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五日目-七日目

 次の日、樹は体の痛みで目が醒めた。ついで心にぽっかりとした虚無感。何も考えられなくなっていて、そうして腹だけが異常に空いていた。とりあえず朝食を食べる。それでも足りない。樹は冷蔵庫に言って食材をあさった。そういえば風呂にも入っていない。適当に冷蔵庫の食材を平らげるとあわててシャワーを浴び、歯を磨き、なんとか登校時間まで用意を間に合わせる。けれど、樹は登校する気力がなかった。玄関先でぼんやり佇む樹。なんというか、愛乃と顔を合わせづらいというか、会わせる顔がないというか、樹の心はそんなことで満たされて、ついでに食べ過ぎたせいで腹が重い。胃がもたれている。しばらく玄関で躊躇した後、しかたないといった足取りで樹は学校へと向かった。


 樹は遅刻ギリギリで学校に着くと、自席に座り込み、そのまま突っ伏した。もう腹が重くて一歩も動けない。そんないつもと違う樹の様子を前の席の由衣は不審そうに見つめていたが、すぐに目をそらした。HRが始まる。


 コンビニに寄る時間がなかったので、今日の樹の昼食は水だけだった。運が良いことに朝に食いだめしておいたおかげでそんなに腹も減っていない。水道の水で腹を満たしてゆく。不意に嗅ぎ慣れた臭いが鼻に届く。愛乃だ。樹は振り返って友達と並んで歩く愛乃の姿を確認した。けれど、もう話しかけられない。樹は逃げるようにその場を離れた。


 逃げ出した先はいつもの中庭だった。当然ながら進藤もいない。樹は日の良く当たったベンチに座り込む。暖かいというか熱い。けれどその熱さが心地よかった。このまま眠ってしまいたい。しばらくそうしてぼんやりしているとそんな樹に影が差した。


 見上げると日野由衣がそこに立っていた。


「なにか、ありましたか?」


「別になにもないさ」


 努めて冷静を装って樹は言った。


「そうですか。隣いいですか?」


「ベンチ熱いよ」


「構いません」


 由衣は樹の隣に座り、反射的に腰を浮かした。


「……確かに熱いですね」


「ああ」


 ゆっくりゆっくり座り直す由衣。そんな由衣をぼんやり眺める樹。聞いてみた。


「あれから嫌がらせとかあった?」


「いいえ、何も」


「そっか。そういえば、例の同好会の件、承認されたから。後は先生に提出するだけ」


「そうですか、ありがたいことです」


 会話が途切れた。沈黙が二人を包む。言わなきゃいけないことがあるような気が樹にはした。けれどなんとなくそれはおこがましいことのようにも思えた。


「日野さんは、昼ご飯はいつもどうしているの?」


 しかたなく樹はそんなことを尋ねてみる。


「家から持ってきたお弁当を食べていますが」


「自作?」


「たまには作りますけど、母も働いているのでだいたい母が自分の分と一緒に私のも作ってくれますね」


 淡々と説明するように由衣は言った。


「そう」


「上月……さんは?」


 逆に由衣が樹に聞いてくる。


「僕はコンビニのパンかな」


「そうですか」


「今日は買い損ねたけど」


「じゃあ今日は?」


「水だけだよ」


 樹の言葉に由衣が目を丸くする。


「そんなんじゃだめですよ、きちんと栄養を摂らないと」


「ああ、帰りになんか食べるよ」


 どこか上の空で樹。たしなめるように由衣が言う。


「ちゃんと食べてくださいね」


「わかってる。しかしここ暑いな」


「そうですね」


「さっき飲んだ水がどんどん汗に変っていく気がする」


「ええ、感じます」


「感じる?」


「上月さんの熱を」


 恥ずかしそうに、そうしてどこか嬉しそうに由衣は言った。そんな由衣に樹は声をかける。


「ねえ」


「はい?」


「僕達って付き合っているように見えるのかな」


「……そうですね。私は、そうなれたらいいなと思っています」


「そう、なんだ」


 樹はつばを飲み込む。そうして何か言葉を続けたかったが運が悪く予鈴が鳴った。由衣は立ち上がる。少し恥ずかしそうに。僅かに臭いが立ち上っている。樹はそれをどこか遠くのもののような気持ちで嗅いだ。


「それじゃ、行きますね。上月さんも急いだ方が良いですよ」


 そういって慌てた様子で由衣は校舎の方に小走りで向かっていった。樹はと言えば、どこか暗い顔で座り込んでいる。太陽のせいで気づくものはいなかったが。


 重い。


 昨日の自分の告白の失敗と、今の由衣の告白。樹はそれを考えていた。どうしてうまくいかないんだろう。歯車がうまくかみ合わないんだろう。自分の思い通りにならないんだろう。それが悔しくて悔しくて仕方ない。ため息一つつくと樹は立ち上がり、とぼとぼと歩いて行く。それは今さっき告白を受けた男の姿にはとうてい見えなかった。


 午後の授業が終わった。教室が少し賑やかになる。樹はと言えば、午後の授業中何も手につかず上の空だった。そんな樹を鞄を持った由衣がぼんやり見つめている。視線に気がつき、樹は由比に言った。


「やっぱり食事を摂らないと駄目かなって」


「そうですか」


 沈黙。再び由衣が口を開く。


「あの……。やっぱり迷惑でしたか。昼の件」


「……別に」


「顔がそう言ってますよ」


「そうか。……日野さんに隠し事はできないな」


 寂しそうにうつむく樹。


「すみません」


「いいんだ。でもどうして僕なのさ」


 なんの取り柄もないただの臭いフェチの変態なのに。樹はそれが不思議でならなかった。そんな樹に由衣は言った。


「人の少ないところに行きましょうか」


「ああ」


 そう言って樹も鞄を持って立ち上がった。由衣が足を運んだ場所は、昼と同じ中庭だった。たしかにここには人の気配がない。ここを拠点にしている部活もない。


「貴方のことは、最初は何でもなかった。見つめても視線に気づかない、鈍感な男子。そんな印象だった」


「だろうね」


 由衣の言葉に何の感慨もなく樹。


「いつの間にか、その人の姿を探してた。私のことを知らない、気づかない、気づこうとしないその人のことを」


 由衣の告白を樹は静かに聞いている。彼女のことを気づかなかったのは、どうしてだっけ。そんな理由を探しながら。


「その人を視界に入れてないと落ち着かなくなった。そうして思ったの。これが恋かも知れないって」


 そこで由衣は言葉を僅かに切る。そうして息を一度吸うと、吐息をつくように言った。


「あのとき一緒に帰れて、本当は凄く嬉しかった」


 由衣は言葉を続ける。


「守ってもらった日も。雑貨屋に寄ったときも。その次の日も。手を繋いだことも。みんなみんな、嬉しかった」


「……知ってたよ」


 樹は言った。それを聞いて由衣は嬉しそうににっこりと微笑む。


「……だからさよなら。これ以上私が貴方のことを好きになる前に」


 それだけ言い残すと由衣は走って行ってしまった。樹は呼び止めようとしたが何を言えばいいのかわからず、そのまま見送るしかできない。


 そうして去り際に告白なんてずるいと樹は思った。何も言えなくなるし、実際何も言えなかった。こうして樹は手に入れられそうなものをみんな手のひらからこぼしてしまった。


 何もない。これで元の変態に戻れる。けれど樹の心はまったく晴れなかった。喪失感だけが樹の心を支配していた。


『生徒会でも行くか』


 ぼんやりと樹は思い、樹は生徒会室に向かった。


「失礼します」


 ガラガラと扉を開け、自分の席に座り込む樹。そうしてそのまま机に突っ伏した。そんな樹に霧絵会長が呼びかける。


「どうしたの、元気ないね」


「昼飯を食べ損ねました」


「そう、それくらいならいいけど」


「よくありませんよ」


「早く帰ったら? 別に仕事もないし」


「……そうします」


 樹は立ち上がり、鞄を持ってのろのろ出入り口に向かう。


『なぐさめてもらいたかったの?』


 生徒会室を出るとき、そんな言葉が会長の声で背後から聞こえたような気がして、顔が赤くなる。心の声だったから、樹の心境そのままだった。樹は天を振り仰ぐ。情けない。早く帰ってしまおう。ぼんやりと思い、帰路についた。


 うんざりだ。誰も彼も傷つけて、そうして得る物は何もなかった。樹はそう結論づけ、結局途中何も買わずに家まで帰った。


 次の日は土曜日で学校が休みだった。さらに次の日は日曜日。樹にとっては気が重くなるような週末だった。後悔と自責の念が樹の心をむしばんでいた。愛乃に会えない。その間、元紀はどれだけ歩みを進めるだろうか。いやもう自分には勝ち目などなくなったのだ。せいぜい引き分けの両者負けぐらい。愛乃には賢くその選択をしてもらいたい。樹はそう思う。由衣とも会えない。そういえば携帯の番号すら交換していない。本当に付き合っていたのだろうか。一瞬でも付き合っていたのだろうか。考えれば考えるほどわからなくなってきて、樹は何もかも疲れ果て、眠りに落ちた。


 昼くらいに再び目覚める。けれど何もすることがない。ぼんやりとテレビを見て時間をすりつぶしてゆく。孤独な時間を過ごし、夜が来るのをひたすら待つ。夜は夜でまた眠る。


 結局何もしないまま、樹の休日は過ぎていった。


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