ミッション・スタート
◆◆◆◆A.D.2019 11/03 AM11:00◆◆◆◆
「いやいやまったくまったく。これを“民間機”なんて言っちゃうジャックさんのセンスって凄いと思わない? 私にはちょっと理解できないかなぁ」
密林の奥深く。辿り着いた墜落現場。
まだ煙を上げているそこで二人の少女が見た代物。
古い映画に出てくるようなバスにプロペラを付けたようなデザインの、どこからどう見ても“兵員輸送用戦闘ヘリ”。
左右側面に大きく赤い十字架。
斜めに傾き堕ちたヘリのフロント下部には日本企業・二菱重工のマーク。
機体下部に大口径機関砲及びロケットポッド。
赤十字のマークさえつけていれば例え機関砲で武装している戦闘ヘリでさえ民間機であるとでも豪語するかのような代物だった。
「エクアドルに、来る、赤十字やNGOの、輸送機は、ある程度、武装してるって、聞くけど」
辿々しい英語。教本のように正しく発音するよう努力しているがために逆に聞き取りづらくなっているような印象。
迷彩服を身に纏った少女。ヨウコ・カトウ。
漆黒の髪に背中まで伸びたロングヘア。一房だけ腰の辺りまで――ピッグテイルのように。
「これはもうそういう次元とかじゃないよぉヨォコ。頭のネジが十本ぐらい飛んでいるとしか思えないでしょ。日本人の連中は恥を尊ぶ文化だーって聞いてたけど、最近だと半島の将軍一家並みに厚顔無恥になったみたいだねぇ」
極東アジア圏の人種をまとめて侮蔑するような言動を事も無げなく口にした少女。
ロン・シャオミン。
前回と違い強化服無し。軽機関銃無し。グレネードランチャー無し。
ヨウコとお揃いの迷彩服に、腰の左右に二丁の拳銃を納めたホルスター。ポケットには二つの手榴弾。
激戦区である密林を歩くにはあまりに頼りなく見える武装。
「ねえシャオ。オレも、一応、日本人、なんだけど」と、仏頂面のヨウコ。
「あははは、ごめんごめんー」と、のんきな笑顔のシャオミン。
改めてヘリへと目を移す。
未だ煙を上げ続けているコックピットは全壊。
恐らく対戦車砲や対空ロケット砲やらを何発も食らったのだろう。
パイロットの生存も当然見込めない。
ガンシップとはいえ編隊も組まずたった一機でエクアドルの空を飛ぶとは随分と不用心だ、とヨウコは呟く。無論、脳内で。
だが後部のキャビン部分の損傷はそれほど酷くはない。
これならば生存者もいるのではないだろうかと“ミダス”に意識を集中。
ヘリの装甲越しに聴き取れた2名分の心音と呻き声。
音から判断するに一人は軽傷、もう一人は瀕死の重傷。
他にも未だ血を流し続けている死体らしき塊もいくつか。
あーあ、派手にやったな、などと思いつつシャオミンに対してハンドシグナル。“警戒しつつ前進せよ”。
右手にベレッタ。左手に手榴弾。
豹のようなしなやかな動作で足音一つ立てずガンシップに接近するシャオミン。
ヨウコはステアーAUGを膝立ちに構え、周囲を警戒しつつシャオミンを支援する。
半径1km以内でこちらを狙っている狙撃手は無し。
墜落したヘリの現場に向かい来る米軍機械化歩兵達の足音も無し。
何故かガンシップを撃墜したはずの集団の気配すら、無し。
それらのことを疑問に思いながらもヨウコは釣り針の如き静謐さをもってシャオミンを援護する。
ガンシップの中の人間がハッチを開いた瞬間に銃撃してくるかも知れない。
自分がもう助からないと理解した瀕死の人間が、絶望のあまり大量の爆薬でガンシップごと自爆するかも知れない。
ここはエクアドルの密林。
どんな空想だって実現しかねないこの世の地獄なのだから。
ガンシップの後部ハッチに辿り着いたシャオミンからのハンドシグナル。
5本立てた指を1本ずつ折り曲げていく。
カウント開始。3。2。1。
指を全て折り曲げると共にハッチの開閉レバーを思いっ切り引く。
ガコンと勢いよく開かれたハッチ。
側面の装甲に張り付くようにして身を隠すシャオミン。
開いたハッチの内部を狙い撃てるように移動するヨウコ。
しかし警戒していた二人の予想と違い、ハッチが開いた後に鳴り響いたのは銃声ではなく、どこか弱々しい印象の青年の声。
「だ、誰かいるのか……? 助けてくれ、怪我人がいるんだ。頼む。頼むよ……」
ハッチが開いたことによりさらに鮮明となった“ミダス”の集音機能。
機体内部の音の反響で中の様子を把握。まるで蝙蝠並みのエコロケーション。
銃器を構えている様子無し。爆発物を所持している様子も無し。
ただただ必死に血塗れになりながら瀕死の男の傷口を抑え付け止血しようとしている青年の姿が浮かび上がる。
どう判断してもここに来る前に警戒していた中国のエージェントとは思えず。
むしろ彼等に罠に嵌められた人間なのでは? などと呟く。無論、声には出さずに心の中で。
アサルトライフルを構えたまま油断なくガンシップに近づくヨウコ。
もしかしたら、本当にもしかしたらどこかからガンシップを監視している第三者が、二人が接近した瞬間に大量に仕掛けた爆薬を炸裂させるかもしれない。
そんな最悪の状況すらも考慮しながら前進する。
銃を構えたまま油断無く先行したシャオミンが内部に乗り込むと、そこにいたのはまだ十代と思われる東洋人の青年と、運が悪いことに腹部から大量の出血をしている白人の壮年男性が一人。そして墜落時の衝撃で死亡したと思われる5人ほどの死体。
「女の子……? い、いや、そんなことより、助けてくれ! 重傷なんだ! 医師を、医師を呼んでくれ!」
その青年の必死の言葉にシャオミンは呆れたように笑う。
「あのさぁ、ここをどこだと思ってる? いくつもの勢力や人種が延々と殺し合いを続けるエクアドルの激戦区だよ? 医者なんてそう簡単に連れてこられると思う?」
素っ気ない反応のままキャビン内を物色し始めるシャオミン。右手に銃を握ったまま。
瀕死の男の傷口を必死に止血している青年には目もくれず。
試しに一つ衝撃緩和用のジュラルミンケースを開けてみると、様々な医療機器及び医薬品の数々。曲がりなりにも赤十字社のヘリではあるらしい。
「大体これだけの道具があるんだし、医者だって乗ってたでしょ? あんただって医者なんじゃないの?」当然の疑問。
「この人が最後の医師だ! もともと激戦区に来てくれる医師など限られている! 僕はただのアドバイザーに過ぎないんだ!」あくまで負傷者などどうでもいいという態度の少女に激昂する青年。
必死に医師だという男の腹部を止血しようとしながらも、止まらない出血に焦燥を隠せず。
「うわぁぉ。輸血パックまであるんじゃない。全部売ったら結構稼げそうだよね。というかそれ、せっかくこんなものがあるんだからせめて輸血ぐらいはしたほうがいいんじゃない?」シャオミン。とりあえず提案してみるとでも言うような素っ気なさ。「彼の血液型がわからない!」そんなことはもう考慮したとでも言うように一蹴。すでに絶叫。「ありゃりゃ、それは災難だねぇ」もうどうしようもないほどの温度差。
「シャオ」
そこへ顔を出すヨウコ。
右手のアサルトライフルを肩から提げたまま、片手でPDAをいじっている。
「ジャックさん、から、連絡。医療アドバイザー、なんかより、医者、の方が、お金になる。だから、助けてあげて、だって」
「えー。助けろって言われてもねぇ」
そう言いつつも怪我人の様子を見る。
不幸中の幸いなのか傷は腹部の出血のみ。それなりに深いようではあるがまだ息があるところを見ると主要器官は無事なのではないだろうか。
だが明らかに出血量が多い。青年はただ腹の上からガーゼを押しつけているだけに過ぎず、それだけでは出血が止まる気配もない。
仕方がないので周囲をいくつかの死体を蹴り動かしスペースを作りながらも怪我人へと接近。
ふと死体のあった場所に落ちていた物に気づく。
どうやらこのヘリに乗っていた医師達の経歴が載っているファイル。
べったりと血液がついてはいるが読めないことはない。
「あった。ええと、ドクターフリープライス? うわ。実に怪しすぎる偽名……。血液型は……っと。あったあった」
即座に先程のケースから対応する輸血パックを持ち出す。「はいこれ。止血は私がやるからどいて」有無を言わさず青年に押しつける。押しのける。
懐から取り出したウィスキーの瓶を開け、どぼどぼと両手とサバイバルナイフにかける。
そのまま負傷者の意識がないのを良いことに問答無用で腹部の傷口をナイフで切り拡げると、そこから右手を押し込んだ。
「おい!」あまりの暴挙に怒鳴る。意に介さない少女に更なる苛立ち。たまらずもう一度怒鳴ろうとしたところで氷のように冷たい少女の声。「輸血しないと死ぬよ?」
正しい医療知識のない青年には少女が何をしているかどうかもわからない。
ただそれでも出来ることだけはしようと事前に受けていたレクチャー通りに輸血作業を開始する。
四苦八苦しながらも何とか輸血針を打ち込む。
ただただ上手くいくことを祈るしかできない。呆然としながらも少女の作業を見守る。
輸血が上手くいっていることに安堵しながらもこれ以上何をすればいいのかわからずそのまま立ち尽くす青年。
シャオミンは彼を一顧だにしない。
あまりの不安と孤独感に全てを投げ捨て逃げ出したくなる衝動から必死に抗う。
今までろくに修羅場をくぐったことのない青年にはあまりにも耐え難い時間だった。
「シャオ、あと5分、ぐらいで、ディムさんと、アレハンドロ、が、着くって。それまで保たせれば、たぶん大丈夫、だと思う」
ハッチの外からかけられたヨウコの声。
その内容。“無表情”ディム。
エクアドル生まれのメスティーソ。夜間戦闘とナイフの達人。
何と反政府ゲリラ組織“ソルダーオ”に身を投じる前の職業は外科医という異色の存在。
「りょうかーい。まったくもう。後で飲もうと思ってたスコッチが台無しだよもぅ……」
周囲の5人もの遺体や、今自らの手で助けている人間の命よりもウィスキーの方が大事だとでも言いかねないシャオミン。その様子に愕然とする青年。
なんだこれは。どう見ても自分より年下の少女なのに、一体何故この子はこんな風になった。一体誰がこの子をここまで狂わせた!
初めて出会った少女に対して過剰とも言える感情移入。
まるで人類皆兄弟とでも信じていたような人間が、初めて悪意を持った邪悪な怪物を目にしたかのような、そんな有様。
「っと、ここの血管が破れちゃってるんだねぇ。ちょっと小腸も傷ついちゃってる。一体どしたの? 日本人のあんたがハラキリでも強要したわけ?」
「そんなわけないだろう! 刺されたんだよ! ナイフで!」
「なるほどなるほど。空の上の仲間割れってわけね。挙げ句の果てには対空砲火で墜落っと。あんたたち今日は厄日なんじゃないの? 天気予報でやってなかった? 今日の天気はナイフ時々スティンガーミサイルの雨が降るでしょうって」
どこまでも軽薄なシャオミンの言葉。
先程抱いたばかりの少女に対する同情など一瞬で遙か彼方に吹き飛びかねないほどに青年の神経を逆撫でする。
「シャオ。あんまり、からかっちゃ、ダメ。その人だって、必死、なんだから」
ようやくキャビン内へと顔を出したヨウコ。
切れ長で鋭い瞳が青年とシャオミンを射抜く。まるで刃のようなクールビューティー。
こっちの子はまともなんだ……。青年の場違いな感想。
その背後。影のように気配もなくのそりと“無表情”ディムが姿を現す。
内部の惨状を見ても一瞬たりとも表情が変わらず。まさに二つ名の面目躍如。
「開腹して損傷部位を直接止血しているのか。随分乱暴だな。意識はあったのか?」背負っていた背嚢を下ろしながら、ディム。「なかったよ。見る限り墜落の時に頭を強く打ってる。だから結局助からないかも知れないね」シャオミン。あろうことか生あくび。「さすがに開頭まではできないな。後は俺がやろう。助手を頼めるかシャオミン」ディム。淡々と。「しっかたないなぁ」シャオミン。あまりにもやる気が見られず。
「あ、あの! 僕はなにをすれば……」
勢い込んで声を上げてみたものの、あまりに空漠なディムの視線に気圧され尻すぼみに。ディムの装備。至る所に様々な大きさのナイフ。一際大きなグルカナイフが2本。サプレッサー付きの短機関銃が一丁。ようやく到着した医師と思わしき男まで完全武装していることにもはや言葉を発することさえ出来なく。
「何が出来る?」
ディムの言葉。
あまりに淡々としすぎたその言葉が自分に向けられていると言うことに気づくまで十秒あまり。
慌てて答える。「ある程度のレクチャーは受けてきました!」
「手伝え」
実に淡々とした答え。
もはや青年の方など見向きもせず背嚢から医療器具を取り出している。
冷静沈着で頼りになると思えばいいのか、負傷者が死のうがどうでも良いと思っているのではと疑うべきなのかさえ、青年には判別がつかない。
「ヨウコはアレハンドロと共に警戒を。どうせしばらく経てばこの墜落現場にも様々な勢力が寄ってくることは間違いがない。思う存分トラップゾーンを構築しろ」
「了解。シャオも、頑張って、ね」
「ありがとヨォコっ! 絶対頑張るからっ!」
シャオミン。間髪入れずに即答。先程までの態度が豹変。
ヨォコに褒められるためにも頑張らなくっちゃ!
まさにコインの裏表が反転したかのような態度。
キャビンの外からは気弱そうな男の声。「ちょ、ちょっと待ってくれヨウコ。そんなものまで仕掛けるのかい!? 君はこのヘリを火星にまで吹き飛ばすつもりなのか!?」
もはや不安という言葉ですら生温いほど。本当にこの人達に任せて大丈夫なのだろうか。青年の脳裏にはその言葉しか浮かばなかった。