異界の地
翌日の朝、昨夜疲れていた為か宿に戻って直ぐ眠ってしまったレオは、午前中の早い時間にローブの裾直しを頼みに行こうと思い、部屋で収納袋を漁っていたのだが、突然宿の主人が部屋の前に駆け込んできた。
ノックに答えて扉を開けると、宿の主人が緊張した面持ちでたたずんでいた。
「あの、表にお迎えの馬車が……」
「ん、思ったより早かったな」
伝えた内容は手紙の配達だけであったし、来るとしても午後だろうと思っていたのだが、朝の冷気も抜け切らない時間に来るとはレオとしても想定外だった。
特に用事の無かったゲオルグやギルなどはまだ寝ているだろう、どうしようかと数瞬悩んだが、黙って行くという選択肢は無い。
「俺は先に挨拶に行くので、連れの四人を起こしてくれますか」
来て当然というレオの対応に宿の主人は僅かに驚いたが、国からの迎えを待たせる訳には行かない。
好奇心を抑えて隣の部屋へ向う主人を尻目に、レオは手紙の入った収納袋を持って、二階建ての宿の階段を下りた。
そこでレオを待っていたのは───
「お待ちしておりました……。貴方が、レオ様ですね」
───完璧な出で立ちの初老の執事と、汚れ一つ無い豪華な黒塗りの馬車三台だった。
伝えたのはただの手紙の受け渡しだったはずが、突然のVIP級の待遇に流石のレオも咄嗟に反応できず、人違いではないかと周囲を見渡した。が、当然レオと言う名前の者は一人しか居ない。
だが、続けられた彼の言葉で、レオは全てを理解した。
「ようこそ、我々の世界へ」
レオは僅かに目を見開くと、確信に至る問いかけをする。
「ひょっとして……あなたがカークスさんですか」
その問いかけに、初老の執事は無言のまま頷いた。
「この先は、ここでは話せません。後の二台は、お仲間の為に置いて行きますので、一足先にカスティーヨ大聖堂へ向いましょう。続きは、向こうに着いてからお話します」
いかに危機感の薄いレオといえど、この状況で無警戒で居られる程馬鹿ではない。
カークスを警戒しながら、慎重に馬車の中に入るレオを、彼は無言のまま見守っていた。
レオが中の椅子に腰掛け、対面にカークスが座ると、それに合わせて馬車の扉が独りでに閉まる。
鞭が馬を叩く音が響き、馬車はゆっくりと走り出した。
「今の内に、手紙を受け取っても宜しいですかな」
「はい……どうぞ」
手紙を彼の手に渡した瞬間、レオは胸で刻印の魔力が消えるのを感じた。
カークスはそのまま無造作に封を開る。パチンという静電気のような音がして、封は簡単に剥れ、中から便箋と同じ漆黒に塗られた、一枚の紙を取り出した。
レオの側からは殆ど見えないが、紙に書かれている文字はほんの数行のようだ。
彼はそれを見てほんの少し微笑むと、手紙を封筒に戻し、レオに向き直った。
「奴は──」
「え?」
消え入るようなカークスの声に、聞き取れなかったレオが聞きなおすと、彼はもう一度、今度ははっきりと言い直した。
「レオ様が最後にホワイトパールを見た時、奴はどんな様子でしたか」
「えぇと……かなり派手な門の前で、ずっと誰かが通るのを待っていたようでした」
ギルからホワイトパールの話を聞いていたレオは、ネオン満載の門の趣味についてはぼやかして言ったのだが、それを聞いたカークスは苦笑して言った。
「結局、あの悪趣味な飾りは貫き通したのだな」
驚いて目を見張るレオに、カークスが微笑みかける。
「奴とは長い付き合いでね……と言っても、奴の兄弟子が昔の知り合いだった為に、多少交流があった程度なのですが」
「は、はぁ」
その返答によって一つの話題が終った馬車に、沈黙が降りる。
レオにも聞きたいことは山のようにあったが、突然の急展開に対する緊張と、馬車に満ちる不思議な雰囲気のせいで、中々切り出すことが出来なかった。
(いや、ただ本当の事を聞くのが怖いだけか……)
だが、いつまでも黙っていても仕方が無い。
そこでふと、何故大聖堂に向っているのかと疑問に思った。
「ところで、何故大聖堂に向っているんですか」
よく考えれば、内密に話をするなら、彼の自宅に向った方が早いのではないかと思ったのだ。
しかし、事態はレオの想定の範疇を超えていた。
「依り代の巫女に会って頂く為です。ご存知かもしれませんが、彼女は神の言葉を代弁をする力を持っています──即ち、レオ様には女神イシス様と、お話をして頂くのです」
白い石で組まれたカスティーヨ大聖堂は、さながら太古の神殿と言った風情の建造物だった。
絶えず修復されているようで、全体的には鮮やかだが、構造上問題のない部分には、一部風化したような石も残っている。
裏口から内部に通されたレオが数分程待っていると、後続の馬車で連れてこられたゲオルグとリサが、おっかなびっくり応接間へ入ってきた。
カスティーヨ大聖堂といえば、いわば教国の王城だ。今はそれどころではないレオはともかく、一般人ならば物を壊さないようにと言う思いが先に立つ。
落ち着かない様子で向かい側に座ったゲオルグが、難しい顔で黙り込むレオに声をかけた。
「えっと、レオ、アタシ乗れって言われたから乗って付いて来たんだけど、これで良かったのか……?」
緊張の為か、ゲオルグのキャラが崩壊している。
借りてきた猫のようなゲオルグの様子に吹き出しそうになったレオは、ようやく仲間達も来ていた事を思い出した。
いつの間にかレオの隣に座っていたリサも、どこか落ち着かない様子で辺りを見回している。
「ああ……俺も急な事で驚いてるが、呼ばれて来たんだ。問題なんてある訳無いって」
ゲオルグが安堵の溜息をつくのと同時に、再び扉が開いてギルとアルザダが入ってきた。
二人はある程度落ち着いた様子で、空いている椅子へと腰掛けた。
「随分大げさな待遇ですね……」
多少警戒している様子のアルザダに続き、眉を寄せたギルがレオに囁く。
「なぁレオ、俺たちは手紙を届けに来ただけだよな。なのに、何でこんな事になってんだ?」
「それは──」
「それは、後ほど私からご説明します」
答えかけたレオの言葉は、応接間に入ってきたカークスによって遮られた。
全員の視線がカークスに集まる。
「レオ様、用意が整いましたので、謁見の間へ御出でください」
「待ってくれ、皆にも聞いて欲しいんだ。行くなら全員で……」
全員に話す約束を思いカークスに提案したレオだったが、彼は首を横に振った。
「申し訳ありませんが、それは絶対に無理です。レオ様はご存じ無いかと思いますが、事は教国どころか、この世界全体の最重要機密事項に当たります。特別に結論を含めた事情の説明は後に行いますが、その場に同席する許可は出せません」
カークスに集まっていた視線が、レオに移る。
だが、当のレオはそれどころでは無かった。異世界に連れてこられたのは、本人であるレオには大事だが、この世界にレオを招いたホワイトパールの様子からも、世界全体がどうのという話が出るとは思ってもみなかったのだ。
なるべくなら仲間にも同行して欲しかったが、カークスの口ぶりからして彼はただの繋ぎ役だろう。頼むのなら、指示を出している者に頼まなければならない。
「解った。けど、どんな結論にしろ、話が終ったら伝えるって事で良いんだな?」
「勿論です」
頷いたカークスに応えるように立ち上がったレオは、謁見の間へと通じる通路の前に向う。
扉が開かれる前、いつの間にか椅子から立ち上がっていたリサが声をかける。
「レオさん……」
「少し、話してくる。事情の説明は、もう少しだけ待っていてくれ」
皆が困惑の視線を向ける中、付き添いのカークスに導かれ、レオは応接間を後にした。
謁見の間では、既に数人の人間がレオの到着を待っていた。
玉座の一段下で、国王と思われる老人が王冠を抱えて控えており、その脇に二名の高官と思われる者達も見える。
玉座にあたる場所には、三人の法衣を纏った女性と一人の少女が立っていた。
琴のような道具で少女を取り囲む三人の女性は、どうも中心に立つ少女の魔力を調整しているようだった。
「ようこそ御出で下さいました。異界の民よ」
そう言って、瞳を赤く光らせた依り代の巫女──女神イシス──はレオに会釈した。
こんな状況でどう対処していいか解らないレオは、取り合えず王様を見習って膝でも付こうかと屈みかけたが、玉座に立つイシスに制された。
「その前に、一度私の所まで来てもらえますか?少々調べたい事があるのですが、残念ながら、私はこの場所から動けないのです」
常に鋭い視線を向けてくる王様と配下の者を気にしつつ、レオがイシスの前に立つと、彼女はレオに右手を掲げた。
「貴方の身になにが起こったのか知る為に、ほんの少し記憶を覗く許可を貰えますか。勿論、関係の無い部分は絶対に見ません」
「は、はい……」
いかにレオと言えど、記憶を覗かれるというのはあまりいい気分ではないが、この場合は仕方が無いだろうと諦め、背の低い少女に合わせるように、彼女の前で膝を付いた。
イシスはレオの頭部に右手を掲げたまま、暫くの間目を瞑っていたが、一瞬悲しげに顔をゆがめた後、閉じていた瞼を上げた。
「状況が解りました。もう結構です」
玉座から一歩身を引いたレオが再び膝を付く前に、イシスが告げる。
「結論から言います
不意に掛けられた声にレオが顔を上げるのと同時に、ダールから始まったレオのこれまでの旅が、終わりを告げた。
──元の世界に戻る事は、不可能です」
それは衝撃の事実だった───ハズなのだが、レオの心は、自分でも不思議な程落ち着いていた。
けれどもふと、これまでの恐怖の正体を考えた時、その理由が解った気がした。
(どこかで……解っていたのかもしれないな)
馬車の中ですら、カークスに話を聞くのが怖かった。
いつでも話せた仲間達にも、相談するのが怖かった。
その恐怖は、この世界が現実だと認識した時から生まれた物だ。
心のどこかで、この世界の魔法の水準から考えて、元の世界に戻るなんて事は出来ないのではないかと思っていた。
だが、それを自覚したとしても、聞かなければならない事はある。
「どうして、無理なんだ。理由を聞かせてくれないか」
最早膝を付く事無く、責めるように聞き返すレオに、女神以外の者達から非難を込めた視線が注がれるが、知ったことではなかった。
「勿論です。その為に、ここまで来て貰ったのですから──少々遠回りな長い話になってしまいますが、どうか最後まで聞いてください」
レオが頷くと、イシスは古い記憶を辿る為、再びその瞼を閉じた。
「世界を渡る為の転移魔法……その発端は、三千年前に遡ります。
それまで世界は、繰り返す魔界との戦争と言う歴史の中で、調和の取れた状態を維持する事が出来ていました。
ですが、三千年前のある時、≪原始の海≫から一体の魔神が生み出されます。
勿論、件の魔神が生み出される前にも数百年に一度、定期的に魔神は生み出されていましたし、時期的には何もおかしい所はありませんでした。
ところがその魔神は、それまで生み出されていた者を遥かに上回る力を持っていた……此方の世界全体が一丸となって戦ったとしても、決して勝てない程の力を。
当時各国の王達は、有力者を集めて何度か討伐隊を派遣しましたが、誰一人戻ってくる者は居なかったと聞きます。
迫り来る魔軍に恐怖した彼らは、遂に私達神々に助力を頼みに来ました。
人々が決死の思いで戦っていたのも知っていましたし、彼らでは勝てないと解っていた神々は何とか救ってやりたかったのですが、我々の力にも限界があります。
単純な能力でも劣っている上、当時の魔神は周囲の魔力を自在に操る力を持っていたので、当時既に肉体を捨て霊体となっていた我々では、相性も悪かった。
最早策も尽き、後は魔軍に蹂躙されるのを待つのみかと思われた折、神の中でも特に魔術に詳しい私と知恵の神トートが、皆に求められるまま、禁じられた魔法を創り出しました。
それが異界召喚魔法、エコーゲート。
我々では勝てない魔神に対抗する為、異界の住民を呼び出す魔法に可能性を求めたのです。
ですが創った当人である私とトート神は、あの魔法の欠陥に気付いていた……魔法名が示す通り、数ある異世界に反響のように響くこの魔法は、何らかのアクシデントで、予想もできないモノが呼び出される可能性がある事に。
それを踏まえてエコーゲートの完成を伝えたのですが、当時は人間の王達だけでなく、希望を失いかけていた神々からも、直ぐにでも使うべきだと言う意見が多く寄せられ、その流れを止めることは出来なくなってしまった。
そうして、神と人間が力を合わせて、初めて実行したエコーゲートで、一人の少年がこの世界に呼び出されました」
以前にもこの世界に呼ばれた者が居たと言う事実に、レオは生唾を飲む。
だが、周囲の王や高官達が動じない所を見ると、一部の者には事実として既に知られている事のようだ。
「彼を初めて見た有力者や神々は、失望の色を隠せませんでした。
異界の者である為か≪せいふく≫と呼ばれる服装こそ変っていましたが、線の細い体といい、幼さの残る顔立ちといい、とても戦える者には見えなかったからです。
ですが大儀式を行い、多くの費用や時間を掛けた事や、元の世界に返す方法も開発中であると言う理由から、特に期待せず、当時の王達は彼に事情を話し、元の世界に帰りたいのなら、協力してほしいと言いました。
すると、彼はこう答えました
『別に、魔神を殺すのは構わない。けれど、これだけは言っておく、例え僕が魔神を倒したとしても、他所から持ってきた勝利など君達には何も齎さない。いずれ、敗北と同等の代償を払う事になるだろう。本当に、それでもいいのかい?』 と。
今にして思えば、あれは強引にこの世界に引きずり込んだ我々に対して、彼が最後にかけた情けだったのでしょうが、当時誰も彼が魔神を倒せるとは思って居なかったので、その言葉の意味を真剣に考える者は、一人も居なかった。
王達も、なにを馬鹿なと一笑に付して『出来るものなら、やって見せてくれ』と言いました。
そうしてそのまま、彼は誰にも相手にされずに、たった一人魔界へと向ったのですが───
───彼は、想像を絶する力を持って持っていた……。
たった三日で、広大な魔界の全土を焼き払い、敵将を皆殺しにし、絶対に勝てないとまで言われていた魔神をいとも容易く葬り去って帰ってきました。
戻ってきた彼は、転移魔法に関わった全ての者を魔界に呼び寄せ、出て行った時と同じように平坦な声で『さあ、用は済んだんだ。早く帰してくれ』と言いました。
ですが、その眼差しに込められた怒りの色に、私達は震え上がった。
あの時の魔界は、本当に酷い有様でした。大地は焼け焦げ、川は干上がり、森は炭と化し、生きているモノなど居ないのではないかと思ったほどです。
もし彼の力が此方に向いたらと思うと、居ても立っても居られなくなったこの世界の人間と神々は、不眠不休で転移魔法を研究し尽くしました。
そして、遂に完成した送還魔法で、彼は元の世界へと帰っていった──」
「待ってくれ、そいつは元の世界に帰れたのか?」
話の方は、どちらかと言えば平穏と思しき今の状況からかけ離れ過ぎていて、全く現実味がないのだが、帰っていったという部分だけは聞き逃す訳には行かなかった。
レオの問い掛けに、イシスは頷いて答えた。
「ええ。けれど、問題はその後なのです。
彼を元の世界へ返したまでは良かったのですが、後には魔軍と戦う為に大量に増員した各国の軍隊が残っていた。
魔神のみを討伐する為の精鋭部隊こそ甚大な被害を蒙っていましたが、魔軍全体と戦った期間が短かった為に、人間達も全体の被害は少なかったのです。
そして軍部が肥大化していた各国は、徐々に険悪になり、やがて大きな戦争が幾度と無く繰り返されました。
戦争が終っても内戦や冷戦が絶える事は無く、やがて人種差別や奴隷制度が生まれ、そして遂にエルフ戦争──いいえ、人間によるエルフの一方的な虐殺が始まった。
ここに至ってようやく私達も、三千年前に彼が言っていた『敗北と同等の代償』について思い至ります。
私達が必死に守ろうとしていた世界は、彼を呼び出した『代償』として失われ、全く別の、醜悪なモノへと変っていたのです。
思い返してみれば、件の魔神は侵攻には消極的だった。ひょっとしたら、対話で解決する方法もあったかもしれない……。ですが、魔物は倒すべき敵と言う固定観念に囚われた当時の我々には、対話という発想はありえませんでした。
後に実力行使によってエルフ戦争を強引に終結させた私達は、それと同時に異世界と交流する転移魔法を絶対の禁呪とし、更に万が一異世界の者が紛れ込んでしまった場合、直ちに元の世界へ送り返す役割を与えた『白の導師』を任命します。
その『白の導師』が代々引き継ぐ名前が……『ホワイトパール』真珠のように、異世界からこの世界を保護する膜となるようにと付けられた二つ名です」
「それじゃ、異世界からの干渉を防ぐ役割を担っていた奴が、俺をこの世界に送ったって事なのか」
イシスは頷くと、そのまま頭を下げた。
「こちらの事情に巻き込んでしまって、本当に申し訳ないと思います。
先にも言ったとおり、近隣の諸国は最早私達の忠告には耳を貸さず、魔軍に対抗する準備をしていたのは、教国だけでした。
ただ、異界転移魔法は、魔界と此方の世界を繋ぐ空間の歪を操作する事で行います。
ですから、異界との接触を警戒するホワイトパールは、歪の調査で魔界の不穏な動きにいち早く気付いていた。
けれど彼と弟子のリスィが、幾ら諸国の有力者に忠告しても、三千年の長きに渡り平穏の続いたこの世界の人間は、誰も信じてはくれなかった。
困り果てた彼はここへ来て、何とか力を貸して欲しいと言ったのですが、私はそれを断りました。
今回の魔神は、昔のような途轍もない強さでは無いし、このまま戦えば負けてしまうと言うのも、皮肉な事に三千年前の大敗から立ち直る為、先代の魔神が長い間統制の取れた社会を維持していたからです。
私達神は、教国を守るだけで精一杯。そしてそれ以前に、今回人間が負けるとしたら、自分達が長年やってきた戦争が原因です。
だから手を貸す事はできない。と、私は答えました。
けれど、公国の平凡な農村に生まれ、才能を見出されて帝国へ渡り、高名な魔術師になったホワイトパールには、二つの祖国を見捨てる事は出来なかったのでしょう。
最後の手段として、他人を異界に送る為の魔法で自らを異世界へ送り、そこから更に、あなたを此方の世界へと送還したと思われます。
その際、専門家であるホワイトパールはある細工をしました。
送還魔法は、送り先の世界を指定して実行するものなのですが、元の世界を割り出す為に、肉体からその座標を特定しなければなりません。
直ぐに元の世界へ戻されるのを防ぐ為、ホワイトパールはあなたに≪原始の海≫を通過させた。理由は、≪原始の海≫を通ると、一時的にこの世界の情報が上書きされるからです。
ただ、これは予想外だったのだろうと思いますが、あなたは送られた時仮想空間にいた。その為、全てのモノを生み出す≪原始の海≫で元の体と仮想空間の体の選択を迫られ、直前まで仮想空間に居た影響で、無意識に現在の『レオさん』の姿を創造してしまい、体が変質してしまった。
本来の肉体で通過しただけなら、自然と元に戻るのですが……全てが完全に変質してしまっては、最早どうしようもありません」
レオは視線を落とし、自分の手のひらを見つめた。
それは白人のように真っ白で、素手でも戦える程に無骨な力強さが感じられる手だ。
元の”近藤零夜”の手のひらとは、似ても似つかない。
「もう一度≪原始の海≫ってのに入って、元の姿を想像すれば戻れないのか?」
開いていた手を握り締めながら、独り言のように呟くレオに、イシスが優しく、しかしはっきりと答える。
「可能性はあります。ですが、≪原始の海≫は制御不能な存在の塊、そこで故意に肉体を変化させると言うなら、九割以上の確率で、溶けてなくなってしまうでしょう」
「この姿になって出てこれたのも、奇跡だったって事か……」
或いは何の雑念もなく、ゲーム中の体で門を潜ったのが良かったのかもしれないが、もう一度やれと言われて出来るものではない。
「どうにかしてホワイトパールを見つける事はできないのか?」
「彼は、恐らく既に死んでいます。元々負荷の大きい異世界転移魔法を、短期間の内に何度も使っているので、魔力枯渇を起こし、更に演算の過負荷で脳もズタズタになっているでしょうから……」
自分を騙してこの世界へ送り込んだホワイトパールの事は、レオもずっと許せないと思って居たのだが、事情や状況が解ってきた今となっては、彼が死んだ事も、騙されていた事も、何だか遠い出来事のように思えた。
だが感傷に浸る前に、もっと自分の置かれた状況を理解しなければならない。
「そもそも、何でホワイトパールは俺が居た世界に目をつけたんだ」
「禁呪に指定されていますが、空間の歪から、異世界を見る魔法があります。此方からの操作は殆ど効きませんが、恐らくはそれによって前もって有望な世界を調べたのでしょう。異界に転移すれば私達も気付きますが、見ているだけなら感知することはできないので」
「なら、その魔法で元の世界を探せば……」
「無限に近く存在する並行世界から、何の手がかりも無しに、あなたが元居た世界を探すのは不可能です。近い世界でも、別のあなたが存在する世界、あなたが既に死んでいる筈の世界、両親はいてもあなたが生まれていない世界、そんな世界が、無数に連なっているのです」
確かに、その中から元の世界を探すのは骨が折れそうだ。
もし似た世界を見つけても、実際に飛んだ先に、既に別の”近藤零夜”が居ては目も当てられない。
「魔法、魔法か……そういえば、元の世界での魔法が、こっちでは違う効果だったり他人には使えなかったりするのは、変質と何か関係があるのか」
状況を打開する魔法を考えているうちにふと浮かんだ疑問だったが、問われたイシスは居住まいを正し、正面からレオを見つめ直してから答えた。
「実は、それに関してレオさんに提案があるのです」
「提案?」
「はい。これまでの話で、現時点でレオさんが元の世界に戻れる可能性が、殆ど無い事は解っていただけたと思います」
レオとしてはまだ納得した訳ではないが、可能性が低いと言うのは否定できなかった。
渋々と言った風にレオが頷くと、イシスはとんでもない提案を投げかけてきた。
「過去の過ちから学んでいる我々も、異世界の民であるあなたにはこれ以上、この世界に干渉して欲しくない……そこで、レオさんさえ良ければ、肉体を捨てて霊体となり、私達──この世界の神の末席に、加わって欲しいのです」
「は……?」
ただでさえ色々な事を言われて混乱している中で、唐突に神になってくれと言われたレオは、混乱を通り越して訳が解らなくなってきた。
「ちょっと……ちょっと待ってくれ、何でいきなりそんな話になるんだ。そもそも神様ってのは、そんな簡単になれるモノなのか」
「普通であれば無理でしょう。ですが、今のあなたは≪原始の海≫で自らを創造する事で、魔神や幻獣等の、半神に近い存在になっています。後は私達、この世界の神の後押しがあれば、本物の神になる事も可能です」
説明を受ける事で益々混乱するレオに構わず、イシスは更に補足を重ねる。
「ちなみに、半神も基本的に神と同じく、司るモノがあります。レオさんの場合は『元居た異世界』を司る神と言う訳です。
魔法が変化した理由は、元の世界では当然だった魔法も、此方で理論上あり得ない部分があった為、近しい物に変化されているんだと思われます。
置き換えも不可能な『有り得ない』魔法は、自身にのみ効果がある、特殊な能力という形になっているはずです。
といっても、厳密に言えば、あなたの魔法は全て魔法ではなく、魔力を使った特殊能力なのですが……」
確かにレオの魔法は、術式や詠唱や魔力制御など全く必要とせず、思い描いただけで実現できるとんでもない代物だ。
何故あんな凄い魔法ができるのに、生活用の魔法ができないのかとリサは散々首を捻って居たが、解ってみれば単純な話だった。
レオが生まれて始めて使った魔法は、あの水鉄砲だったのだ。
つい現実逃避気味に思考が脱線してしまったが、今重要なのは神がどうとかという話だ。
一旦落ち着いて考えた結果、レオとしては、まだ何も調べても試しても居ない転移魔法を諦め、先の選択肢を選ぶのは時期尚早だという結論に至った。
「せめて、少し時間をくれないか。納得する為にも、転移魔法について自分で調べてみたい」
レオの要求にイシスは頷いて、手のひらで傍らに控えている王と思しき老人を指した。
「その為に、彼らを同席させていたのです。王よ、今言った通りです。彼に地下図書館の禁書を閲覧する許可を与え、暫しの間、大聖堂で連れの方々をもてなしなさい」
命令を受けた王が静かに頭を下げたのを確認し、イシスは視線をレオへ戻した。
「元の世界へ戻る方法自体は、幾ら調べても構いませんが、連れの方々の扱いに関しては、早めに結論を出してあげてください。事情が事情なので、引き止められたりしないよう面会は謝絶にしますが、レオさんが会いたければ会っても構いません。
今後について、心配が残る方が居るならば、そのままこちらで面倒を見ます」
考えうる限り最上の扱いだったが、レオは礼を述べる為の喉を詰まらせてしまった。
礼を言いたい気持ちはあったが、どんな言葉を言えばいいのか解らなかったのだ。
だが、イシスは無言のレオを特に気にする様子もなく、別れの挨拶を告げる。
「長くなってしまいました。これ以上はこの子に負担をかけたく無いので、今日はここまでにさせて下さい」
「あ、ああ……」
目を泳がせて生返事を返すレオに、イシスは深々と頭を下げて、一時の現世から去っていった。
謁見が終った後、レオは使用人に導かれるまま、頼りない足取りで場内を見て回った。
地下だというのに昼のように明るい図書館や、装飾過多な通路を丁寧に説明されたが、完全に上の空だったレオの頭には半分も入っていない。
通された来賓用の部屋で、目に留まった椅子に座ると、頭を抱えて暫く動けなくなった。
考えることが多すぎて、なにから手をつければいいのか解らなくなったのだ。
だが、黙っていても始まらない。
まず最初にやるべきは、仲間への説明と、図書館の転移魔法に関する記述を調べる事、それからホワイトパールに関する調査だ。
突如目の前に山のように詰まれた難問が現れ、途方に暮れるレオの元に、部屋の扉をノックする音が届く。
やって来たのはカークスだった。
「お仲間への説明が終りました。謁見の間で交わされた会話の内容は、ほぼ全て伝える事が出来たはずです」
「そうですか……」
これで用件の一つは終ったのだが、それと同時に仲間と会う理由が無くなってしまった。
勿論レオが会いたいと言えば会わせてくれるのだろうが、この状態で話題の無いままに会っても、気まずくなるだけだろう。
レオが礼を言うと、カークスは来た時と同じようにゆったりとした動きで戻っていく。
次は何をしようかと考えていたレオは、慌てて彼を呼び止めた。
「あ、ちょっと」
「何か?」
振り向いたカークスに一瞬言い淀んだ後、恥ずかしそうに頭を掻きながら頼み込む。
「実はさっき案内してもらったばかりなんだけど、ちょっと上の空だったから、地下図書館への行き方が解らなくなってしまって……」
「構いませんよ。それでは此方へ──」
再度入り組んだ通路を抜け、もう一度地下への螺旋階段を下る。
そしてカークスに導かれたレオは、カスティーヨ大聖堂の地下、様々な秘密が記された地下図書館の更に奥へと入っていった。
どうも、作者です。
ようやく……ホントようやく事情の説明が出来ました。
当初の予定では一月かそこらでここまで書くはずだったのですが、随分と長いことかかってしまいました……。
さて、内容の方ですが、予め言っておくと、前任の異世界の方、登場は無いです。
能力がチートすぎると言うのもありますが、彼は元々作者が別サイト様で書きかけだった小説の登場人物なので、こちらの本編とはあまり関係がありません。
ただ、多少は気になる人も居るんじゃないかなぁと思うので、その内どんなカンジの人だったのかは出そうと思ってます。
かなり説明過多ですが、調査の話はあんまり長くないので、もう少しお待ちください。
それでは、また次回お会いしましょうっノシ