ガール・ミーツ・エスピオナージ
◆◆◆◆A.D.2019 11/03 PM11:15◆◆◆◆
医務室というものは何故こんなにも白という色を基調とするのだろうか。もっとカラフルにしてもいいんじゃないかと思うのに。そんな取り留めもないことを考えながら、人気のない医務室でヨウコはただただ時間を潰していた。
聞こえてくるのは医療器具の立てる機械音と、人工呼吸器の隙間から漏れてくる微かな呼吸音だけだった。日中に運び込まれたまま意識の戻らぬドクターフリープライスの見張り番を、ヨウコは引き受けていたのである。
もちろん無益に時間を過ごしていたわけではない。呆れることにヨウコは、医務室という命を救う場に置いて、爆破工作に使う仕掛け爆弾をこつこつと組み上げていたのだった。
密林の中に仕掛けるトラップと違って、偽装された仕掛け爆弾というものは別の意味で奥が深い。日常に存在する様々なものを利用して爆弾を製作するのだ。
ヨウコ自身は自分を傭兵でありゲリラでありまごうなきテロリストではあると自負しているが、それでも無差別な爆破というものは好んでいない。
どうせやるならスマートに。可能な限りターゲットのみを死傷させる。そこに仕掛け爆弾の醍醐味がある。ならば偽装する対象も確実にターゲットだけを仕留められるものにしなければならない。
そういった意味でポピュラーなのがターゲットの車に仕掛ける爆弾や、ドアの鍵穴に連動するように仕掛ける爆弾だった。鍵が回されると同時に爆発するようにしておけば、ほぼ確実にターゲットを殺傷できるからである。
今回組み上げている爆弾は、水道管に偽装された爆弾だった。ある一定以上水が流れると回路が繋がり通電して爆発するという仕組み。もちろん遠隔操作で爆破することも出来る。旧政府軍を支援する、ある科学者を殺害するために製作している爆弾である。
エクアドル国内ではなく中米ホンジュラスに住居を構えるその科学者は、旧政府軍のサイボーグ部隊のメンテナンスを一挙に引き受けている重要人物であり、彼を暗殺できれば旧政府軍に少なくない打撃を与えることが出来る。
未だ計画段階ではあるが、科学者暗殺のための爆弾の製作を上層部がヨウコに依頼してきていたのである。
ブーステッドであるヨウコの価値は非常に高い。あらゆる爆発物やトラップ、重火器からBC兵器(化学兵器)のノウハウまで持っているヨウコは、戦闘のみならず暗殺やサボタージュといった場面でも重宝される。
爆弾の製作自体はヨウコも嫌いではない。丹精を凝らした爆弾やトラップが考えたとおりに発動し成果を出せば、とても嬉しい。また、それらを発見され解除された時は悔しさと共に更なるやる気もみなぎってくる。生来の負けず嫌いの気質故に困難であればあるほど燃えてくる。実に質の悪いテロリストの意識。
コードを繋ぐ。回路を埋め込む。特製のアンテナ回路と水流センサー。さらに大量のダミーコード。解体しようとした誰かが触れるだけで起爆するトラップ回路。様々なものを組み合わせたそれは恐らくヨウコ以外には理解できない世界で最も複雑な水道管といった代物に変貌してゆく。
ふと、布ズレのような音。ベッドに寝かされているフリープライスの身じろぎ。昏睡状態に陥っていたフリープライスの意識が覚醒し始めていることをヨウコは悟る。
「目が覚めた?」
ヨウコ。視線すら向けずに声をかける。返礼はマスク型人工呼吸器からのくぐもった声。掠れているためにとても聞き取りづらい。“ミダス”の集音機能を発揮させフリープライスの言葉に耳を傾ける。
〈ここは、どこだ……〉
未だ身体に力が入らないのか、視線のみを動かすフリープライス。何とかヨウコの声に反応し、そちらに目を向けると、驚愕したかのように目を見開く。もちろんヨウコはその表情を見逃してはいなかった。
「やっぱり、あなたは、これが何か、わかるんだ?」
黙々と爆弾を組み立てながらフリープライスに目も向けず呟く。
端から見れば単なるパイプと機械部品を組み上げているようにしか見えない作業。それを一目で爆弾製作と見破ったフリープライス。ヨウコの目論見通りに。
「単なる医者じゃ、ないとは、思って、いたけど。出身は、どこ? ユーロ? ロシア? アメリカじゃ、なさそう、だね」
途端に口を噤むフリープライス。間違いなくこの少女はこれを狙ってここで爆弾を組み立てていたと気づく。自らに探りを入れていると思われる少女の手練手管に舌を巻く。これ以上の情報を渡さないための沈黙。今の表情のままカジノに行けばそのまま連勝して帰ってこれそうなほどのポーカーフェイスに。
「なるほど、ね。ロシアから、来たんだね。という、ことは、対外情報庁? それとも、連邦保安庁? わざわざ、ここまで、FSBが、来るとは、思えないし、SVR、だよね?」
フリープライスの更なる瞠目。一瞬にして見破られた沈黙及びポーカーフェイス。自分は一言も口に出していないことから少女が嘘発見器を使用しているわけでもないことに戦慄。目の前で床に座り込みながら黙々と爆弾を組み立て続ける少女がまるで得体の知れない怪物か何かのように思えてくる。
「それにしても、運が、良かったね。ヘリごと、撃墜、されたのに、こうして、生きている、なんて」
何とも辿々しい英語。出来る限り一言一句正確に発言しようとしている努力が見て取れる。しかしフリープライスにはそれすらも計算し尽くされた演出なのではと思えてしまう。
見た目は可愛い子供だが、中身はとんだ怪物だ。諦めたように嘆息。
〈君は“兵士”だな?〉
投げかけられた言葉にヨウコの眉がぴくりと動く。
フリープライスはヘリの墜落時の負傷により気絶した後、初めて意識を取り戻したのだ。その状況でヨウコを“ソルダーオ”の人間だと断定する。果たして一体どんな思考展開があったのか、ヨウコの胸中で興味がむくりと沸いてくる。
〈なに。そう大したことではない。私達の乗っていたヘリは“ソルダーオ”の防空システムによって撃ち落とされたのだ。目が覚めた際に君のような物騒な人間がそばにいたら、カルテルと通じているFARCか、攻撃を仕掛けてきた“ソルダーオ”のどちらかしかないだろうと判断しただけにすぎない〉
いきなり饒舌になるフリープライス。人工呼吸器を装着したままのくぐもった声。普通なら伝わるとは思わないはず。しかし彼の視線は鋭くヨウコを貫いている。まるで“ミダス”で聴き取っていることがわかっているかのように。
〈訊きたいことがある〉
フリープライスの視線がさらに細く鋭くなる。断頭台の刃のように鮮烈な視線。銃火の下に命を晒し続けた人間にしか出来ない視線だった。
〈ヨシオカはどうなった?〉フリープライス。まるで威嚇するかのように。「死んでた」ヨウコ。自分の首を斬り落とすであろう断頭台にも決して怯まない、剃刀のようなクールビューティ。〈積み荷は?〉フリープライス。さらに鋭くなる眼光。威圧感を増す一言。「全て、回収、させて、もらったから」ヨウコ。正面から睨み返す。〈品物も、か?〉フリープライス。これが本題とでも言いたげ。「コカイン、だよね? 回収、したよ」ヨウコ。決して退かず。エクアドルでの鉄則―――奪われたヤツが間抜け。返すつもりなど毛頭無い。
〈違う、それじゃない〉
しかしフリープライスは否定。未だ動きの鈍い身体に鞭を打ち煩わしげに呼吸器を外す。そのまま噎せ込みながらもヨウコに問いつめる。
「カーゴ内の座席の下の収納ボックスに金属製の黒いケースがあったはずだ。電子ロック付きのだ。そいつはどうなった?」
その言葉に記憶を探る。座席の下。確かあの座席は、ちょうどいい置き場所だとばかりにアレハンドロが死体をその上に積み重ねていたような―――
「それには、気づかなかった、かも。まだ、あのヘリの、中……」
ここに来て初めて動揺を露わにしたヨウコの声。威圧どころか殺気まで込められたフリープライスの視線に言葉が詰まる。
そんなヨウコを尻目にフリープライスは舌打ちひとつ。痛む身体に鞭を打ち無理矢理起き上がる。腕に刺さっていた点滴針を自ら抜き、身体中に取り付けられていたプラグ類を一つ一つ外してゆく。
「言って、おくけど。あなたは、開放性、腹腔静脈損傷による、大量出血、及び、小腸損傷、の重傷だよ。外科手術と、医療用ナノマシン、による、修復措置を、取ったけど、いま無理をすると、死ぬからね」
「手篤い治療を感謝する。しかしそれでも行かねばならない。ヨシオカが持ち出した“アレ”を何としてでも回収しなければならないのだ」
「とりあえず、すぐには、誰かの、手に渡らないように、してきたけど? 周囲一体を、高性能爆薬による、トラップゾーンに、しておいたし。きっと、何も持ち出せずに、ヘリごと、吹っ飛ぶと、思うけど」
「な、に……?」
ヨウコがヘリの周囲に仕掛けたトラップゾーン。アレハンドロに火星にまで吹き飛ばすつもりかと言わしめた、殺傷力過多のキルゾーンである。
墜落したまま原形を保っているヘリを疑似餌に見立て、接近してきた人間を加圧感知式の非殺傷ブービートラップが襲う。そして残りの人間がトラップによる負傷者の救出を行うか逡巡している間に、計15kgもの高性能爆薬により周囲一体ごと吹き飛ばすという、実に底意地の悪い代物になっていた。
フリープライスの表情が変わる。一瞬にして焦燥の色が駆けめぐる。「ничегосебе」初めて漏れたロシア語。そのまま無理矢理ベッドから降りようとする。バランスを崩して転げ落ちる。ヨウコの即応。フリープライスを受け止めるのではなく制作中の爆弾を一瞬で避難。受け身も取れず落下しながらも、必死の視線でヨウコを見据える。先程までの威圧感など消え失せ、そこにあったのは焦燥の色である。
「何と言うことだ……。あれを……。あれを爆破するだと……? どうなるかわかっているのか!?」
「どうした、の? SVRの、極秘資料でも、入ってた?」
「そんなものではない。もっと最悪な事態を引き起こす代物だ。あれをここエクアドルで爆破などされれば、それこそ世界にどれだけの影響を与えるものか想像もつかないほどのものだ!」
「最悪って。大袈裟、だよ。まさか、核爆発でも、起こるわけじゃ、あるまいし」
「いいや。まさに“それ”が起こるのだ!」
「え――?」
ヨウコの絶句。予想外の言葉に思考が止まる。信じられないものを見るかのようにフリープライスに視線を送る。先程の言葉を脳内で再度反芻する。“核爆発”。ありえない。ありえてたまるものか。如何にここエクアドルが“実験戦争”とまで呼ばれる戦場だからといってそう簡単に核爆発など起こされては――――
「ええと。嘘、だよ、ね?」
堪らず口から漏れる。嘘であって欲しいとの願望。しかし残酷なことにヨウコは“ミダス”によって心音と呼吸音を聴き分け相手が真実を話しているか見極めることが出来る。そして、どう聴いてもフリープライスが嘘の鎧を纏っているようには思えない。
「ヨシオカ達は“小さな核”に手を出した! 国際的な無法地帯であるエクアドルでまさに死の商人であろうとしたのだ! 私の任務は何としてでも“核”を回収することだ!!」