二日目
次の日、学校に行くと、机の上に写真があった。見慣れた写真。日野と自分の写真だ。背景部分にペンで落書きがしてある。ふたりはラブラブゥ?。だのカップルだの、そういった文言が色とりどりな文字で。
『女子の仕業だな』
勝手に断定し、どうしたものかとふと悩む。破り捨ててもいいが、なんか負けた気分だ。取っておくのも面倒くさい。どうでもいいが、どうして由衣の席ではなくて自分の席なんだろう。自分にそんな写真を送りつけられるいわれはないはずなのだが。
「私の席にあったので。貴方の席に置きました」
後ろから声をかけられる。振り向くと由衣が縮こまっていた。
「なんでさ」
「……処置に困ったもので」
「僕だって困る」
たしかに由衣の言う通り、こう使えばあざけりの写真。冷やかしの写真だ。特に由衣に関する落書きがひどい。写真の下の方をよく見たらわざわざパンツが白のペンで書き足されていた。これはいくら何でもやりすぎだ。――彼女を貶める意図が感じられる。誰の仕業だ。樹は彼には珍しく憤った。そうして樹には珍しく嗅覚ではなく視覚でものを感じる。いくつかの女子が由衣と自分を見つめている。からかい、あざけり、ひやかし。そうして嫉妬の視線。そしてどこか緊張した臭いも感じる。自分がこの写真をどうするか、見守っている。
「……」
樹はこの写真をこれ見よがしにびりびりに破り捨てると、ゴミ箱に放り込んだ。女子が僅かに怒りを発するのが臭いでわかった。知ったことか。樹は自分の席に座り、授業を待つ。
「すみません」
先に席に着いていた由衣が前を向いたまま、樹に謝った。
「気にするな」
樹は言うと教室の人の多い方に向かって叫んだ。
「おい、写真を持ってきた奴! 聞いているのか知らないけど、ツーショットならもっとまともな写真を持ってこい。そうすれば受け取ってやる」
教室の視線という視線を睨み付ける樹。そして樹はさまざまな臭いを嗅いだ。怒りの臭いや戸惑いの臭い、そうして怯えの臭い。それらをふん。と押しつぶしていく。久しぶりに早く授業にならないかなと思う。それくらい緊迫した臭いが、教室に立ちこめていた。と、樹は初めての臭いを嗅いだ。それは甘く、優しい臭い。どこからかと探ってみると、すぐ前の席からだった。日野由衣。普段は無臭の彼女がほんのりと臭いを発している。――これは恋の臭い、だろうか。誰に?
『自分に、か?』
うぬぼれではなくそう感じた。それ以外にあり得なかった。よくよく思えば自分で言った言葉も恥ずかしい。要約すれば二人のまともな写真なら受け取ってやるかと言う意味になって、それってつまり、二人で写真を撮られることを拒んでいないという意味になる。よけいな誤解を与えてしまったかなと樹は思う。
けれど。
それも悪くないとも思える樹。こうして彼女の初めて鼻に届く甘い臭いを嗅いでいると。何というか、自分が立派なことをした気分になれた。口元に笑みが浮かびそうになるのを慌てて消す。目を閉じて臭いに没頭したいのも我慢する。今は闘争の時間だ。静かに、水面下で進行する。闘争。そうしてそんな弛緩と緊張が入り乱れた時間はHRまで続いた。
午前中、化学の移動教室の合間に手紙が一通、机の中に入っていた。残り香でわかった。愛乃からだ。
――かっこよかった、見直したよ。
わざわざ手紙にしなくてもメールか直接言えばいいのにと思ったが、樹は学校では携帯電話を開かないと知っている愛乃らしい気遣いとも言えた。直接言えないのは、おそらく――あの写真を置いたのが愛乃の所属している女子グループかそれに近しい存在なのだろう。樹はそれを鋭敏に察知した。
『女子は色々大変だな』
そうして樹はそんなことを思い、手紙を机の中にしまい込んだ。
昼休み。いつものように中庭に行こうとする樹を由衣が呼び止めた。
「何か用?」
「いえ、朝はありがとうございました。なかなか言う機会が無くてごめんなさい」
早口で由衣は言った。またうっすらとした臭いが彼女から立ちこめる。
「いいんだ。あんなことされれば誰だって怒るさ」
樹は答える。
「すみません」
その言葉に一礼する由衣。
「それじゃな。日野さんも誰かとつるめよ。一人だからいじられるんだよ、たぶん」
「……そうかもしれませんね」
そんな言葉を背に、樹はコンビニ袋片手にいつもの中庭へ向かっていった。
中庭に行くと進藤はすでに来ている。昼食には手を付けず、あいかわらずスマホをいじっていた。
「よう、進藤、何か面白いネタはあったか?」
ちょっとわざとらしく樹は尋ねた。実際の所、樹は朝のことがどれくらい話題になっているか気になっていたのだ。案外小心者だなと樹は自嘲する。
「ん……。別にないぞ」
「そうか?」
ちょっとわざとらしい進藤の応対。それが少し気になった。樹は進藤の隣に座ってパンの袋を破る。しばらく無言の間があって、やがて進藤が小さな声で言った。
「なあ、いいか」
「なんだよ」
パンを飲み込んでから進藤の方を振り返る樹。進藤はやや暗い目で樹のことを見ている。
「こうやってメシ喰うの。もう終わりにしねえ?」
「なんでさ」
「いや俺も中庭まで降りてくるの面倒だし、なにより太陽の下だとスマホの画面が見にくくてな」
進藤の言葉に樹は答えた、
「別に僕は構わない」
「そうか。それじゃな。それだけ言いに待ってたんだ」
スマホをポケットに入れると立ち上がる進藤。
「律儀だな、進藤。それじゃあな」
「ああ」
そう言い残して、進藤は去っていった。残された樹は一人で昼食を摂り、ぼんやりと考え込む。
『学校とのつながりが一つ断ち切られてしまった』
しかし急だ。急な親友との別れ。樹も馬鹿じゃない。この裏に何かあることを感じ取っていた。背筋の凍るような恐怖ではない、真綿で首をじわじわと絞められるような不安感。
『ふむ、困ったな』
顔には出さず、樹はぼんやりと物思いにふける。誰に聞けば良いのやら。
とはいえ時間は過ぎてゆく。昼休みは終わり、午後の授業も特に何事もなく終わった。
いつものようにそそくさと由衣はクラスを出て行き、樹はいつものように生徒会に顔を出すための準備をする。
そういえば、愛乃の顔を見ていない。午前中に手紙一つ送ってよこしただけだ。けれど、あれはおそらく愛乃の精一杯の行為。樹は愛乃からの手紙を誰にも見られないように鞄の奥底に突っ込んで隠した。
生徒会室に向かい扉を開ける。眼鏡の副会長に樹は尋ねた。
「どうなってますか例の写真の件」
「早くも沈静化」
シンプルな答えが返ってきた。
「そうですか」
「ま、写真一枚程度ではそうそう物事は動かんと言うことだな」
「それはありがたいことです」
樹が安心して言うと霧絵生徒会長が割って入ってくる。
「代わりに別の話が進行中よ」
「何ですかそれ」
樹は興味を惹かれて尋ねた。
「上月君と写真の子が付き合っているって噂」
「何ですかそれ」
呆れ晴れる樹。霧絵生徒会長は不思議そうな顔をする。
「朝に俺の彼女宣言をしたと聞いたけど」
「あれは落書きされた例の写真が机の上に置いてあって、それで思わず」
「彼女宣言?」
可愛らしく言う会長に樹は軽くイラっときたが努めて冷静に答えた。
「そんなことは一言も言ってませんが、もっとましな写真もってこいとは言いましたが」
「それじゃああげようか。このファイルに入ってるそのままの写真。ここだとプリントアウトもできるし」
「いりません」
即答する樹。
「う~ん。今のところあれ以上の写真はないわね」
「考えることですか?」
「別に」
「はぁ……」
そんなやりとりをしているとトントンと扉を叩く音。これはもしやと樹は思う。
「はーい」
会長が声をかける。ガラガラと開く扉。そこには樹が予想したとおり日野由衣が立っていた。その顔を見て会長が顔をほころばす。
「あら、噂の写真の子じゃない」
「はい……まあ……」
曖昧に由衣。
「それで我らが生徒会室に何の用かしら」
「あの……。新しい同好会の申請のやり方とか教えていただきたくて」
これが由衣の本来の用事か。樹は昨日のことを思い出しながら彼女のことを見つめる。それと正反対にてきぱきと動き始める生徒会長。
「う~ん。どこかにマニュアルがあったわね。ちょっと待って探すから」
そういって奥に行き、持ってきたのは何故かカメラだった。樹はいぶかしんで尋ねる。
「どうしてカメラを持ち出すんですか?」
「上月君がね、二人のツーショットをお望みだそうで。ほら二人並んで」
「いやです。それにあれは言葉のあやですよ」
「あれ電源入らない」
カメラをいじっていた会長が声を出す。
「すみませんそのカメラ昨日のプール掃除の時に壊してしまいました」
そんな会長にすまなそうに高槻という名の生徒会役員が言った。
「あ、そういえば」
昨日のことを思い出したのか、会長が呆けたように言った。
「助かった」
「ふん。今ではスマホで撮れるもんね」
「まあ並びませんから」
きっぱりと樹。
「こういうのは構図よ構図。一見並んでなくても……。こうやって遠近法を使えば……ってこの生徒会狭くない?」
「会長が物を置過ぎなんですよ」
「あたしじゃないわ。前の会長のせいよ」
「前の会長はその前の会長のせいだと言うでしょうね」
そんなことを言う会長に何か書類を持った眼鏡の副会長が声をかける。そうして会長に書類を差し出した。
「とにかくこれがマニュアルです。いつ誰が作ったかわかりませんが律儀な生徒会長もいたんですね」
「はいはい。生徒会の同好会申請書が必要なのね。そこいらへんの引き出しに入っているかしら」
「はい、一緒に渡してありますよ」
てきぱきと答える副会長。なんでこの人副会長なんだろう。樹は不思議に思いながらも二人のやりとりを眺めやる。
「じゃあこれに名前と同好会名と活動内容とかを書いてね」
自分では何一つやっていないのに、会長はまるで自分の手柄のように由衣に紙を渡す。彼女はそれを大事そうに鞄にしまい込んだ。
「ありがとうございました。それでは失礼します」
「ああ、待って。女の子の一人帰りは危険よ。ちょっと待って。こっちでナイトを寄越すから」
「はい?」
会長の言葉に目を丸くする由衣。そんな由衣を気にもとめずに会長は樹の方に向き直って言った、いや命令した。
「上月君。会長命令よ。この子を途中まで送って帰りなさい」
「なんでですか!」
当然と言うべきか叫ぶ樹。
「いやなの。仕事サボれるわよ」
「仕事と言ってもほとんど無いじゃないですか」
「じゃあ送っていくのが嫌なの」
「う……」
なんと答えれば戸惑う樹。そんな樹に由衣が助け船を出す。
「あの……。私は一人で帰れます」
けれど生徒会長はそれを一蹴した。
「あーあー。今日の朝のいじめの件。こっちにも届いているから。ことは大きくしたくないけど、何かあるとこっちも困るから」
「朝の件ですか? べつにいじめじゃないですよ。軽くからかわれただけです」
由衣は答えるが会長は首を横に振る。
「それでもよ。芽は早いうちに摘み取っておかないとね。というわけで上月君、よろしくね」
「僕が一緒だとよけいにからかわれませんか?」
樹が不本意と不思議が入り交じった表情で尋ねる。しかし会長の答えはあっけらかんとしたものだった。
「それはそれ。これはこれ」
「会長、楽しんでいるでしょう」
そんな言葉に意気込んで樹は反論する。
「そんなことはないわよ」
「嘘だ。絶対楽しんでいる」
僅かに怒りを見せてそう言う樹に対して会長は妙に真面目な顔をして諭す。
「あのね。上月君あなたはからかいに対して啖呵を切ったのよ。これはどちらかと言えばあなたのせい。何かある可能性はどちらかと言えばあなたが作ったの。だからしっかり守ってあげなさいよ」
「う……。……わかりました」
確かに会長の言い分ももっとものように樹には思えた。説き伏せられ、うなだれる樹。
「日野さん……でしたっけ。あなたもいいわね」
会長は由衣にも念を押す。
「はい……わかりました」
諦めたように、彼女も言った。こうして樹と日野由衣は一緒に帰ることになった。由衣の家の場所を聞く、駅から電車に乗った先らしい。樹の家は駅を通った先の住宅街。
「駅まででいいかな」
鼻につく日野由衣のかすかな臭いを感じながら樹は言った。
「はい……」
そうしてどこか照れたような由衣と二人並んで歩く。しかし話題がない。会長は以前天気の話でもしろと言っていたが、ずっと同じクラスにいたのに今更天気の話をするのは変に思えた。しかたなく樹は日野由衣が生徒会室に来た理由の話題から入った。
「新しい同好会ってどんな同好会を作るの?」
「……今言わなくても、いずれわかってしまいますよね」
「まあね」
樹は生徒会役員だ。そう言う情報は嫌でも入ってくるだろう。
「文芸部、いや一人ですから文芸同好会でしょうか」
「ああ、文芸部と言えばだいぶ前になくなった」
たしか何年も活動はせず不良のたまり場になって最後は煙草の不始末でぼや騒ぎを起こして廃部だったような。
「はい、それを復活させようかな、と」
「でも、いまさら学校の文芸部というか同好会にこだわらずそういうのを発表する場所はネットに溢れているんじゃないか?」
「くわしいんですね」
「まあね」
樹は答えた。ほとんど進藤からの情報だけれど。そういえば進藤とは決別、いいやあれは確かに決別したんだよな。樹はおしゃべりだった友人のことを思い出し、ほんの少しだけ寂しくなった。
「そういうのもやってますよ」
「やってるんだ。読みたいな」
「読ませません」
ぴしゃりと言われる。それではと樹は尋ねてみた。
「そう。そうれじゃあ、その上で文芸部を復活させる理由は?」
「……居場所が欲しいんです」
「居場所?」
「書くのはどこでもできるんですよ。発表だって、上月君が言ったとおり今は簡単けれど、それは私の本当の居場所じゃないと思うんです。根っこがないんです」
そう言って由衣は鞄を持ち直した。
「難しく言われてもわからないなぁ」
「ようするに、縛られたくなったんです。今まで自由気ままに書いてきたけれど、文芸部……いや文芸同好会に所属すればそうもいかなくなるでしょう?」
由衣の言葉に、樹は不思議がる。
「それは逆に困ったことになるんじゃないのか」
「いいえ、そうでもないですよ」
そう言って日野は樹に向かって軽く笑いかける。そうして小さな声で言った。
「それに部活を通して友達や、先輩は無理だろうけど後輩とかができたら嬉しいかなって……」
そういう由衣からまた微かな香りが匂い立つ。それはどこか寂しげな香りのように樹には感じられた。呟く。
「なるほどね」
何となくだが理解できたかも知れないと樹は思った。孤独な少女の複雑な胸の内を。そんなことを話している内に二人は駅までたどり着く。樹はここからさらに歩き、由衣は電車に乗る。
「ありがとうございました」
駅の改札口でぺこりと由衣。
「それじゃあ、気をつけて」
そんな由衣に声をかける樹。結局天気の話は一度もしなかった。駅を抜け空を見上げる。初夏の黒雲が一面に広がった梅雨空がそこにあった。
『あしたは雨かな』
ぼんやりと樹は思い、帰路についた。
夕飯後。樹は風呂前に食休みがてら部屋で座り込みぼんやりする。何か妙な気分だった。
無理矢理自分がここではないどこかへ運ばれてゆくような感覚。友人との別れ。
そしてそう問題は日野由衣のことなのだ。樹は思う。
現状、なし崩し的に彼女と付き合うような状況になっている。
別に樹は彼女のことは嫌いではない。むしろ好意を持っていると言っても良いだろう。けれど、けれど、胸の奥で何かが引っかかるのだ。それがなんなのかわからず樹はイライラして長いことその原因を探しているのだった。
『もう考えるのもつかれた』
樹は長いこと考えてからそう結論づけ、風呂に入って体をさっぱりさせて寝ることにした。




