ヴァルチャー・アンド・ウィッチ
◆◆◆◆A.D.2019 11/03 PM11:00◆◆◆◆
これで良かったのだろうか。その言葉が脳裏を占めている。
何とか難民キャンプに戻れることにはなったが、どうにも良心の呵責とやらが自分を責めてきているような気がする。
あの後携帯端末から“ソルダーオ”の内容を検索してみたら、なかなかとんでもないことが検索結果として出てきていた。いかにここ数年の間に世界的に有名になったとはいえ、過激派テロリスト集団の詳細までもがウィキペディアにつらつらと載っていたことには驚愕を覚える。
ウィキペディアによると、元々“ソルダーオ”は1970年代に失脚した元将軍を支持する軍派閥だったらしい。
元将軍の行った革命的国民主義を理想とした老人達がエクアドル軍及び政府内部に作り上げたネットワークが“ソルダーオ”の原型だと言うことだ。
もっとも、今ではそれは形骸に過ぎない。50年も前の理想をそのまま受け継いでいられる組織などは存在しない。行われる世代交代。忘れ去られていく理想。形骸化してゆくネットワーク。
2012年の軍事クーデターがなければ、“ソルダーオ”は間違いなく消滅していたことだろう。皮肉なことに現政府軍による軍事クーデターが、彼等を再び結束させたのである。
そして6年。泥沼の紛争は続いている。第三拠点の副司令“強面”ジャックは言った。
『俺達だって今のままでいいなんて思っちゃいない。人死になんて出来る限り少ない方が良い。だけど駄目なのさ。俺達がここで引くわけにはいかない。中国の手がかかった政府の連中は、人を人とも思っちゃいないクズばかりだ。旧政府の連中はまだマシだが、背後にいるアメリカさんはこの国を対共産主義の橋頭堡にしたがっている。結局どちらについてもこの国は骨までしゃぶり取られちまう。先進国の連中はこの国を単なる餌場としか思っていないからな。だから駄目なのさ。俺達は止まれない。先進国のハゲタカ共をこの国から追い出し、新たなエクアドルを作る。もちろん俺達じゃ駄目だ。悪名高い俺達が新しい政府になんてなれるわけがない。だが、奴らを追い出すことならば、出来る。この国をしゃぶり尽くすことしか興味のないハゲタカ共をな。だから、この国が“本当の自由”を手にするまで、俺達“兵士”は止まれないのさ。それこそ、どれほどの血にまみれようが、な』
その言葉に少なからず黒川は共感していた。少なくとも国際的な過激派組織として知られる彼等が、実際はここまで物事を考えて行動していたことに驚愕と共に敬意を抱いたのだった。
先進国をハゲタカだと、強面ジャックは言う。
果たしてどうだろうか。アメリカも中国もEUも、エクアドルの情勢には常に注目している。そしてどの勢力も医療品食糧品を含む様々な物資、ボランティアや医師といった人材派遣など、様々な支援を行っているのだ。屍肉をむさぼるハゲタカという印象は持てない。それだけならば。
しかし実際にこの国で行われていることは、あらゆる人材とサイバネティクス技術の流入による紛争である。
軍人。科学者。諜報員から傭兵まで。およそ紛争を食い物に出来るありとあらゆる人間達が、エクアドル国内にて活動をしているのである。
彼等をハゲタカと称したくなるジャックの気持ちも、黒川には理解できてしまう。
そしてジャックが黒川に突きつけた選択肢の中で、黒川が選択したものは、自身をハゲタカと化してこの国をさらにむさぼるというものだった。
懐から取り出したPDA。国際通話。ニューヨークの二菱支社。自らの上司であり吉岡部長の懐刀でもあった、クラウディア・マウアー部長補佐へと。
夜遅くにかかわらず3コールで繋がる。仕事の出来るキャリアウーマンといった感じの声。
〈良い夜ね。ミスタ・黒川。今頃天国でバカンスしている頃だと思っていたのに、まさか生きているなんて考えもしなかったわ〉
声に出さず訂正する。仕事の出来るキャリアウーマンというよりも冷徹に誰かを見殺しに出来る悪女といった声。
「そうですねミズ・マウアー。自分でも生きていることが驚きですよ。まさか吉岡部長に殺されるためにニューヨークを出ただなんて思いもよりませんでしたから」
黒川。今日一日の疲れとストレスを相手に無理矢理押し付けるように、実にストレートに事実を告げる。相手の心証なんて知ったことか。黒川の心理状態。
〈それでも貴方は生き残った。それは素晴らしいことだわ。ねえミスタ。一つ聞いて良いかしら? あの人は、“貴方が直接撃ち殺した”の?〉
電話越しでも昂揚がわかる声。誰かが地獄に堕ちたことを心の底から喜べる魔女の声音。こんな人達の下で仕事をしていたのか僕は。過去の自分を殴りたくなるような黒川の感想。
「残念ながら僕が手を出さなくても部長は勝手に死んでましたよ。さしもの悪運も尽きたといったところじゃないですか?」黒川。上司を相手に皮肉を隠そうともせず。
〈なるほどね。それは残念ね。不運な男は嫌いなのよ私。すぐに死んじゃうから〉魔女。既に吉岡のことなどどうでもいいとでも思っていそうな口調。
〈それで、一体どんな要件だったのかしらミスタ。辞表を出したいというのならその必要はないわよ。今一言そういえば、5秒で事務処理を完了させてあげるから〉くすくすとでも笑い声が聞こえてきそう。どれだけ性格が悪いのか見当も付かない。
「残念ですけど退職云々の話じゃありません。新たな商談と流通ルートの確保の話です」
〈あらあらあらあら。坊やだと思っていたけど全然そんなことはなかったのね。もしかして部長のことも初めから抹殺するつもりだったのかしら。思っていたよりずっと強靱な人ね。強靱な人は好きよ。幸運な人の次には好き。それで? 一体どんな儲け話なのかしら?〉
「医療機器及び医療物資の取引です。表向きは医療支援との形になるので世間に向けて格好のアピールになると思います。チリに在住している資産家が買い取りそれをNGO経由で難民キャンプへと、というシナリオです」
〈なるほどね。それで資産家というのは? 麻薬好きな怖い人達? それとも真っ赤な旗に五つ星の人達かしら?〉
「いいえ。闘争好きの兵隊達です」
一瞬の沈黙。電話越しの相手が息を飲む音。
魔女のような印象を持つ相手の意表を突けたことに微かな喜び。
〈それは確かに価値のある取引ね。顧客の新規開拓と言うことにもなるでしょうし。いいわ。95点をあげましょう。マンハッタンに戻ってきたら直属の部下として使ってあげる〉
いつの間にか意味不明な点数制の導入。それどころか直属の部下になることまで決定。もしかしたら死ぬまで使い潰されるのでは? 黒川の不安。
〈盗聴の恐れがあるから詳しい話は帰国後でいいわ。いつ頃にはマンハッタンに到着可能かしら〉
「明後日には帰れそうです」
〈了解よ。上への手回しとか面倒なことは全部しておいてあげる。その代わり、吉岡みたいに簡単には潰れないでね? お願いよ〉
通話終了。何とも言えない気分。
もしかしなくとも吉岡部長の“副業”も、黒幕はこの人だった? 真実に辿り着いた黒川の戦慄。
会社で見ていたクラウディア・マウアーの姿を思い出す。立ち振る舞いから浮かべる表情までどこからどう見ても冷徹な魔女といった印象。
いつもいつも部長の後ろについて歩き、有能な秘書のように振る舞いながら、その実裏から全てを操る魔女。その想像があまりにも似合いすぎていて恐怖すら感じる。追求することすら危険に思える。黒川の所感。
深く考えることをやめ、脱力するようにベッドへと倒れ込む。天井を見上げながら思いに耽る。
これで自分もハゲタカだ。
資本主義という嘴を持って内戦という死病に藻掻き苦しんでいるこの国を喰らうハゲタカ。そんなものに成り果ててしまった自分を無様に思い嘆息する。
強面ジャックの選択肢は三つ。
“ソルダーオ”に誘拐された一般人として二菱重工への身代金交渉の末の帰還が一つ目。比較的安全に帰還できるではあろうが、黒川の社内での立場はこの上なく悪化することは間違いない。
二つ目の選択肢はこのまま第三拠点に残ること。銃声鳴りやまぬ密林でゲリラの一員となるという選択肢である。もちろん戦闘員としてではないのだが。
そして黒川が選んだ三つ目。
二菱重工とソルダーオを繋ぐパイプとなり、様々な形で彼等を支援すること。見返りは黒川へのリベート及び良心の呵責を少しでも軽くするための難民キャンプへの支援。
妥当なところだろう? そう言っていた凶悪な笑みを浮かべた強面ジャック。
ハゲタカを追い出すと彼は言う。しかし、ハゲタカになれとも彼は言う。
黒いハゲタカを追い出すために、白いハゲタカを作り上げ、黒いハゲタカの餌場を奪う。
この国をほんの少しでも良い方向に持って行けるのならば、俺はどんなことでもしてみせる。そう強面ジャックは黒川に告げたのだった。
「凄い人……なのかもしれないな……」
生死のかかった紛争の中で、それでも理想を求めて生きている男。いつか祖国を救うために、泥沼に浸かって生き続ける男。強面ジャック。
これはなんだ? この気持ちは? 憧れ? それとも心酔? 陶酔?
今まで経験したことのない感情が黒川の内側に育っている。“自分のような人間でも、きっと何かを出来る”。そんな予感がする。
ニューヨークに戻り、“ソルダーオ”経由で難民キャンプに医療支援を行う。そうすることにより、一体何人の命が救えるのだろうか。自分のような半端者が、どれほどの人の命を救うことが出来るのだろうか。信じられないほどに世界に貢献することが出来てしまうんじゃないだろうか。
それもこれも、あの提案をしてくれた強面ジャックの―――
「よくない兆候だね。イチロォ」
音もなく、気配もなく、生気すら全く感じさせず、ロン・シャオミンがそこにいた。
まるで、幽鬼のようだった。いつの間にかベッドの脇に立っていたシャオミンが、能面のような無表情で黒川を見下ろしている。
黒川にとっては、あまりにも現実味のない光景だった。
何故ならば――――
「それはとてもよくない兆候だよ、イチロォ」
少女は青年に、虚ろな銃口を突きつけていたのだから。