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    青銀の少女

 



 寝覚めは最悪だった。

 今後も良くなる要素が無いので、明日もこんな絶望的な気分で起きるのかと思うと憂鬱になる。

 時計が無くて時間は解らなかったが、太陽の位置から何となく7時か8時くらいだろう。

 ロビーで桶と布を借りて井戸の場所を教えてもらい、冷たい水で顔を洗って部屋へ戻った。

 リサの部屋を小さくノックするが、反応は無い。あれだけ色々な事があったのだ、昼過ぎまで眠っても当然だろう。


 自室に戻って1時間程何も考えずに過ごしたが、黙っていると余計に暗い気持ちになるので、朝食を取って昨日のウルフ討伐依頼に向かう事にした。

 リサの部屋には鍵が掛かっているため、ロビーで女将に小銀貨を数枚渡す。


「昼頃になったら、連れを起こしてこれで何か食べさせてやってください」


 食事の費用ならば小銀貨1~2枚で十分なのだが、多めに出したのはチップと手間賃だ。


「言われなくともそのつもりさ」


 そう言うと小銀貨1枚だけ取って残りをレオに返してきた。

 お人好しな女将に苦笑しつつ、返されたお金を再度差し出す。


「それなら残りは彼女に渡してください。無一文じゃ不便だろうし」


 女将はそれを眉を顰めて暫く見つめると、唸るように言った。


「それは良いけど………………ひょっとしてアンタ、良い奴なのかい……?」


 そのあんまりな言い様に、脱力しながらレオも答える。


「俺そんなに悪そうに見えますかね……」


「そりゃ、古今東西どんな逸話だって真っ黒な服を着てナイフ持ってる奴は怪しいと相場が決まってるからね。今日はまだしてないみたいだけど、昨日は顔を半分隠してたしあれで堅気かもと思う奴は、馬鹿かお役人くらいのもんさ」


 言われてみればこの世界の文化レベルはそう高くない。貴族や騎士は別として民衆の学歴など無いような物だろうし、物語や逸話に出てくる悪役は大抵黒と相場が決まっていてもおかしくは無かった。

 かといって、鉄よりもミスリルよりも硬く服のように軽く、さらには身体能力強化の効果まであるこの忍び装束に代わる防具など、この世界にはあるとは思えない。

 それに収納袋に入れて出かけている間に盗まれたり、弱い防具を来ていたせいで負けたりしたら悔やんでも悔やみきれないので、諦めるしかない。


「これは俺の持ってる最高の防具なので……怪しくてもこれを着るしかないんですよ」


「ま、好きで着てるんじゃないなら良いや。疑って悪かったね、今度それとなく客にも言っといてやるよ」


「是非お願いします」


 そう言って宿を出て、門へと向かう。

 衛兵にギルドの依頼の紙とロケットを見せ、門をくぐると歩いて1時間程の森へと向かった。




 森に入って20分程歩いたところでウルフの群れに出会った。

 舞うようなステップで刀を滑らせ、3匹程切り刻んだ所でふと気になり、力試しに4匹目のウルフに全力の蹴りを叩き込む。

 するとウルフは凄まじい速度で吹っ飛び、木に当たってグチャグチャに潰れた。


「うっわぁ……」


 自分でやったのは解っているのだが、余りの凄惨な光景を前に少し引いてしまう。

 スプラッタを回避するため打撃を封印し、刀に依る殲滅に切り替えたのだが、さっきの光景が敵を萎縮させたのか2匹程斬った所で散り散りに逃げてしまった。

 仕方なく耳を切り取ろうとしたが、潰れた1匹には触りたくないし、≪天羽々斬り≫で誤って耳を切ったのが1匹居て、更に死体の1つをウルフが引き摺って行ってしまった為、3つしか取る事が出来なかった。


「これは効率悪いなぁ……」


 かといって無理に追いかけても、置いていった死体を他の動物に取られたら元も子もない。

 誰かに頼めれば良いのだが、どう考えてもレオよりランクの高いギルに小間使いを頼むのは不味いし、強さを余り知られたくない現状では、他の冒険者を雇うのも避けたい。


「と、なるとリサくらいしか居ないんだけど……まぁ、駄目元で聞いてみるか」


 そうして切った耳をどうしようかと考え、皮袋か何か買ってくれば良かったと後悔した。

 2度目の群れで何とか予定の耳を揃え、門の前まで戻った頃には正午になろうとしていた。

 戦闘で幾分か気を逸らす事に成功したレオは、調子を取り戻して街へ入っていく。



 耳を手に持ったままギルドに入ると、受付のフィルに呆れられた。


「初心者だとは思ってたけど、まさか皮袋も持たずに狩りに行くなんて……。左向かいの店に、血が滲みにくい3層の皮袋が売ってるから、次までに買うと良いですよ」


「ありがとう。いつもすいません」


「いいですよ、助言は大事な仕事ですから。けど、貴方は全体的にもう少し考えて行動した方が良いですよ」


「うっ……す、すいません」


 後頭部をガリガリ掻きながら反省していると、フィルがそれを見て楽しげに微笑んだ。


「それと毛皮なんかもこちらで買い取るので、取れたらまとめて袋に入れて持ってきてください。ぁっ、でも毛皮は強制じゃないので商人の伝があればそっちに卸して構いません」


 昨日言い忘れましたと言って頭を下げるフィルに、手を振って答える。


「いや、気にしないで、今日の分に関しては初めてだったし、全力で攻撃したから……毛皮が取れそうなのは無かったんですよ」


 依頼の紙と認識証、そしてウルフの耳を受付の上に置く。

 フィルはそれを確認すると、報酬として小銀貨4枚を渡した。


「有難うございます。ウルフは群れの数に依っては難易度が上がる場合があるので、群れが合さって大きくなりすぎると受ける人が居なくなってノルマが越えられない時もあるんですよね」


「ノルマなんて有るんですか」


「えぇ、弱い魔物も大群だと討伐が大変ですからね。都市毎に国からのノルマが定めれているんです、これに届かないと強制召集をかける事もあります。と言っても、滅多に越えられない事は無いですけど」


 冒険者と言えば気楽な旅人というイメージしかなかったが、面倒な事も多少はあるようだ。

 強制召集の頻度を聞くと、大体5~6年に1度位のようだ。この街にはそれ程長く滞在する予定もないし、恐らくここでそれに出くわす事は無いだろう。

 同じウルフ5枚の紙を掲示板から引き千切り、登録を済ませた。


「さて、袋を買って戻ります。色々教えてくれて有難う」


「いえいえ、気をつけて行って来て下さいね」


 用を終えたレオの後ろで、フィルが次の冒険者の応対をしていた。入り口を見ると、更に皮袋を持った男がギルドに入ってくる。受付の仕事も楽ではなさそうだ。

 10代後半位に見えるフィルの働きぶりに関心しつつ、冒険者ギルドを後にした。




 宿に戻ってリサの部屋をノックすると、丁度食事を食べ終わった所だった。

 食べ終わった食器を廊下の返却棚に戻し、部屋に戻って皮袋と鞘に入ったままのナイフを取り出した。


「えぇと、実は頼みがあるんだ。今日実際にウルフ討伐をしてみたんだけど、耳を切る作業が意外と手間で、よかったら一緒に来てそれだけでも手伝って欲しいんだけど……」


 正直死体の処理などあまり頼みたくは無かったが、背に腹は変えられない。

 リサは暫くの間じっとレオの顔を見て迷っているようだったが、駄目かなと思い始めた頃に頷いた。

 それに気を良くしたレオは、おぉっと声を上げて喜び、袋とナイフを手渡した。


「これで左耳を切ってくれるだけでいいから。あ、でもその格好で森に入るのは危険か……ちょっとまって」


 そう言ってレオは自室から収納袋を持ってきて、中身を探り出した。


 レオが取り出したのは、≪グラビティワールド≫がまだ栄えていたとき、パーティで盾役をしていた頃のナイトの鎧だった。


 オリハルコンとアダマンチゥムで作られた全身鎧は少々古い型だが、とても高度な防御力と魔法耐性を有している。

 ≪グラビティワールド≫ならレベル制限があって着れない筈だが、それについてはステータス画面から選択する訳じゃないし着る事は出来るだろうと思った。

 見る者が見れば愕然とするような伝説級の鎧を、「身長差があるからちょっと大きいけど、何とか着れるかなぁ」等と軽い調子でリサに着せていく。


 その途中で何となく、この状況を見たら、あのノリの良い職場の友人なら「ちょっ、初心者にカンストレベル装備とかレオさん自重ww」等と言いそうだなぁと物思いに耽ってしまった。

 手が止まったレオに、リサが訝し気な視線を向けてきたので、頭を振って作業を再開する。


 リサに鎧を着せた後、今度は収納袋の中から1メートル程の盾を取り出した。

 こちらは実は≪天羽々切り≫と同じ神器クラスの盾の一種なのだが、誰でもクエストで作れる代わりにとても時間の掛かる物だったので、本職ではないと言う事もあって途中でやめてしまったのだ。

 それでもこの盾≪イージス≫は、周囲に攻撃を緩和させる障壁を展開すると言う便利な能力を持っているので、それが此方でも発動されるならリサは怪我など負わないだろう。

 しかし、盾をリサに持たせようとしたとき問題が起きた。


「痛っ」


 今まさに腕に着けようとした時、盾から電撃が発せられたのだ。

 慌ててレオが魔法で治療するが、リサは≪イージス≫を持ったレオを見ながら驚きと恐怖を顔に浮かべている。

 レオは混乱しつつも反射的に謝る。


「ご、ごめんわざとじゃ──」


 そこまで言ってハタと気がついた。そう言えば神器クラスの武具には人格が宿っていると言う設定があった筈だ。

 ちょっと待ってね。と言うと、部屋の片隅に行き、しゃがみ込んで≪イージス≫を睨みながら


「お前のこれからの使命はリサを護る事だ。今度彼女に怪我をさせたら≪天羽々斬り≫で真っ二つにしてやるぞ」


 と、極小さな声で脅しつけた。

 振り返って此方を睨んでいるリサに笑顔を向け、低姿勢で頼み込む。


「今度は絶対大丈夫だから、もう一回だけ着けてみて」


 恐る恐ると言った様子でもう一度手を出したリサだったが、今度は何事も無く掴む事が出来た。

 こうして考え得る最強の守りを与えられたリサは、ぶかぶかの鎧でガチャガチャと音を立てつつ、レオに向き直る。

 仕上げに頭全体が入る兜を被せて、鎧の方は着終わった。


 最後にそこそこ強い剣を渡そうとして、ふと思い留まった。

 動物如きではあの鎧は貫けないが、この剣は別だ。転んだ拍子に刺さったりしたら大惨事になりかねない。

 ナイフは持たせたし、魔法も使えるらしいから大丈夫だろうと思い直して収納袋を閉じた。


「それじゃ、そろそろ行こうか。明るいうちに戻りたいし」


 黙々とついて来るリサを背に、収納袋を自室の金庫に戻して宿を出た。




 門で午前に会った衛兵に呼び止められ、依頼の紙をしたまでは良かったのだが、彼はリサの方を見て驚いた。


「そいつは誰だ」


 慎重に不釣合いな鎧を着て黙ってついて来るリサを、不審に思ったのだろう。

 どう答えたものかと焦ったが、衛兵が「凄い鎧だな……貴族の息子か?」と呟いたのを利用する事にした。


「え、えぇ。実はお忍びで実践を経験したいとの事で、親の鎧を借りたらしいのですが……ウルフを少し狩るだけですし、見逃してもらえませんか」


 衛兵は少し考えるように顎に手を当てて首を傾げたが、暫くして溜息交じりに頷いた。


「貴族に目をつけられると面倒だしな、その代わり帰りもこの門を使えよ」


 そう言って別れ際に「あんたも大変だな」と、小声で囁いてきた。

 それに曖昧な笑顔を返し、森へ向かう。




 鎧を着たリサが少々息を荒げているが、狩りは概ね良好だった。

 朝に暴れた場所とは違う方向へ向かっていたのだが、中々ウルフに出会えなかったので少々街から離れた所まで来てしまった。

 2度の襲撃を乗り越え、10個の耳を取る事が出来た。現在は3度目の襲撃で5匹のウルフが現れ、その内の2匹を屠った所だ。

 残りも片付けようと刀を握りなおした時、≪天羽々斬り≫が淡く光っているのに気がついた。



 ≪グラビティーワールド≫には、ゲームに良くある『必殺技』が無かった。

 理由は、体を使ったアクションが苦手なプレイヤーが、一定レベル毎に覚えなければならない必殺技の動きを、全部覚えるのは無理だろうと判断した為だ。

 メニュー画面から選べば可能だろうが、ナイト等盾を持つジョブは両手が塞がっている。

 それでも暫くは1撃が3回攻撃になるスキル等でお茶を濁したのだが、魔法に比べてエフェクトが地味だ。という意見が多く寄せられ、仕方なく最上位の武器にのみ『固有技』と言う形で必殺技を着けた。



 使うには何度も刀を振って血を喰わせなければならないのだが、武器が淡く光っているのは、それが仕様可能になった合図だった。これまでは直ぐに戦闘が終ってしまった為、使えなかったのだ。

 別に使うまでもないのだが、試してみたいと言う気持ちもある。

 後ろのリサを確認すると、何処と無く疲れも見え始めているようだ。


 早く終らせる為だ。と、自分に言い訳しつつ、刀を握る手に力を込める。

 ≪天羽々斬り≫の固有技は『断裂』で発動条件は、刀を強く握り締めて回転し、正面に向けて斬撃を放つ、だ。成功すれば狙った敵の体が微妙にずれて真っ二つになる筈だ。

 愛刀の晴れ舞台に興奮しつつ、慣れた調子で回転しながら先頭のウルフが分断される光景を幻視する。

 そうして力を込めて刀を振った、瞬間────







 ────目の前の森が、刀の軌道をなぞる様に扇状になぎ払われた。






 二人はあんぐりと口を開けてその光景を眺めていた。斬った本人のレオですら驚いているのだから、リサなど完全に硬直してしまっている。

 何度か瞬きをするが、目の前の光景は嘘でも幻でもない……と、理解した時、もし人が居たら大変だと思い至った。

 レオは意味も無く木の影に隠れ、某家政婦よろしく顔だけ出して広場になった森の様子を見る。

 前方100メートル近くまで見渡せる広場だが、ウルフの物の他は血の跡などは無いようだ。

 安堵の溜息をついて振り返ったレオは、自分を呆然と眺めるリサの視線に気がついた。

 酷い痴態を見られてしまったレオは、咳払いをして体裁を取り繕う。


「ふ、ふふふ。ウルフ共め、思い知ったか!」


 何の意味も無い言葉である。


 だが、レオが何か口にした事に驚いたのか、リサは体を震わせた。

 1歩どころか3~4歩も後ずさり、震えて鎧が金属音を立てていた。

 心中で「やっちまった……」と呟き、取り合えず武器を仕舞う。


「えぇと、それじゃそろそろ帰ろうか……」


 一緒に冒険して多少は心を開いてくれたら……と、思っていたのに余計に距離を置かれてしまった現状に落胆しつつ、街へ向かう事にした。




 しかし、ウルフに出会わなかった事でかなり遠くまで来てしまっていたので戻るにも時間がかかる。

 行きはウルフを探しながらだったので、会話が無くても何とも思わなかったが、帰りはある程度警戒するだけで良いので、静寂が痛い。

 必死に話題を探していると、1つ気になっている事が有るのを思い出した。

 彼女の魔法の事だ。この世界の魔法は≪グラビティワールド≫とは別物のようなので、前々から興味はあったのだ。


「そういえば、女将さんから聞いたんだけど魔法が使えるんだって?」


 何の気無しに聞いたつもりだったが、リサは大仰に体を強張らせた。

 ウルフでも居たのかと思い、辺りを見回すが、特に敵の影は無い。

 自分の言葉のせいかとも思ったが、ギルの話では魔法はそれ程珍しい物でも無いようなニュアンスだったので、何が不味かったのか解らなかった。


「ちなみにどんな魔法が使えるの?」


 不味いかなとも思ったが、気になったので駄目元で聞いてみた。


「下位と中位魔法を、少し……」


 初めてのまともな返事に、レオは少し面食らって足を止める。

 そのまま顎に手を当てて、少し考え込む。

 レオのダブルジョブの片割れである『学徒』は、回復とサポートに特化したジョブだ。攻撃魔法も使える事は使えるが、本職の半分以下くらいまでのレベルの魔法しか使えない。

 回復とサポートに関しても本職の僧侶ほど万能ではなく、個人に対する魔法が主流だ。

 有体に言えば、魔法の、特に攻撃面に不安を持っていたのだ。彼女が攻撃魔法を使えるなら、大幅な戦力増加に繋がるかもしれない。


 っていうか下位とか上位とかどんなもんなんだ……。


 こちらの世界はそもそもレベルと言う概念が無さそうなので、漠然としたランクが有るのだろうか。

 気になったので、自分にレジストシェルLv7をかけて、彼女に向き直る。

 ワイバーンに苦戦する世界なのだ、多少の攻撃魔法を受けても問題ないだろう。


「ちょっと魔法の威力を確認したいから、俺に向けて雷の魔法を撃ってみてくれないか」


 ≪グラビティワールド≫での雷の魔法は、出は早いが威力が小さいと言う特性があった。

 それを聞いたリサは、驚いたように固まったが、次第に鎧の隙間から見える眼光が鋭くなっていくのを感じた。


「手加減しなくてもいいよ、全力でどうぞ」


 レオが微笑んで手を広げると、リサはレオに手を向けて呪文のような言葉を呟いた。


「雷神雷公・我が手に怒りの矛を」


 呪文を唱えるという行為に驚いたレオに向けて、腕程の太さの雷撃が飛来した。


 しかし、レオが展開したレジストシェルに阻まれ、レオの体に到達する前に消えてしまう。

 呆然とレオを見つめるリサに気付かず、レオは首をかしげる。

 レジストシェルは本来魔法を軽減する効果しかなかったはずだ。どんなに弱い魔法でも消えると言うのはおかしい。

 ひょっとしたら手加減してくれたのだろうかと勝手に納得して、リサに声を掛ける。


「あー、手加減とかしなくて良いよ。俺はこのくらいの魔法なら受けても大丈夫だから」


 そう言って右手を木に向けて振る。

 学徒が扱える最強の雷魔法<ライトニングボルト>は、手が水平になった瞬間発動された。


 右腕全体から無数の雷光が走り、指の先30センチ程のところで収束し、直径50センチ程の一本の稲妻となって木を黒こげにした。


 轟音を上げて着弾した稲妻をみて、リサはペタンとその場に膝を突いた。

 そして、レオがリサに向き直ったのに合わせるように



「ぅぅううあああああああぁぁぁ」



 と、叫びながら泣き出した。

 あまりにも予想外なその攻撃にレオは慌てふためくが、リサはそのまま力の限り泣き続けた。




 ◆◇◆◇◆



 彼女──リサ・グラント──の不幸は、10年前に始まった。



 彼女達一家が住んでいたのはとある貴族領で、そこに彼女達の部族、ディアマンディ人と呼ばれる銀髪の一族が暮らしていた。

 魔術帝国の端にひっそりと暮らしていた部族には、1つの特徴があった。


 優秀な魔術師が生まれる確率が高い。と言う物だ。


 ただでさえ姿美しい銀髪の部族に、優秀な遺伝子という要素が加わり、彼らの価値は必要以上に高くなっていた。

 しかし、彼らは基本的に同族同士で結婚するため、滅多にその血が外に出ることは無かった。

 それでも問題が起きなかったのは、領主の一家が1代に1人娘を王家に妾として嫁がせていたからだ。


 だが近年王家の発言力が低下し、200年ほど前にあった戦争から発言力を増していた奴隷商人と貴族が結託してその貴族領を瓦解させようとした。


 リサの父親は行商をしていた為、いち早くその事態を察知し、近所に触れ回って街を出た。

 その後その貴族領は崩壊し、領主一家は捕らえられ、多くの民も奴隷として売られたが、リサの一家は逃げ延びていた。


 ところが安心したのも束の間、数年後にリサの姉が逃亡先の街の貴族に見初められてしまう。

 折角逃げてきたのに、またも狙われてしまった娘を護ろうと、父親は必死の抵抗をした。

 彼は行商と言う仕事柄売られていった同族の奴隷の末路を知っていたのだ。

 商人仲間と協力して、のらりくらりと要望をかわす父親に業を煮やした貴族は、盗賊を雇って彼らを襲わせた。

 リサの父親は冒険者を傭兵として娘と妻につけ、自分は別れて反撃の為に知り合いの商人達と出て行くが、そのとき私財の殆どを失ってしまった。


 だがそれが仇となって、彼は騎士団にマークされてしまう。

 命からがら逃げ出していたリサ達一家は、それを知って安堵するが、追い詰められた貴族は最後の手としてリサ達にあらぬ罪を着せてその首に懸賞金を掛けた。

 こうなってしまえば形の上では罪人である。

 そしてその話は、リサ達を護衛していた冒険者達にも聞こえて来た。


「聞いたか、あの母娘今は罪人扱いらしいぜ」


「マジかよ……って事は、それ護ってる俺らも罪人じゃねぇか」


「見つけましたっつって突き出しちまわねぇか?姉の方意外は生死は問わないって言うし、妹の方は未だしも母親はかなりの上玉だぜ」


 水を汲みに行っていたリザは、その冒険者達の会話を聞いて慌てて家族の居るテントへと向かった。

 事情を聞くと、母親は残りの路銀を全て姉妹に持たせて逃げるように行ってきた。


「ミナ、貴方はお姉さんなんだから、リサを見捨てちゃ駄目よ」


 姉のミナはその言葉に強く頷いて、リサの手を引いてテントを出る。

 リサは母親に一緒に来てくれと頼んだが、「すぐ追いかけるから」と頑として譲らなかった。


 暫くしてテントの方から怒声と悲鳴が聞こえたが、ミナに抱えられたリサにはどうする事もできなかった。



 それから幾つかの街を転々とした。

 風の便りに件の貴族が捕まったと聞いたが、戻ってみても父親の消息は掴めなかった。

 北で落ち合おうと言っていた父親の言葉を頼りに、姉妹は北へ向かって歩いたが、火山の村ドリュークに辿り着いた所で、路銀が尽きてしまった。

 年増も行かない少女達に、火山の村で食べ物を得る方法など、身売りか泥棒しかなかった。

 父親が助けに来てくれると信じていたリサは、身売りしようとする姉を止めた。

 ミサの方も、逃亡生活が慣れていた事もあり、見つかっても何とか逃げ切れるだろうと思っていた。


 だが、それは大きな間違いだった。


 火山の町リュークは周囲の魔物が強力な事で有名で、街の衛兵もそこいらの軍人より遥かに優れた腕を持っていたのだ。

 姉妹の付け焼刃の逃亡術など、全く相手にならなかった。


 そうして捕まったリサとミナは、盗んだ物を返すお金も無いと言う事で揃って奴隷になる事になった。


「大丈夫よリサ、何があっても私が何とかしてあげるから」


 ミナはそう言って、奴隷になって泣いてばかりのリサを励ました。

 それから数日後に現れた奴隷商人に買われ、彼女達は荷馬車に乗せられダール興商自治区を目指すこととなった。




 4日後、レッドワイバーンが現れた。

 卵を密輸していた奴隷商人は逸早くその事に気付き、一番値の張るリサ達姉妹と護衛用の男を一人、自分の馬車から連れ出すと、衣類や農具の詰まった最も軽そうな荷馬車に移動した。


 あまりの出来事にリサが震えて呆然としていると、ミナがその手を強く握って声を掛けてくれた。


「だ、大丈夫よ。きっと逃げ切れる」


 折角掛けてくれた励ましの言葉だったが、生まれて初めて聞く姉の震えた声に、リサは益々不安になった。

 怒声や悲鳴、爆音が連続して轟き、一瞬静まり返った時、奴隷商人の叫んだキーワードが耳に入る。


「束縛の首輪よ力を放てっ!」


 所有者の告げるキーワードに合わせて首輪から呪いが放たれ、3人の奴隷はもがき苦しんだ。

 そして奴隷商人まず男を突き落とした。彼は後続の馬車馬に轢かれ、ボロボロになって馬車の下を抜けていった。

 次に手を伸ばされたのはリサだった。だが、止めに入ったミサとの間でもみ合いになる。

 何とかリサも立ち上がるが、時既に遅く、ミナが荷馬車から落ちていくところだった。

 互いに伸ばされた手が空を切り、ミナが落ちていく光景が、やたらとゆっくり感じられた。


「……姉……ちゃ……」


 地に落ちたミナは、後続の荷馬車を操っていた傭兵が馬を離した隙間に入り、そのまま荷馬車の後ろに行った。

 やがて断末魔のような骨を砕くような音が聞こえたが、後続の荷馬車によってその光景が見えなかったのが幸だったのか不幸だったのか、リサには判断が着かなかった。




 こうして彼女は、それまでの人生の全てを失った。




 気がつくとリサは、冒険者に買われて街に立っていた。

 ずっと呆然としていてレッドワイバーンからどうやって逃げたのか解らなかったが、もう何もかもどうでも良かった。


 だが、宿にベッドを見ると、急に恐怖が蘇ってきた。

 そしてミナの最後の表情を思い出す。

 彼女は地に落ちる寸前、リサを心配するような表情をしていたのだ。

 ミナを助けられなかった自分は最低だと思う反面、ミナが最後まで護ってくれた自分を、何とか護らなくてはと思う。

 幸いリサには切り札がある。故郷に居た頃裕福だったので、街に来た魔術師に魔法を教えてもらっていたのだ。例え主人を殺した罪でその後死罪になろうとも、最後まで抵抗しようと心に決めた。




 リサを買った冒険者は何とも警戒感の無い輩であった。

 服を買い与え、奴隷から開放すると言い、金やナイフまで持たせた。

 だが、奴隷から開放すると言う話はどうしても信じられなかった。彼女の頭の中には、家族を裏切って母を犯した冒険者の姿が、今も鮮明に残っているのだ。


 しかし、流石のリサも街の外へ一緒に行こうと言われた時は驚いた。

 まともな武器を持たせて貰えないので、信用されている訳では無いだろうが、街の外では主人を殺してもモンスターに負けて死んだと言い張る事もできるからだ。

 だが、すぐに甘い相手では無いと考え直す事になる。


 彼の放った斬撃は、森をなぎ払った。


 その上考えられない事なのだが、それを行ったのは彼が持つ小さな刀なのだ。

 魔術師の素養があるリサは、小さな刀が斬撃の直前、周囲のマナを物凄い勢いで貪り喰うのを感じた。

 あんな武器は、見た事も聴いた事も無い。肉弾戦では絶対に勝てないと言う事を見せ付けられた。


 それから暫くして、彼は魔法の事を聞いてきた。

 一瞬冷や汗が走ったが、何とか普通に返す。

 すると彼は驚くべき提案をしてきた。


「ちょっと威力を確認したいから、俺に向けて雷の魔法を撃ってくれないか」


 意味が解らなかった。雷の魔法は、当たると体が痺れて少しの間動けなくなる凶悪な魔法だ。

 リサとてディアマンディ人の端くれだ、並みの魔術師より強力な魔力がある。

 全力で相手を痺れさせ、得意の氷の魔法でトドメを刺そうと思っていると、なんと相手から手加減は要らないと言ってきた。

 中位以上の魔法を受けて無事な人間が居るはず無いのに、馬鹿な奴めと思いつつ、全力で魔法を放った。


「雷神雷公・我が手に怒りの矛を」


 しかし、リサの渾身の魔法は当たる事無く消える。


 何が起きたか解らず呆然としていると


「あー、手加減とかしなくて良いよ。俺はこのくらいの魔法なら受けても大丈夫だから」


 と言って見たことも無いような強力な魔法を、それも無詠唱で放った。



 絶対に勝てない。

 そう思うと、盾で怪我をした際、回復魔法を使っていた事が更に恐怖の事実として蘇ってくる。

 以前奴隷商人がこんな事を言っていたのだ。曰く


『僧侶は滅多に買わないだろうが、回復魔法が使える魔術師に買われないように祈りな。奴等死ぬ寸前までいたぶって魔法で直すのを延々と繰り返して、壊れるまで遊ぶんだ。あれを見たときは流石の俺も声をかけられなかったね』


 彼の移動速度の速さは戦闘で見ている。逃げるのは絶対に不可能だ。

 不意に膝が力を失い、ペタンと地面に座り込む。

 それを合図に、堰を切ったように絶望の涙が溢れ出た。




 ◆◇◆◇◆




 本気で困った。


 どれだけ必死にあやしても、リサは一向に泣き止む事が無かった。


 どうしようかと思っていると、泣き声に引かれてウルフが現れ、ウルフを狩るとその血の臭いと泣き声で更にウルフが現れ、血の臭いが濃くなると見たことも無い白い大蛇が現れ、それを倒すとダチョウに大きな羽を着けたような巨鳥が現れ──……

 SPスタミナ持続回復の魔法で、肉体的には疲れなかったが精神力は別だ。

 1時間半ほどリサに声を掛けながら敵を倒していると、モンスターの死体が一山出来上がった。


 泣き疲れたリサを背負って帰る頃には、精神的にヘトヘトで、この時ほどMPがマナポイントでなくメンタルポイントなら良かったのにと思ったことは無かった。




 不幸中の幸いというか、門番は泣きながら背負われているリサを、実戦の恐怖で泣いてしまった貴族の子供と勘違いし、そのまま通れと合図を送ってくれた。

 一目散に宿に戻ると、懐から金貨を取り出し「甘いもの片っ端からお願いします」と、言い残して部屋へ向かった。


 リサの部屋に戻ると取り合えず重そうにしている鎧を外し、椅子に座らせた。

 甘味をテーブルに並べると、一応腹は減っているのかゆっくりと食べだす。

 それが一区切りついた所で、レオは切り札を切る事にした。

 昔彼女と別れた時は惰性が理由だったので、こんな修羅場は初めてだ。


 故に切れる手札は1つだけ──即ち土下座だ。


 いくら女性に疎いレオでも、あの号泣が自分のせいなのは解る。

 なので、誠心誠意全力で土下座して、理由を教えてもらう事にした。解らないままで地雷を何度も踏むのは嫌だからだ。



 泣き疲れて気が抜けたのか、彼女はつらつらと自身の生い立ちを語りだした。

 最初の頃はレオも相槌を打っていたものの、途中から何もいえなくなってしまう。

 ミナがレッドワイバーンに喰われる話の直前まで来て、レオは目を瞑った。

 あの時躊躇った数秒のせいで、リサがこのような状態に成ってしまったと気付いたからだ。


「あの時、奴隷商人は私を突き落とそうとしてた……本当なら死ぬのはお姉ちゃんじゃなくて私だった……」


「それは違う」


「違わない……っ」


 また泣き出しそうになるリサに、レオは無機質に告げる。


「あの時俺がレッドワイバーンにビビら無けりゃ、君の姉さんは死ななかった」


「何を……」


「覚えてないのか、俺はあの後レッドワイバーンを殺したんだ。ホントは簡単に殺せたのに、始めてみるアイツにビビって躊躇ってた。あれが無ければ君の姉さんは生きていた」


 そこまで聞くとリサは拳を振り上げ、レオの胸を全力で叩いた。

 ダンッと言う音が、部屋に響く。


「アンタなんて……冒険者なんて……」


 そのままレオの服を掴んですすり泣くリサの背を、レオは優しく摩った。

 摩りながらも、レオは冷静に彼女を見ていた。即ち、これは別にレオに心を開いた訳ではないのだ。

 ずっと1人で気負っていたから、それが折れて人肌が恋しくなっただけだ。ここに宿の女将がいれば、間違いなくそちらに抱きついただろう。

 彼女の冒険者──特に男──への不信が、この程度の事で解消される訳がない。


 けれど、レオはそれでもいいと思う。

 彼はこれまで、これがゲームか異世界かと言う問いの結論から逃げていた。

 だからこそ、リサを「我侭な登場人物」としてしか見ていなかったのだ。

 その結果がこれだ。いつまでも彼女の異常に気付けなかったせいで、彼女がここまで追い込まれる羽目になった。


(28の男が現実逃避してたせいで、15~6の少女を泣かせるなんて、本気で最悪だ)


 彼はここを現実だと認めた。その上で、優先順位を決める。


 リサの奴隷解放。


 自分に何が起こったのか調べる。


 帰る手立てを探す。


 これを絶対に変えない優先順位として決める。




 数十分か、数時間か、長い時間の後に彼女が手を離す。

 途中女将がフライパンを持って様子を見に来ていたが、状況を見て黙って帰ったようだ。

 リサは自己嫌悪の為か、思い切り渋い表情で目を逸らしている。

 その肩にそっと手を乗せると、怖がるように体を竦ませた。


「リサ」


 可能な限りの優しい音色で語り掛ける。


「今日は無理につき合わせてごめん。疲れただろう、もう寝るんだ」


 そう言って手を離し、扉を開ける。

 リサはこちらを見ずに俯いたままだ。


「おやすみ。また明日」


 扉を閉め、自分の部屋に戻る。

 着替えて直ぐにベッドに横になったが、昨日のように震える事は無かった。


「リサ、必ず……」


 疲れのせいで言葉は途中で途切れてしまったが、その先は言う必要が無いほどに決まりきっていた。













 おお作者よ、完徹くらいで死んでしまうとは情けない。










 1時くらいまでに出来るだろうと思っていた時期が、僕にもありました。

 (現在時刻朝4:50


 こんば……おはよう御座います。屍です。


 評価有難う御座います。思わぬ高評価に、プレッシャーで震えている作者です。

 これでリサの伏線は粗方回収したはずです……何か忘れてなければ……。

 それと、現状ツンツンなリサさんですが、もう少し暖かい目で見て貰えると嬉しいです。




 PS強引に仕上げたので、後々あちこち変更するかも知れません。ご了承ください。

 ※盾の効果変更しました

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