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エクアドル・ディープ・フォレスト



◆◆◆◆A.D.2019 11/03 PM02:00◆◆◆◆



「酷いイジメを見た」


 黒川の所感である。

 初めの間こそはカルテルの人間に見つからぬように身を伏せていたが、爆音や悲鳴、怒声などが聞こえてくるとそれもまた出来なくなる。

 あの二人の少女が、気の良いマッチョが、無表情な医者らしき男が、銃弾に倒れ蹂躙されているのではないかと、そんな想像が脳裏に過ぎってしまったためである。

 幸い、装甲車両の後部荷台とはいえ、外を確認できそうな小窓もついていた。

 小窓のガラスが防弾であることを祈りながら、外を覗くとそこには――――


「あー。ダメだダメだ、思い出したくもない」


 頭を振って脳裏に浮かんだ光景を追い出す。振り払う。

 そう、これ以上あんな光景を思い出しても何の益にもならない。

 黒川より幼い十代の少女が、必死で命乞いをしている人間を、容赦なく撃ち殺す光景など。


「ん、イチロウ。どうか、した?」


 “運転席”に座った少女が黒川に問う。

 背中まで伸びた漆黒のロングヘア。細身な肢体。まるで射抜くような切れ長な視線。刃のようなクールビューティー。

 先程命乞いをしていた南米マフィアの人間を、容赦なく拳銃で撃ち殺した少女。ヨウコ・カトウ。


 血で濡れたハンドル。血と脳漿とそれ以外の何かで汚れてろくに見えないスピードメーター。

 気にすることなく運転。『手袋、あるから、平気、だよ』とはヨウコの言葉。

 先程の戦闘で持ち主が死に絶えたオープンボディタイプのジープを、これ幸いとばかりにヨウコとシャオミンが再利用。

 シャオミン曰く“資源は大切にしなきゃね”とのこと。


 黒川は助手席。シャオミンはアレハンドロの運転するウニモグトラックへ。ディムはフリープライスについている。

 “ソルダーオ”にとっては、黒川よりも医者であるフリープライスの方が価値が高い。悪名高い二菱重工の社員よりも、現役医師の方が多額の身代金を要求できる。第三拠点副指令である“強面”ジャックの見解だった。


「いや、まあ、なんというか、僕の人生何でこんな事になったのかと……。やっぱり縁故採用でいけるからって国際的に滅茶苦茶ブラックな二菱なんかに就職したのがいけないんだろうか。いや、やっぱりこれからは語学が武器になるなんて考えて調子に乗って5ヵ国語も話せるように勉強してしまったことが……。いや、まて、でもあれは……」


 黒川。ぶつぶつと過去の経歴や行動を呟きながら答えのでない難問にひたすら挑む。

 現実逃避もここまで来れば立派な才能かも。ヨウコの呟き。無論脳内。


「人生、なんて、どうせ、なるようにしか、ならないよ。せっかくだから、後悔なんてしてないで、楽しまないと、ダメだと思う」


 先程少なくとも四人は殺害した少女の言葉。

 『じゃあ君は人を殺すのが楽しいのか?』口をついて出そうになったその言葉。黒川。何とか飲み込んだ。答えを聞くことに恐怖すら感じて。


「君と、シャオミン……だっけ? 何でこんなことをやってるんだい。現地の子供がゲリラ兵として活動していることは珍しくないって事前情報では聞いていたけど。君らはどこからどう見ても東洋人だ。なんでわざわざこんなところでこんなことをしているんだ?」


 浮かんだ言葉を誤魔化すように口にした問い。

 口にしてから思いのほか彼女の事情に踏み込んでいると気づく。

 昔読んだアウトローものの漫画のセリフを思い出す。“知りたがりは長生きしない”。


 しかしヨウコ。特に気にした素振りもなく。「なりゆき、かな?」

「なりゆきだなんて……」黒川。痛ましいものを見るように。

 なんでこんな子がなりゆきなんかで戦争をしなければならないのか。

 少なくとも彼女達より恵まれた人生を送ってきた黒川の所見。


 逆にヨウコは黒川の視線に過敏に反応する。

 同情されるのは大嫌いだ。脳内での呟き。

 意趣返しに素早くギアチェンジ。アクセルを踏み込みながら口に出す。


「あとは、そう、だね。うん。たぶん、そう。“こんな生き方しか、知らなかった”、ということ、だと、思う」


 血塗れのハンドル。見事なドライブテク。

 先行するウニモグトラックに付いて走行。

 アクセルを強く踏み込むと共に零れた少女の本音。

 黒川が仰け反りシートに押し付けられるほどの急加速。先行車に衝突しかねないほど。

 あらゆる反論を許さない無言だが実に雄弁な抗議。


「イチロウは、さ」


 ヨウコの言葉。もう動揺も見られず。少しの動揺も残さず。むしろ逆に黒川に問う。


「どうして、こんな場所に、来たの? 会社の、辞令、だって、断ることも、出来たでしょ? エクアドル(ココ)は今、世界で最も、危険な国、なんだから」


 ヨウコの指摘。

 ガタガタ揺れる車内に沈黙が満ちる。

 言葉に詰まると言うよりは言葉を選んでいるために言葉が出てこない。

 何故自分がここにいるのか。

 たとえ難民キャンプであろうと、エクアドルは今やアフリカの内戦地と並ぶほどの激戦区である。そこへ何故自分は来なければいけなかったのか。

 それは――――


「僕のような人間でも、きっと何かを出来るはずだって、そう思ったんだ―――」


 シートに体重を預け、空を見上げる。

 先程の密林よりも開けた空は、黒川の知っている東京やニューヨークの空よりも高く青く見えていた。


「今までさ、何も出来なかったんだよ僕は。東京から北海道に逃げる時も、日本から強制退去させられた時も。だからさ、何かを成し遂げたいと思っていたのかも知れない。ずっと。ずっと」


 喋りながらポケットからタバコを取り出す。ラッキーストライク。

 同じくポケットから取り出した古いジッポーライター。ネイティブアメリカンの人物のイラスト付き。黒川の趣味の現れ。

 そのまま一服。一息ついたところでつらつらと続きを話し出していた。


「難民キャンプを支援している赤十字やNGO(非政府組織)にどうにかしてウチの会社の医療器具を売り込めないか、って話が出た時にさ。これだ、って思ったよ。会社にいても新人だった僕にはろくな実績もなくて、誰もやりたがらないような危険な仕事なら、他の同僚に手柄を奪われたりもしないだろうって。あと、たぶん、医療器具の販売だったのも原因かも知れない。会社の製品が誰かの命を救えば、その取引に関わった僕が、少なからず誰かを救えたことになるんじゃないだろうか。そんなことを考えていたのかも知れないな」


 空を見上げたまま黒川は語る。

 時折吐き出される紫煙がまるで溜息のようにさえ見える。


「それで、わざわざ、自分から、こんな場所に、来たんだ?」ヨウコ。黒川の方に顔すら向けず、無謀を責めるかのような口調。

 黒川。自嘲するような微笑み。「まあ……ね。今まで何も出来なかった僕が、誰かを助けることが出来たのなら、それはきっと、とても良いことなんじゃないかなって。そんな風に思ってたよ」

「自分より、可哀想(、、、)な人達、なら、助けられるとでも、思ってた?」ヨウコ。どこまでも容赦なく。

「耳に痛いな。本当に……」苦笑しながら応える。この子の言葉はどこまでも正鵠を射ているな。痛いぐらいに。黒川の所感。


 と、思うとヨウコ。


「その結果が、誘拐されて、この有様、だなんて。上手く、いかないね。人生って」


 思わず黒川が見惚れるような微笑を浮かべ、そんなことを口にしていた。


 ついヨウコの方へ顔を向けてしまった黒川は、はにかむようなヨウコの微笑みを直視してしまっていた。

 鼓動が高鳴る。顔が熱を帯びていくのが意識できてしまう。

 慌てて誤魔化すために口を開いた。


「君みたいな若い子がそんなことを言うのかい?」


 高鳴る鼓動を懸命に隠し、軽口で返礼。

 まさか年下の少女の笑顔で赤面するなんて。

 気づかれないように何とか平静を装っていた。


「オレ、みたいなの、だから、そんなことを、言うんだよ」


 まるでどこか遠くを見ているかのような、どこか悲哀の入り交じったその声に、黒川は何も言うことが出来なくなってしまっていた。

 当然だ。大した事情もないのに殺し合いをしたいなどと誰が思う。この子はきっと自分などではきっと想像も出来ないような人生を送っているはず。黒川の所感。


 気が付くと一変する風景。コンクリートの防壁。巨大な鉄扉。至る所に散見する重機関砲及び対空ロケット砲。

 “ソルダーオ”第三拠点だった。


 門の手前で先行する車両が止まる。合わせてヨウコの運転するジープも停止。

 そのまま数分経過。黒川にとっては痛いほどの沈黙の時間。


 かと思うと鉄扉が開く。中から完全武装の兵士達が8人ほど。フォーマンセル×2。

 4人が前の車の異常をチェック。残りの4人がジープを。

 ヨウコに向けて陽気に手を振る黒人兵士。苦笑するような微笑みを返すヨウコ。

 その間にも残りの3人が車両をチェック。

 爆発物が仕掛けられていないか。

 危険人物が乗ってはいないか。

 黒川がヨウコに銃を突きつけ脅迫をしていないかどうか。


 唇から右耳にかけて大きな切り傷のある老齢の兵士に銃を突きつけられながらも無抵抗の意思を表示。

 いかつい笑顔が怖すぎる。黒川の所感。


 やがて確認終了。

 老齢の兵士の合図で鉄扉が開く。

 徐行と言ってもいいスピードで中へ入るウニモグトラック。ジープ。


「さあ、到着、だよ。ようこそ、イチロウ。“ソルダーオ”、第三拠点、へ」


 眩しいぐらいの少女の微笑が実に印象的だった。







◆◆◆◆A.D.2019 11/03 PM02:30◆◆◆◆



「やあイチロウ。生きていて良かった」


 車から降りたアレハンドロが黒川へかけた第一声である。

 当然どういう事なのか詰問する黒川。

 朗らかな表情で答えるアレハンドロ。

 興味ないとばかりにヨウコに抱きつくシャオミン。

 仕方がないなとばかりに受け入れるヨウコ。

 フリープライスを担架に乗せ兵士数人と医療棟へ消えたディム。


 アレハンドロの説明。ヨウコは尋問のプロフェッショナル。

 相手の発言に混じる嘘を呼吸や表情などから見抜くことが出来る。

 もしどこかの勢力のスパイだと黒川が判断されていれば即座に撃ち殺されていたとの事。


「なんだそれ……また死ぬとこだったのか……」


 黒川。本日何度目になるかわからない嘆息。もはや諦めの境地。


「じゃあイチロウ。ボクはもう行くから、後はヨウコとシャオミンに連れて行ってもらってくれないか」


 そう言ってその場を後にするアレハンドロ。軍用車両の後部荷台から取り出した“戦利品”を嬉しそうにチェック。筋骨隆々な肉体に物を言わせ大量の医療器具を肩に担ぎ基地の奥へと。呆れるほどの重量を軽々と持って消えていく。


 ヨウコ。シャオミンに腕組みをされたまま振り返る。

 先程の笑顔が嘘のようなクールビューティー。

 これが“クーデレ”ってやつか。黒川の所感である。


「じゃあ、行こう、か。イチロウ」


 そう言ってシャオミンを引きずるように歩き出すヨウコ。嬉しそうにそのまま引きずられるシャオミン。手間のかかる妹の世話を焼く姉のような印象。


「どこへ行くんだ?」


 黒川。当然の疑問。

 どうやら身代金交渉の人質として扱われるらしいということは理解してはいるが、どのような扱いを受けるかまでは想像の外である。

 今までの扱いからいってそれほど悪い待遇にはならないだろうと判断。というよりも、そうであることを願う。


「んー。事情聴取ってやつかなぁ。あとは今後の方向性を決めるとか、そんな感じ?」


 シャオミン。何気ない口調。何気ない仕草。振り返りながら黒川を一瞥。

 しかし目があった途端黒川の息が詰まる。

 まるで背中に氷柱を差し込まれたかのような悪寒。あまりにも予想外すぎた衝撃。

 口調とはまるで方向性の違う鋭い目つきが黒川を射抜いている。

 例えるなら銃口を覗き込んでしまった時のようなプレッシャー。

 声に出さずとも雄弁に語る視線。“私のヨウコに手を出すな!”。

 自分のテリトリーを守ろうとする猫のように殺気だった仕草。今にもフシャーと威嚇の鳴き声が聞こえてきそう。

 ヨウコに気づかれないように口調だけは普段と変えず。実に周到な振る舞い。

 うわ、怪しいとは思っていたけどこれがガチ百合ってやつか。黒川の感想。無論ドン引きである。


 思わず浮かんだ引きつった苦笑。“手なんか出さないから、大丈夫だから”。脂汗の浮かんだ顔での精一杯のジェスチャー。お願いだから伝わってくれ。黒川の祈り。


 返答はなんと下瞼を人差し指でひっぱる“あっかんべー”。

 愛嬌が零れ落ちんまでに溢れる少女の姿。先程までのプレッシャーは何だったのだろうかと思うほど。

 とりあえず疑いは晴れたと思うことにしておく。主に精神の安定のために。


 そのまま敷地内を歩き出す三人。向かう先は一際目立つ建物。まるで鉄筋コンクリート製の学校のような印象を与える建築物。

 どうやらクーデターが発生する以前から存在していた旧政府軍の施設をそのまま流用しているらしい。

 壁面には大きく描かれたエクアドルの国旗。ただし真っ赤なインクで×印が上書きされている。

 その横にはスペイン語の文章。『国家のために闘う兵士に栄誉あれ』。過激派組織“ソルダーオ”のキャッチコピー。


 建物を学校だとすると昇降口に当たる場所から内部へ入る。

 当然下駄箱のような物は存在せず。一直線に続く廊下。

 遮蔽物になりそうな物は一つも無し。敵対勢力の部隊が侵攻してきた際に、敵部隊に余計な遮蔽物を与えず身を隠す場所すらない通路で迎え撃つための構造。


 そのまま廊下を奥へと進む。

 反政府ゲリラの拠点だというのにワックスで神経質なまでに磨き上げられている床面。誰か掃除好きの人間でもいるのだろうか、とは黒川の感想。

 所々ですれ違う男達。皆が皆どこか暴力的な気配を含んでいる。

 しかし少女達は臆した様子もなくすれ違う。一言二言かけられる声。

 陽気に答えるシャオミン。苦笑を浮かべてうなずくヨウコ。おどおどとした態度でやり過ごす黒川。三者三様の対応。


 やがて辿り着く一つの部屋。両開きの扉。上部にブリーフィングルームと表示。

 ノックもせずに扉を開ける。ヨウコを先頭に中へと。

 まるで大学の講義室のような扇形の巨大な部屋。

 正面部分にはこれまた巨大な壁面ディスプレイ。

 その正面。教壇にあたる位置に座っている一人の男。

 ソルダーオ第三拠点副司令、“強面”ジャック。伸び放題と言っても良いほどの髭。人かゴリラかと訊かれたらゴリラと答えたくなるような風貌。

 今日に限ってはわざわざ客人に威圧感を与えるためか、いかついサングラスまでつけている。“強面”のあだ名すら降参しそうなほどの顔面凶器だった。


「ご苦労だったな二人とも。おかげで助かった。カルテルの連中と小競り合いもあったそうだが、そちらの方も問題はない。俺が“外交”で黙らせておいたからな。お前さん達の任務はこれで終了。ここから先は、そこの坊やとの話次第ということになるわけだ」


 不思議と響く低いバリトンボイス。凶器のような外見とは逆に何故か心が安らぐ響き。

 ゆっくりと立ち上がりヨウコ達の元へと歩み寄る。

 坊や扱いか。黒川の憤慨。

 しかしあまりに迫力がある相手に何事も言えず沈黙。


「ああ、紹介、するよ。この人が、イチロウ。なにも、知らないうちに、スケープゴートに、されそうだった、みたい」


 ヨウコの説明。見るからに威圧感のある強面ジャック相手にも自然体。

 畏敬の念まで沸いてきたところで黒川、聞き逃せない単語に気づく。「スケープゴートだって?」


「なんだ。まだ説明してなかったのか。つまりお前さんは、本来なら生け贄として殺されているはずだったのさ。お前の上司のヨシオカによってな」





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