友と敵と
一行を乗せた馬車が昨夜一泊した村を出て、数時間が経過していた。
とは言え、木々の生い茂る高い山に囲まれた山道を縫うようにして続く細い道は、既に人里からは遠く離れているような印章を与える。
そんな穏やかな風景を尻目に、顔色の悪いレオは荒い山道での馬車の振動で酔ってしまわないよう、神経を尖らせていた。
結局あの後、飽きるまで走り回ったゲオルグを担いで宿の主人に謝り倒す事で、追い出される事は回避できたレオだったが、気疲れと揺れ続ける山道のせいで昨日とは別な酔いを味わい初めていた。
「はぁ……」
一際大きな溜息をつくと、隣に座るギルは、ばつが悪そうにレオを見ないまま顎を掻いた。
風当たる為に馬車の中から騎手のギルの側へ移り、肘掛に寄りかかっていたのだが、必死に吐き気を堪えていると何となく隣に座るギルへの怒りがふつふつとこみ上がってしまい、チラリと非難の色をを含んだ視線を投げかける。
「まぁなんだ……次の休憩所行ったらテント建ててやるから、少し休もうか」
「いや、さすがに進行遅れさせるのは不味いだろ」
本音を言えばレオにとってとても魅力的な誘いなのだが、レオが休みたいと言ってしまうと、もし困るような状況であってもアルザダもなかなか断れないので、簡単に頷く事は出来ない。
そんなレオの心中を察してか、ギルは肩を竦めた。
「別に休むのは罪滅ぼしでってだけじゃないぞ。俺らの主力はレオとゲオルグなんだ、冷静に考えても、二人が潰れてる状況でこの先の国境付近通るのは避けてぇしな」
一向が通っている山道は、魔物の増加を警戒して国内寄りの経路ではなく、魔術帝国との国境に沿って進むルートをとっている。
この道は途中何度も細い道がある為に、軍の配備もまばらで、盗賊が多く出没する地点もあるのだ。
「俺はともかく、ゲオルグは大丈夫じゃないか?村を出る時は平気そうだったけど」
「ありゃ、あいつの精一杯の虚勢だよ。昨日はかなり飲んでたみたいだし、昔まだ俺が剣教えてた頃、女騎士に喧嘩売ってボロ負けした時もあんな感じだったからな」
「なんだそうなのか。やたら酒強いんだなと思ってたんだが……」
さすがのゲオルグも今回は悪いと思っているのだろう、あまり迷惑をかけたくなくて無理をしているのかもしれない。
ただ、考えように依っては「無理をしたせいで不利になっては元も子もないだろう」とも言える。
何ともゲオルグらしい気の使い方に、ガタガタと揺れながら前を走る荷馬車を溜息混じりに眺めた。
「なら、開けた場所についたら休憩にしよう。アルザダさんに謝らないとな」
体調が悪い事もあり、それっきりぐったりと手すりに寄りかかって動かなくなったレオを、ギルが肘で小突いた。
レオが顔を向けると、ギルが身を寄せて呟く。
「今度この前みたいな事になったら、レオに付いてやるからよ。持ちつ持たれつって事で」
呆れたレオは、溜息混じりにあんな無茶な事は二度としない……と、言いかけたが、脳裏に四面楚歌でリサに謝り続けた辛さを思い出し、フリーズしてしまった。
暫し考えた後、心中で、無い筈ではあるが保険として頷いておこう。と弁明したレオは、なるべく小さな声で答えた。
「じゃぁ念のため……貸しという事に──」
「何の話しをしてるんですか?」
話の途中だったが、二人の挙動を不審に思ったリサが荷馬車から顔を出した為、レオは慌てて話題を変える。
「い、いや、大した事じゃないんだ。ところでリサ、ちょっと聞きたいんだけど、魔法って」
咄嗟に昨日の飛行魔法の事を思い出し、つい口に出してしまったが、異世界の話が出来ない為に肝心な事が言えない。
困ったレオは、仕方なくリサが使える魔法について聞くことにした。
「──その、リサはどのくらいの物まで使えるんだ?」
「えぇと、あまり大規模なものは使えないですが、得意な属性の氷なら以前レオさんに使った雷撃より上位の、氷の玉を振り回す魔法なんかも使えます」
リサはそこまで言うと、自らの髪を指した
「ちなみに髪が半透明なのも、無意識に返還している魔力が理由です。私達の一族は体内で出来る魔力量が普通より多いので、魔力が集まりやすい髪が変色しているんです」
「なるほど、染料みたいな物か」
「はい、ディアマンディ人以外でも、高位の魔術師なら髪が変色している人は居ます」
関心したレオがしげしげとリサの髪を眺めると、リサは少し拗ねたように目を逸らした。
「そんなに見ないで下さい、どうせ老人みたいな白髪なんですから」
「いや、セシリアも冗談のつもりだって言ってただろ。リサの髪は透明だし、どっちかと言うと宝石を糸にしたみたいだよ」
「あの時笑ってたくせに、今更褒めても遅いですよ」
とは言いつつ、褒められる分には悪い気はしないのか、そのまま魔法の話を続ける。
「生み出せる魔力が多いと言いましたが、私は父が短期的に頼んだ魔術師に基礎を教わっただけで、使える魔法はだいたい一般の魔術師の少し上くらいです」
肩を竦めて言うリサだったが、ギルは感嘆の声を上げた。
「少し教わっただけだったなら、一般の魔術師くらいでも十分凄いんじゃないのか?」
隣で聞いていたレオも頷いたが、リサは少し言い難そうに頬を掻いた。
「それは……その……姉さんと旅をしてる過程で、逃げる時なんかに地面を凍らせたりして練習を……」
騒がしい荷馬車の上で小声で呟いたため、よく聞こえずに訝しむ二人に、リサは大きく咳払いをして話題を変えた。
「と、ともかく、私が使うのは前に見せた雷撃クラスの魔法全般と、それより少し上位の氷魔法です。それ以外にも生活用の魔法はある程度使えますが、魔力がある人なら誰でもやれる程度のものです」
解説を聞いたレオは暫し考え込んだ。
ギルやゲオルグの実力は、剣の腕を見れば解るが、リサについても一度全力を見ておいたほうが良いかもしれない。
(それに、ついでに俺の魔法についても試してみたい所だ。休憩の時にでも言ってみるか)
消耗した状態で移動はしたくなかったが、休憩中に持続回復魔法で回復すれば良いだろう。
と、レオが考え込んでいる間にギルが割り込んできた。
「なぁリサ、魔法の基礎は学んだって言ったが、剣に魔法を着けたりは出来ねえのか?」
顔は平静を保っているが、ギルの声には期待の色が篭っていた。
だがリサはあっさりと首を横に振る。
「魔法の付与は素材についても知識が深くないと……魔力はイメージ的には液体のような物なので、一箇所に留めるのには高度な技術が要るんです」
「やっぱそうかぁ」と肩を落とすギルを尻目に、リサはレオが全員に渡した指輪を取り出した。
「その上、レオさんが渡してくれたこの指輪くらいの物でも、作るのに数週間はかかります。剣となると年単位で必要かと」
「へ、へぇ……買ったものだから解らなかったよ」
実際にはレオが路地裏で数分で作ったものなだけに、若干引き攣った顔で誤魔化していると、ギルが辺りを見回し始めた。
釣られて見ると、徐々に道幅が広くなってきていた。もう少し進めば、荷馬車を止めて休めるだけのスペースを確保できるだろう。
「開けてきたな、そろそろ休むか?」
「ああ、続きは休憩しながら話そう。アルザダ達に知らせてくる」
頷いたレオは転移魔法を使い、一瞬で前方の車両へと移った。
その光景を半ば呆れ顔で見ていたリサは、レオが荷馬車に入っていくのを眺めながらボソリと呟いた。
「魔法の基礎も解らないのに転移や飛行の魔法を使うなんて、常識はどこへ行ってるんでしょうね」
「ま、レオが何者かは俺も気になるが、向こうに着いたら言ってくれるだろ。アイツは悪巧みできるタイプじゃないし、大した事無い正体だと思うぞ」
ギルの言葉で悪巧みをするレオを思い描いたリサだったが、どう頑張っても上手く行く様子が浮かんでこない。
「そうですね、レオさんの悪巧みを心配するよりは、明日の天気を心配した方が有意義な気がします」
リサとギルが、暫くそんな取り留めの無い話をして笑っていると、報告が終ったレオが転移で戻り、再び元の肘掛に寄りかかって項垂れ始める。
その様子を見た二人は、やはりコイツに悪巧みは無理だろうと苦笑するのだった。
数十分後、未だ森の中ではあるが、ある程度開けた場所で荷馬車を止めた五人は食事やテントの準備を始めていた。
ギルが組み立てたテントが出来上がるや否や、ゲオルグが中へ飛び込み、呆れたギルとレオは先に食事を取る事になった。
ゲオルグと見張りをしているアルザダ意外の全員が集まった所で、ついでにと言う事でリサの全力の魔法を見せてもらう事にした。
「別に良いですけど、切り札を使うとかなりの魔力を消費するので、回復するまではサポートも弱まりますよ」
「休憩が終ったらゲオルグも俺も多少はマシになるだろうし、盗賊くらいなら大丈夫さ」
いつものレオならそれもそうだと思う所だが、乗り物酔いでぐったりしている現状ではあまり説得力がない。
ただギルも居る事だし、レオに至ってはまだ見ぬ魔法に目を輝かせている。若干納得が行かないリサかったが、これ以上は言っても仕方がないだろう。
「行きます」
宣言と共にリサの持つ杖から光が漏れ、詠唱が始まる。
「肌を刺す冷気の結晶、刃の欠片、心の拳、我が腕の分身をここに」
詠唱が終わり、中空に現れたのは、氷の刃が無数に集まった直径二メートル程の球体だった。
リサが杖を僅かに動かすと、その球体は回転しながら高速で木に突っ込み、轟音を上げ抉るようにして切断する。
球体は木を切断すると、半円を書いてリサの下に戻り元の中空で静止した。
上位に位置する魔法が成功したせいか、リサは得意げな表情を浮かべてレオ達を振り返った。
そんな笑顔を向けられても……と、思ったレオだったが、ギルも何と言ったものかと悩んでいるようなので、とりあえず感想を述べる。
「えっと……かなりエグ──もとい、かなり威力の高そうな魔法だね」
最善の答えを選んだレオに合わせ、横に座ったギルも薮蛇にならないように頷く。
「ああ、この魔法ならレオだってイチコロだぜ」
その例えはどうなんだと思ったレオだったが、ギルの目下の関心はあの玉がこっちに飛んでこないかどうからしく、視線は氷球に向けたまま動かない。
二人の評価に気を良くしたリサは、氷球を旋回させながらレオに向き直る。
「先生に教えてもらったものなんですが、この氷球、維持してる間は何度でも使えて燃費がいいんです。操作はちょっと難しいですが、試しにレオさんも使ってみてください」
先ほどの氷球を盗賊相手に使った図を想像したレオは、引き攣った笑みで断ろうとしたのだが、魔法に関してはリサが教師役をしている面があるので、断りきれず結局使ってみる事になった。
「いいですか、操りやすくするために、球体にする必要があるんです。取り合えず刃は要らないので、球体だけをイメージしてください」
「解った」
ようやく覚え始めた魔力制御で、必死に球体をイメージして詠唱したレオだったが──
──案の定、現れた四メートル四方の真四角な氷の塊は、少しも浮くことなく地面へ落下した。
何度かやり直してみたものの、結局現状のレオの魔力操作では一瞬空中に留めるくらいが限界だという結論に至った。
途中から意地になってきたレオが、既に二回ほど再現していたリサに「もう一回だけ見せてくれ……」と頼んだのだが。
「レオさんじゃないんですから、あんな消費の激しい魔法ほいほい使っていたら、魔力枯渇を起こして倒れてしまいますよ……」
と、言われて断られてしまった。
≪グラビティワールド≫の基準で言えば、レオでも使えるレベル30程度の魔法と同等の消費しかないようなのだが。
と、そこまで考えて元の世界の魔法の事に思い至った。
「そうだ、魔力を回復させる魔法があるんだ。それをリサに使うから、回復したらもう一度やって見せてくれ」
本人は「何で今まで忘れていたんだろう」という思いだけで言った言葉だったが、それを聴いたリサは信じられないモノを見るような目で、呆然と口を開けたままレオを見つめた。
「あの、何の魔法を使うって言いました?」
「いや、だから魔力を回復させる魔法を……」
魔界から逃げる時に使ったMPを持続回復させる魔法を思い浮かべつつ、生返事を返すレオに、さすがのリサも眉を顰める。
「聞き間違いでなければ、魔力を使って魔力を生み出す魔法という風に聞こえたのですが……何かの間違いですよね?」
ようやく言葉の意味を理解したレオは、硬直して冷や汗をかいた。
冷静に考えれば、魔法を『何でも出来る技術』と考えているレオは特に疑問に思わなかったが、原理を理解しているこの世界の人間にしてみれば、ゲームに出てくる魔法などとんでもない物の方が多いだろう。
魔法を知らないギルは首を捻っているが、リサは戸惑いに近い表情を浮かべていた。
「昔怪しい魔術師に教えて貰った魔法なんだ、効果も回復するようなしないようなってレベルだから、自分の魔力を分け与えてるみたいなモノかもしれないな」
必死で誤魔化すレオに、何となく釈然としないものを感じながらリサは渋々頷いた。
「安全な術なら、試しに受けてみてもいいですけど……」
魔法自体はレオが自分にかけた事もあり、他人に補助魔法を使ってもなんとも無い事は昨日のゲオルグの一件で確認済みだ。
未だ不安げなリサに頷きかけると、いよいよリサの周囲に魔力持続回復魔法──マナリジェネイト──のエフェクトを思い浮かべる。
しかし完全に発動した状態を過ぎても、リサは首をかしげたままだった。
「何もおきませんけど」
「そ、そうか」
成功したらしたで面倒ではだったが、戦力的な面では少し残念な思いもある。。
訝しげな表情のリサとギルを何とか誤魔化し、テントの方に視線を向けると丁度ゲオルグが出てきた所だったので、少し休むと言い残したレオは一人テントへと向う。
蒼い顔で唸っているゲオルグに、テントを使うと一声かけると、中に入って横になった。
一人になって考えるのは、やはり先ほどの魔法の事だ。
この世界の事を知れば知るほど、レオの異常さは表立ってくる。確かに異様なまでの力を持ってこちらに来れたのは、元の体で繰るよりはマシだったかもしれないけれど、そう簡単に喜べるものではなかった。
皆に対する説明も、刻印の事もあって誤魔化しているが、教国についた後に何と言えばいいのか、今はまだ想像もつかない。
「教国か……」
だが、そんなレオの戸惑いとは裏腹に、教国はもはや目前まで迫っている。
早く事実を知りたいという思いと、何を言われるか解らない恐怖に挟まれながら、レオはゆっくりと浅い眠りへ堕ちていった。
暫くしてレオが目覚めた頃には、既に荷物は片付けれられ、荷馬車の準備は終ってしまっていた。
ゲオルグが復帰したのでリサと二人で後続の車両に乗り込み、レオはギルとアルザダが交代で操作する先頭の荷馬車へと乗り移る。
体調もある程度回復したので、課題である魔法の制御の為に水鉄砲で練習していると、アルザダとギルの声が聞こえてきた。
「そういや、あの木箱ずっと積んであるが、売れ残ったのか?」
ギルが指した方を見ると、確かに見覚えのある小さな木箱が置いてあった。
「ああ、あれは透貫石と言って、魔法で出来たものを素通りする特殊な鉱石なんだ。と言っても、純度が高いものしか通過できないから、高価で珍しい上に武器全体に使うには量が必要で、滅多に買う相手はいないんだが、最近魔術帝国の方で少し需要があるらしいからドリュークで仕入れていたんだ。本当は途中で売るつもりだったんだが、教国までいく事になったから温存して置いたんだよ」
「お前が売れ残りを出すなんて珍しいと思ってたが、そういう訳だったか」
ギルが関心したように唸ると、アルザダは肩を竦めた。
「まぁ、実際に売れるかは五分だけど、その分儲けは大きいのでね」
「相変わらずしっかりしてんなぁ」
木箱をぼんやりと見つめながらギル達の会話を聞いていたレオだったが、二人の様子からふと気になった事があった。
ゲオルグはともかくとして、常識派のギルが、雇い主のアルザダと話をする時、いつも普段通りの口調というのは少し違和感があった。
「そう言えば、ギルとアルザダさんって初めて会った時も一緒だったみたいだけど、付き合い長いのか?」
「はい、私とギルは同郷の出でして、子供の頃から一緒だったんです」
やはりそうか。と頷くレオに、ギルが続ける。
「アルザダは商店の三男でな、俺が村に戻った時、行商に行きたいから護衛をしてくれってしつこく頼んできたんだ。護衛は俺一人だって言われて、最初は断るつもりだったんだが……」
「あの当時はガキ大将だったギルが、外の世界でも最強だと信じてましたからね。ギルさえ居れば安心だと思っていたんですよ」
この世界の移動は、徒歩や馬を使ってモノが主流だ。駆け出しの冒険者一人と初めて旅に出る行商人の二人では、さすがに無謀というものだろう。
当時を思い出したのか、ギルは困り顔で笑った。
「最初は絶対無理だと突っ撥ねたんだけどなぁ。あんまりしつこいから、俺に払う分の金で、もう二人雇って行く事になったんだが」
「最下級の魔法もろくに使えない魔術師と、酔っ払いの剣士……今思えばよく生き残れたモノですよ。あの時のギルへの出世払いは、随分と高くつきました」
恥ずかしそうに頬を掻くアルザダに、当時を思い出してか、ギルが楽しそうに笑って返す。
「んな事言って、あっと言う間に稼いで返したのはどこの誰だ。まぁ、お陰で俺も、それ以来殆ど食いぶちには困らなかったがな」
「あんなハズレを引くのは、もう二度と御免ですからね。あれからは紹介が無い護衛は、実際に会うまで雇わない事にしてます」
いつも慎重なアルザダの過去の失敗談が聞けて、何となく嬉しくなったレオだったが、そんな話の一つも出来ない現状に、一抹の寂しさを覚えた。
前に座ったギルも、そんなレオの様子を知ってか知らずか自嘲気味に笑った。
「本当、お前はしっかりしてる……いつまでも彼方此方フラフラしてる俺とは正反対だな」
どこか遠い目をして哂うギルに、アルザダは微笑みかける。
「前にも言ったけど、ギルさえその気なら、私は、一緒にやっていく相棒と言う事にしてもいいんだよ」
「ソイツは確かに魅力的だが、今はまだ遠慮する。俺もまだまだ強くなりたいって夢もあるしな……ま、半分諦めかけちゃいるが」
ギルの求める強さを、偶然の出来事で手に入れたレオは、彼らの何でもない会話を聞いて、心底ギルを羨ましく思った。
だが、この力はこの世界に来た時に降って沸いた正体不明のものでしかない。懸命に生きてきたギルの人生と交換したい等と、思うこと自体がおこがましいだろう。
もしこの世界に来たのがレオ一人で無かったならば、ギルの言葉を聴いても別な事を思ったかも知れない。しかし、現状ではレオの過去を知る人物など、この世界には独りも居ないのだ。
「どうしたんだレオ、水鉄砲は飽きたのか」
唐突に声をかけられ、レオは驚いて顔を上げる。
自覚は無かったが、魔法の事もあって少々感傷的になっていたようだ。
「ちょっと魔力の調整をしてたんだ。ところで、ギルは休んでおかなくていいのか、今日は村を出てから殆ど休んでないだろ」
午前は後続の荷馬車の操縦、休憩中はテントの設営を一人でしていたのだ、多少なりとも疲れは出ているだろう。
だが、ギルは肩を竦めて笑った。
「俺が何年冒険者やってると思ってんだ、こういうのはお手のもんだぞ。自分で言うのもなんだが、今のランクだって寧ろこういう所の評価で上がった分が多いくらいだ」
言われてみれば冒険者といえど基本的には旅行者だ、腕っ節も重要だが、それだけが評価の対象ではないだろう。
寧ろこういった雑務が出来た方が、冒険者仲間からの評判は上がりやすく、顔も広くなるというものだ。
その部分ではゲオルグなどは酷評になるような……と、思いかけたが、あのキャラと頭では好かれる事の方が多そうだ。
今後の事を考えれば、レオも荷馬車の操縦等も一応覚えておいた方が良いかもしれない。
一瞬「あのゲオルグでさえ覚えてるんだから……」と思ったレオだったが、さすがに口には出さなかった。
「なぁギル、今度荷馬車の操縦教えてくれないか。さすがにこんな悪路じゃ練習には向かないだろうし、直ぐにって訳じゃないんだが」
「おお、任せろ。実は あのゲオルグ に教えたのも俺なんだぞ、それなりに自信もあるんだ」
心中を見透かされたようなギルの返事に、沈んでいたレオもつい吹き出してしまった。
「そりゃ、安心だ。世界一の授業を期待してる」
と、その時、背後で聞き覚えのあるアラーム音が鳴った。
ビイィィ──という音は、聞きなれた指輪の警笛だ。それの意味する所は──……。
「敵襲だ。レオ、アルザダを頼む。俺は後ろの荷馬車を操縦をする」
飛び降りるように荷馬車を降りたギルに、レオは頷きつつ後方を振り返った。
既に十人近い盗賊が現れ、荷馬車を囲み始めていた。
消耗しているリサは直接攻撃ではなく、地面を凍らせたり雹を飛ばして進行を妨害したりといった補助に徹している。
ゲオルグも奮闘しているが、さすがに数が多いため、荷馬車を降りて相手をしているようだ。
だがレオに他人の心配をしている余裕があったのは、そこまでだった。
ギルが後方に行くや否や、人数の減ったレオ達目掛け二十人近い盗賊が押し寄せてきた。
僅かに舌打ちしたレオだったが、さすがに魔界を生き抜いた過程で戦闘にも慣れつつある。
矢が飛んできたが、レオは慌てず、即座に自身とアルザダに低レベルのプロテクトアーマーを使う。
「はっ」
地面に向けて炎系の魔法を仕掛け、散乱した土くれに怯んだ隙に四人の手足を切り裂き、へし折った。
しかし幾ら炎系の魔法で、エフェクトが爆破風とは言え、元々撹乱用の魔法ではない。一度目は音と派手さで怯むものの、二度目以降は目に見えて効果が衰える目くらましだ。
叫び声を上げて突撃してくる盗賊の足を、払うようにして蹴りを入れる。
ある程度は加減したが、骨が折れる軽い音がして敵は倒れこんだ。
ふと、こんな山奥で手足が不自由になった盗賊たちが、この後どうなるのかと言う考えがレオの脳裏に浮かんだ。更にそれを差し引いても、効率の面から見ても決して賢いやり方とはいえない。
自分でも舌打ちしてしまう程の甘い考えだが、レオは未だ元の世界に未練がある。頭では既に殺した事もあると解っていても、簡単に割り切れるものではなかった。
更に五人ほど行動不能にしたが、勢い良く走り込んでくる敵は増えるばかりだ。
「クソ……数が多い。アルザダさん、一度向こうと合流しよう」
恐らく最初から、商人の乗っているこちらの荷馬車を本隊が狙っていたのだろう。ギル達の方は、既に半数以上を片付け、こちらに進んできていた。
止まれば不利になるが、さしものレオも大きな荷馬車を全方位から襲われ続けるのは辛い。後方の荷物は多少諦めても、合流した方がいいだろう。
レオの提案にアルザダが頷き、荷馬車が停止した瞬間、森の中から魔力の流れを感じた。
「不味い、逃げろっ!」
「え──」
慌てたレオが、呆けた声を上げるアルザダに向け、レジストシェルを使おうとするが──
───それよりも早く、森から飛来した一本の氷柱がアルザダの胸を貫いた。
「ぁっ……」
胸に刺さった氷を、アルザダが呆然とした表情で眺め、ゆっくりと前屈みに倒れていく。
「よっし、よくやった。なぁアンタ、雇い主は死んだんだ。積荷半分渡してくれりゃ、他は見逃してやっても──」
目の前の親玉風の盗賊が何か言っていたが、レオにはその内容が理解できなかった。
「邪魔だ」
邪魔と言うよりは目障りだったその男を、レオは加減無しで蹴飛ばした。
男はバキバキと骨の折れる音を鳴らしながらボールのように吹き飛び、森の中へ消えた。
その凄まじい光景に周囲の盗賊は氷つき、唯一僅かに冷静さを取り戻した魔術師が杖を構えたが、こちらも加減無しのレオの雷撃によって黒こげにされてしまった。
ガァァンッという鉄を裂くような轟音と凄まじい雷光に、ただでさえ硬直していた盗賊達は更にその身を強張らせた。
「何……だそりゃ……」
盗賊の誰かが呆然と声を上げたが、そんなことは最早レオにはどうでも良い事だ。
全力で荷馬車に駆け戻ると、群がっていた盗賊達は怯えたように後退した。
本気を出したレオが荷馬車に戻るまで、二秒とかからなかった。「たったこれだけの距離に居たのに」という思いが、脳裏を過ぎる。
「ア、アルザダ……」
声をかけたレオに、僅かにアルザダが顔を上げる。
何とか治してやりたいと思うレオだったが、ついさっきまで冷え切っていた筈の頭はパニックを起こし、治癒魔法のエフェクトが浮かんでこなかった。
「レ……──」
何か言いかけたアルザダだったが、言葉は途中で途切れ、呆然とした表情のままパタリと椅子に倒れこんだ。
徐々に消えていく氷柱を呆けた顔で眺めるレオに、対照的に冷静さを取り戻した盗賊達が剣を構え直す。
その時、アルザダの指に嵌められた一つの小さな指輪が、淡い輝きを放った。
それは、本来この世界には存在しないはずの物質で作られた、一つの魔法と願いが込められた指輪。
輝きは徐々にアルザダの体全体を包み込み、≪グラビティワールド≫では誰もが一度は受けた事のある、とある魔法が発動する。
──その魔法の名は、オートリザレクション。
ゲームならばあって当たり前の、だが現実にあれば余りにもとんでもない効果を持った魔法だった。
アルザダの生気の抜け顔に意思の色が戻り、開いた目が指輪を見、そしてレオを見る。
レオを恐れて離れていた盗賊達はその光景は見えていなかったようだが、動きの止まった二人の様子を伺うように動き始めていた。
それに気付いたレオは、ともかく蘇生について気付かれないよう、迅速に敵を殲滅しなければと思い至る。
「アルザダさんは荷馬車の中へ」
そういい残し、急いで周囲を見渡す。
荷馬車前方に居る盗賊達は十名ほどだ、彼らには悪いが、アルザダの様子を疑問に思う前に殲滅しなければならない。
全力を出したレオにとって、普通の人間などただの脆い的に過ぎない。
鎌鼬が切り裂き、雷光が貫き、残った者も転移と飛行魔法で空間を制したレオの刃によって、瞬く間に斬り伏せられた。
それでも精一杯の手加減はしたが、特に魔法で攻撃したものの中には、虫の息になっているものが多くなってしまった。
奮闘の甲斐もあり、ゲオルグ達が合流する頃には一頻り戦闘は終っていた。
アルザダの血塗れな服を見られると面倒なので、彼らを遮るように荷馬車の前に立つ。
「うお、随分派手に暴れたねぇ」
ゲオルグにとっては何気ない言葉だったのだろうが、その一言はレオを震え上がらせるに足るものだった。
咄嗟に返事をすることが出来ず、ゴクリと喉を鳴らす。
だが、ただでさえ口元を布で隠し、表情が伺えないレオの僅かな変化に気付いた者は、たった一人だけだった。
「──囲まれてたからな、仕方なく全力を出しただけだ。だよな、アルザダさん」
余りに現実離れした光景の連続に、完全に我を失っていたアルザダは、レオの声でようやく意識を取り戻した。
「え、えぇ……そう、ですね」
レオの顔を伺いながら、呟くように言ったアルザダの言葉に急に寂しさを覚えたレオは、それきり何も言わずに荷馬車の中へ入っていった。
いかにも不自然なやり取りだったが、倒したとは言え盗賊の出た場所に留まるのは危険だ。
煮え切らない表情のまま背後の荷馬車に戻っていくゲオルグに、レオは安堵の溜息をつく。
アルザダに服を変えるように言うと、レオは疲れきって椅子にへたり込んだ。
そんなレオの様子を、着替えを終えたアルザダは躊躇いがちに見守っていた。
ところが暫く待ってもギルが戻ってこず、自分でもどうにも成らない理由でレオが苛立ち始めた頃、ようやく荷馬車に誰かが乗り込んできた。
顔を上げたレオが非難を込めた視線を送るが、そこに居たのは予想外の人物だった。
「隣に座っても良いですか」
驚いて何もいえないレオが呆然と見上げていると、リサは返事を待たずに座ってしまった。
突然の行動に困惑するレオだったが、それっきりリサは何も言わず、ただ黙って座っているだけなので、少しずつ冷静さを取り戻していく。
考えてみれば、リサには前回殺した盗賊が始めての殺人だとバレている。
来るのが遅かったのも、気を使ってギルに交代するように頼んでいたのだろう。
せめて礼だけでも言おうと口を開きかけたレオだったが、結局何も言えずに閉じてしまう。
それでもリサは、何も聞かずに黙って隣に座っていた。
それが何故かとても辛くて、俯いたままのレオは、精一杯の力で涙を堪えた。
数時間後、日も暮れかかりある程度道も開けたところで夕食を取る事となった。
食事といっても長旅の間の、さほど多くない量の物だったが、レオは一口食べるのが精一杯だった。
祝勝も兼ねて多少酒を飲んだゲオルグが、見張りのギルと共に昔見た絶景の渓谷の話などをリサにしている。
さすがに会話に入る気になれないレオが一人荷馬車に寝転がり、ぼんやりと星を眺めていると、誰かが隣に座る気配を感じた。
「少し、宜しいでしょうか」
視線だけを向けて確認すると、声の主はやはりアルザダだった。
「どうぞ」
生気の無い声で返事をしたレオの隣に、アルザダが腰を下ろす。
「今日は有難う御座いました、これで命を救われたのは、二度目ですね。それなのに私は──」
「別に、気にしなくていいよ。アルザダさんの護衛は、俺の仕事だった。それが出来なかった時点で、俺の過失だ」
どこか投げやりに言うレオに、アルザダは小さく首を振った。
「いいえ、この指輪は今日貰った物ではありません。これは、ハウラでレオさんが何の対価も求めずに渡してくれたものです。それは、レオさんが本気で私達の事を大切に思ってくれている事の証明でしょう」
「それは──」
それは単に、この世界にその指輪を渡すだけの人間が他に居なかっただけだ。
彼らが居なくなれば、レオはまた草原に一人残された時と同じになってしまう。だが逆に、もし元の世界の知人が居れば、指輪は彼らに渡しただろう。
「良いんです。ただ私は、この恩は生涯忘れません」
そこまで言われてしまえば、もう何とも言い返すことが出来なかった。
助けられた者にとって、最も重要なのは本人がそれをどう思うかだ。
レオは、リサの言葉を思い出す。
『だったら、私の為にも胸を張っていてください。助けなければ良かったなんて言われたら、私だって流石にショックですよ』
あの言葉は、きっと今のアルザダにも当てはまる。
けれど、今のレオには、あの時のように黙って頷く事が出来なかった。
決してアルザダの命が軽いと言うわけではない。レオ自身に覚悟が足りなかっただけだ。
この世界で生きるという覚悟──だがそれは、元の世界に戻れるかもしれないと言う希望がある限り、完全に割り切るのは不可能なものだ。
「ごめん、アルザダさん。今はまだ、何も言えないんだ」
苦しげに言ったレオの言葉に、アルザダは「解っています」とだけ答えた。
「ただ……こんな事を言うのは余計なお世話かもしれませんが、教国で何があっても、リサさんにだけは本当の事を話してあげてください」
お願いします。と頭を下げると、アルザダは返事を待つ事はせず、黙って自らのテントへと入っていった。
ぼんやりとそれを見送ったレオだったが、自身はとても眠る気にはなれず、真っ白な頭のままで空を見上げていた。
どのくらい時間が過ぎたのか、気がつくと深夜になっていたようで、少し体が冷えてしまっていた。
焚き火の近くに座ると、見張りの交代の時間になったのか、ゲオルグと入れ替わったギルも暖まりにきた。
「ん、まだ寝てなかったのか。ゲオルグの次はお前の番だぞ、寝なくて良いのか」
拾ってきた枝を焚き火にくべながら聞いてくるギルに、心ここにあらずと言った風のレオが答える。
「なかなか寝付けなくて……まぁ、暖まったら少し寝るよ」
ぼんやりと空を見上げながら答えるレオに釣られ、ギルも空を見上げた。
「ああ、星を見てたのか。この辺は星が良く見えるって有名な所だからな。今の時期だと、龍神座が良く見えるだろ」
「龍神座……?」
何とも突拍子の無い星座の登場に、さすがのレオも眉を顰める。
「って、龍神座も知らないのか……まぁ、大陸に来たのが最近じゃ、知らなくても無理ないかもしれんが」
そう言うと、レオは北の空を指差した。
「あの扇状に並んでる七つの星と、中心にある一つ、合わせて八つの星で出来てるのが龍神座だ。ちなみに龍神様ってのは、北の魔術帝国の更に北にある広大な山脈に暮らしてる真っ白なドラゴンで、翼が七枚あるのが特徴らしい」
「へぇ」
ギルが指した方を見ると、確かに一際眩しい星が八つ固まっていた。
正直星が見えすぎて星座が逆に解りにくかったが、元の現実では都心から少し離れた程度の位置に住んでいた事もあって、こんなに星が良く見える場所と言うのは、初めてだった。
「正式には八罪竜って言うらしいんだが、何で神なのに罪なんだろうな……って、こんな事レオに聞いてもわからねぇか」
そう言って笑ったギルは、置いてあった食料箱から一本の酒瓶を取り出し、グラスに注いでレオに手渡した。
丁度レオの方も飲みたい気分だったので、受け取ってグラスを合わせると、一口口に含んだ。
「この辺はホント星が良く見えるよなぁ、ほれ、あれが翼獅子座だ」
言われて見上げた空には、確かに無数の星が煌いていたが、そもそも翼獅子がどんなモノか解らないレオには、想像のしようが無かった。
「俺の住んでた所は曇ってる事が多かったから、星は余り知らないんだ」
これは嘘ではない。といっても、レオの場合は単に星座に等興味が無かっただけでもある。
「何だそうなのか。もし星座好きなら面白い話ができたのに」
自身は好きなのか、ギルはやたらと星を圧してくる。
筋骨隆々のギルの意外すぎる趣味に、レオは苦笑した。
「なんだ、面白い話があるなら、それだけでも聞かせてくれよ」
「まぁ、興味ない奴に言っても仕方ないんだが……さっき言った龍神様の居る北の山脈には、世界で一番星がよく見える『星見の丘』って所があるらしいんだ」
仕方ない等と言っていた割に、話が始まるとギルは身を乗り出して語り始めた。
「何とそこは毎日必ず流星が見える、素晴らしい場所なんだが……困った事に、龍神様は自分の領地に入った人間を全て感知できる。つまり、そこに行くには龍神様を倒さなきゃならん訳だ」
目を瞑って悔しそうに語るギルに、話の先が読めたレオはつい笑ってしまう。
「だからレオ、俺と一緒に龍神様を倒しに──」
「遠慮しとくよ」
芝居がかった動きでがっくりと項垂れるギルを見ながら、レオはグラスに残った酒を一気に煽った。
それを大分調整が効くようになった水鉄砲ですすぐと、木箱に戻す。
「じゃあ、俺はそろそろ寝るよ。また明日な」
少しだけ気を取り直したレオの様子を、項垂れた姿勢のままで確認したギルは陽気な声を返す。
「おお、またな」
そうして、旅路の夜は更けていった。
また少し間が空いてしまって申し訳ないですorz
前半と後半で分けようかとも思ったのですが、内容的にそれ程長くも無いのでつなげて出しました。
次回ようやく教国編です……長い中間だった……(;_;)
教国では、ようやくレオに大きな動きが出てきます。
真面目に書くと決めたため、執筆遅くなってしまっていますが、少しずつでも書いていきますので、これからもよろしくお願いします。




