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 翌日。珍しく昼間に出掛けると、食料品や雑貨を買い込み、大通りに面したカフェテラスで一息つく。足元に大量の荷物を置き、コーヒーを注文すると、後から来た女が俺のテーブルに来て愛想よく笑った。

「同席してもいいかしら」

「……いいですけど」

 昼下がりのカフェテラスは程々に混んでいて、ほとんどのテーブルが埋まっている。俺は以前フィリップから言われたことを思い出し、渋々頷いた。

 『こういう場面では否と言ってはいけません。いつ依頼人として来るかわからないのですから、いつでもどこでもお行儀良く愛想良く……』

 同席は許すが、愛想までは勘弁してもらおう。いくら『サービス業の鉄則』だと言われても、見ず知らずの女に愛想を振り撒くのもどうかと思うしな。

 女は俺の向かいに腰掛けると、ボーイを呼んで自分もコーヒーを注文する。

「人と待ち合わせをしているの。あなたは?」

 年の頃は二十代後半か。上等の生地であつらえた裾の広がったドレスは最近流行のもので、身に付けたアクセサリーも高そうな細工だ。しかし、それら全てを中身が裏切っていた。確かに美人ではあるが、身体に染み付いた『匂い』が庶民だ。女は一瞬値踏みするような目で俺のことをひと舐めすると、視線に露骨な『媚び』を含ませた。こういう視線は見慣れている。夜の街中で街灯の下に立って客を取る女が男を物色する時の目だ。身支度を見る限りでは上流階級のように見えるが、物好きな金持ちに気に入られて買い上げられたのかもしれない。

「買い物袋が重かったんで、ちょっと一休みを」

 無視するわけにもいかないので、俺は仕方なく答える。別にどんな商売だろうと気にはしないが、興味も無い。それに、やっぱりああいうのは夜が似合う。俺の言葉に女はテーブルの下を覗き込むと、目を丸くして笑った。

「凄いわね。そんなに入るなんて大きな冷蔵庫!」

「食べ盛りだからね」

 俺は肩をすくめ、運ばれて来たコーヒーに口をつける。しかし、すぐにコーヒーを注文したことを後悔した。

「……紅茶にすれば良かった」

 やっぱりコーヒーはフィリップの淹れてくれたものに限る。そうと決まれば早いとこ店を出て帰ろうと思い、立ち上がると、ちょうどそこへ若い男がやって来た。女を見て嬉しそうに手を振り、すぐに俺の存在に気付く。こんな所で痴話喧嘩に巻き込まれるのはごめんなので、俺はボーイに金を渡してさっさとテーブルを離れた。すれ違いざま、男が俺を不審げに睨む。恋人との待ち合わせ場所で他の男に色目を使うような女では、確かに男も不安であろう。俺は寛大な気持ちでその視線を無視した。


 家に着く頃には日はすっかり暮れかけていた。見上げた窓にはカーテンがひかれ、わずかな隙間から照明の黄色い光が漏れている。誰かが待っている家に帰るのはいい。心が温かくなる。ご機嫌でドアを開けると、ホッとした顔のフィリップが出迎えた。

「おかえりなさい、蒼。珍しいですね、昼間に買い物に行くなんて」

「まったくだよ。お陰で最悪な目に遭うとこだった」

 危うく痴話喧嘩に巻き込まれそうになった話をすると、フィリップが楽しそうに笑いながら俺のカップにコーヒーを注ぐ。俺はそれを受け取ると、さっそく一口飲んで満足の溜息をついた。

「やっぱりフィーの淹れてくれたコーヒーが一番だよなー。俺は今日、つくづくそれがわかったよ」

「それは良かった。もう他所でコーヒーを飲もうなんて考えないことですね」

 フィリップはまんざらでもない顔でそう言うと、自分もコーヒーを口に含んだ。

 奴が何か物を食べるところを俺は見たことがない。いつも食事を用意するが、作るのは俺の分だけで、自分は付き合いでコーヒーを啜るだけだ。しかし、俺はあえて聞かないでいる。『なんで食べないのか』も、『いつ食べているのか』も……。

「ところで、今日の依頼あった?」

「それが……」

 途端にフィリップが言い淀む。俺は視線を上げてその顔を見た。

「先ほど、昨夜のブリンゲルさんからお電話がありまして……」

「へえ」

 もしかしたら彼女に真実を伝えてフラれたのかもしれない。もし苦情だったらどうしようかと一瞬思ったが、それはそれでいいではないかと思い直す。ブリンゲルの心の中から彼女の存在を消してしまえばいいのだ。それこそが俺の本来の『仕事』なのである。しかし、フィリップの言葉はまったく違うものだった。

「それで、結局結論が出ないので、蒼から彼女に言ってもらえないかと……」

「はあ?」

 それははっきり言って専門外だ。そう言うと、フィリップも渋い顔で頷く。

「わたしもそう言ってお断りしたのですが、今夜彼女を連れてここへ来るとおっしゃられて……」

「はあッ?」

 俺は素っ頓狂な声を上げると、慌てて窓から外を見た。辺りは既に真っ暗で、凍てついた石畳の上を行き交う人々を街灯のほの白い光が照らしている。その中にブリンゲルらしき人影が見えないのを確認して、俺は大急ぎでカーテンをしめた。

「今日は定休日にしよう!」

「もう『はい』とお答えしてしまいました。七時のお約束ですので、もう来る頃です。わたしはちょっと出掛けて来ますので、あとは蒼お一人で……」

 俺はフィリップを振り返り、キッと瞳を険しくする。

「俺を独りにするのかッ」

 恨みがましい目で睨むと、フィリップは困ったように俺を見返してから小さく溜息をついた。

「では残りましょう。隣の部屋で聞いておりますので、何かあったら大声を出してくださいね」

 フィリップはそう言うと、さっさと部屋を出て行く。それを待っていたかのように、呼び鈴が来客を告げた。

「今晩は、ミスター蒼」

「今晩は、ブリンゲルさん。それに、えーと……」

 俺はにこやかにブリンゲルに挨拶すると、彼の後ろに控えている女性に視線を向ける。ブリンゲルは半身を反すと、その女性を俺に紹介した。

「ミス・ソフィア。私の大切な人です」

 俺はその瞬間、我が目を疑う。それは紛れも無く、昼間カフェテラスで同席した女だった。

「こ……今晩は、ミス・ソフィア。ようこそ」

 俺は慌てて挨拶すると、二人を中へ招き入れる。ソフィアは俺に気付かないのか涼しい顔で会釈すると、羽織っていたコートを脱いで俺に手渡した。

「初めまして、ミスター。突然お邪魔してしまってすみません」

 俺は慌ててそれを受け取り、ハンガーに掛ける。振り向いた瞬間、目が合ったソフィアがフッといたずらっぽく笑って囁いた。

「素晴らしいご縁ね」

 『ご縁』なんてもんじゃない。俺は浮気現場に居合わせてしまったのだ。しかし、そんなことなど知らないブリンゲルは上機嫌だ。勧めないうちからソファに腰掛け、自分の隣に彼女を呼ぶ。

「ソフィア、ここへ座りなさい」

「ええ。ありがとう、貴方」

 嬉しそうなブリンゲルと、淑女のように微笑む女を見比べ、俺は胸が悪くなる。もう既にフィリップに助けを求めたかった。すると、何やら鼻を動かしたブリンゲルが俺を見て意味ありげに笑う。

「おや、今日はいらっしゃるのですね。あなたの『お友達』は?」

 そんなことまでわかるのかと思い、俺はちょっと鼻白む。しかし、それへは答えずに二人の向かいのソファに腰掛けると、用件を尋ねた。

「それで、今夜の用件は何でしょうか? 彼女には?」

 もう話したのか、と暗に問うと、ブリンゲルが慌てたように激しく首を横に振る。

「まだ話しておりません。よく考えてみましたら、こんなことをお願いできるのはあなたしかいないと気付きまして、こうして参上した次第で……」

「はあ……」

 俺は言葉と共に大きな溜息を吐き出す。まあ、確かにこんなことを他の奴には頼めないだろう。『自分は実は吸血鬼なんです』とか、『彼女に子供を産ませることが出来ないから彼女とは結婚出来ないんです』とか、『でも彼女に嫌われるのは嫌だから彼女の記憶から消えてしまいたいんです』とか。

 すると、突然ブリンゲルが身を乗り出して、とんでもない事を言い出した。

「実は、彼女と結婚することになりまして」

「はあッ?」

 俺の素っ頓狂な声に、目の前の二人が同時に慌てる。

「本当です! 昨夜、彼女と婚約をしまして!」

「本当よ! 昨夜、彼と婚約をしたの!」

 俺は目を丸くして、仲良くハモる二人を交互に見る。『じゃなくて、まず彼女に本当のことを話すのが最初だろう!』とか、『女! 昼間の男とは別れたんだろうな!』と突っ込みたいところをグッと堪えると、俺は軽く咳払いした。

「それは良かったですね。おめでとうございます」

 果てしなく迷惑だ。迷惑を通り越して公害だ。なんで俺がこんなくだらない事に巻き込まれなければならないのかと、ひとり自分の不幸を嘆いていると、ブリンゲルが突然立ち上がって拳で手の平をポンと叩いた。

「手土産を忘れておりました。車の中に珍しいワインがあるんです。すぐに持って参りますので」

 そしてそう言うと、止める間もなく足早にドアから出て行く。俺はソフィアを振り返ると、慌てて尋ねた。

「昼間の男はッ?」

「……別れたわ」

 ちょっと躊躇った後、ソフィアが小声で答える。俺はその言葉にとりあえず安堵の溜息をついた。

「本当に結婚するのか?」

「彼を愛しているわ」

「彼のお金を……じゃなくて?」

「……彼の全てを愛しているわ」

 俺の突っ込みに、彼女が本音で答える。まあいい、どこの夫婦もそんなものだろう。問題はもっと深刻な部分にある。

「彼は子供が作れない体質だ。そのことで彼はずっと悩んでいた」

 嘘ではない。かなり話を略したが、これが一番重要なことだ。すると、彼女は一瞬目を丸くしてから、すぐに破顔して頷いた。

「一人いれば十分よ」

 そして、自分の腹を手の平でさする。

「彼の子だと言って産むわ」

「あの男の子か!」

 俺は手の平で顔を覆い、思わず天を仰ぐ。もう、何をどうしろと言うんだ!

 そこへ、車へワインを取りに行っていたブリンゲルが戻って来る。ソフィアは軽く咳払いすると、にこにこ微笑みながら口を開いた。

「ねえ、貴方。実は貴方にお話があって……」

「ワアアアアッ!」

 俺は慌てて声を上げ、彼女の言葉を遮る。俺のただならぬ様子を見て、ブリンゲルが眉をひそめた。

「どうしたんです、ミスター蒼?」

「どうしたの、ミスター蒼?」

 二人同時に尋ねられ、俺はがっくりと項垂れる。誰でもいいからもう助けてくれ。俺は一瞬の躊躇いの後、意を決するとブリンゲルに言った。

「ブリンゲルさん。やっぱり俺は、彼女にはちゃんと話した方がいいと思うんですけど」

 それを聞き、ソフィアもぶんぶんと大きく何度も頷く。

「そうよ貴方。何でも話して頂戴。私達、もう夫婦も同然でしょう?」

 彼女の言葉に、ブリンゲルが一瞬不思議そうな顔をする。そして、次の瞬間何を思ったのか突然目を輝かせると、俺の手をギュウッと掴んで打ち震えた。

「それでは彼女に言ってくださったのですねッ?」

「いやっ……あの……伝えたっていうか、伝えてないっていうか……」

 俺はしどろもどろになって答える。言うには言ったが、全然言ってないといえば言ってない。そう、肝心なことは何ひとつ。しかし、喜びで有頂天になっているブリンゲルには俺の言葉など聞こえていなかった。ガバッとソフィアを振り返り、その身体をひしと抱き締める。

「愛しているよ、ソフィア!」

「愛しているわ、貴方!」

 もう俺の介入できる余地は無さそうだ。事態は更に悪い方へと着々と向かっている。

「それではもう帰ろうか、ソフィア」

 たっぷり愛を確かめ合ったのか、それとも家に帰ってからもっと確かめたくなったのか、ブリンゲルはそう言うと、持って来たワインを俺に差し出した。

「これはあたなに差し上げます。お友達と一緒にお飲みください。きっとお友達も気に入りますよ。なにしろ極上のワインですからね」

 俺はその赤ワインを受け取り、礼を言う。ブリンゲルは戸口でコートを着込むソフィアを甲斐甲斐しく手伝うと、彼女に続いて玄関を出ながら、俺を振り返って微笑んだ。

「感謝します、ミスター蒼。さっそく今夜、彼女の首に『印』を付けますよ」

「しるし?」

 俺は意味がわからずに聞き返す。しかし、ブリンゲルはそれには答えずにウィンクすると、上機嫌で出て行ってしまった。

「蒼……」

 すぐに隣室からフィリップが現れ、彼等が帰ったのを確認する。そして、俺の持っているワインを見ると、微かに眉をひそめて言った。

「飲まない方がいいですよ……後で後悔したくなければね」

 せっかくの極上ワインを、と思ったが、俺はそれをフィリップに手渡す。フィリップはそれを受け取ると、勝手口から外へと放り投げた。


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