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十三日目

 次の日。愛乃と約束したカラオケの日である。昼過ぎの待ち合わせ時間より少し早く樹が行くと、すでに私服姿の愛乃は待っていた。樹を見つけ嬉しそうに高く手を振る。そんなしぐさは若干周りの人の注目を集めたようだ。視線が手を振った相手である樹にまで届く。樹はその視線を振り払うように愛乃に向かって手を振った。いま自分たちは注目されている。おそらく面白おかしい存在として。そんなことを感じながら樹は愛乃に近づく。


「早く来過ぎちゃった」


 愛乃は周囲の目線を気にした様子もなく樹に言った。


「待たせてごめん」


「別にいいよ。待つのは慣れてるから」


「なんか申し訳ない」


 昨日の今日だ。樹は深く謝った。愛乃は気にしないでと両手を目の前で振る。


「ううんごめん。余計なことだったね。今日は楽しもう、おー!」


 そして右手を挙げる愛乃。樹もそれにならっって右手を挙げる。


「おー」


「……」


「……なんだか恥ずかしいな」


 少しの沈黙の後、照れくさそうに樹は言った。やはり周囲の視線が気になって仕方ない。自分たちがどう見られているか気になる。とても気になる。それは年頃の人間ならどうしても持ってしまう悪癖の一つであることを樹は理解する。愛乃もそれを少しは感じたのか小さく頷く。


「……うん」


「……行くか」


「そうしよ」


 そうして二人は商店街にあるカラオケ店へと向かった。

 

 カラオケ店で個室を取りフリードリンクコーナーへ。愛乃はといえばジュースの他に無料で支給されているソフトクリームをコップになみなみと注いでいる。普通に出すより量が多く取れる。手慣れた物である。


「さすが慣れたもんだな」


 樹が言うと愛乃は偉そうに答える。


「いっぱい歌うからね。栄養は補給しないと」


「でも途中で溶けないか。それ」


「溶けたらメロンソーダ注いでクリームソーダにするんだよ」


「なんか、すごいな」


「えへへ」


 別に褒めたわけではないけど。樹はその言葉を呑み込むと、飲み物を両手に持った愛乃と一緒に個室に入った。今日は期末前の最後の休み。思いっきり楽しむのだ。二人ともそのつもりだった。


 個室に入り並んで座る。


「なんか並ぶと恥ずかしいな」


 樹が若干居心地悪そうに言うと愛乃がわかってないなあという顔をする。


「でも端末一個しかないし」


「それもそうか」


 そこで気がつく。愛乃の髪が僅かに彼女本来のものとは違う芳香を放っている。ちょっと意外な臭いだったので樹は少し鼻を利かせた。気がついた愛乃が少し恥ずかしいそうに頬を染めて言う。


「シャンプー変えたの。ちょっといいやつに」


「なるほど、いい匂いがする」


 ありきたりな答え。実際の所を言えば樹があまり好きな臭いじゃなかった。


「ほら、いい匂いでしょ」


 そう言って愛乃は頭を樹に軽く突き出した。樹もそっと愛乃の頭に顔を近づける。


 樹が女性の髪の生え際にこんなに接近したのはこれが二度目だった。男のものとは全然違う、髪の一本一本が太く、毛髪の密度が濃い女性の頭皮。なんだかひどく見てはいけない物を見てしまった気持ちになった。けれどそこに愛乃の臭いの残り香を感知して、樹はちょっぴり嬉しくなった。


「どう?」


「ああ……」


 曖昧に答える。愛乃の頭皮に触れてみたい。そんな思考がぼんやりと樹に生まれる。どんな感触なんだろうか。感触。感触。愛乃の全ての場所の感触を知りたいと思う。


「あの、さ」


「ん?」


 樹の言葉に頭を突き出したまま愛乃が言う。


「頭、触ってみてもいいか?」


「え?」


 瞬間的に愛乃は突き出していた頭を上げて樹を見る。愛乃の頭と樹の鼻がぶつかりそうになった。嗅覚的にではなく触覚的に樹の鼻が愛乃の飛び跳ねた髪にくすぐられる。樹は思わず愛乃に言ってしまった。


「急に頭を上げないでくれよ」


「ご、ごめんね。でも変なこと言うから」


 愛乃の言葉に樹は声をうわずらせる。


「へ、変かな?」


「うん。変だと思う」


 きっぱりと断言される。


「そ、そうかな」


 その言葉に慌てる樹。顔が真っ赤だ。


「そ、そうだよ。それに髪型が乱れるし」


 それはもっともな話だった。でも樹は触りたい。


「そんなの、直せばいいじゃないか」


「そんなに触りたいの?」


「うん。それにそうさせたのは愛乃の方じゃないか」


「わたし、頭突き出しただけ……」


「それがいけない」


 今度は樹が断言する。


「ええ~」


 スイッチが入ってしまった。こうなると樹は樹自身を止めることができない。


「代わりに僕の頭触っていいから」


「いいよ別に」


 愛乃が言うが樹は言葉を続ける。


「五分刈り頭とかさわり心地いいぞ」


「わたしは五分刈りじゃないし」


「僕が今度五分刈りにするから触らせてやるよ。ジョリジョリして気持ちいいぞ」


「髪型変えちゃうの。もったいない」


「だって愛乃の頭触りたいんだもん」


「だからってそこまでしなくても……」


「じゃあ頭触らせてくれる?」


「ええと……」


「じゃあ五分刈りにする」


「今時野球部だって五分刈りにしないよ」


「レアだぞ」


「ううん……ちょっと無理」


 本気で嫌がられたので、樹は作戦を変更。というか思いつきで物を言っているだけなのだが。


「じゃあ無精ひげはやす。あれも触ると気持ちいいんだぞ」


「髭はやすの?」


「全然伸びないけどな」


「あはは」


 樹の言葉に愛乃は笑う。しかし樹は至って真面目だった。愛乃の目を見て言う。


「でも伸ばす。愛乃のためなら」


「別に触りたいわけじゃないし。それに校則でひげとか不潔な格好は禁止だよ。

いつき、生徒会役員でしょ?」


「そういえばそうだった」


「もう、しっかりしてよ」


「ああ、それにしても残念だなー」


「何で触らせることにそこまでこだわるの……?」


「僕が愛乃の頭を触りたいから。僕も何か愛乃が触りたいと思う物を持ってくるのが普通かなぁって」


「普通じゃないよ。ぜんぜん、普通じゃないよ」


 愛乃は心底残念なものを見た顔でため息混じりに首を振る。


「じゃあどうしたら触らせてくれるのさ?」


「さーわーらーせーまーせーん」


 愛乃の言葉に樹は文句を言う。


「何でさ!」


「下心丸見えだから」


「ぐっ」


「だから駄目」


「鬼め」


 このままだと干上がってしまう。樹はやけになって端末を取り出し曲を入れた。


「ああ、私が先に歌おうと思ってたのに」


「なんか歌いたい気分なんだ」


「しかたないなぁ」


「うん」


 それだけ言うと樹はマイクを手に取った。消毒されている証のプラ袋を外して歌の準備をする。なんとか曲の前奏には間に合った。


「わたしだって負けていられないんだから」


 歌い出しを待つ樹に向かって愛乃はそう言うと、自分も曲を入れ始める。


「ああ、三曲も入れた」


 歌い終わって端末を見た樹が言う。


「だって歌長いんだもん」


「聞いてればいいだろ」


「そういう場所じゃないんだよ」


「それもそうか」


「樹もわたしに構わずじゃんじゃん入れちゃって」


「僕はそんな持ち歌無いしな……」


 そうして樹はテーブルに並んだ様々なボードに目を通し始める。その中から食事とドリンクが書かれたボードを手に取った。ぼんやりと眺める。見ているとなんだかおなかが空いてくるメニューの数々だった。樹は愛乃が間奏中で歌っていないときに声を出す。


「なぁ、なんかルームサービスで頼むか」


「わたしピザ食べたい。それとねポテト!」


 愛乃が待ってましたとばかりに乗り込んでくる。間奏はもう終わっていた。樹は声を出す。


「歌ってるときに割り込んでくるな」


「いいじゃん。そっちから言い出したことだし」


「じゃあこの曲が終わったら頼むか」


「あと二曲入れてる……」


「そうか。じゃあ待つか」


 樹が言うと愛乃は待てないというように樹に懇願する。


「頼むの時間かかるから、今頼んじゃってよぉ」


「ああ、歌はどうする?」


「歌うよ。カラオケだもん」


「……欲張りだな」


「そういう場所でしょ」


 愛乃は前言ったのと同じ言葉を繰り返すように言った。樹も同じように返す。


「それもそうか」


 愛乃もそれに気がついたのか首をかしげて言った。


「なんかループしてない?」


「いいから歌え。こっちはこっちで注文するから」


「うん」


 愛乃は曲に戻る。そんな愛乃の歌を背に受けて樹はルームサービスでピザとポテトを注文した。


 愛乃の歌が終わって、樹の歌が終わって、さらに愛乃が曲を何曲か入れて歌って……そうこうしているうちにルームサービスが届いた。二人は歌うのを中断して愛乃の入れた曲をBGM替わりにしながら食事をする。


「樹は何も頼まなかったの?」


「なんか気勢がそがれた」


「だめだよー。樹もなんか頼むと思って控えめに言ったのに」


「控えめだったのか、あれで」


「そうだよー。これじゃおなか減っちゃう」


「また頼めばいいじゃないか」


「そうだけど。そうだけどなんか悪いかなって」


「向こうも商売でやっているんだから悪いも何もないだろ。実際高いし」


「それもそうだね」


 そう言うと愛乃は立ち上がり追加でメニューを頼む。途中で気がついたのか樹に尋ねた。


「樹も何か頼む?」


「僕はいいよ」


 愛乃のいない隙にとピザを片手に端末とにらめっこしながら樹は言った。


「そう?」


「うん」


「……じゃあそれでお願いします」


 愛乃はルームサービスの受話器に向かってそう言うと樹の隣に座り直す。そうして心どこかにあるような樹にやんわりと注意する。


「食べながら端末いじってると行儀が悪いよ」


「そういう場所だろ」


「また、ループしてる」


「これでも進んでるんだぞ」


「そうかな?」


「そうだよ? とりあえず僕は持ち歌が無くなった」


「せっかくだからうろ覚えの曲に挑戦してみたら?」


「初デートでかっこ悪いところは見せられない」


「そういうもんなんだ」


「そういうものなの」


 愛乃の言葉に樹は答える。


「じゃあわたし歌うね」


「今度は聞いていてやるよ」


「いままで聞いていなかったの?」


「言ったのはそっちじゃないか」


「それもそっか」


 こうして愛乃のワンマンショーは途中食事休憩とドリンク休憩を挟みながら延々と続いた。



「沢山歌ったね」


 夕方、カラオケ店から出て愛乃が言う。


「ほとんど愛乃だけどな」


 樹が応じると愛乃は口を尖らせる。


「樹が持ち歌少ないんだよ。もっとレパートリー増やさなきゃだよ」


「僕はたまのクラスや生徒会の打ち上げで歌うぐらいだからな」


「これからは増やしてね」


「善処します」


「しかし歌うだけで良かったのか」


 デートという物はもっと他の所に行くもんじゃないのかと樹は何となく思って言った。


「いいんだよ。今日はまだ初めてだし」


「そっちがそれならいいけど」


「これからいろいろ行こうね」


「そうだな」


 愛乃の言葉に樹も同意した。愛乃は二人の家の分かれ道まで来て立ち止まる。


「じゃあここで」


「家まで送らなくていいのか」


「うん、疲れてるでしょ」


「そうか。悪いな」


「それじゃ、また夜、電話するね」


「うん。ちょっと待って」


「うん?」


 樹は素早く愛乃の唇を軽く奪う。


「あ……」


「それじゃ」


「う、うん」


 不器用に頷く愛乃。不器用に笑う樹。そうして二人の初デートは終わった。


 

 家に帰ると樹は喉に違和感を覚えた。うがいをしながら思う。


『のどやられたな』


 樹はぼんやりと思う。熱も少しあるようだ。それは歌いすぎたせいか、それとも最後のキスのせいか。まあどっちでもいい。今日はこの熱にも浮かれていたい。食事をして部屋に帰るとぼんやりした疲れと共に睡魔が襲ってくる。樹はそれに身も心も委ねて眠りに落ちた。



 深夜に喉の痛みで目を覚ます樹。頭も何だかさっきよりはっきりとぼおっとする。どうやら本格的に風邪を引いたようだ。暗い部屋が僅かに点滅している。携帯か。そう思い樹はそれを見た。確かに暗闇の中で淡い光を放っていた。樹はそれを手に取る。見てみると愛乃からだった。三回ほど不在着信が届いている。


 けれど今は深夜。電話はさすがにかけられない。


『薬飲んでもう一眠りするか』


 樹はそう考え、階下に降りて常備してある風邪薬を飲んでこれも常備してあるマスクをすると自室に戻った。


「……」


 目を閉じる。少しだけ考える暇があった。目が覚めたら愛乃だけではなく会長にも断りの電話を入れないと行けないなと樹は思いながら再び眠りに落ちた。


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