十一日目
次の日。二人は待ち合わせそして言葉少なに並んで学校へと向かう。
今日は雨が降って静かだった。二人の距離も傘のあるせいで少し離れている。そんな中を二人は歩く。
「……ねえ」
愛乃が言った。
「なんだ」
樹は頭を動かさずに答える。
「今日は静かだね」
「そうだな」
言葉が途切れる。愛乃は樹の顔を窺おうとするが、傘が邪魔でよく見えなかった。樹はぼんやりと歩いている。そうして愛乃はあることに気がついて学校へ向かい道で最後のコンビニの前で樹を呼び止める。
「あのさ、いつき」
「ん?」
「コンビニのパン、買わなくていいの」
「あ……」
忘れていたという風に樹。立ち止まり愛乃に言う。
「悪いちょっと寄ってくる。愛乃はどうする?」
「えーと、ここで待ってるよ」
「そうか、すまない」
愛乃の言葉に謝罪をして樹は一人コンビニへと向かう。
樹がコンビニに入ると見知った先客がいた。霧絵生徒会長である。
『今は話したくないな』
樹は思い気づかれないように遠回りをしようとすると逆に声を掛けられる。
「あれ、上月君?」
「……おはようございます」
しかたなく返事をする樹。
「おはよう。一人?」
「いえ、外に彼女を待たせてます」
「彼女って、あの?」
「そうですが、……何か?」
樹は昨日の気持ちを思いだし、僅かに語気を強めて言う。
「そう。なら後でいいわ」
生徒会長はそう返すとさっさとレジの方に行ってしまった。樹も手頃なパンを買い込みレジへ。
「待たせたな」
片手に傘、片手にコンビニの袋を持って樹は外で待っていてくれた愛乃に呼びかける。
「……うん、大丈夫」
「どうかしたか」
「なんでもない」
樹の言葉に愛乃は首を横に振る。
「そうか」
「うん」
「じゃあ行くか」
樹はそう言うとまた二人傘を並べて学校へと向かう。
『……何かあったな』
歩きながら考える。それが樹の見解である。さっきから愛乃の様子がおかしい。そして愛乃の体から怯えの臭いが嗅ぎ取れる。
『生徒会長だろうか?』
さっさと行ってしまった生徒会長の顔を思い出し、樹は漠然とした不安に囚われる。教室に着き愛乃と別れてからもその思いは消えることはなかった。
午前の授業は終わり、昼休みになった。樹は愛乃の席へと向かう。
「愛乃、めし食いに行くぞ」
「あ、待って今用意するから」
そう言って愛乃は鞄からお弁当を取り出す。樹は十分に待ってから愛乃に声を掛ける。
「ほら、行くぞ」
「……うん」
樹はどこか浮かない顔の愛乃を急かす。そして二人していつもの場所へ。互いに『いただきます』を言って食事を摂る。
「食欲がないみたいだな」
愛乃の様子を見て樹が言う。いつもなら樹よりも早く食べ終わるのに、愛乃の方はまだごはんが半分ぐらい残っている。
「うん、なんとなく」
樹が愛乃のそんな姿をぼんやり見つめていると愛乃は食べかけの弁当箱を閉じてしまった。それを見て樹が尋ねる。
「どうした?」
「うん……、少し痩せようかなって」
樹の言葉に愛乃はどこか遠くを見つめるようにそう言った。
「なんでさ」
「なんかね、このままじゃいけない気がして」
「まあしたいならすればいいさ」
「応援してくれればがんばれる気がする」
「応援は、しない」
樹は言う。
「なんでー?」
「とにかく、応援はしない」
樹はきっぱりと言った。
「してよ」
「やだ」
食い下がる愛乃と断固拒否する樹。
「どうして」
「秘密」
「いじわる」
そこで会話が途切れた。樹は沈黙の後ぼそりと言った。
「やめとけって」
「え?」
「やめとけ。どうせリバウンドで太るだけだって。いつもそうだったじゃないか」
樹の言葉に愛乃は頬を膨らませ反論する。
「今回は違うもん」
「どこがさ」
「いつきが、そばにいるもん。いつきのためなら、がんばれるもん」
「言ってて恥ずかしくないのか」
頬を軽く染めながら樹が言う。
「そりゃ恥ずかしいよ」
同じく頬を染めながら愛乃が返す。
「聞いてる方も恥ずかしい」
「でも馬鹿にされるのはいやなの」
「僕は馬鹿になんかしない」
「それは知ってるけど……」
「周りの人間か」
「……うん」
「……はぁ」
樹はため息をつく。なんで人の恋路に文句を付けたがるかなと思う。
「生徒会長に何か言われたか?」
「あ……わかる?」
「朝コンビニで会ったからな。何言われた?」
「ふさわしくないって。あなたは樹には似合わないって」
「……まったく」
樹は頭に手をやる。生徒会長も一体そんなことをして何が楽しいのやら。樹にはさっぱり理解できなかった。愛乃に言う。
「そんなこと、気にするな」
「気にするよ」
即答だった。樹もそれを理解していたからさらに言う。
「そうだろうな」
「まあ、ね」
愛乃は下を向いて答えた。またしばらく沈黙があって愛乃は小さくぼそっと言う。
「ねえ、太っているっておかしなことかな」
「僕はそんなこと思わない」
「いつきはそうだよね」
そういって愛乃は長い長いため息をついた。そんな愛乃に樹が呼びかける。
「愛乃」
「何?」
「手でも繋ごうか」
「……うん」
樹がそっと伸ばした手を愛乃は掴む。愛乃の手は柔らかく、そしてどこか冷たかった。熱量が足りてないなと樹は思い、それは実際にそうだった。今の愛乃からは熱が欠けている。
「あったかいね」
愛乃が言った。
「お前の手が冷たいんだ」
樹は返す。
そのまま予鈴が終わるまで二人はそうしていた。
放課後。愛乃が樹の所へやってきた。
「ごめんね、今日はいつきのこと、待てない」
軽く樹が問いただすと友人とカラオケに行く予定らしい。まあ友達とのつきあいも大事だよなと思い樹は了解する。
「ああ、いいよ。今日は遅くなる予定だし」
「ごめんね。また夜に電話するから」
「こっちこそわざわざすまないな」
「ありがと」
そう言うと、愛乃は待っていてくれた友人達の所へ向かう。樹はそんな愛乃の姿を見送ってから生徒会に向かう準備をした。
「失礼します」
いつものように生徒会室のドアを開ける。今日はもう自分のことは話題になっていないようだった。静かな生徒会室。今日は全員が出席する日だった。それを待つ間、樹は霧絵生徒会長に話しかける。
「朝は失礼しました」
「いいのよ、別に」
樹の言葉に手を軽く振る生徒会長。そんな軽い感じの生徒会長に樹は真面目な顔をして言う。
「それと愛乃に何か言いましたね」
「あの子、上月君に話したの」
首をかしげえる生徒会長。そんな生徒会長の目を睨むように樹。
「いいえ推測ですが。……当たりのようですね」
「まあ話したというか。ちょっとね」
生徒会長の言葉に樹は僅かに語気を強める。
「落ち込んでましたよ。あと痩せるって」
「そう、よかったじゃない」
「よくありません!」
樹は思わず大声で言ってしまって即座に後悔する。そして一呼吸置くと今度は感情を抑えて生徒会長に言い直した。
「あの、よけいなことは言わないでくれませんか」
「どうして?」
会長が首をかしげる。
「どうしても何も僕が誰を好きになったっていいじゃないですか」
「上月君、ああいう太った子が好みなの?」
「それは……」
「図星ね」
言い淀んだ樹に生徒会長の言葉が飛ぶ。樹はそれを振り払うように声を荒げる。
「どうでもいいじゃないですか」
「なるほどね」
「独り合点しないでください」
樹は弁明するが生徒会長は聞き入れない。逆に尋ねてくる。
「じゃあ、一体何なのよ」
「それは……」
また樹は言い淀む。生徒会長はそんな樹に問いかける。
「なんであなたたち付き合っているの?」
「……」
樹は答えられなかった。生徒会長は興味を無くしたように横を向く。やがて生徒会役員も集まってきて、会議が始まった。
――つつがなく会議は終わり、樹はそっと生徒会室を出る。外は雨がしとしとと降る中で樹は一人不機嫌でいる。なんで自分と愛乃は付き合っているんだろうという生徒会長の問いが頭の中から離れない。
『本当、何でだろうな』
改めて思うとひどく空白だった。さまざまな出来事があったはずだけど、樹にとってはすべて空白に思えた。空虚に感じた。ぼんやりと外を眺める。雨は相変わらず止まず、樹の気持ちをさらに沈み込ませる。
『早く帰ろう』
「上月君?」
樹はそう思って歩き出そうとしたところを霧絵生徒会長に呼び止められる。
「何ですか」
足を止め、樹。
「上月君は鈍いのかしら」
「何がですか?」
生徒会長の問いに樹は答える。
「あの子の臭いについて」
「……気にしたことはないですが」
樹は無関心を装って言う。けれども言葉とは裏腹に心臓がバクバクし始めるのを止めることは出来なかった。
「そう。だったら早めに言っておいた方がいいと思うんだけど……」
余計なことだと樹は思う。それはひどく、余計なことだ。けれど心臓の音は止まなくて、樹記は自分自身にいらつき始める。
「あの子臭いわよ」
「どう臭いんですか?」
「そりゃあ。ちょっと人には言えない感じの臭いかな」
「そうですか。僕にはわからないんですけどね」
平静を装った樹の返しに霧絵生徒会長が少し考え込む。
「……恋は盲目って奴かしら。でも早めに言ってなおした方がいいわよ。何かの病気かも知れないし」
「病気?」
樹の眉がぴくりと上がる。会長は慌てて手を振って言った。
「ごめん、可能性を言ったまで」
「……そうですか。ではこれで」
樹は頭を下げて生徒会長と別れた。
「……」
生徒会長に自分の感情を悟られただろうか。樹はそれがとても気になるがそれは問いただせないことだった。問いただせないから苦しいのであり、樹は疲労を感じ校舎の壁により掛かる。なんだかどっと疲れた。今日はどこにも寄らずに帰ろう。樹はそう決めると実際その通りどこへも寄らずに帰宅した。
家に帰って暇を潰した後に夕食を摂り、樹は何もする気がせず愛乃からの電話を待ちわびる。こっちから掛けてもいいかなと思い始めたころ、着信音が鳴った。樹は携帯電話を確認する。愛乃からだった。ボタンを押す。
「いつき?」
少し喉を枯らした愛乃の声が樹の耳に届く。
「ああ。愛乃、喉、どうした?」
「ちょっと歌い過ぎちゃって」
樹の問いに愛乃は明るく答える。
「そうか。それもダイエットの一環か?」
「うん」
「ちゃんとうがいはしておけよ」
「もうしたよー。そっちは?」
「特に何ともなし」
生徒会長とのやりとりは言えるはずもない。樹は愛乃にそう返す。
「そっか」
そしてそれからしばらくの間くだらない話をして電話は終わった。携帯電話を置いて樹はため息をつく。少し、いやだいぶ満たされた気分だった。やっぱり話すことは大事だと思い、そういえば似たようなことを誰が言っていたなと樹は思い、やがて決別した友人、進藤の顔を思い浮かべる。樹の心が少し冷たくなった。愛乃と付き合う過程で自分はどれだけの物を失っているんだろう。友人と自然にカラオケに行ける愛乃がひどく羨ましくなった。
「……」
こういう感情は良くないと押し殺して樹は眠ることにする。けれどもなかなか寝付けず、樹は何度も寝返りを打つ。考えまい考えまいとしているのだが、一人になるとどうして浮かんでしまうこと。
『何で付き合っているんだろう?』
樹は思い返す。それは自分のエゴから出たことだった。愛乃を独占したかった。愛乃の臭いを独占したかった。自分だけのものにしたかった。ただそれだけ。それだけのこと。
それが愛と呼べる物だろうか。樹は自分で自分がわからなくなる。そうしてそんなことを考えているうちにいつの間にか樹は眠りに落ちてしまっていた。