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ガールズ・イン・エクアドル

 夢を見ている。

 いつも見ている夢。目が覚めると思い出せなくなる夢。

 ただ、目を開けた時に残る涙の跡だけが、切なさを感じさせる夢だった。





◆◆◆◆A.D.2019 11/03 AM03:10◆◆◆◆ 



 ヨウコ・カトウの朝は早い。

 いつものように日が昇る前に眼を醒まし、身体に抱きついているシャオミンを起こさないように優しく引き剥がしながらベッドから降りる。寝る前に汲んでおいた水で洗顔し、涙の跡を跡形もなく消し去れば、彼女の日常が始まる。


 黒い髪。背中まで伸びた漆黒のロングヘア・一房だけ目立って長く腰まで伸びている。まるでピッグテイル(子豚の尻尾)

 櫛を当て丁寧に梳かしながらも、完全に覚醒しきっていない意識。またトラップ張り直さなきゃ、などと思考。


 髪を整え終えると今度は、下着一つ纏わぬ肢体を、濡らしたタオルで拭いてゆく。

 ヨウコ自身とシャオミンの汗が混ざり合った匂いを、タオルに吸わせるかのように、丁寧に丁寧に拭き取ってゆく。

 自身の均整が取れてはいるが控えめな身体を眺めながら、溜め息を一つ。

 なぜ自分は背ばかり伸びて女性らしい体つきにならないのだろうなどと、シャオミンならば間違いなく時間の無駄だと言ってくるようなことを、また今日も考えている。

 ようするにいつものことだ。


 身長173㎝。体重56㎏。

 女性としては大柄ながらも、細身な肢体。

 切れ長で鋭い瞳。細く整った顔立ち。まるで刃のような印象を懐かせるクールビューティー。

 これでもう少し出るところが出ていれば、などと本人は何度も思っている。


 汗を流し、髪を纏め終えると、両耳の特殊装備――歩兵用パッシブソナーシステム“ミダス(ロバの耳)”及び歩兵用電磁波解析システム“オルフェウス(詩人の耳)”を装着する。

 耳朶に巻きつく幾条ものベルト。金属製の兵装。まるで拘束具(ボンテージ)。服を着るより先に武装を身につけることを優先する。兵士としての心構えであり、戦いの狗としての心構えだった。


 いつものようにダークグリーンの迷彩服に着替えると、愛用のステアーAUGを背負い武器庫へ向かう。シャオミンは起こさず、夜型故に起きるはずもなく。


 さあ今日も良い天気だ。トラップを仕掛けるにはもってこいの陽気だね。などと呟きながら、うきうきとした足取りでヨウコは歩を進めていた。無論、脳内で呟いたのである。






◆◆◆◆A.D.2019 11/02 PM02:07◆◆◆◆



 容赦なく押されたPDAの実行ボタン(Enterキー)。瞬時に覚醒する無数のトラップの群れ。少女が仕掛けた過剰なまでのキルゾーン。


 まず、そこら中の地面に仕掛けられた対戦車地雷が覚醒する。

 見破られた地雷群は(デコイ)であり、本命は偽装効果に優れたマクダネル社製M63対戦車地雷だった。

 軽機関銃から発射される7.62㎜弾を耐えることの出来る電磁シールドでさえも、この対物兵器の破壊力の前では紙同然の薄さでしかない。

 瞬く間にシールド耐久許容量を突破され、機械化された手足及び胴体を吹き飛ばされる海兵隊機械化兵達。

 飛び散るのは肉片ではなく金属片。血飛沫と入り交じったオイル。それが2019年現在の紛争の形である。


 三人死亡。五人負傷。


 ミダスによって強化された聴覚によって、この派手な爆音の中でさえ状況を把握しているヨウコ。まずまずの結果に満足し、次のトラップを発動させる。


 少年を中心に半径20m内のありとあらゆる場所に仕掛けられた、十八個に及ぶ広範囲指向性対人地雷。

 数百個もの金属製ボールベアリングが内蔵された殺戮兵器が牙を剥く。

 対戦車地雷によってシールド限界を迎えていた機械化兵達を、魔法のように対戦車地雷の効果範囲外に設置されていたクレイモアの弾幕が襲う。

 地面・草叢・木陰・樹上・枝の先から樹の穴まで。計算され尽くされた殺意が彼等を呑み込んでゆく。

 悲鳴一つ、上げることが出来ない。そんなものは数千個の金属球が弾け飛ぶ轟音により掻き消されてしまっている。

 機械化によって痛覚のコントロールという恩恵を得ていた兵士達は、痛みもなくミリ秒単位で自らが死に向かっていることを実感してゆく。

 それはこの上のない恐怖だった。


 はたして死の嵐が静まると、生き残っていた者は僅かに一人。

 サイボーグ達の隊長格だった。

 彼は最も肉体の機械化が進んでおり、脳と脊髄以外は全て鋼鉄へと換装していたがために、辛うじて生き延びることが出来たのである。

 部下は全て死亡し、囮となっていた少年も肉片一つ残らない惨状に。

 そして自分の頭部に迷彩服姿の少女が、ライフルを突きつけているという現状に。

 ただただ世界の無情さを噛み締めていた。


「質問、いいか?」


 電子音声。

 人工声帯にまでボールベアリングが突き刺さっていたために、頭部の予備スピーカーからその声は流れていた。


「なぜ、こうまでして殺す?」


 泣けるものなら泣いている所だ、と彼は思う。

 壊れきった世界と、目の前の少女のような存在が増え続ける社会の無情さに。

 眼球まで機械に換装してしまった彼には、涙を流すということすら出来なかったのではあるが。


「オレは、傭兵。それが、仕事、だから」


 酷く辿々しい英語で告げるヨウコ。

 しかしその答えに対し、目の前の男は心底絶望したような表情を見せた。


 叫べるのなら、叫びたかった。子供が銃を持つな。子供が人を殺すな、と。

 しかし、彼のスピーカーからは平坦な声しか流れることはなく、それがどれほど心の底からの絶叫だとしても、少女には届かない。

 伝えたかった。教えたかった。お前が殺す必要はないのだと。

 子供に人を殺させないために、俺達が銃を撃っているのだと。それを男は伝えたかったのだった。


「祈って」


 Please pray。

 まるで英語教材のように、しっかりとした滑舌で、ヨウコは告げた。

 それは言葉を交わした男への、ヨウコなりの礼儀なのかもしれない。


「残念だが、俺の神は……もう死んでる」


 それが男の最期の言葉になった。

 容赦一つ無い銃声が一発、密林の中を響いていた。

 残されたのは完全な虚無だった。






◆◆◆◆A.D.2019 11/03 AM07:12◆◆◆◆



 目を開く。隣で眠っていたはずのヨウコは、いつものようにもういない。

 恐らくトラップと警戒網の構築だろうと当たりをつけながら、ロン・シャオミンは眼を醒ました。


 ヨウコが汲んでおいてくれた水を洗面器へと移し、躊躇いなく顔を投下。そのまま動くことなく約二分。ぷくぷくと浮かび上がってくる泡。周囲に誰かがいれば溺れているのでは?と勘違いしそうなほど長い時間が過ぎた後に再起動。ぷはぁ、と深い息を吐き出しながらも、ようやく完全に覚醒したシャオミンがそこにいた。


 服も纏わず鏡を覗く。黒のショートヘア。前髪に左から順に赤、黄、青のメッシュ入り。まるで信号機の配色。

 ヨウコの様にそれほど長くもない髪故に、時間をかけて梳かしたりはしない。精々が水で寝癖を抑える程度のものだった。


 洗面器の水にタオルをつける。

 わざわざヨウコが用意してくれた新品のタオルではなく、窓に干してあるタオルを使用。恐らくヨウコの使用済み。ヨォコの匂いがするー。などと口走りながら、濡らしたタオルで身体を拭く。


 身長152㎝。体重38㎏。

 ヨウコのようにもっと高い身長が欲しいなどと思いながらも、二年前から伸びもしない自分に絶望するシャオミン。胸も無し。ヨウコと違い僅かな膨らみすらみられない完璧なまでの幼児体型。

 鏡を見ながら深い溜め息。まだまだ成長するはず、と自分を励ましながらも、直後には深い自己嫌悪が襲ってくる。

 強化人間(ブーステッド)である自分に成長するほどの時間がそれほど残されていないことに思い至ったためであり、すぐに頭を振って掻き消した。まるで騒がしい仔猫のような仕草。


 ぱっちりと大きな瞳に、赤く輝く虹彩。カラーコンタクト。

 鏡に向かって微笑むと、愛嬌たっぷりの仔猫のような印象を与える。

 子供の頃から効果的な印象を与えるように訓練され続けてきた笑顔。

 不幸な生い立ちの賜物。しかし、今が幸せならばそれでいい、と考える超絶ポジティブシンキングの持ち主がロン・シャオミンである。


 汗を拭き終えると、いつものように朝食へ。

 背中に“TIME IS MONEY”と書かれたTシャツに、きわどい角度のウルトラ・ローライズ・ジーンズ。上下ともに下着無し。

 考えようによってはスラムの娼婦に劣らない露出度。本人曰く、ヨォコへのサービス。他の不特定多数の男性の視線は目に入らず。意識にも留めず。


 ベッドの脇にある棚から、二丁の拳銃(ベレッタM92)を取り出しジーンズと背中の隙間へと挟む。その上からベルトを締める。

 いつものスタイル。左右のポケットには破片式手榴弾と閃光手榴弾を詰め、朝食への武装完了。


 さて、私の信じる諺通りに、残された時間を大切に楽しんで生きますか。

 淀みなくドアを開きシャオミンは食堂へと突撃した。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 ここ十年ほどで、エクアドルの情勢は二転三転どころか幾度ともなく反転し続け、現在ではこの上ない程に混沌とした状況となっている。

 地球温暖化による南極の氷壁の溶解。それに伴う全世界的な水位上昇。

 特に南米西海岸では天災と言っても過言ではないほどの嵐と、嵐のもたらす局地的な津波が幾度となく発生。

 津波はエクアドルも例外なく襲い、西海岸に暮らしていた人々は皆住む場所を失う事態に。

 しかし、ここまではペルー、コロンビア、チリなどの他の西海岸の国家と変わりがない。


 しかし最初の天災である大津波がエクアドルを襲った2012年9月8日。エクアドルは一部軍派閥による大規模なクーデターの最中にあったのである。


 本来なら鎮圧されるはずだった軍事クーデターは、事もあろうに何万という人間が死亡し大量の難民が発生している最中に強行した軍派閥によって成し遂げられ、瞬く間に新政権が誕生したのであった。


 国際世論は新政権への様々な反応を示した。

 アメリカは近隣に発生した軍事国家への脅威を感じ、新政権のテロ国家指定を目論む。

 中国・ロシアは表向きは不干渉の立場を取りながらも、裏では新政権への支援体制を整える。

 隣国であるコロンビアは2008年以降断絶されていた外交を再開すべく国連を通し交渉。

 逆にコロンビア革命軍は新政権からの支援を約束され活発的に活動開始――テロ行為。


 三ヶ月も経たずしてさらなる内乱が発生する。

 アメリカ・中国が互いに旧政府軍・新政府軍を支援開始。

 エクアドル国内で二大国の代理戦争が開始される事態に。


 さらに、2010年以降急速に発達をし始めたサイバネティクス技術が、紛争に拍車をかけ始める。

 秘密裏に流入するサイバネティクス兵器。形を変えた歩兵戦。さながら、近未来兵器の実験場の様相。

 政府軍反政府軍共に密林へと拠点を移し、泥沼の戦いが繰り広げられる毎日。


 そして2014年。世界初の“脳機能強化型人類”が、中国にて誕生する。

 人間が生きてゆく上で使用しない脳の大部分を、自分の意志で使用することの出来る人間の誕生。

 小脳へとメスを入れ、“伏竜”と呼ばれる特殊なカプセルを脳内に埋め込むことにより、カプセル内のナノマシンによって制御された薬液が分泌。

 脳機能を発達させ、人工的に“天才”を創り出すことの出来る新技術が開発されたのである。


 人間はその脳機能の10%程しか日常生活に使用していない。残りの90%はほぼ未使用の状態なのである。

 “伏竜”は残りの90%を日常的に使用させる脳の覚醒作用を持つ。

 それが“天才”の正体だった。

 “伏竜を埋め込まれることにより脳が摩耗し続け、三~五年ほどで廃人同様となる”、という欠点が存在する以外は、完璧と言っても良い人工的な進化である。


 かくして当然の如く“伏竜”は軍事転用に至る。

 数年後の確実な死というデメリットにも拘わらず、世界一の人的資源を持つ中国という大国故に、“伏竜”を使用した“国家のための国家による殉死者(ブーステッド)”が大量に生み出され、使い捨ての兵士・科学者となり中国躍進への礎となってゆく。


 これに脅威を覚えたのが欧米諸国である。

 特に米国の執拗さは凄まじいものだった。“世界の警察”を自称する彼等にとって、“世界最強の共産国家の誕生”は見過ごせるものではなかったのである。

 CIAが中心となり、フランス情報局、ドイツ連邦情報局らが“伏竜”の技術を入手すべく、幾度となく合同作戦が行われる。数えきれぬCIA職員が犠牲となり、ついには欧米諸国に“伏竜”の技術が流出した。


 そこから先は、さらなる泥沼である。


 アメリカは“伏竜”の志願者を募り、伏竜埋設を前提とした科学技術者達によるチームを結成。

 チームの技術主任であるロバート・マクダネルによって新たな混沌を生み出す技術、人体と戦闘機器の融合・機械化兵士(サイボーグ)計画が進められ、成功に至る。


 こうして二大国による発展したサイバネティクス技術は、戦争というものを新たな形に変えようとしていた。


 ロシアは中国と軍事提携を結び、“伏竜”の技術を共有。対抗するかのようにアメリカは欧州各国との連繋を目論み、世界は非常にわかりやすい形で二つに割れたのである。

 あわや第三次大戦かと危惧されたが、過去の二度の大戦による傷痕は未だ世界へ深く刻まれており、誰もがその引き金を引くことを躊躇っていた。


 よって、熾烈化したのは各国の紛争である。


 代理戦争。

 二つに分かれた世界はその全ての紛争を自らのコントロール下に置くことを強く望み、中国側が内乱国の政府軍を支援すれば、アメリカ側は秘密裏に技術・物資の支援を反政府軍へと。

 やがて各地の紛争へと両陣営の最先端技術が流れ込み、紛争はサイバネティクス技術の性能試験場と変わり果ててゆく。

 何のために戦うのか、誰のために戦うのか、それすらも曖昧になってゆく。

 誰もが国のためと唱え、神のためと謳い、家族のためと叫び、それでいて第三者の武器と意志の元でただひたすらに戦い続ける。

 それが、新たなる、二十一世紀の戦争の形である。


 ここで話はエクアドルに戻る。

 現在エクアドルには新政府軍、旧政府軍、過激派組織“ソルダーオ(兵士)”、隣国コロンビアに本拠を置く大規模コカインカルテルの四つの勢力が鎬を削り合っている。

 新政府軍は中国。

 旧政府軍はアメリカ合衆国。

 ソルダーオはマクダネル社。

 カルテルは台湾公司。

 各勢力がそれぞれ大規模なバックボーンからの支援を受け、日々乱戦を繰り広げている。彼等は皆最先端の技術と武器弾薬を独自の流通ルートを確保することにより、尽きることのない支援を受けることが出来る。

 “無限の弾薬”と“有限の人材”の浪費がエクアドル紛争の正体であった。


 エクアドルには各陣営の最新兵器が常に流出されている。

 アメリカ側は合衆国近隣の国家であるが故に一刻も早くこの紛争を制そうという試みの元。

 中国・ロシア側は逆に合衆国の喉元に兵站基地を構築するために。

 マクダネル社は各国の過激派組織の操作により兵器売買という手段で経済を掌握するために。

 台湾公司は“伏竜”制作に必要な原材料であるコカインを、エクアドルのカルテル経由で入手していたがために。


 各々が火に油を注いでゆく。

 燃えさかる火は、いつしか兵器開発の最先端のモデルケースとなり、様々な兵器がここエクアドルで改良されてゆく。


 いつしか傭兵達の間で流れる声。『最新式の銃を撃ちたかったらエクアドルへ行け』。

 こうして、エクアドル紛争は“実験戦争”とまで呼ばれるようになったのである。






◆◆◆◆A.D.2019 11/03 AM07:50◆◆◆◆



 ヨウコが拠点に辿り着くと、食堂手前にある古木に寄りかかりながら、小柄な少女がヨウコを出迎えた。

 無論、シャオミンである。


「あ、ヨォコおかえりぃー」


 大きめのパンをもふもふと咀嚼。

 まるでハムスターが頬袋にひまわりの種を詰め込む様を彷彿とさせる食事光景。

 そんなに急いで食べなくてもシャオの食事を盗む人なんていないのに。などと思いつつも、これもやはり信仰故になのだろうか?などと無益な思考の罠に陥る。

 頭を振り、そんな難しいことを考えているはずがないと結論を呟く。脳内で。


「ただいま、シャオ。オレの、分は?」


 辿々しい英語。既にヨウコのトレードマーク。

 相棒の姿に苦笑を漏らし、シャオミンの寄りかかる古木の隣へ。

 暑苦しい迷彩服の上着を脱ぐ。地面に敷いてその上に座り込む。たちまちシャオミンが膝に乗ろうと画策。苦笑しつつも脚を開き座りやすい様に受け入れてやる。


「はいこれがヨォコの分。今朝はトラップゾーンの構築に行ってたの? 偵察とかはしなかったんだ?」


 渡されたのは強面ジャック特製のホットドッグ。

 あの男はこの拠点の副司令でありながら、多種多様の雑用をこなす。

 本人曰く、人が足りねえから仕方がねえだろ。とのこと。

 他者から見ればどうみても本人の趣味だった。


「今朝は、伏撃ポイントを、3つ、作成、してきた。オルフェウスの、中継点も、造ってきたから、後でブリーフィング、だね」


「了解了解。こっちの状況は変化無しだよぉ。今日はゆっくり出来るかも?」


 仔猫のように懐くシャオミン。正直言って暑苦しいが、微笑ましい光景でもある。

 気にせずにホットドッグを咀嚼。いつものようにゆっくりと。毒物混入への備え。

 なかなかに美味。強面ジャックの語る引退後の夢――場末の酒場のマスター。あの密林のように生い茂っている髭さえ整えれば似合っているかもしれない、などと考えながらも食事を続ける。


 不意にこちらへ近づいてくる足音。体重80㎏ぐらい。

 “無表情”のディム。エクアドル生まれのメスティーソ。

 夜間戦闘とナイフの達人でもあるゲリラ兵。

 恐らくヨウコ達に警戒されないようわざと足音を立てている。


「ジャックからの差し入れだ」


 彫像のように微動だにしない表情。彫りが深く整った顔立ち。口元だけが動いて喋る。

 どこか滑稽さと不気味さの中に余裕さまでをも兼ね備えた大人の男の風情。

 差し入れの中身――強面ジャック特製のランチパックが二人分。

 可愛らしいウサギのシールで封をされている。

 これを作るジャックの姿も持ち運ぶディムの姿も想像できない。したくもない。


「ありがとぉディムさんー」


 ここに置いておいて、などと言うように横手の地面を叩くシャオミン。

 どうあっても特等席であるヨウコの膝から動く気はないとでも言うような仕草だった。


 無表情ディム。彫像のように動かない表情筋。

 そのまま指示された地面に差し入れを置くと、ぽんぽんとシャオミンの頭を軽く叩く。

 嫌になるほどスマートな仕草。まさかこの人も可愛いものが好きなのだろうか、などとヨウコは呟く。無論脳内で。


「そういえばヨウコ。本隊の方から妙な情報を確認した。ジャックがお前のPDAにデータを送っているはずだ。協力してくれるとありがたい」


 言うと同時に背を向けるディム。わざと足音を立てながら返答も待たずに去ってゆく。

 結局一度たりとも微動だにしなかった表情。

 いつもの事なのでヨウコもシャオミンも気にしなかった。


 昼食の筈のランチパックを躊躇なく開くシャオミン。実に嬉しそうにサンドイッチを掴み取る。

 その姿に苦笑を浮かべながら、ヨウコはPDAを取り出した。


 未読メールが一件。

 差出人の名前――森のクマさん――強面ジャック。

 意外に少女趣味なヨウコの悪戯の一つ。


『昨夜はお盛んだったようだなヨウコ。別に止めやしないが、もう少し声は抑えた方が良いんじゃないかとも思うぞ』


 いきなりのセクハラ。

 ジャックさんデリカシー無さ過ぎ減点1と怒りを込めて呟く。無論いつものように脳内である。


『どうやら近辺に民間機が墜落したらしい。珍しいことに映像を見る限り、成り金難民(、、、、、)の連中の代物だ。連中がこんなところに一体何の用があるのかはわからんが、上手いこと立ち回れば相当な回収が見込めるぞ。もちろん分け前もはずむ。どうだ? 手伝ってくれないか?』


 成り金難民とは2013年のコリアクライシスによって大量発生した日系及び韓国系難民の一部の人間達のことである。

 国際情勢に目ざとく所有資産も豊富だった一部の富裕層の人間達は、本土が戦場になるという情報をいち早く入手すると、資産をまとめ国外へと逃亡したのである。

 彼等にとって故国というものにそれほどの価値はない。

 ただ潤沢の資金とそれを如何に運用するかが重要なのである。


 彼等が何故こんな紛争地帯に現れたのかはヨウコにはわからない。

 恐らく武器の密売やらコカインの買い取りやらのためだろう。

 奴らは金の匂いには獲物を横取りするライオン並みに敏感だ。


「シャオ、どうする? やる?」


 もふもふと小動物のようにサンドイッチを食べ続けているシャオミンへ問いかける。

 即座にデータを参照するシャオミン。

 気ままな猫が不意に獲物を見据えるような、そんな目つきに変わる。


「相手がアジア系っていうのが気にかかる。もしかしたら私や……ヨォコが狙いと言うこともあるかも」


 確かに。そうヨウコは脳内で呟く。

 自分たちには狙われる理由がある。特にシャオミンは機密漏洩の容疑や亡命の関係で中国政府に追われているはずだった。

 東洋人を警戒するのも無理はない。

 “墜落”を装って付近にエージェントが侵入していたとしてもおかしくはないのだから。


「だいじょうぶ。シャオは、守るよ。オレが、必ず」


 辿々しい英語。それでも精一杯の想いを込めて、少女は伝える。

 先程までのほのぼのとした雰囲気はそこにはない。

 ただただ純粋に相手を想う真摯な覚悟だけが、そこにはあった。


「うん。私もヨォコのことは絶対守るから……」


 抱きしめる。寄りかかる。寄り添い合う。

 銃火という吹雪の中で寒さから逃れるために身を寄せ合っているの仔犬と仔猫。

 それが二人の少女の関係だった。







◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 キャラクターデータ


  ロン・シャオミン

   職業・傭兵、諜報員。

   国籍・中華人民共和国。

   所属・反政府過激派組織“ソルダーオ”及び人民解放軍総参謀部。

   年齢・15。

   基本的に確信犯。ヨウコ以外の人物はどうでもいいと思っている。属性はタチ。



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