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十日目

 次の日も二人は並んで学校へ行く。


「写真貼ってくれた?」


「ああ」


 樹はポケットから生徒手帳を取り出し愛乃に見せる。そこには確かに昨日二人で撮った写真が貼ってあった。愛乃は手帳を見ながら言う。


「偉いよね。ちゃんと生徒手帳持ち歩いて。わたしなんて鞄の中だよ」


「まあ、これでも生徒会の役員だからな」


 そんな話をしながら二人はまたいつものように学校までたどり着いた。今日で二日目。まだ緊張するが、初日に比べたらなんてことはない。普通に愛乃を席まで送り、樹は自分の席に座る。愛乃は写真を見せて回っているように樹には見えた。愛乃の周りはいつにもまして賑やかだったから。あの写真どんな扱いをされただろうか。樹はちょっと――いやものすごく気になってしかたない。後で聞きに行こうと心に決める。そうして午前の授業が始まった。


 昼休み。樹はいつものコンビニ袋を持って愛乃の所へ向かう。愛乃も鞄から弁当箱を取り出し、樹を待ち受ける。


「行こう」


 樹の言葉で愛乃は立ち上がり、またいつもの様に辺りに臭いをまき散らす。樹

はその臭いに大変満足し、二人は昨日と同じように屋上に続く階段へ。


「写真の反応、どうだった?」


「すっごく冷やかされたよ」


 道中待ちきれなくて樹が切り出す。愛乃は恥ずかしそうに答えると小さく言葉を続ける。


「でも、悪い反応じゃなかった」


「……そう」


 なんか変な雰囲気を作ってしまったなと樹は思い、僅かに歩を早める。早く二人きりになりたいと思った。そうして実際に二人きりになると言葉が出てこなかった。小さく『いただきます』と呟くと二人座って特に会話もなく食事をする。相変わらず愛乃は食べるのは早かった。そうしてまだ食べ足りないのかまだ残っている樹のコッペパンを物欲しげにしかしどこかぼんやりと見つめる。


「食べる?」


 慣れた感じで樹は聞いた。愛乃は少し躊躇した後、自己の食欲に負けたのかこくこくと頷く。その仕草が面白かったので樹は悪戯心(いたずらごころ)が湧いてきた。袋からパンを取り出すと、樹は愛乃に笑いかけながら言う。


「じゃあ食べさせてあげるね」


「え?」


「あーん」


 戸惑う愛乃に樹はパンをぐいっと差し出す。


「は、恥ずかしいよ」


「誰も見てないって、ほら、あーん」


 パンを愛乃の口元に向けて突き出すようにして樹は口を開けるように促す。


「いつき?」


「ほら口を開けて」


 パンで愛乃の閉じたままの唇をつつく樹。つんつん、つん、とつついてゆく。そうすると愛乃の口から声が漏れた。


「……なんか餌付けされているみたい」


「違った?」


 愛乃の言葉に動かす手を止め樹。


「……まあ、それもいいかも」


「いいんだ」


「うん、いつきになら」


 悪戯を受け入れてくれたことに驚く樹に愛乃。その言葉に樹はなんだかとても嬉しくなる。


「じゃあ食べて」


「……うん、食べさせて」


「はい、あーん」


「あーん」


 今度こそ愛乃は樹の言葉に合わせて口を開ける。いつきはそろそろとパンを動かす。コッペパンの先は愛乃の口に収まった。樹はそのままパンを愛乃の中にずるずると押し込んでいく。


「ひふひ、ひれふひ」(いつき、いれすぎ)


「全部入れるよ……」


 樹は妙な高揚感に襲われながらそんなことを言う。


「ほへは、ふひ!」(それは、むり!)


 ふにゃふにゃのコッペパンは三分の一ほどが愛乃の口に収まった所で進まなくなった。全部入れられれば満足するだろうけれど、それはさすがに愛乃といえども無理そうに樹には思えた。樹は諦めパンを押し込むのを止める。愛乃はパンを噛みきり口と頬とを盛大に動かした後、苦しそうに嚥下する。そしてけほけほと軽く咳き込むと樹に向かって言った。


「いつきの、いじわる」


「ごめん。ちょっと調子に乗ってた」


 樹は手に愛乃の唾液でぐっしょり濡れたパンを持ったまま謝罪する。


「いいよ。特別に許したげる」


「すまない」


「そのかわりそのパン全部ちょうだい」


「……いいよ」


 樹は残りのパンを差し出す。愛乃はそれを手で受け取り今度は人間らしく綺麗にかつ素早く平らげ、また樹に言った。


「ねえ、いつきってS?」


「そんなこと、意識したこと無いや」


 答える樹。


「絶対Sだと思う」


「じゃあ愛乃はNか」


 愛乃の問いに樹は言った。


「Sの反対はMでしょ。磁石じゃないんだし」


「そうだっけ」


「そうだよ」


「似たような物じゃね」


「ちがうよ~」


 ちがうかもしれない。同じかも知れない。樹はそんなことはどうでもいいと心の底から思い、いまそこに恋人がいる幸せ、愛乃の発する臭い、それにひたすら(ひた)っていた。


「にこにこしちゃって。やっぱり、Sだ」


「愛乃はNか?」


「NでもMでもないよ~」


 愛乃の答えに樹はそっと身を寄せる。


「それは残念。Nならこうして」


 そして覆い被さるように愛乃を抱きしめる。


「くっつけるのに」


「……」


「……」


 抵抗はなかった。それは樹に取って喜ばしいことだった。それどころか手を取ってくれた。それは嬉しいことだった。そのまま沈黙がその場を支配した。樹は愛乃の肌触りと柔らかさと固さと臭いを自分のものにした。 


「だめだよ……Nだったら離れられないじゃない」


 やがて愛乃がか細い声で言う。樹は少し力を込め呟く。


「離れたくない」


「……うん」


「愛乃はN?」


 そして聞いた。


「いまは、N」


 そのまま無言で抱きしめ合う。お互いにデリケートな部分には触れず互いに手探りの抱擁。愛乃の体は昼食を摂ったばかりで熱いのにおなかの脂肪だけは冷えていて、その新たな驚きが樹を幸福にさせた。


 幸福と言えば臭い。愛乃の体から立ち上る臭いを思い切り吸い込む。どこかへ飛んでいきそうな感覚を樹は味わい、樹は愛乃を彼女にして幸せだなぁと心から思う。


 樹がぼんやりと愛乃の姿を視界に収めているとやけに白い部分が目に入った。なんてことはない。ただの肌だ。制服の襟と髪の毛の間、つまりうなじ。樹はそこをじっと見つめる。見つめているとピントが合ってくる。これが女子の髪か。毛根から太い毛が何本も何本も飛び出ていた。男では考えられないほどの毛深さ、そして髪の量。そしてそれに対照的なうなじと髪の地肌の白さ。女性ホルモンは髪に影響するんだっけ。そんなことを樹は思いながら愛乃のうなじを眺める。本当に毛深い。そうして臭いが立ちこめている。鼻を潜り込ませたい。許してくれるだろうか。


 しかし戸惑っている間に予鈴のチャイムが鳴ってしまった。


「……いかなきゃ」


「うん」


 二人して言う。ごっこ遊びは終わった。二人は互いに離れ、時間差を置いて教室へと戻る。午後の授業の始まりだった。


 午後の授業中そっと前の席の女子の少しだけ見えるうなじも眺めてみた。というか前の席は席替えしてないので日野由衣の席なのだが。つまり日野由衣のうなじを樹は見つめていた。やはり肌は白く、毛は豊かだった。むしろ愛乃よりそのコントラストは鮮やかであった。


『愛乃に限ったことじゃないんだな』


 樹はそう結論づけ、安堵と少しだけ残念な気持ちを胸に抱いた。授業内容なんて何も覚えていなかった。


 授業が終わり由衣は樹に向き直る。そして小さな声で言った。


「私のことを見てました?」


「あ、ごめん考え事を」


「別にいいんですが」


 なにか言わなくてはと思い、樹は結局正直なところを言った。


「いや女子って頭だけは毛深いなって思って」


 由衣はため息をつく。


「あの人と比較でもしてたんですか」


「……ごめん」


「……」


 視線だけでも人を傷つけることは出来る。言葉ならばなおさらだった。由衣は沈痛な表情を浮かべる。そんな由衣に樹は謝った。


「ごめん。日野さん」


「大丈夫です」


「すまなかった」


 樹は言った。それが彼女の傷口を広げると知っていても言わずにはいられなかった。


「いいんですよ」


「でも」


 かすかに喉の鳴る音がした。由衣からだった。慟哭をそれで押さえた様に樹には見えた。そうして自分は彼女に何もしてやることが出来ないんだなと樹は知った。由衣はそっと立ち上がると教室を出て行き、最後の授業が始まって少しした後に何事もないように戻ってきた。


「遅れてすみません」


 なんだかそれが自分に浴びせかけられる大量の言葉の洪水のようだと樹は思った。幼なじみじゃなくてすみません。家が近所じゃなくてすみません。学校が同じじゃなくてすみません。もっと早く会えなくてすみません。その他もろもろのすみませんを一度に浴びせかけられた気分だった。


 日野由衣は席へ座る。いつもと何も変わらぬように。樹は思う。自分に出来ること。それはいつもと同じように振る舞うこと。それは由衣を他人として――あの写真が取られた以前の様に取り扱うということ。


 ――それは。


 ――それは。


 ――それは。


 なんて寂しいことなんだろうと樹は思った。写真を撮られる前はそんなこと全然思いもしなかったのに。今になって寂しいだなんて。樹は我ながら自分勝手だと思い、そうして自嘲した。授業の内容は別の意味で頭に入ってこなかった。 


 そうして放課後。日野由衣は鞄を持ってさっさと出て行ってしまった。代わりに愛乃が気怠い臭いを発しながら樹の所へやってくる。


「いつきは、今日も生徒会?」


「ああ」


「どうしたの? なんか調子悪い?」


「ん、いや何でもない」


「そう?」


「うん」


「わたしにはそうは見えないけど」


 みんな鋭いな。樹は心の中で舌を巻く。もっと鈍くてもいいのに。本当、もっとみんな鈍かったらいいのに。


「いや、ただ」


「ただ?」


「ごめん……。あとで話す」


「うん。じゃあ昨日みたいに教室で待ってる」


 樹のわがままに愛乃は頷いてくれた。


「すまない」


「いいって」


「今日は早く終わるはずだから」


「そうなんだ」


 樹は愛乃にそう言うと鞄を持って立ち上がり、生徒会室へと向かった。



「あり得ないって」


「あはははは」


 何だか今日は生徒会室が賑やかだ。そんなことを思いながら樹は『失礼します』と声を掛けドアを開ける。


 そのとたん沈黙。喧噪は綺麗さっぱり無くなって、樹は僅かに眉をひそめ(いぶか)しむ。そうして樹は周囲を見回した。誰も彼も自分のことを見ている。中には笑い出しそうなのを堪えている人もいる。そうして霧絵生徒会長だけが不機嫌そうに樹のことを見つめ続けている。


「……」


 それでなんとなく樹にはわかってしまった。きっと自分は笑われていたんだろう。まったく自分さえももっと鈍ければいいのに。そう思いつつ自分の席に座る。そしてきわめて平常を装いつつ言葉を発した。


「今日やることはなんですか?」


「……」


 樹は尋ねるが答えはなかった。沈黙がその場を支配している。重く汚らわしい沈黙。いつ爆発してもおかしくないような沈黙。それを破ったのは霧絵生徒会長だった。


「上月君。上月君が太った女の子を連れているのを見たわよ」


「そうですか」


 樹は答える。木々が波打つように沈黙が波立つ。二人のやりとりを注視している沈黙の波。霧絵生徒会長は問い、樹は答える。


「あれが本命の彼女かしら?」


「そうですが、なにか?」


 そのとたん沈黙は爆発した。ざわめきに、爆笑に、そして嘲笑に。笑わなかったのは霧絵生徒会長と眼鏡の副会長ぐらいなものだった。二人はそれぞれにそれぞれの視線で樹のことを見つめている。


「別にいいじゃないですか!」


 樹は机を見、声を押し殺して言う、いや叫ぶ。それでも嘲笑とざわめきは収まることはなかった。樹は歯を食いしばる。そんな喧噪の間を裂くように霧絵生徒会長の言葉が響く。


「別に誰を好きになってもいいとは思うけど」


「……」


 樹は机の一点を凝視したままだ。


「あの子はやめておいた方がいいわよ」


「なぜですか」


 ぴくりと動く。樹は次の言葉を待つ。いつの間にか喧噪は止んでいた。だれもが彼女の次の言葉を注視している。


「上月君と釣り合わないから」


「釣り合わない?」


 樹の疑問に霧絵生徒会長は答える。


「上月君。あなたはもっと美しい人と恋愛すべきだと思うの」


「!」


 会長の言葉に樹はカチンときた。美しいって何だよ。すべきってなんだよ。憤怒と共に樹は会長の目を睨む。けれども会長はそんなことでひるむことはなかった。


「あなたのことを思っての言っているのよ」


「別に会長に思いやられることじゃないです」


 樹は言い返す。


「そうかもしれない。でもね上月君。世の中はそう見ない人も大勢いる」


「……」


 樹は生徒会長をひたすらに睨み付ける。そして重苦しい沈黙。やがて会長が重々しく口を開いた。


「どうして彼女なの。あの日野さんという子を捨てるくらいそんなにいい子なの?」


「僕にとってはそうです。だから、彼女にしました」


 きっぱりと樹は言い切る。


「そう、ならあたしからは何も言うことはないわ」


 その樹の言葉に、霧絵生徒会長はため息をつくように言った。それで話は終わりになり、生徒会室はもとの様子を取り戻した。ただ一人樹だけを残して。


「……」


 樹の心は憤怒に満ちていた。けれど、どこかそうだよなという思いもあった。けれど愛乃にはいいところがたくさんあるんだ。あるんだ。そう臭いとか、触り心地とか。後は? 後は……? そこで樹の心臓がドクドクいう。周りの音が聞こえなくなる。周りの景色が見えなくなる。いままで愛乃に抱いていた愛がどこかへ霧散して消えてしまう感覚。


『外から見ればやっぱり不釣り合いに見えるんだな』


 そしてそれは樹自身理解していたことだった。理解していたはずのことだった。だがこうして目の前に突きつけられてしまうと改めて自覚せずにはいられなかった。


 それがなぜだか悔しかった。悔しくってしかたなかった。目の前が滲んでしまうほど悔しかった。そんな樹に誰も話しかけようとはしなかった。生徒会は特に何事もなく進行してゆき、何事もなく終わる。



 生徒会が終わっても樹は動けずにいた。終わったのだから早く愛乃の元へ行かなくてはいけないのに心が何故かそれを拒んでいる。そんな樹の姿は端から見ると滑稽でもありまた恐ろしげでもあった。他の生徒会員はばつが悪そうに、または感じが悪そうに樹のことを避け、生徒会室を出て行く。あとに残されたのは笑わなかった霧絵生徒会長と眼鏡の副会長だけだった。


「いつまでそうしているつもり?」


 霧絵生徒会長の言葉にも樹は答えなかった。動こうともしなかった。バラバラになった自分の心を拾い集めるのに精一杯だった。


 そんな樹を見かねたのか、眼鏡の副会長がぽんと手を置く。樹はぶるっと体を震わす。


「待っているんだろう。……彼女が。早く行け。機会を逃すな」


 そうだった。待っているのだった。樹は思い直す。立ち上がる。そうして鞄を持つともう二人には何も言わずに生徒会室を出て行った。



 気がつけば日は傾いていた。心はバラバラのままだった。それでもと樹はもがくように歩き続ける。愛乃の元へ、愛すべき彼女の元へと。たどり着く。昨日と同じように愛乃はただ一人教室で樹のことを待っていた。


 それはバラバラになった心のままでも樹には美しい光景に見えた。いや荘厳な西日が教室に差し込んで昨日よりも一層美しいものにさせていた。


 愛乃が彼女自身の席で丸くなっているのを不思議に思った樹が近づくと理由がわかった。愛乃は自分のおっぱいを枕にして眠っていた。息をする度に愛乃の豊満な体がゆっくりと上下する。それで全てが馬鹿らしくなった。樹のバラバラになった心が一つになった。


 だって、愛乃は、こんなにも、愛らしい。樹はそっと呼びかける。


「愛乃」


 起きないので体を優しく揺する。それで愛乃は目を覚ました。


「遅いから寝ちゃってた」


「ごめん、待たせたな」


「うん、待った……」


「すまない」


「いいんだよ。聞きたいことがあったし」


「聞きたいこと?」


「日野さんと何かあった?」


 その言葉で樹は思い出す。自分があの少女にした仕打ち。それは決して許される類の物ではなかった。


「ああ。あった」


「どんなこと? 話してみて」


「愛乃と比べて、傷つけた」


 そうして樹は考える。自分が生徒会室でされた仕打ちなんてたかが知れている。一番の被害者はあの少女、日野由衣なのだと。恋に破れ、愛乃と比べられて彼女もきっと影で笑われていたのだろう。そうして自分も同じように比べてしまった。


「それは悪いよ。謝った?」


「謝ったけど許される類のことじゃないと思う」


「でも謝ったなら、きっといつか許してくれるよ」


「そうかな」


「そうだよ」


「……」


「もう行こう? 日が暮れちゃう」


「そうだな」


 深く考えても仕方ない。樹は愛乃の言うとおりにすると二人で教室を後にした。今日の帰り道はどこか言葉少なだった。


「じゃあ、ここで」


 二人の家の分かれ道まで来て樹が言った。


「夜、電話するよ」


「ああ」


 今日は抱擁はなかった。二人は静かにそれぞれの道を行く。



 樹は部屋に戻ると着替えもせずにベッドに突っ伏した。ぼんやりと眺めるのは生徒手帳に貼った昨日取ったばかりのプリクラの写真。幸せそうな二人。それなのに何故かひどく遠い物のように樹には思えた。僅かに滲んできたので目を閉じる。そうしていつの間にか樹は眠りに落ちていた。


 着信音で目を覚ます。電気を消したままの部屋は暗く、枕元に置いていた携帯電話だけが眩しい光を放っていた。樹は携帯電話を見る。愛乃からだった。ぼんやりとボタンを押し樹は電話に出た。


「愛乃?」


「うん。もしかして寝てた?」


「……ああ、わかる?」


「うん。声の調子で」


「ちょっと疲れちゃってさ、学校帰ってから今まで寝てた」


「そう。まあ私も教室で寝てたしおあいこだね」


「そうだな」


 それで樹はふと思い出す。教室で自分のおっぱいを枕にしていた愛乃のこと。尋ねてみた。


「なあ、あれって気持ちいいのか?」


「あれ?」


「ほら教室でしてた」


「うん?」


 愛乃が不思議がったのでしかたなく樹は口に出して言った。


「ほら、枕だよ、自分の胸を枕にしてたじゃない」


「ああ、あれ」


「そう」


 促すように樹。愛乃は声を少しだけ小さくして答える。


「すっっごく、気持ちいいよ」


「そうか」


 それを聞いて樹はごくりと唾を飲み込むと、言葉を続ける。


「なあ愛乃……」


「だめ。させてあげない」


「……だよな」


「うん。これはね。自分専用なの」


「だろうな」


「うん」


「……でもどんな感じなんだ」


「それは、秘密」


「……」


 それからしばらくしてお互いにおやすみを言い合って電話は終わった。樹は受話器越しには饒舌に話せることに安心したけれども、携帯を置くともうすでに寂しさに襲われていた。そっと生徒手帳のプリクラを見る。二人は幸せそうな顔をしている。樹もそんな幸せな顔を自分で一人作ってみる。


「……」


 それはひどくむなしい行為に思え、樹は服を着替えると階下に降りて自分の分だけ残された夕食を摂り、シャワーを浴びて眠りに落ちた。

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