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◆◆◆◆A.D.2019 11/04 AM0:00◆◆◆◆



 一体これは何の騒ぎなんだ? 未だに痛む口腔内の傷に顔をしかめながら、黒川は“ソルダーオ”第三拠点内を歩いていた。

 拠点内は妙に慌ただしい。先程から銃器を持った男達が駆け回り、何台もの車両が拠点から出撃していく様子が見られている。

 間違いなくただごとではない。まさかこの拠点に他勢力が攻め込んできているのか? 有り得ない話ではない。そのことに思い至り戦慄する。

 時折すれ違う相手に声をかけて様子を窺おうにも、皆が皆殺気立っていてとても話しかけられる雰囲気ではない。当然かもしれない。ここは国際的に悪名高いテロリストの巣だ。たかだかサラリーマンである自分が彼等に気圧されるのも仕方がない。黒川の諦観。

 先程のシャオミンとの出来事で、決定的に思い知らされた。ここにいる人間達は皆が皆、自分とは違う生き物だと言うことを。

 例えるならば、肉食動物と草食動物ぐらいの差。獅子の前で怯えて竦む事しかできない小さなウサギ。それほどの差が彼等と自分の間にあったことに、あの時ようやく気づいたのだった。

 ここはまるで、タチの悪い怪物達の王国だ。誰もが暴力を容認し、誰もが暴力に依存している。問題を解決する手段は全てが暴力を起点にされる。相手と行う交渉でさえも、銃口を向けてから行うのだから。

 “強面”ジャックは言う。白いハゲタカになれと。ハゲタカになることでしかこの国に関与できないのならば、せめてこの国の未来をより良い方向に導くハゲタカになれと。ジャックはそう言った。

 しかしロン・シャオミンは言ったのだ。自分は必ず、ジャックに喰い物にされると。ジャックだけではなく、他の全てに自分は喰い散らかされると。

 今ではその言葉があまりにも強い現実味を持っている。まさにシャオミンの言ったとおりだ。心が弱い。そう言われた。その通りだ。結局自分は何かに依存することでしか生きていけなかった。家族に、親に、会社に、上司に、そして、ここで出会った強面ジャックというテロリストに。

 何故ならば、そうして生きるのが楽だったからだ。自ら道を切り開かずに誰かが整備した道を歩く。それがどれだけ楽なことなのか、黒川はつい先程まで認識すらしていなかった。自分より幼い少女に人としての尊厳を根刮ぎ打ち砕かれるまでは。


―――どうすりゃいいんだ。ちくしょう!


 声に出すことすら情けなく感じて、せめて脳裏で悪態を付く。周囲の兵士達に余計な目をつけられないように、態度にすら表さず。

 惨めだ……。心の底からそう思った。

 別に先程までと何も変わったわけではない。強面ジャックとの取引は生きているし、マンハッタンに戻れば魔女の化身たるあのクラウディア・マウアーが手回しを済ませているだろう。

 何も問題はない。自分はただ、意気揚々と大口顧客の新規開拓をした営業マンとして会社に戻れば良かった。それで良いはずだった。ならばこの形容しがたいやるせなさは一体どういう事なのだろうか。

 胸の奥底に煩悶とした思いを沈めたまま、黒川は第三拠点内を歩いていた。

 どこに行こうというわけでもなかった。初めは医務室に向かってシャオミンに負わされた傷を治療してもらうつもりだったのだが、明らかな緊急事態であるこの状況で、まともな治療が受けられるとは黒川には思えない。ならば医務室などに向かっても何の意味もないことは容易に判断が付く。

 だからといってこの状況で建物の外へ出る気は起きなかった。もしこの緊急事態が他勢力による敵襲だったとしたら、外に出れば間違いなく今以上の危険に曝される。そこまでして外に出る理由は、黒川にはない。

 もしかしたらここで自分は死ぬのかも知れない。急襲してきた敵勢力の兵士達により、“ソルダーオ”のメンバー共々皆殺しの憂き目に遭うのではないだろうか。あの自分より若く、それでいて鮮烈な生き方を貫いている二人の少女諸共に。

 そんなことは嫌だった。こんなところで終わるような人生ならば、自分はなぜあの銃火の中を生き延びたのか、それすらもわからなくなる。

 楽しげに笑いながらアサルトライフルを連射する兵士達の表情を今でも思い出せる。隣を必死に走って逃げていた女性が、無惨に撃ち殺された光景を、未だに覚えている。

 あの時。五年前のあの時は、それこそエクアドル(ここ)にも劣らぬ地獄であったはずだった。

 隣人を見捨て、友人を失い、母すらも行方不明。その無数の屍を踏み越えて北海道まで逃げ出して。過去の痛みを乗り越えようやく新しい人生を送り始めたところだというのに。こんな場所で命を落とすというのならば、あの時の悲しみは、慟哭は、いったい何だったというのだろうか。

 歩く。歩く。歩く。

 忙しなく走り回っている兵士達すら気にかけず。ただただ迷路のように出口の見えない思索に耽る。

 こうして考えることが出来る時間がある分、先程までよりもずっと死への恐怖は高まっているのかも知れない。こんなところで死にたくない。しかしそうは思っていても、自分に戦場で何かが出来るとは思えなかった。

 銃を撃ったこともない。格闘技をやったこともない。中学生の頃に陸上部だったおかげか、走ることだけには自信はあるが、それでもこの密林を抜けて街まで走ることなど出来うるはずもない。

 結局自分は、誰かに守られなければ生きることも出来ないのだろう。その事実に心底押し潰されそうになりながら、黒川はただただ呆然と歩き続けていた。


「おや、君は確か……」


 声をかけてきたのは、車椅子に乗った壮年の白人男性。穏やかな声と仕草が印象的だった、ドクターフリープライス。

 激戦区の難民キャンプに危険を顧みずやってきた医師。

 難民キャンプで交わした会話をまだ覚えている。なぜそんな偽名を使っているのか?という黒川の問いに対して返ってきたセリフが、実に印象的だった。

 困窮している難民達に痛ましそうな視線を向けながら、『彼等から高額の診療費を取るわけにも行かないだろう? だから、“フリープライス(はした金)”というわけだ。実にわかりやすいだろう?』と言ってのけた人物だった。


「やはりミスタ黒川だったか。君も無事だったのだな。あの墜落でも生き残っている辺り、お互い悪運には恵まれているらしい」


 そう言って穏やかな笑顔を見せるフリープライス。穏やかな目、穏やかな声、穏やかな仕草。しかし黒川は気づいてしまう。気づけてしまう。この一見柔和な表情は、全ての心の裡を覆い隠す、完璧なまでのポーカーフェイスだと。

 つい先日には気づくことすら出来なかった事実。しかし今日味わった激動の体験が、黒川の観察力を成長させていた。

 何が危険で、何が欺瞞で、何が虚で、何が実なのか。それを見分けることが出来なければ、ここではすぐに死に至る。皮肉にも黒川の本能は、今日という危機を乗り越えたことにより鋭く研ぎ澄まされたのだった。


「どうかしたのかミスタ黒川。顔色が優れない様だが……」


 穏やかな視線で気遣ってくるフリープライス。傍目には黒川の様子を心配している様に見える。しかし実際には冷静冷徹に相手の心境を見透かそうとする、一切妥協のない視線であることに、黒川は気づいていた。


「いえ、何でもありませんドクター。あなたの方こそご無事で何よりです」


 動揺を押し殺す。上司の吉岡が妙に気にかけていたこの医師・フリープライスが、まともな医者であるはずもないと今さらながら思い至る。いや、もしかしたら医者ですらないのかも知れない。恐らくは麻薬や違法な医薬品売買に関わる人物であるはず。


「ふむ、発音を見る限り口内に傷を負っている様だな。まさかここの連中に拷問でもされたかね?」


 しかしフリープライス。実に正確な観察眼。努めて平時と変わらないように声を出したにもかかわらず一瞬で看破。慌てて物騒な単語だけを否定する。「いえ、拷問をされたわけでは……」


「そうか。しかしそのままにしておくのも良くないな。医務室へ行こうミスタ黒川。なに。負傷こそしてはいるが、私も一応医者だ。君の治療をさせてくれないか?」


 そう言って器用に車椅子を操り反転。自ら先導する。有無を言わさず医務室へ向かうフリープライス。仕方なく、しかし警戒しながらついていく黒川。

 この医師が本当に何らかの裏稼業に就いている人物ならば、もしかすると現在の状況を把握しているかも知れない。今日一日で嫌と言うほどに思い知った。彼等は皆、危険の前兆にとても敏感だ。それこそ平穏な世界で生きてきた自分とは比べ物にならないほどに。


「ふむ。この状況かね。知っていることは知っているが……。安心したまえ、別にこの拠点が襲撃に遭うというわけではない」


 勝手知ったる他人の家とばかりに短期間で無遠慮に物色された医務室。まるで神経質で几帳面な犬にマーキングされたかの様子。様々な薬品を診療机に並べながら、机の前に車椅子で陣取る姿は、元々この部屋の主であったかのような様相である。


「ドクター。襲撃ではないということは一体この騒ぎはどういうことなんでしょうか。僕には明らかに非常事態としか思えないのですが」


 黒川。なるべく不安を隠しフリープライスに。診察用の椅子に座りながらも、逆に医師からあらゆる情報を引き出そうとの覚悟。

 エクアドルに来てから学んだこと。それは本心をさらけだすということはこの上なく自らを不利な立場に追い込む行為である、という事柄である。

 思い返してみれば誰もがそうだった。シャオミンは言うに及ばず、その相方であるヨウコも、医者であり兵士であったディムも、人当たりの良い性格をしているアレハンドロや、理解を示してくれたジャックでさえも、腹の底では何を考えていたのかすらわからなかった。

 黒川には彼等がまるでエイリアンのように理解の及ばない人物にさえ思えていたのだ。車の中で見たヨウコの哀しげな微笑や、先程のシャオミンの激情から、かすかに人間性が垣間見えるまでは。


「確かにここの連中にとっては非常事態と言えるだろうな。そしてもちろん、私にとってもそうであり、君にとっても他人事ではないのかも知れない。いくつかの偶然が重なり、事態はそれほど大事(おおごと)になっているのだ。本来ならば、君の上司であるヨシオカとの取引で終わるはずだったものなのだが」


 フリープライス。非常に回りくどい言い回し。あえて相手の興味を引くキーワードを口にしながらも、要点については一切述べず。ただただ相手の不安を煽り、興味を引き、自分のペースに持ち込もうとするその話術が、恐らくこの人物のアンダーグラウンドの渡り方なのだと見抜く。黒川の直観。

 そして黒川は理解する。これはある意味ゲームのようなものだ。出来うる限り自分の手札を隠しながら、相手の手札を推理するゲーム。手札の中から交互にカードを出し合い、相手の仕草や表情から残ったカードを推測し、先に手札を全て知られてしまった方が敗北する。そういうやりとりを、フリープライスは仕掛けてきているのだと。

 考えてみれば誰もがそうだったのかも知れない。車の中で親身になって話を聞いてくれたと思っていたヨウコも、黒川に新たな道を指し示してくれた“強面”ジャックも、ヨウコの陰に隠れながら黒川を観察していたシャオミンも。彼等は皆、黒川の持つカードを探ろうとしていたのではないのだろうか。その上で手札を完全に看破されてしまっていたのではないのだろうかと。

 この場合の手札というのは、相手の持ち得る情報及び、相手の利用価値である。

 それを如何に手に入れ、如何に利用するか。それが恐らく、彼等のようなアウトローの世界での|ゲームでありルールなのだ《、、、、、、、、、、、、》と。理解する。理解できる。

 なるほど。よくわかった。

 それならば、ルールを理解できたのならば、これ以上の無様は晒せない。もう二度と負けてなどやるものか。今まではただただ流され続けているだけだった黒川の決意。


「取引と言うことはやはり、“あのケース”のことなのでしょうかドクター」


 “非常事態”“取引”という二枚のカードを場に出したフリープライスに対し、場に出したカードは“ケース”。上司の吉岡が黒川に対し“最も重要な医療機器”が入っているとして丁重に扱わせていたという、医療支援が真っ赤な嘘と判明した今となっては中身が最も気になる代物。

 無論、見当違いと言うことも大いにある。しかし黒川は覚えている。あの時あの場所で最終的に“ソルダーオ”の四人は、一抱えほどもある“ケース”を持ち出さなかったことを。

 死体からも金品を奪うまるで墓荒らしのような彼等の行為を全て見届けていたわけではない。しかし、装甲車の後部荷台に乗り込んだ時、どこにもあの“ケース”が見当たらなかったことを覚えている。

 つまり、彼等はあの時点では“ケース”の存在に気づくことが出来ず、意識を取り戻したフリープライスからの指摘で“ケース”が未だにヘリに取り残されていることを知り、回収する事態に陥っているのではないだろうか。黒川の洞察。


「ほう、君は“アレ”のことを知っていたのかね?」


 フリープライスの豹変。穏和な笑みが一瞬にして凍り付く。アンダーグラウンドを渡り歩いてきた人間にしかできない凄味のあるポーカーフェイス。柔和に垂れ下がった眉尻。軽く引き上げられた口角。どこからどう見ても笑顔にしか見えない表情が、まるで得体の知れない怪物の似姿のよう。

 ビンゴ。思わず心中で呟く。自分は今、間違いなく核心を突いた。自分が場に出したカードが、これほどまでにフリープライスを揺さぶった。眠っていた怪物の尾を踏んだのか、怪物を打ち倒す銀の銃弾を撃ち込んだのか。そこまではまだ判別がついていない。

 だから。


「ひとつ、提案があるのですけど、ドクター」見据える。真っ直ぐに。相手を視線で撃ち抜くように。「なにかね? ミスタ黒川」返礼は視線。凍えるような視線。全てを透徹し見透かすような、実に恐るべき視線。「それはですね」視線を返す。口の端を歪ませる。笑う。笑う。思い出せ。年下の少女に嬲られる無様な自分の姿を。歯を食いしばれ。もう二度とあんな無様を晒さないために。


「どうせこんな腹の探り合いをするのならば、ここはひとつ建設的に取引(ビジネス)と行きませんか?」


 忘れていた。思い出した。考えてみればそうだった。

 子供の頃から自分は、対戦式のカードゲームには負けたことがない。

 挑戦的な眼差しを向けた黒川に、フリープライスもまた、凄味のある微笑を浮かべている。

 しかし怯まない。

 先程自分を見下した少女の視線を思い出す。何一つ価値のないものを見るような目で自分を見ていた少女の視線を。

 負けない。負けられない。負けたままではいられない。

 確固たる自分というものを、手に入れるまでは。

 気づけば黒川も笑っていた。

 フリープライスの微笑を受けて、黒川自身もまた、彼等アウトローと同じような微笑みを浮かべていたのである。

 それはまるで、肉食獣が獲物に対して牙を剥くような微笑だった。

 “白いハゲタカになれ”。

 知ったことか、そんなハゲタカはいない。屍肉をむさぼるハゲタカに、正義などは存在しない。白も黒も変わりなく、ただ醜いケダモノに違いない。

 だったら。

 せめて、自分の思うままに、生き抜いて、やる。





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