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交渉  作者: 深江 碧
10/14

交渉9

 嫌がるサラの頬に、青年が手を伸ばす。

「そうだよ、オリガ。おれの何が不満だって言うんだい? 確かに君を騙すような真似をしたけど、それだって君とゆっくり話がしたかったからさ」

 優しい声でささやく。

「へええ、サラさんを騙して同じ部屋に泊まらせ、そこでどんな話がしたかったのでしょうか。それはぜひお伺いしたいものですね」

 不意に険のある女性の声が響く。

 サラはその女性の声に聞き覚えがあった。

「エレナ、さん?」

 通路の先にエレナとカルロ、デイヴィッドの三人が立っている。

 その先頭には通訳者のエレナが腕組みをしている。

「私が、もっと早く気付けば良かったのですね。そうすれば、少なくともサラさんが怖い思いをすることもなかったのに。イストアの財閥副総帥のアレクセイ、と言えば女性に手の早いことで有名ですものね。いくら目が見えないとはいえ、若く美人のサラさんを放っておくことは、あなたならまずありませんものね」

 エレナはつかつかと男たちのそばをすり抜け、扉のそばにいる青年の前で立ち止まる。

「むしろあなたにとっては、サラさんの目が見えないのも好都合。彼女を騙して同じ部屋に泊まり、手籠めにしてしまえば彼女を連れ戻す目的を達成できる、と思っているのでしょうね? でも、残念。ことはそんなに上手く運ばないものよ?」

 眼鏡の奥から鋭い眼差しで青年を睨む。

 エレナは腰に手を当て、鼻で笑う。

「そんなことは、こっちもお見通しって訳。逆にサラさんを囮に使って、あなたをおびき出したとは思わなかったのかしら? あなたとしてはことを上手く運んだつもりだっただろうけれど、部屋に盗聴器が取り付けてあるとは思わなかったのかしら? もしその盗聴器に、あなたが目の見えないサラさんに無理に迫るような会話が録音されていて、それを暴露されたら、あなたの醜聞として財閥内でのスキャンダルになるんじゃないかしら?」

 青年は顔をしかめる。

「怖いご婦人だ」

 苦笑いを浮かべ、ぽつりとつぶやく。

「何とでもお言いなさい。これも交渉手段の一つですから。女性に対して後ろめたいことをする方が悪いのです」

 追いついて来たカルロが遠い目をする。

「わ~、エレナさん、生き生きしてるなあ。さすが大の男嫌い。でもそれ、ぼくが盗聴器を設置しようと提案したのだけど」

 カルロはそう言って、バスローブ姿のサラにコートを掛ける。

「ごめんね、助けに来れなくて。サラさん、怖い思いしただろう? でも、これには事情があってね」

 サラは掛けられたコートの裾をつかむ。

 カルロの方を見る。

「女とは怖いものだな」

 デイヴィッドも呆れたようにつぶやく。

 ――え? 盗聴器?

 そこでようやくサラは気が付いた。

一通りの会話を聞いて、赤面する。

すると、部屋での会話は、すべてカルロたちに筒抜けだった、と言うことだろう。

急に恥ずかしくなる。

両手で顔を覆う。

扉にもたれかかっていた青年は溜息を吐く。

「それで、君たちの目的は何なのかな? おれを脅してまで、何も知らないオリガを囮にして、君たちの方がよっぽど悪人だと思うけれど。君たちにはそこまでして、達成したいことがあるのだろうね」

 青年のその言葉に、カルロがこほんと一つ咳払いして、前に進み出る。

「我々の目的は、一つです。あなたに、イストア政府に働きかけてもらい、ラスティエ教国との和平交渉を実現してもらうように頼みたいのです」

 青年は扉に背中を預け、黙っていた。

 考え込むように顎に手を当てている。

「財閥を通して政府への口利きを頼むには、おれの醜聞だけじゃ安いと思うよ。せめて、オリガを帰郷させる約束ぐらい取り付けてもらわないと」

 急に話題を振られ、サラはぎくりとする。

「サラさんを?」

 カルロ、エレナ、デイヴィッドの視線がいっせいに自分に集まるのを意識する。

「わ、わたしは」

 急に話を振られ、サラは困ってしまう。

 そばにいたエレナが忌々しげに舌打ちする。

「嫌がるサラさんを無理に手籠めにしようとしたくせに、よくもいけしゃあしゃあと。この●●男」

 それはひどいスラングだったので、下町の生活が長かったサラでさえ、聞いたことの無いひどい悪口だった。

 サラは冷や汗を流す。

「ん? 何だって?」

 青年は意味こそわからなかったものの、エレナに不快感をあらわにする。

 険悪な雰囲気になった場を、サラは何とか取り持とうとする。

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