしているのかは聞こえない。女子の話なんて、聞こえていてもわからないかもしれない。
「うわ、下から上まで人だらけ。」
「非常階段は毎日人気ですねぇ。」
話ながら来た女子に将太の友だちが「来るの遅いと場所ないよな。」と、会話に参加しだした。
翼も一緒に話し出す。
夜になると忘れてしまうような、他愛もない話。
初めて翼と偶然目が合った。
屈託のない笑顔。こんにも近くで翼を見るのは久しぶりな気がして、泣きそうになる。
翼が怪訝な顔をする。
「田村くんって花粉症?」
「違う。あくび、我慢してたから。」
「ああ、今日はあたたかいからね。」
眠いよね。そう言ってまた笑った翼を見た時の、自分気持ちに安堵した。
今日の自分も、明日の自分もきっと、翼のことが好きだ。