転移魔法
地下図書館、天井の石から注がれる人工的な光の先に、黒金でできた重厚な扉があった。
扉には三つの鍵穴があり、受付で鍵を受け取っていたカークスは、それらを一つずつ開錠していく。
最後の鍵を開けた後、カークスはレオに古ぼけた眼鏡を手渡した。
「禁書は暗号化されています。此方の、解読と翻訳を兼ねた眼鏡をご使用ください」
流石に禁書と言うだけあって、警備も厳重なようだ。
レオがそれをかけると、近くの本棚にあった本の題名等が日本語で見えるようになった。
上から張られた膜のように、顔を振る事で多少ぶれるが、読むのに支障をきたす程ではない。
「おぉ……これは便利だ」
素直に感嘆の声を上げるレオに、釣られたようにカークスも笑った。
「元の世界の文字で表記されている筈ですからね。さぁ、中へどうぞ」
扉の中は外と違って薄暗く、その代わり中央に並べて置かれた机の上に、ライト代わりと思しき装置が備え付けられていた。
そのまま進むレオに、扉の横で待つカークスが声をかける。
「私はこの先には入れませんが、帰りの事もありますし、ここで待たせて頂きます。何かあればお申し付けください」
「す、すいません……」
カスティーヨ大聖堂は、魔軍との戦いを想定して建てられたとかで、必要以上に入り組んだ造りになっている。
数回案内されれば解るだろうが、初めて来たのに近いレオでは、自室に戻る自信が持てなかった。
「構いませんよ。ホワイトパールの奴が来た時も、良くここで待たされていましたから」
「ホワイトパールが?」
首をかしげたレオが聞き返すと、カークスは頷いて補足した。
「ええ、白の導師が扱う異界系の魔法は、例外なく禁呪に指定されていますから。
長男が亡くなり故郷に帰るまでは、兄弟子のグリエルモ殿と共に、よく二人でここへ来ていたものです」
「グリエルモ?」
その名前はどこかで聞いたことが……と、立ち止まったレオは数瞬考えた後、リスィが言っていた言葉を思い出した。
「グリエルモと言うと──グリエルモ・エテルノと言う人ですか」
レオとしてはある程度確信があって聞いたのだが、問われたカークスの方は首を捻って答えた。
「はて……恐らく別人ではないですかな。グリエルモという名前はかなり多いですし、私が知っている方は、グリエルモ・クラムという方なので」
自信があっただけに少々肩透かしを食らったような気がしたレオだったが、カークスの様子からして嘘を言っている風ではないし、これ以上掘り下げても無駄だろうと思い、曖昧に相槌を打って本を探す作業に戻った。
禁書の棚には、本当に様々な分野の本が並べてあった。
『ドワーフと鉄について』『エルフと霊木について』『≪原始の海≫と深層心理について』果てには、『不老不死の秘薬』と書かれた本まであった。
そして、その先に真っ白な背表紙の本が置かれていた。
題名の部分には『異世界と空間の歪』と、書かれている。
白い背表紙の本を取り、机の明かりを点けて読み始める。
細かな術式や星との関係等の詳細を飛ばし、まずは基本的な構造について読み進める。
異界転移魔法は、基本的に大規模術式に当たり、召還・送還を問わず、まずは広大な土地に杭を打ち、大地を流れる魔力を五芒星・もしくは六芒星の形に循環させ留める所から始まる。
一定の魔力が貯まった後、中心部に縮小した魔方陣を書き重ね、圧縮された魔力で魔界とこちらの世界との間にある隙間を広げ、門を作るのだそうだ。
ちなみに、前回の召喚はこの方法によって行われたと書かれている。
開けられた門から、召喚の条件をソナーのように数多の異世界に反響させ、魔神を倒せる可能性のある人間を召喚しようとしたのだが、あまりにも条件に合う者が見つからず、肝心の召喚条件の部分が途中でゆがんでしまい、とんでもないモノが呼び出されたらしい。
対して今回の場合は、前任者を送り返す過程で開発していた、異世界を覗き見る魔法が込められた装置を使い、前もってホワイトパールが調べていたようだ。
ちなみに、本には例外として大量の魔晶石を使って、一瞬だけ門を作る事も可能だと書かれている。
この世界に来る時に潜った門には、大量のネオンが付けられていた。恐らくは、あれが魔晶石だったのだろう。
転移対象が決まっている送還にしか使えない技術のようだが、あの場合は有効だったという訳だ。
基礎の本だけでなく、他にも数種類の本を読んだが、どうも異世界とこの世界を結ぶ魔法は、元の世界へ戻す、送還魔法の方が圧倒的に進んでいるようだった。
それでも、元の世界へ戻すのが不可能となると、水鉄砲すらまともに使えないレオが、これ以上いくら一人で考えても意味がない気がしてきた。
「うーむ、良く解らないな……他にこの城に禁書を読める権利を持った専門家は居ないのか?」
「国王様は権利を持っています。ただし、国王様も転移魔法について詳しい訳ではないので、こちらにお招きしてもあまり状況は変わらないかと……」
流石に禁書の許可までは管轄外のようで、カークスの歯切れは悪い。
話の流れからして、国王も『許可を得ている』者の一人のようだし、イシスに掛け合ったほうがいいだろう。
「ちょっといいかな。カークスさんは、依り代の巫女の世話役って聞いたんだけど」
「はい、左様ですが」
「次に謁見できるのはいつになるかな。時間に制限もあるようだし、それまでに質問をまとめて、用意しておきたいんだ」
一瞬考え込むように眉を寄せたカークスは、そのままの困り顔で答えた。
「申し訳ない。確か予定は無かったと思うので、明日にでも許可が下りると思いますが……念のため、確認してまいります」
「お願いします」
図書館を後にし、上階へ向かうカークスを見送り、レオは近くにあった本を手に取ると、数分読んで待つ事にした。
戻ってきたカークスは、レオに一枚の紙を渡す。
紙には、翌日の日付と予定時刻十三時と書かれた上に、判子が押されていた。
「ありがとう。随分早く会えるんだな」
「当面の間は、レオ様の予約が最優先となるようです。イシス様としても、まだ伝え切れていない所があるのでしょう」
優遇自体は有難いが、伝え切れていない所というのはあまり良い事では無いだろう。
早く一般人に戻りたいという無謀な願いを捧げつつ、レオは渡された紙を懐に入れた。
地下のため時間の感覚は掴みにくいが、禁書の置かれた部屋に入ってから、かなりの時間が経過している。
なんとなく小腹がすいた気がしたレオは、今日の所は切り上げる事にした。
本を片付け、出口で待つカークスに声をかける。
「それじゃ次は……食堂へ案内して貰えますか」
「畏まりました」
優雅な動きで案内をするカークスに『執事って良いなぁ』と思いつつ、『これがメイドだと緊張するし』と思ってしまう自分の小心ぶりに、我ながら呆れるレオだった。
一人で食事を取ったレオは、自室のベットへと倒れこんだ。
特に禁止されている訳でもないし、仲間に会っても良かったのだが、何も決まっていない状態であっても何を言っていいか解らないし、何より、後になって後悔しそうな選択肢の前で他人の意見を聞けば、意見を言った者のせいにしそうで怖かったのだ。
会いに行くと言った約束も守れず、愛想を尽かされてしまうかもしれないが、それでも今は、会うことはできそうに無い。
ただ、何の音沙汰もなしではあんまりなので、状況だけを手紙に書いて届けてもらおうと考えた。
幸い、翻訳機能のついた眼鏡が手元にある。どうしても言い回しがわからない部分は、使用人にでも聞けばいい。
ところが実際に机に向かってみると、文字の問題よりも何を書いていいのか解らなくなってしまい、結局殆ど取り留めの無い事しか書けなかった。
その手紙を取り合えず封筒に入れ、ベッドの上に寝転ぶと、明日イシスに聞こうと思っている質問を反芻しながら、静かに眠りに落ちた。
翌朝、少し早く起きたレオが食堂へ向かって中庭を歩いていると、駆け寄ってきた赤毛の少女が挨拶をしてきた。
「おはようございます、レオ様。朝はお早いんですね」
当たり前のように声をかけられ、一瞬誰だか判らずうろたえたレオだったが、よく見ると昨日会った依り代の巫女だった。
昨日はイシスが体を使っていた為か、どこか神々しい雰囲気を放っていて別人のようだったが、今目の前にいる少女は、何処にでもいる町娘のように見える。
やっぱりその辺はさすが神様だなぁ。と、レオが一人頷いていると、少女が不思議そうに顔を覗き込んできた。
「あの、どうかされましたか?」
「い、いや、何でもないんだ。おはよう、いい天気だね」
必死に誤魔化そうと曇り空を見上げるレオに、首を捻った少女が答える。
「そう、ですね……?あ、すみません自己紹介がまだでした。私はスィスィと言います。スィーと呼んでください」
ベコリと頭を下げるスィーに、レオも釣られて頭を下げる。
「スィーは、依り代の巫女なんだろう。俺なんかに、様なんて付けなくていいよ」
さんを付けようかと迷ったレオが、躊躇いつつも何とか先に呼び捨てで呼んだのだが、スィーは慌てた様子で手を振った。
「そ、そんな、半神で在らせられるレオ様を呼び捨てなんて、とてもできません」
「あ──……どおりでここ来てから、会う人みんなに様付けで呼ばれる訳だ……」
無神論者の国で育ったレオにとっては、神様というと、漠然と偉いんだろうと思う程度の感覚しかもたないけれど、宗教主体の教国の民からすれば、半神とは言え神に近い今のレオは、人より少し上位の存在という位置づけになるのだろう。
正直、小学生くらいの女の子に様付けで呼ばれても困るだけなのだが、かと言って呼び捨てを強要するのも問題がありそうなので、ここはあえて流すことにした。
「スィーも朝は早いんだね。もしかして俺の謁見の準備かな」
再び歩き出しながら聞いたレオに合わせるように、スィーが横を歩く、
「はい。と言っても、私がやる事は殆ど無くて、早めに起きてその日の状態を見てもらうだけなんですけどね」
「へぇ……小さいのに、頑張ってるんだね」
関心したように言うレオに、対象的に首を傾げたスィーが聞き返した。
「私が特別小さい訳ではないですよ。依り代の巫女は、あまり長く勤めると負荷のせいで短命になってしまうので、私くらいの歳の子が多いって聞いてます」
「え”」
スィーは当たり前の事のように答えたが、謁見の予約を入れているレオは身を凍らせた。
「マ…………ゴホン、ち、ちなみに三十分くらいの謁見で、どのくらい寿命が縮むのか……とか、解明されてるのかな?」
「マジで!?」と叫ぶのを必死に堪えたレオが、平静を装って聞く。
「良く知りません。けど、私はイシス様と特に相性がいいので、影響はかなり少ないってカークスさんが言っていました」
「そ、そうか。それは良かった」
流石に用件もあってキャンセルは出来ないが、早く終わらせる為にも、カンペくらいは書いておいた方が良さそうだ。
まだ予定している午後までには時間はあると言っても、早く準備が終わることもあるかも知れない。事情が事情でもあるし、すぐにでも戻って準備しておいたほうが良いだろう。
レオは朝食の為に食堂に向けていた足を止め、部屋の方へ向き直った。
「ちょっと用事を思い出したから、部屋に戻る事にするよ。朝食はいらないって伝えてくれるかな」
「はい、わかりました」
スィーは一瞬キョトンとしていたが、すぐにお辞儀をして食堂へ走っていく。
その後姿を見て小さな罪悪感を覚えたが、今のレオにはどうする事もできなかった。
午後になり、部屋で謁見の準備をして待っていたいたレオの元に、カークスが迎えに来た。
前日と同じ道順を辿り謁見の間に入ると、女神と国王が出迎えた。
唯一昨日と違う所は、レオが半神だと解った為か、王とその周辺から注がれる視線が随分と控えめになった事くらいか。
レオが正面に立つと、イシスが口を開いた。
「お待たせしました。では、まずレオさんのご用件を伺いましょう」
「ああ……幾つか聞きたい事があるんだ。転移魔法について調べたけど、魔法には詳しくないから、概要以外の部分は殆ど理解できなかったんだ。専門家に解説して貰いたいんだが、他に禁書を閲覧できる人間はいないのか」
「そちらについては、既に手配しています。今日中に到着するでしょう」
何故か溜息混じりに言うイシスの様子が少し気になったが、手配済みだったなら問題ないだろう。
レオは用意していたカンペをチラリと見て、次の話題へ移る。
「それと、昨日話した魔神について、聞いた限りかなり出来る奴だって印象だけど、実際ここに来るまで見てきた限り、魔物の動きはあまり統率が取れているように見えないんだが」
「魔界を復興した魔神は、十年程前の代替わりで死にました。今回の魔神は、頭脳より戦闘能力に特化した魔神のようなので、統治能力はあまり高くないのでしょう」
「代替わり?」
首を捻るレオに、イシスが説明を続ける。
「先代もそうですが、人間界に興味を持たない魔神というのは、以前にも稀に産まれていました。
けれど、魔神は魔物達の深層心理が≪原始の海≫に影響して定期的に生み出される存在なので、やがては代替わりしてしまいます」
「そうだったのか」
「主に大敗した後に、戦いより復興を望む心がそういった魔神を生み出すようで、惨敗の後に産まれた先代は特に頭が良かったようです。新たな魔神が産まれる地点を計測する方法を見つけ、産まれてすぐ脅威になる前に殺す事で、長い間統治を続けていました」
深層心理や無意識から生み出されるというのは、自ら姿を変えたレオにも共通するところがある。
だからこその半神という称号なのだろうが、レオとしてはあまり良い気分ではなかった。
「けど、先代の魔神は魔界を復興した業績があるだろ。暴動が起きたりはしないのか」
「魔神は、魔物達の願望が具現化したモノです。流石に今回は多少あったようですが、結局自分達が望んで生み出したという事実があるので、さほど長引かずに終わりました」
恐らく多少とは言え、暴動等でも徐々に国力を疲弊させていたのだろう。
そこへ更に今回の飢饉が起き、蓄えが底を突いたのかもしれない。
「ところで、人間については神は関知しないって話は聞いたけど、エルフやドワーフについてはどうなんだ。彼らも見捨てるのか」
「奴隷になった同族を探して回っているエルフに、魔軍の本格的な侵攻が始まったら、教国に逃げ込むようにと伝えています。頑固者の多いドワーフはあまり集まらないかと思いますが、我々も教国を守るのが精一杯なので……」
ダールで出会ったバルドなど、逃げろと言われて逃げるような性格ではない。
バルドを思い出した事で、レオは不意にダールで出会った人々の事を思い出した。公国を見捨てると言うことは、彼らの身も危ないのではないだろうか。
「その……聞いた話じゃ、エルフ戦争を終わらせた時はかなりの力を使ったって聞いたんだが、他の国を守るのは、本当に無理なのか……?」
わずかな希望に縋るようなレオの問いを、イシスははっきりと否定した。
「無理です。肉体を捨てた我々が力を使うには、特別な触媒が必要になるのですが、長い年月をかけて集めていた触媒も、エルフ戦争の折にかなり消費してしまいました。残った触媒では、教国を守るのも危ういほどです」
「そうか……」
言葉を失ったレオを諭すように、優しい口調に変わったイシスが語りかける。
「今言ったように、現在の戦況はかなり厳しいものです。生涯教国から出ないと言うなら別ですが、この状況で大きな力を持つあなたがこちらに留まれば、巻き込まれる事は避けられないでしょう。
ですが、肉体を捨て我々神の世界に来れば、平穏な日々を過ごす事ができます。どうかその選択肢についても、考えて置いてください」
「……」
確かに、無理矢理連れて来られたこの世界の為に命をかけるのは、馬鹿らしいという思いもある。
しかし同時に、今回の件に関して、直接の関わりが無いイシスからの譲歩が、異様に多いのも気になった。
「何で、そこまでして俺を世界から遠ざけたいんだ。前の異世界の人間は、そんなに恐ろしい奴だったのか」
その問いに、イシスはどこか遠い目をして答えた。
「いいえ、彼はとても温厚な性格でした。当時の王達が大変失礼な事を言い続けたので、怒ってしまったようですが……それでも、彼はこの世界を完全に見限ることは無かった。
そして、大切な事を教えてくれた。例え無残に負けたとしても、自ら戦った者と、他者に全てを押し付けた者の末路が、全くの別物であると言う事を」
前任者を知らないレオが何も答えられずにいると、「けれど」とイシスが続ける。
「どうしてもあなたが肉体を捨てず、この世界で生きたいと言うなら、それを止める事はしません。
ただ、これだけは覚えて置いてください。ここは確かにあなたにとって異世界ですが、全ての生き物は、あなたと同等の命を持っているのです。
三千年前の私達は、そんな当たり前の事すら見失っていた……」
それは、レオ自身も想い悩んでいた事だ。
今のレオが本気で殴れば、人は簡単に死んでしまうし、全力の魔法を使えば、条件はあるが死者を蘇らせる事すらできる。
襲い来る魔物には明確な意思を持って向かえるが、盗賊達に対しては、まだ何処か曖昧な心境のまま戦っていた部分があった。
自分の意思でここで生きるというのなら、それだけは改めなければならないだろう。
「言われなくとも、解っているさ」
「でしょうね。あなたは何処か、彼と似た雰囲気を持っています。異世界の民だからでしょうか」
これにはレオの方が戸惑ってしまう。
話に聞いた途方も無い強さの前任者と、自覚がある程頼りないレオとでは、あまりにかけ離れている気がしたからだ。
ただ、制服を着ていたと言っていたし、ひょっとしたら近い並行世界等から来たのかもしれない。
「どうかな、現代人ってのはあるかも……って、この世界じゃ今が現代だから、ちょっと語弊があるけど」
苦笑するレオにイシスも微笑みかけるが、意味が解っていないであろう国王達は首を捻っていた。
スィーの事もあるし、細々とした話は魔法の専門家が来てからそっちに聞けばいいので、話を切り上げる事にする。
「俺の質問はこれで終わりだけど、そっちからも何かあるんだっけ」
先にどうぞと言っていたので、何か用件があった筈なのだが、言われたイシスは怯えたような、恐縮したような、微妙な表情になって言いよどんだ。
尋常ではない女神の様子に、ただ事ではないと感じたレオが身構えていると、イシスは意を決したように切り出した。
「大変申し訳ないのですが、本来予定していた魔法の専門家が昨日体調を崩したとかで、急遽代わりの者を呼ぶ事になったのです」
「なんだ、だから昨日聞いても居ないって言われたのか。けど、代わりが居るなら問題ないんじゃないか?」
何が問題なのか解らず首を捻るレオに、心の底から嫌そうな顔をしたイシスが、とんでもない爆弾を投下した。
「それが……代わりの者というのが、数年前にとある街で疫病が蔓延した折に、数千人の命を救って大司教になった───」
◆◇◆◇◆
その頃、仲間達は遅めの昼食を取っていた。
前日の夜にカークスから説明を受けていた仲間達は、揃ってなんとも言えない表情をしていた。
いかにレオの強さが尋常ではなかったとか、明らかに秘密を隠している様子だったと言えど、異世界から来た半神だという話は常軌を逸しすぎて、どう反応していいか解らないレベルだった。
更に、現時点では元の世界に戻れる確立が絶望的だと言われたのだから、説明をしに来るという約束を破っていても、攻めるような事を言う者はいなかった。
「しっかし、とんでもない事になってたんだねぇ……」
沈黙に耐えられなくなったゲオルグが話を振るが、答える者はいない。
と、そこへノックの音が割り込み、ローブを持ったカークスがやって来た。
「失礼します。レオ様からのお手紙と、所用を授かってまいりました
「あ、はい」
カークスは一礼をして部屋に入ると、扉の近くに座っていたリサへ歩み寄った。
無駄の無い動きで手紙を渡し、持っていたローブを広げる。
「こちらのローブの裾直しをするようにとの事ですので、後ほど係りの者が寸法を測りに参ります」
カスティーヨ大聖堂に来る前日、レオが話していた事を思い出したリサは、頷いて答える。
「解りました」
予定の時間を伝え用件が終わると、カークスは入ってきた時と同じように一礼して静かに部屋を去った。
「さて、何が書いてあるものやら……」
ギルが苦笑交じりに身を乗り出して聞くと、他の二人も同じようにして手紙を受け取ったリサを見つめる。
封を開けたリサは、手紙を取り出して一度深呼吸をすると、読みにくい字に眉を寄せながら読み始めた。
「えぇと
『皆へ。
俺の置かれた状況については、カークスから聞いたと思う。
色々と混乱しているが、取り合えず本当に戻るのが無理なのか、少しだけ自分で調べて見るつもりだ。
どちらにしても決めるまで少しかかると思うから、この前言ったローブの件はここで頼む事にした。
ちなみに、俺の待遇は物凄くいいけど、そっちはどうだろうか。さっき食べた夕飯なんて、前菜からして──』
……この先は夕飯の献立が細かく書いてあります」
二枚入りの手紙の中で、状況の説明がたったの三行とは、一体なにを伝える為の手紙なのだろうか。
なんだか力が抜けた声を出したリサは、手紙を閉じて元の便箋に戻した。
様子を見ていた面々も、呆れたように溜息をつく。
「なんだか、予想よりもかなり緊張感がない手紙だねぇ……アイツ、ホントに大丈夫なのかい」
気の抜けたゲオルグの声に、苦笑混じりのギルも同意する。
「けどま、レオらしくていいじゃねぇか。あのレオが全部真面目な事書いてたら、俺は逆にそっちの方が心配だぞ」
「ええ、こういったユーモアがある内は、きっと大丈夫ですよ」
フォローのようなアルザダの言葉に、「これはユーモアじゃない気がする」と思ったリサだったが、あえて口には出さなかった。
だが、ゲオルグもそう思ったようで、ニヤリ笑いながら背もたれに身を預ける。
「何にしても、暫く待ちぼうけみたいだけど……神様に勧誘されてるらしいけどさ、実際どうするつもりなのかね」
「さぁな、俺がレオの立場だったら正直馬鹿らしいし、神様になっちまうか、戦火が迫るまでは教国に居て、ヤバくなったら……とか考えるかもしれん、レオもかなりのお人好しだが、流石に今回は──」
「帰ってきますよ」
冗談めかして言うギルを遮るように、リサが言った。
「レオさんの事ですから、きっと直ぐに心細くなって帰って来ます。そうですね……一週間もしたら、諦めて戻ってくるに決まってますよ」
「そりゃどうかなぁ、流石のレオだって二週間くらいは頑張るとおもうぞ?」
話しているうちに面白くなってきたのか、ニヤニヤと楽しそうに笑いながらギルが続ける。
「そうだ、折角だし賭けねぇか、俺は二週間に小銀貨一枚だ」
「いいですよ、それなら私は一週間で。ただし、言っておきますが、私はこう言うのは強いですからね」
自信満々に笑うリサに、乗り遅れまいとゲオルグも参加を表明する。
「おいおい、アタシを外すんじゃないよ。そうさね……アタシも二週間に一票だ、レオだってその位は頑張るだろうさ」
結局レオの手紙以上に緊張感がなくなってしまった三人の様子を見て、ただ一人不参加のアルザダはやれやれと溜息をついた。
とはいえ正直、この時点では誰もが数ヶ月はかかるだろうと思っていたのだが──
結論から言えば、賭けの結果はリサの一人勝ちだった。
あの手紙以来音信不通だったレオから、突然連絡が来たのは昨日の事だ。
カスティーヨ大聖堂へ招かれてから丁度一週間後、『明日には戻るから、出発の準備を始めていてほしい』と書かれた手紙が来たのだ。
本音を言えば、本当に一週間で戻ってくる事に驚きを隠せないリサだったが、戻ると言っているのだから、何があったかは帰ってきてから直接本人に聞けばいいだろう。
まだ出発の準備の大半は終っていないが、目的地は相談で決めるらしいので、準備をしようにも一番時間のかかるアルザダの仕入れが出来ない。
なので多少遅れる事になっても、『どうせなら色々とあったレオの為にせめて出迎えくらいはしてやろう』という話になり、応接間で落ち合う事になっていた。
そこへ買出しで遅れて来たゲオルグが無造作に入ってくると、定位置になりつつある椅子に腰掛て愚痴った。
「ったく、ホントに一週間で帰ってくるなんてさ。レオのせいで賭けにも負けたし、今夜の帰還祝いはレオの奢りにさせないとね」
言っている内容は愚痴なのだが、妙に楽しそうなゲオルグを、呆れた様子のリサが窘める。
「駄目ですよゲオルグさん、奢りじゃ確実に掛け金オーバーです。意味がないじゃないですか」
窘めるといっても、リサも奢りはともかく帰還祝いを止める気はなかった。
だが単純に嬉しそうな女性陣とは違い、突然の事にギルは少々難しい顔をしていた。
「しかし、本当に早過ぎねぇか。ひょっとして向こうで何かあったんじゃ……」
真面目に考え込むギルに、同じように難しい顔をしたアルザダも同意する。
「確かにレオさんの事情を考えると、ちょっとおかしいですよ。先週の手紙以降、連絡が途絶えていたのも気になりますし」
だが今回に限っては妙に楽観的なリサと、基本的に常時楽観的なゲオルグは笑って首を振る。
「いくらなんでも、この状況で教国の連中に何かされたんなら、レオだってただじゃ置かないさ」
「そうですよ。それにもう直ぐ帰ってくるんですから、何があったかなんて戻ってから聞けば良いじゃないですか」
リサの説得でも納得が行かない様子のギルだったが、丁度奥の通路から足音が聞こえてきた。
「来たみたいだぞ」
その言葉で全員が顔を上げる。
全員の視線が集まる中、応接間の扉が開かれた。
「お帰りなさい、レオさ……ん……?」
扉の先に現れた困り顔のレオを、リサは笑顔で迎えようとし───傍らに立つアルバートを見て、そのまま顔を引きつらせた。
凍りつく空気の中、なんとも気まずそうなレオが解説を入れた。
「えぇと……な、何でか、今日からメンバーに加わってしまった、アルバートさんだ……」
続いて全員の白い目を一身に受け、それらを完全に受け流したアルバートが、髪をかき上げつつ優雅に自己紹介を始める。
「フッ、どうもアルバート・フラメルです。以後よろしく……ああ、ちなみに加入に関しては、こちらの契約書により約束されているので、反対は受け付けません。悪しからず」
差し出された契約書は残念な事に、既に末尾に『レオ』と書かされた後の状態だった。
◆◇◆◇◆
どうも、作者です。
何だかんだで新キャラ加入ですね。
──それにしてもアルバートはシリアスと合わないというか水と油レベルというか……仕上げに苦労しました……あと、レオの方の事情は章の関係により次話冒頭になります。
ちなみに、どうでもいい補足なんですが、前任者さんの召喚条件は─
『最強の魔神に勝てる可能性のある者』という条件だったのが、『最強の存在に勝てる可能性のある者』に、変化してました。
ちょっと違いますね。
それではまた次回、四章でお会いしましょう。
※大ポカに気づきました……一部修正;;