交渉2
ホテルはあらかじめ青年たちが予約を取っていた。
青年たちの話ではその街で一番警備が厳重で、一番高いホテルということだった。
「これはまた、宿泊費が高そうなホテルですねえ」
カルロが素直な感想を述べる。
目の見えないサラにはわからなかったが、一緒に着いてきたカルロから言わせると、ホテルの柱の装飾や調度品がすごいらしい。
その柱の装飾も調度品も、目の見えないサラにはわからないのだが。
サラは青年にホテルを案内される。
「ここが君の部屋だよ」
そう言って、青年がサラに示した部屋は、最上階のスイートルームだった。
部屋に入ると、靴の裏を通して厚い絨毯の感触がする。
どこからか水の流れる音がする。
部屋の中は温かく、どこからか花の香りが漂ってくる。
目が見えないながら、この部屋の一泊の宿泊費がかなりの額になることは予想がついた。
サラは隣に立つ青年を見る。
「こ、こんな高い部屋、とてもわたし一人で泊まる気にはなれません。兄さま、わたしはカルロさんたちと同じ部屋がいいのですが」
一緒に着いてきているカルロたちは、一階下にあるごく普通の部屋が割り当てられた。
サラが遠慮がちに訴えると、青年は声を立てて笑う。
「相変わらず控え目だな、オリガは。でも、遠慮することはないよ。このホテルの宿泊費は、すべておれ持ちだから。オリガは何も心配することないんだよ?」
目の見えないサラは、青年についてスイートルームを案内してもらう。
「ここにベッドがあって、ここにテーブルとソファ、あっちが暖炉。あちらがトイレと浴室で、隣の部屋が台所。こっちには衣装室、音楽室もあるよ」
青年に連れられて、サラは部屋を一つ一つ案内されてまわる。
部屋の中の物に手で触って実際に確認する。
整えられたベッドのシーツに手で触れていると、絹の肌触りにひそかに感動する。
「少し、座ってみてもいいでしょうか?」
サラが尋ねると、青年は快く応じる。
「どうぞ。寝転んでみてもいいよ」
「い、いえ、そこまでは」
青年の手前、遠慮する。
サラはそろそろとベッドに腰掛ける。
座るとふわりと沈む感触が心地よい。
すぐにでもベッドに寝転がりたい気持ちになる。
「こ、このベッド、ふわふわです。まるで水に浮かんでいるみたい」
サラは子どものようにはしゃぐ。
「こんな部屋に泊まれるなんて、夢のようです」
サラはベッドに腰掛け、うっとりとつぶやく。
「よかった。おれもオリガにそこまで喜んでもらってうれしいよ」
青年は少し困った顔で笑う。
その気配を感じ取り、サラは顔を赤らめる。
「す、すみません。はしゃぎ過ぎました」
子どものようにはゃいでいた自分が恥ずかしくなり、すぐに落ち着きを取り戻す。
普段使っているベッドはここまで柔らかくはない。
隣国に亡命してから、援助を受けて生活しているため、貧乏性になってしまった自覚はある。
故郷にいた頃は、ベッド一つにここまで感動しなかったような気がする。
仮にも元は財閥令嬢なのだから、人の目がある以上、節度のある対応をしなくてはならない、とサラは気を引き締める。
「兄さま、こんな高級な部屋にわたし一人が泊まっても、本当によろしいのでしょうか?」
サラは心配になって、青年に聞き返す。
青年は普段と変わらぬ笑みで応じる。
「遠慮することはないんだよ。ここはオリガのために取った部屋なんだから。オリガも隣国の慣れない生活で大変なんだろう? これは、おれからのささやかなプレゼントだよ」
青年の言葉に、サラは胸が熱くなる。
「あ、ありがとうございます、兄さま。こんなわたしなどのために」
「おいおい、何を遠慮しているんだい、オリガ。甥であるおれに遠慮する必要は、何もないんだよ? おれはいつだって君のことを大切に思っているんだから」
「アレクセイ兄さま」
サラは胸に手を当て、幸せな笑みを浮かべる。
「アレクセイ兄さまが、そんなにもわたしのことを思っていて下さったなんて。兄さまには、感謝の言葉もありません。せめて、わたしから何か恩返しが出来たらいいのですが」
青年は手を振る。
「気にすることはないよ、オリガ。おれも久しぶりに君の顔が見れてうれしいんだ。これくらい、大したことはないよ」
青年は目を細め、ベッドに座っているサラを見下ろしている。
「ありがとうございます、アレクセイ兄さま」
目の見えないサラは、青年の善意に素直に喜んでいた。
そのベッドが一人が眠るにはあまりに大きく、枕が二つあることには気付かなかった。