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エクスプロージョン

◆◆◆◆A.D.2019 11/03 PM11:15◆◆◆◆



 耳が痛くなるような静寂だった。

 正直、この静寂は嫌いじゃない。

 自分が相手の命を握っているからこそ起こる静寂。自分が相手より優位に立っているからこそ起こる静寂。

 黒川にベレッタの銃口を突きつけながら、シャオミンは冷めた気分で静寂を享受していた。


「しゃ、シャオミン……? なんで、どうしたんだよ……いったい……」


 黒川の喉から絞り出されるような声。銃口を突きつけられているというのに現状を認識できず、少女に理由を問おうとする。

 ナンセンスだ。いつだって引き金を引く側の人間は、理由なんてろくに説明しないというのに。この男はそれすらもわかっていない。

 強者は弱者に説明などしない。行うことは蹂躙だけだ。それがこの世のルールで、エクアドルでのルールなのだと、少女は知っている。


「ぼ、僕を……こ、殺すのか……?」


 ガタガタと震えるながらも身を起こし、逃げるようにベッドの隅へと後退る。本当に素人なんだ。相手が過剰反応して引き金を引いたらどうするのさ。シャオミンの呆れ。しかし、表情には出さず。ただただ冷徹に黒川を見据えている。


「ひとつだけ、言っておくことがあったから」


 その声はまるで、人ではなく人形が発したかのような声だった。

 自らの口から発せられたあまりに無機質な声質に自嘲する。

 あの頃に戻ったみたいだ。ヨウコに出会う前のあの頃に。瓦礫と廃墟の街で暮らしていたあの頃に。初めて銃を持たされその重みで震えていたあの頃に。初めて人を殺しその返り血の熱さに怯えていたあの頃に。


 無造作に左手で黒川の腕を掴む。引き起こす。勢いに任せ床に投げる。背中から叩きつける。流れるような動作で馬乗りに。ブラジル辺りで流行っていた柔術の教科書に載せても問題ないような滑らかな動き。強かに背中を打ち悶絶したまま酸素を求め大口を開けている口内に、直接ベレッタをねじ込んだ。


「二度は言わない。聞く耳持たないなら命はないから」


 仕草だけは普段のままに。しかし声質は人形のそれ。誰かに言われた。お前は殺戮するためだけの機械だと。少女はそれを否定できなかった。その時には拭いきれないほどの返り血で全身が赤く黒く染まっていたのだから。

 黒川は答えない。答えられない。口中深く挿し込まれた銃口によって、頷くことすら出来ないでいる。ただその目だけが苦痛と怯えと驚愕に震えていた。


「私達が……、私とヨォコがここにいることを誰にも―――――言うな」


 言葉と共にさらに銃を深く押し込む。奥まで突き入れられた拳銃に酷くえづく黒川。唇と銃身の隙間から溢れる血の泡。恐怖と痛みで零れる涙。こんなことで泣かないでよ。男だって、よく似たことを女相手にやるじゃない。この程度で泣くなんて、なんて情けない男。齢15の少女の実にサディスティックな思考。

 口腔の奥に押し付けたまま撃鉄を上げる。ガチリという音が部屋に響く。


「誰かに洩らしたら、どこに居ようが殺すから。ニューヨークだろうがホッカイドーだろうが……ね」


 そのまま十秒。異様な緊張感に満ちた静寂。互いの視線が交錯する。片方は機械で出来た人形のように無機質な、もう片方は補食寸前の小動物といった視線。


 やがて黒川の目に存分の恐怖が満ちた頃、ゆっくりとベレッタを引き抜く。げほげほと咳き込む男を尻目に、血と涎でドロドロに汚れた銃身を、わざわざ黒川のスーツで綺麗に拭う。そのままゆっくりと立ち上がる。用は済んだとばかりに床に倒れたままの黒川を置いて出口へ向かった。


「なんで……、こんなことを……するんだよっ!」


 背後からかけられる黒川の声。ここまでされて文句が言えるなんて、思ったより根性あるじゃない。それとも危機感が足りないだけ? とりとめもないことを考えながら黒川を振り向く。銃口は向けない。ただただ貫くような視線だけを起き上がろうとしている男に向ける。


「あんたの意志が、とてもとても弱いから」


 歯に着せる衣などどこにも存在しないかのような言葉に、何も言えずに押し黙る黒川。自分でも思うところがあったのかも知れない。呆然とした表情でシャオミンを見上げていた。


「あんたはジャックに心酔した。出会ってまだ半日も経っていない相手に、心の底から依存しようとしてたんだ。相手のことなんて何も知らないのに、この上なく影響を受けた。つまりそれは、話にならないほど意志が弱いって事だよ。確固たる自分というものを持っていないから、容易く何かに流される。そういうことだよ、イチロォ」


 もう銃は使わない。使う必要がない。

 心のどこかで持っていた劣等感を、意志という弾丸で撃ち抜かれた相手は、精神的に死んでいる。抵抗など、出来るはずもない。


「あんたは必ず喰い物にされる。さっき電話で話していた女にも、あんたが心酔しようとしていたジャックにも、そして間違いなく会社にもだ。なぜなら心が弱いから。自分一人で立つことも出来ず、いつも誰かに縋り付こうとしているから。自分一人で道を歩かず、いつも誰かの後ろに付いて歩いているから。そんな惰弱な男に、ただ口で言っただけで通じるもんか。二度と忘れられないような恐怖と屈辱と一緒に刻みつけでもしない限り、私の言葉なんて伝わりやしない」


 視線を外し俯く黒川。血管が浮き出るほどに拳を握り締め、歯を食いしばり年下の少女から受ける屈辱に耐えている。

 シャオミンはその様子を目にしながら、自分でも制御できなくなってきている苛立ちのままに言葉の弾丸を撃ち出し続ける。


「ヨォコも私も、非常に危うい、奇跡的なバランスの上に立っている。たとえるなら剃刀で出来たシーソーの上に立っているようなもの。落ちたら奈落。気を抜いたら真っ二つ。バランスを崩したら反対側にいる相手(ヨォコ)が死ぬ。ブーステッド(わたしたち)っていうのは、そういう存在なんだ。常に警戒され、監視され、何かがあれば排除される。それはどこでも変わらない。本国でも、アメリカでも、エクアドル(ここ)でもね」


 苛々する。胃がむかついて口から躍り出そうなほどに腹が立つ。こいつは、この男は、民間人(、、、)は、何でこんなに平和ボケしているんだ? ただ生まれた場所が違うだけで、こんなにも無造作に無防備に無神経に生きていくことが出来るのか?

 シャオミンの胸中に浮かんだその感情は、もしかしたら、嫉妬や羨望といったものだったのかもしれない。


「そうして死ぬのが私だけだったらいい。だけど、ヨォコはダメなんだ。ヨォコは私の全部だから。何があっても守らなくちゃいけないから。たとえどれほど、血を流しても。たとえどれほど、血に塗れても。それがヨォコを守ることになるのなら、私は絶対迷わない。躊躇わない。絶対に」


 どうして私はこんな事を言っているのだろう。シャオミンは自嘲する。これはあの時と同じだ。綺麗なものに憧れて、汚れていないものを羨んで、自分の醜さに哀れになって、相手に劣等感をぶちまける。

 ただそれでも、あの時と違うことが一つだけある。


「結局。言いたいことは、ひとつだよ」


 今の私には、ヨウコがいる。もう独りじゃない。ヨウコが、ヨウコがそばにいるんだ。

 ―――――――――だから。


「ヨォコに――――――危害を加えるな」


 それは、殺意などという言葉では生温い、狂気すら入り交じった警告だった。

 胸に浮かんだ苛立ちを振り払うように背を向ける。そしてそのまま部屋を出る。振り返ることもなく。

 残されたのは、男が一人。


「なん……なんだよ……。ちくしょう……」


 絞り出すように口から言葉を吐き出すと、握った拳を床に叩きつけていた。




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