交渉10
「あ、あの、アレクセイ兄さま。わたしはアレクセイ兄さまに受けた恩を忘れたことはありませんし、これからも、出来る限りはアレクセイ兄さまのお力になりたいと思っています。けれど、今すぐにイストアに戻るつもりはありません。わたしは今の場所で、やりたいことがあるのです。だからイストアに戻るのは、もうしばらく待っていただけないでしょうか?」
素直な気持ちを口にする。
サラは青年に向かって頭を下げる。
青年は黙って頭を下げるサラを見つめている。
結局は青年が折れた。
「わかったよ。今回君を連れ戻すのは、諦めるよ。それに、政府にも口を利いてあげよう。今回の収穫は君の無事な姿が見れただけでいいことにするよ」
「アレクセイ兄さま」
サラはぱっと顔を上げる。
「ありがとうございます、アレクセイ兄さま」
サラは心の底からうれしくなる。
「よかったね、サラさん」
「よかったな」
「カルロさん、デイヴィッドさんたちのおかげです。ありがとうございます」
それぞれに肩を叩かれて、サラは破顔する。
先ほどの自分にされた仕打ちを忘れ、幸せな笑みを浮かべている。
「やれやれ、仲の良いことで」
溜息一つ。サラの笑顔を見ていた青年は、優しげに目を細める。
喜んでいるサラに近付く。
「あ~、オリガ。今回君を連れ戻すのはきっぱりと諦めるから、別の部屋でさっきの続きをしないかい? ラスティエに戻っても、忘れられない一夜になることは、このおれが保証するよ?」
小声でサラに耳打ちする。
青年とのその先のことを想像し、サラはぼっと顔が真っ赤になる。
「この期に及んで、まだサラさんを口説きますか。あなたは最低の男です」
サラが何か言う前に、エレナの冷たい言葉が投げかけられる。
青年がまるで悪戯を見つかった子ども様な顔で、エレナを睨む。
「君には関係ないことだろう。大事なのは、オリガの気持ちさ」
自信たっぷりにエレナに言い返す。
青年とエレナの間に火花が散る。
そこでサラは先ほど聞いたエレナの言葉の中に、気になったことがあることを思い出す。
「あ、あの、エレナさん。少しお聞きしたいことが」
青年と睨み合っているエレナに声をかける。
「どうしました、サラさん」
エレナはぱっと表情を変え、笑顔でサラに応じる。
サラはエレナに小声で耳打ちする。
「あの、先程兄さまのことを、女性に手が早いことで有名、と仰っていましたが、あれはどういう意味ですか?」
「あぁ、あの噂ですか」
エレナは青年を振り返り、冷笑を浮かべる。
青年は自分に都合の悪い空気を感じ取り、ぎくりとする。
「あれは、ですね」
サラに耳打ちする。
エレナの話によると、青年は夜会でサラと会う前から、多くの女性と浮名を流してきたこと。そしてサラが亡命してきた後も、数々の女性と付き合っていると言う噂が流れている、ということだった。
それを聞いて、サラは青年を振り返る。
「アレクセイ兄さま。兄さまがわたしも含め、女性にとても親切なのは十分に承知しておりますが、あまり親切にしすぎるのもどうかと、わたしは思います」
サラは頬を膨らませてそっぽを向く。
その一言を受けて、青年は返す言葉もないようだった。
「行きましょう、エレナさん」
サラはエレナと一緒に歩いていく。
「まあ、当然の結果よね」
エレナは青年を振り返り、せせら笑った。




