マリエンヌ様は、本日お怒りですので
今日は朝からツイていなかった。
髪型はばっちり決まらないし、お化粧のノリもイマイチだ。イライラする。
「悪いのだけれど、今日のアイラインはちょっときつめにひいてもらえる?」
「はい、お嬢様。でも、よろしいのですか?社交界の催しがある日はいつも目元は柔らかくされていますのに……」
「今日はちょっとね……人避けよ」
きっと効果はないだろうけど。
「マリエンヌ様、本当に会う度にお美しくなっていきますね……」
「お上手ですわね、ありがとう存じます」
「マリエンヌ様の活躍は聞き及んでおりますよ」
「活躍だなんて……今後も日々精進いたしますわ」
「マリエンヌ様、今度ぜひ私の家にいらしてください」
「ええ、ぜひ。楽しみにしております」
キラキラと光るシャンデリアのもと、たくさんの人に囲まれ、笑みを振りまく。
社交界は確かに神経を使うし疲れはするけれど、嫌いではない。必要なものであると理解をしているし、数年前に比べれば私も随分と慣れてきたと思う。
しかし今日はいつもとは少し勝手が違うのだ。
「それにしても、ライネル様がいらっしゃるなんて珍しいですね……」
1人が視線を会場の隅に向ける。
そこには今日の私のイライラの元凶が、いた。
黄色い声を上げる沢山のご令嬢の奥には、2人の若い男。1人は笑顔でご令嬢たちとなにかを話しており、もう1人はむっすりとした顔で、ひとり腕を組んでその様子を眺めている。
「リオン様はよくいらっしゃいますけれど、ライネル様はあまりこういう場にはいらっしゃらないですからね」
「そうですわね……」
簡単な話だ。ライネルの父と母が、嫌がるライネルを無理矢理連れ出してリオンに丸投げしたのだ。
ふと、ライネルと目があう。そして歪むライネルの顔。軽蔑したような、汚いものでも見るかのような、そんな顔。
ああ…イライラする。
ライネル。クールだなんて言われているけれど、いつまでも現実を見れないでいる、我儘なおぼっちゃま。
そして、私の結婚相手になるかもしれない男。
一通り挨拶を済ませ、ひとり、会場から離れ夜風に当たっていると、背後から不愉快な声がした。
「もう媚びを売って回らなくてもいいのか?」
来た。最悪だ。今日は無事に帰れるかもしれないなんて、少しでも期待した私が愚かだった。
「これはこれは、ライネル様。ライネル様こそ、こんなところで嫌いな女の相手などせずともよろしいのですよ」
「確かに私はお前が嫌いだが、社交界もそのお前と同じぐらい嫌いだ。今回は父上と母上が行けというから仕方なく来ただけだ。こんなものに来る人間の気が知れない。……まあ、お前のような人間にはお似合いかもしれないな」
ライネルの両親は自らの息子に、ほとほと手を焼いていると聞いている。心底同情はするが彼と会う度に、悪化していってるとひしひしと感じるので、ぜひもう一度教育の仕方を根本から見直してほしい。
「それはそれは……社交界は、とても有意義なものですのよ?」
社交界は出逢いの場であり、情報交換の場であり、戦いの場なのだ。たった1夜で、驚くぐらい力を強める家もあれば、その逆もまたあり得る。それをこの男は理解していない。理解しようともしていない。だからといって、他になにか特別な事ができるわけでもない。そもそも、なにかしようとも、別に思わないのだろう。
……ああ、イライラする。
「家柄や顔しか見ない人間に囲まれても私は嬉しくない。そんな連中に媚びへつらって、へつらわれて、いい気になって、お前にはプライドというものがないのか?」
「……貴方こそ、いい加減恥ずかしくないの?」
「な、に……?」
今までどんなにひどい事を言われても、まともに言い返した事などない。
戸惑ったように揺れる瞳が私を見ていた。
「家柄しか見ない?顔しか見ない?どうしてそんな事が貴方にわかるのかしら。貴方は自分以外のすべての人間の気持ちが容易にわかるのかしら、神様かなにか?」
「なっ、そ、それは……」
「違うわよね。私にはわかるわよ。なぜ貴方が、周りの人間は家柄と顔だけを見ていると思うのか。簡単な事だわ。貴方自身が、それしか他人に誇れるものがないからよ」
ひっ、とライネルの喉がひきつった。
「ご友人のように社交界で愛想笑いをするという、最低限の事も出来ず、ぐずぐずぐずぐずといい歳をして子供のようにいじけている貴方の、家柄と顔以外にどこを評価しろというのかしら?寧ろ家柄と、その綺麗なお顔があって良かったんじゃなくて?」
どこか怯えるような目が、私の神経を逆撫でる。今まで散々、私を見下してきたくせに、会うたびに悪態をついてきたくせに、今更被害者ヅラか。ふざけるな。
「別に貴方がどこで、いじけようとどうでもいいわ。そりゃあ多少腹立たしくは思うけれど貴方の人生だもの、好きにすればいい。けれど、私に妙な同族意識と劣等感を持つのはやめてくださる?迷惑よ。貴方は私と同じ場所に立ってはいない」
ライネルの目に、じわりと涙が滲んだ。
それでも、イライラはおさまらない。
「私はエピドット家のマリエンヌだもの。泣いたって喚いたってそれは変わらない。自由なんてないわ。私はエピドット家の道具よ。けれど、それでなにが困るのかしら。籠の鳥だと憐れむのなら勝手に憐れめばいい。それでも、これが私の生き方だもの」
笑えばいい、憐れめばいい。
それでも私の人生は、私のものよ。
「あ、っ……」
ライネルが目にいっぱい涙をためて、それでもなにか言おうとしたのが見えたけれど、私はそれを待たず足早にその場を後にした。
スッキリなんてしやしない。イライラだっておさまらない。まるで弱い者いじめでもしたみたいだ。
「みたい、じゃなくてしたのか、弱い者いじめ……大人げないわね、私も」
3つも年上の男性相手に大人げないもなにもないとは思うけれど。
けれど……と最後に見た今にも泣き出しそうな顔を思い出す。いや、もう既に彼は泣いていたのかもしれない。
少し、やりすぎてしまったところがあるのは否めない。
今まで彼に言われた言葉の数々を思えば、認めたくはないけれど、認めたくはないけれど。
まるで道に迷って母の手を求める、あの幼な子のような表情が頭にこびりついて離れない、なんて。