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呪い

 目を覚ましたのはまだ日が昇り始めたばかりの事だった。

 薄暗い部屋の中、私は寝そべったまま目だけで室内を見渡し、異常がない事を確認すると大きく息をついた。


「……夢か」


 我ながら慰めにもならない事を自己暗示のように呟いて、ごろんと寝返りをうつ。

 あんな生々しい体験が夢だとしたら悪夢にも程がある。起きても色あせない悪夢など下手な現実よりも厄介だ。


 あの時あの女は確かにこの部屋に存在し、確かに私を探していた。

 探し出して何をするつもりなのかは分からないが、あの怨嗟のこもった目からして愉快なことではないだろう。

 とりあえず今日のところはお帰り下さったようだが、さてこれからどうすべきか。

 そんな事を考えながらベッドから起き上がった瞬間、私は身の毛もよだつという感触がどんなものなのかを思い知らされた。


「……何で?」


 部屋の中央。あの女が消えた場所に祖母のくれた人形が立っていた。

 慌ててガラスケースに視線を向けるが蓋が開いた様子すらない。だというのに、人形は勝手に移動して、こちらをジッと見つめている。


「……ッ!?」


 一ノ宮さんに似た優しげな人形。その目が途端に恐ろしいものに見えた。

 祖母のくれた私を守ってくれるはずの人形が、何者よりも恐ろしい刺客に見えた。


 だから私は人形をガラスケースに戻すことすらできず、ただ逃げるように自室からリビングへと移動した。



 家族に不審に思われながらも私は何とか自室に戻り着替えを済ませると、やはり人形に触る事はできずそのまま大学へと来ていた。

 前日に治っていたはずの頭痛と気分の悪さは再発し、むしろ悪くなって着る気がする。その原因はあの女だと、私は直感的に悟っていた。


 恐らく昨日一ノ宮さんが言っていた「よくないもの」というのはあの女の事だ。

 一ノ宮さんは本体では無く思念のようなものだと言っていたが、あの女の存在感からしてそんな可愛いものでないのは明白。アレは明確な悪意を持って私の下へとやって来ていた。

 思念を祓われて本体が来た。そんな所なのかも知れない。

 だとしても、私はどこであんなけったいなものの思念を拾ってきたのか。それが分からなかった。


「……人形」


 あの人形があの女の寄り代のようなものだとしたら、そこまで考えて私は首を振った。

 あの人形をくれたのは祖母だ。祖母が私にあんな危険な女が憑いたものを渡すはずがない。


 ないはずだ。


「……まさかお爺ちゃん?」


 一度だけ、聞いた事がある。

 息子しか居なかった祖父は孫娘の私をいたく気に入っており、幼い頃からこれでもかと甘やかしていた。そして祖母は、そんな祖父を嗜め、時に私に苦言を呈していた。

 祖父を愛していた。今でも誰よりも愛していた祖母は、私に嫉妬していた?


「まさか」


 そんな想像、祖母に失礼だ。今回の件に人形は関係ない。私は無理矢理そう思い込んだ。


「……一ノ宮さん居ないなぁ」


 さて。状況が分からないなら調べるしかないのだが、調べようにも当てがない。

 故に一番この手の事に詳しそうな一ノ宮さんに話を聞こうとしたのだが、どういうわけか今日に限って姿が見えない。

 携帯の番号は知らない。学部が違うので緊急に連絡を取り合う必要がなかった上に、学外で連絡を取り合うほど仲が良いわけでもないから。


「佐倉さん」

「え?」


 不意に声をかけられて振り向けば、そこには五十嵐さんの取り巻きの金髪が居た。

 どこか調子でも悪いのか、どこか白い顔に眉間に皺を寄せてこちらを見ている。


「昨日の話しの続きなんだけど……」

「私は話す事はないよ」


 すげなく断わりさっさとその場を後にする。

 ただでさえ気分が悪いのにこんなやつを相手にしたくない。


「待てよ!」


 だというのに、金髪は私の肩を掴むと無理矢理正面に立った。


「何で生きてんだよ!」

「……は?」


 何を言っているのかこいつは。

 そう思いながら顔を見上げて私はすぐに後悔した。


「死ななきゃダメだろ。おまえは死んでなきゃダメだろ!?」


 金髪の目は私を見ているようでどこも見てはいなかった。

 遠くを、ずっと遠くを見ているみたいに視点は虚ろで、なのに私をじっと見つめているというわけの分からない目。

 その血走った目を見て、私は昨日の女を思い出し思わず身を竦めた。


「おい! 何やってんだ桐生!?」

「おまえ五十嵐さんに――」


 偶然通りかかったのか、それとも最初から見ていたのか、他の五十嵐さんの取り巻きが現われ金髪を私から引き剥がしにかかる。


「うるせえ! こいつは死ななきゃいけないんだよ!『イブキ』は死ななきゃなんないんだ!」


 イブキ。

 名を呼ばれた瞬間、私は嫌な視線を感じた。


「……」


 それとほぼ同時、金髪の動きが止まり私から視線を外すとあらぬ方向を見つめ始めた。

 その視線を追い、私は夏の暑さも忘れ体を凍りつかせた。


 ――イブキ。


 あの女が、昨日部屋に現れた赤い着物の女が居た。

 そこに居るのが当たり前みたいに、学舎の間を通る道の上をゆらゆらと揺れながらこちらへと歩いてきていた。


「……はは……ははははははははははは!」


 急に、金髪が壊れたように笑い始めた。

 その声は機械みたいに平坦で、だけど口はこれ以上ないくらい歪んでいて、大きく見開いた目からはとめどなく涙が溢れていた。


「おい桐生? 桐生!?」

「だれか救急車!」


 周囲がにわかに騒がしくなる。

 しかし私はその騒ぎを長く見ている余裕は無かった。


 ――イブキ!


 着物の女が、大きく体を揺らしてこちらへ真っ直ぐ近付いてきている。

 昨日の夜とは違う。完全に「見つかった」と本能的に理解した。


 逃げないと、逃げなくてはならないと分かっているのに、私は女の長い黒髪の隙間から見える赤い目に見込まれて動く事ができなかった。

 どんなに体に力をこめても、金縛りにあったみたいに動かない。


 ――イブキ!


 女はあと五歩もすれば手の届く位置まで来ている。だけど逃げられない。

 もうダメだ。そう思ったとき――


「佐倉さん!」


 ――誰かの声が聞こえて、気付けば私は手を取られて引きずられるようにその場を後にしていた。


「五十嵐……さん?」


 私の右手を握って走る人。その後姿はどう見ても五十嵐さんのものだった。


「佐倉さん正気に戻った!?」

「は、はい」

「ならこのまま走って! 質問は後!」


 そう言い放つと五十嵐さんはさらに走る速度を上げ、引きずられる私も慌てて足に力を入れた。

 もう何が何だか分からない。しかし不思議な事に、あれほど五十嵐さんに感じていた不快感を覚えなかった。

 もっとも、その事に気付いたのは全てが終わってからだったのだけど。

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