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ディープ・ディープ・ブラッディ・フォレスト


◆◆◆◆A.D.2019 11/03 PM01:25◆◆◆◆



 ここは密林(オリエンテ)。この世の地獄だ。

 ヨウコはそれを知っている。

 ここではどんな非道な行いも罷り通る。

 人道などというものはここにはない。

 そんな生温いものに傾注した途端、敵の銃弾が自分を貫くだろう。それをヨウコは知っていた。


 だから――――――――――――


 道から外れた茂みの中に身を伏せながら、ヨウコは世界を感じていた。

 “ミダス”。歩兵用パッシブソナーシステム。

 地面に耳を当てれば地面の振動を介して伝わるあらゆる音が、宙に向ければ大気の振動を介して伝わるあらゆる音が、ヨウコの脳に投影される。

 ブーステッドの脳力(、、)を限界まで行使することにより、その様々な音を聴き分け整理し組み立てる。

 そうしてヨウコは世界を“脳で感覚”することが出来るのである。


 密林は、様々な音で溢れている。

 例えば生物の発する音――呼吸音歩行音心音あらゆる鳴き声から昆虫類や鳥類が羽ばたく音まで無限に近い種類の音。

 さらには無機物や樹木の発する音――ミクロン単位で生長する樹木や軋みをあげる地盤、地下水脈の立てる水音から風に吹かれて揺れる枝などやはり無限に近い種類の音。


 “ミダス”は鼓膜や耳小骨を振動させるわけではなく、脳に直接“音が聞こえた”と感覚させる感覚兵装である。

 試しにブーステッドではない人間が“ミダス”を装着してみたところで、彼等が認識できるのは圧倒的な轟音と無限に等しい種類のノイズであろう。

 1km以上離れた距離の音を拾えると言うことは、至近距離での音はより大きな音量で聞こえると言うことになり、あらゆる種類の音を拾えると言うことは、聴き分けることの出来る限界を超えた複合音が聞こえると言うことになるのである。

 それらの“音”が、暴力的な轟音とノイズになって脳に多大な負荷をかけるのだ。

 ブーステッドでない人間が“ミダス”を装着したとしても、十秒も耐えられずに絶叫を上げて必死に取り外そうとするだろう事は間違いがない。


 音とは振動である。

 そして振動とは往々にして様々な要素によって阻害される。

 水面に小石を投げ込み発生する波紋を想像してみればいい。

 発生した波紋は同心円状に広がってゆく。

 しかし、広がる範囲内に小枝が立っていれば、その小枝によって波紋は反射され歪んでしまう。


 ならば、その様々な歪み(、、)を完全に聴き分けることが出来れば、視覚に頼らずとも周囲の状況を知ることが出来るのではないか?

 それが個人携行可能なパッシブソナーシステム“ミダス”の設計原理である。


 ヨウコは世界を感じている。

 ヨウコが感じられている世界とは、まるでタールで出来た海のようなイメージだった。

 様々な音が波紋となって脳裏に投影され、その波紋を逆算することにより世界を感覚する。

 無限に等しい音の波が、全方向からヨウコを押し潰そうとする。

 圧倒的なデータ量。常人では処理しきれない音の重圧が、コールタールの海に沈んだかのような錯覚をヨウコに与えているのだ。


 ヨウコにとって、世界はこんなにも、重い。


 だけどヨウコはその重さが心地良いとも思えている。

 まるで世界そのものに抱き締められているかのようで。


 そして今も、ヨウコを抱き締め続けている世界が知らせてくれている。

 これからヨウコが殺害すべき哀れな者達の情報を。


 ここはこの世の地獄だ。どんな非道も罷り通る。

 だから――――――――――誰ひとり、生かしては帰さない。







◆◆◆◆A.D.2019 11/03 PM01:26◆◆◆◆



 グレゴ・コリデイロは焦燥に駆られていた。それはもう、必死だったと言い換えても構わない。

 普段ならば部下に命令するだけ命令し、自らはエアコンの効いた室内でソファーに寝そべってアルコールに浸っているだろうグレゴが、わざわざ最前線に来なくてはならないぐらいには追い詰められていた。


 今回の話はこうだ。

 あの身の程も考えずにこちらのコカインルートに手を出そうとした強欲な日本人(ハポネス)を、現場を押さえ取引相手ごと“我が家”に招待してやる。

 そしてこの世には“何事にも分をわきまえなくてはいけない”という言葉があることを教えてやるのだ。それはもう、二度と“コカが欲しい”などと口に出来ないほどに。そういう予定だった。


 ところが、だ。

 計画通り取引現場に潜りこませていた部下達によって取引相手ごと奴を攫うことは出来た。

 あの生意気なヨシオカという日本人と、本名すらもわからない白人医師。

 巻き添えで攫ってきた奴らもまた、身代金を取るなり臓器を売り飛ばすなりすれば良い金になる。

 腹心の部下のリコ――珍しいことに元空挺部隊のヘリパイロットという経歴を持つグレゴにとっては最も使える部下――からガンシップごと奴らの誘拐に成功したとの連絡が入った時には、小躍りするほど喜んでいた。


 これで出世は間違いがない。

 あの日本人は上手く立ち回っていたつもりだろうが、どこの勢力だろうと構わず武器やヤクを売りつけるやりかたにカルテルの首領は苛立っていた。

 一応お得意様ではあるから表だって手は出せないが、首領は奴を始末したがっていたに違いない。

 そこに俺が、カルテルのコカインルートに手を出すという、始末するに足る理由を作った上で奴を消す。

 首領の代わりに気を利かせて奴を始末できたのだ。

 俺の株も間違いなく上がる。きっとカルテルでさらに上に行ける。

 FARC(コロンビア革命軍)の連中すら出し抜いてやったんだ。二度と奴らにでかい顔はさせない。威張りくさったあいつらも、俺がアゴで使ってやる。

 そんなことを考えていた。考えていられたのだ。


 ヘリを操縦しこちらに向かっているはずのリコから『対空砲だ! 対空砲で攻撃されている! 高度が取れねえ。このままじゃ堕とされちまう! クソっ! 援軍だ! 援軍を送ってくれボス! 助けてくれ!』などと通信が入り、それ以降全ての通信が途絶えてしまう前までは。


 間違いなくリコもガンシップも撃墜されただろう。

 それはいい。いや、グレゴにとっては猛烈に拙いことではあるが、まだ許される。


 問題は、今回の計画に多量のコカインを使ってしまっていたことだ。

 あの業突張りの日本人を釣るには、それなりの量のコカインを奴に掴ませてやらなければならない。

 どうせ疑似餌だ。計画に成功すれば回収できるのだ。大した問題じゃあないだろう。

 そんなことを思っていた過去の自分を思いきり殴りたくなる。

 馬鹿野郎。大問題に決まってる。

 カルテルに報告しないで持ち出した多量のコカインがヘリと共に灰になりました?

 そんなことを報告した日には、間違いなくばらばらのミンチになってコカイン畑の肥料にされる。その事実を誰よりもグレゴは承知していた。


 だからこそ、例え自分自身が最前線に赴く羽目になっても、コカインだけは回収してこなければならない。

 幸いヘリの墜落現場は監視衛星経由で発見できた。

 わざわざ拠点のインテリ野郎に銃口を突きつけて頼み込んだ甲斐があった。

 神はまだ俺を見捨てちゃいない。そんなことすら考えていた。


「ロヘス! なにちんたら走ってるんだ! もっとスピードをあげねえか!」


 苛立ちと焦燥に駆られてジープの後部座席から運転をしている部下へと怒鳴る。

 まったく使えない部下共だ。今が一分一秒を争う状況だってわかってもいやしない。


「無茶言わないでくだせえよボス。このクソ狭い道でどうやってこれ以上スピードを出せって言うんです。ハンドル切り損なってでかい樹にでもぶつかっちまったらそれこそどうしようもねえじゃないですか」


 堪らず口答えをする部下、ロヘス。

 しかしグレゴからの返答は実に単純で効果的な代物だった。

 少なくともやる気がない部下にやる気を出させるためには実に効果的な行為。

 即ち、後部座席から身を乗り出してロヘスの頭に銃口を突きつけることである。


「わかってねえようだから言うがなロヘス。今は一秒だって惜しいんだ。積み荷の回収に失敗したら俺はな、間違いなく熱々のグリルに入れられてまるごとローストされちまうんだよ! 俺の言葉にはイエス(はい)シィ(はい)で答えるんだ。さもなきゃいつこの指が引き金を引いちまうかわからねえ。そんなのは嫌だろう? なぁ。なぁっ!?」


 慌てて加速するジープ。木々の隙間を縫うように存在している狭い道を急加速する。

 後続のワゴン車もまたロヘスの運転するジープに置き去りにされないように追随。

 満足したように銃を下ろすグレゴの姿に、緊迫していた車内の空気が弛緩する。


 しかしそれもまた長くは続かなかった。

 道を外れた左の茂みに、明らかな軍用装甲車が停まっていたからである。

 驚いたように急停車するロヘス。後続のワゴン車もまた、停車している。


「ボス……、こいつはやばいですよ。“ソルダーオ”の連中の車だ。あいつらはみんな生きた肉食獣(カルニセロ)だ。下手すると全員まとめて喰われちまう」


 助手席に座っている部下のジョセフの言葉。グレゴを怒らせないように細心の注意を払いながら、装甲車の様子を窺っている。

 ジョセフにとっては“ソルダーオ”もグレゴも、怖ろしい相手であることに代わりはない。


「わかっている。だがここで引くわけにはいかねえ。奴らの車がここにあるってことは、奴らがリコのヘリを堕としたのかもしれねえ。奴らに積み荷を回収される前にどうにかしねえと」


 そう言って懐から拳銃を取り出してジープから降りるグレゴ。

 何だかんだいってもこういう時に率先して動くところに部下は信頼を寄せている。

 グレゴに続いて慌てて降りるロヘス達。

 また後続のワゴン車からも4人が降り立っていた。


「どうだジョセフ。誰か乗っていそうか?」グレゴ。拳銃で周囲を警戒しながら一番修羅場に慣れているジョセフに。

「わかりやせん。ただ俺達の接近に気づいていたとしたらとっくに攻撃されていたとしてもおかしくない。ヘリを撃墜してからまだ戻ってきていないと見てもいいんじゃねえかと」ジョセフ。アサルトライフルを油断無く装甲車に向けながら答える。

「わかった。ならやることは一つだ。ロヘス。ワゴン車の中からクレイモアをまとめて持って来い。もし奴らが戻ってきた時のためにな」グレゴ。後ろでショットガンを構えているロヘスに指示。

 慌ててロヘスがワゴン車へと向かおうとしたところで、当のワゴン車の方から、ガン、と何かがぶつかる音が響いていた。


 銃声ではない。もっと重くて硬い物が、何かに力強く叩きつけられたような音。


 八人全員が顔を見合わせる。うち三人が確認に向かう。向かおうとしていた。

 密林から撃ち込まれた銃弾が、ロヘスの頭を撃ち抜く時までは。

 連続して撃ち込まれる銃弾。頭部に二発、胴体に二発。実に容赦のないダブルタップ。微塵も生存させる気のないオーバーキル。

 弾かれるように踊る死のダンス。頭部と胴体を著しく損壊させたロヘスの身体が地面に倒れ伏す。


「敵襲だ! 向こうの森の中にいるぞ!」グレゴの絶叫。もはや当てずっぽうと言ってもいいほどに森の奥へと連射する。「車を盾にしろ! 身を低くして走るんだ!」叫びながら人が潜んでいそうな茂みに向けてアサルトライフルを連射するジョセフ。同じく銃を連射しているグレゴの手を引きジープの陰へと。


 また一人ダブルタップで脳天を撃ち抜かれる部下。散発的ながらも実に精確なヘッドショット。

 生き残った残りの部下達がワゴン車の陰に走り込む。その直前に飛んできたスローイングナイフに一人が喉笛を貫かれる。状況を見たジョセフが全員に指示。「グレネードだ! グレネードを投げ込め!」


 ワゴン車の陰に隠れた三人が懐から慌ただしく懐から手榴弾を。勢いよくピンを抜く。


 その直後。

 反対側の茂みに身を伏せていた少女が、PDAのボタンを押していた。

 グレゴ達には与り知らなかったことではあるが、銃撃の前にワゴン車から聞こえてきた音は、素早くワゴン車の後方を駆け抜けたヨウコが、給油口の位置にフリスビーほどの大きさのある|磁気吸着式遠隔操作式爆弾リモートボムを叩きつけて設置した音だった。


 起爆した爆薬がワゴン車ごと巨大な爆炎を噴き上げたと悟る事すら出来ずに、グレゴは大きく空中に投げ出されていた。

 意識を失うまでの間にただ一つだけ悟ったことがある。

 奴らは万全の体勢で俺たちを待ち伏せしており、あの装甲車そのものを疑似餌(ルアー)として使って俺たちをここに留まらせたのだと。

 そして激しく地面に激突すると共に、グレゴの意識は闇に飲まれていた。



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