三章 白いローブの青年
──あれから3日経っても、リサは機嫌を治してくれなかった。
レオがハウラに着いた初日は、憔悴していた為か仲間も皆気遣ってくれていたのだが、次の日に皆に事情を説明し終わると、全員が呆れ果てた様子で寧ろリサに味方し始めた。
スタンプは初日にリサの首輪を外した後、セシリアに渡してある。
その際に、これを切っ掛けに人間に復讐をするなど考えないようにと諭すと、セシリアは苦笑しながら言った。
「解っています。人間は気に食わないですが、レオさんの仲間が人間だという事は解ってますし、人間は気に食わないですが、長老達は『戦乱の渦に入っても良いことなど何も無い』と、言っていますし、人間は気に食わないですが、数で言えば圧倒的に多いですから」
「あー……うん、解ってくれればいいんだ……」
レオとしては三度同じ事を言った件について多少突っ込みたかったが、セシリアの冷たい目を見て諦める事にした。
本来であればスタンプも渡し、ダールの知人に手紙や刀も送ったし、翌日にでも魔術帝国辺りに向かってハウラを発っても良かったのだが、戦いの前に出会ったホワイトパールの弟子への面会が中々実現できず、出発が延びてしまった。
と言うのも、元々ホワイトパールの弟子は魔軍が使ってくるであろう大規模な転移魔法について貴族達に警告しに来ていたのだが、実際に見るまでは信じてもらえず、実際に見てからは対策の為にと、周囲から来た援軍達やブルーローズを相手に敵の戦術に関する説明や、転移魔法の解説をしていたのだ。
体験者として参加すれば早かったが、立場上政治に関わる人間には会いたくないので、無理を言って時間を作ってもらう事にしている。
よって、あれから3日経った今の問題は、リサの機嫌だ。
仲間達はギルドの依頼や買い付けで宿を留守にしている為、休んでいるレオは必然的に世話役として残ったリサと2人きりになってしまう。
再開の場面で、全員にレオに泣きつく姿を見られてしまったからかリサも声を上げて非難してくる事は無いが、そのせいで余計に機嫌は悪くなっている。
レオはと言えば、昨日の昼に魔界の事を説明した時、皆に非難の雨を降らされ「どれだけ叱られても仕方なし」と酷評を受けてしまったので、現在は全力でリサに気を使っている。
昼過ぎ、入り口と食堂の間にある、休憩所の一角に置かれた長方形のテーブルで、中央に座ったリサの正面を避ける為通路側の端に座ったレオは、焦燥で喉を鳴らしてから言った。
「えぇと、喉が渇いてたら何か……」
「飲んだばかりなので要りません」
素気無く断られたが、喉が渇いているのはレオの方だけなので当然といえば当然の反応だろう。
仕方なく自分の分だけ飲み物を頼み、喉を潤して何とか会話を続ける。
「暇なら本でも──」
「昨日買ってもらった本もまだ途中です」
どうやら、暇で窓の外ばかり眺めている訳ではなかったようだ。
「そうだ、服でも買いに──」
「もうすぐ街を出るんですから、今買っても仕立てが間に合わないんじゃないですか」
首輪が外れて嬉しくても、また似たような事をしそうで簡単には許せない。と思っていたリサだったが、レオの的外れなご機嫌取りの連続に呆れ、もう許してしまおうかと思い始めていた。
そんなリサの内心など知る由も無いレオが、「小物や甘味は既に断られているし、これ以上なにを差し出そうか……」などと考えて唸っていると、宿の入り口に見覚えのある白いローブを着た青年が現れた。
彼はレオを見つけると軽く会釈し、レオ達の居る休憩所のテーブルへと歩み寄る。
「ホワイトパール先生の弟子で、リスィと言います。そちらも急ぎだったのに申し訳ない、中々帰らせてくれなくて……」
フードを取って右手を差し出したリスィは、20歳前後で金髪の、優男と言った風貌だった。
レオはその手を握り返し、懐の手紙を確認すると小声で返事をする。
「いえ、それは構いませんよ。ただせっかく来てもらった所悪いんですが、少々内密にしたい話もあるので、そちらの宿で話せますか」
冒険者向けの宿は壁が木製で、中の会話が筒抜けだ。異世界云々の話は、場合によっては聞かれたら頭を疑われかねないので、レンガ造りのリスィの宿で話したかった。
「わかりました」と言って頷いたリスィを見てリサが同行しようと立ち上がってしまい、レオが慌てて制止した。
「待ってくれ、リサは留守番を頼む」
それまで無表情を貫いていたリサの顔が、レオの言葉で思い切り顰められた。
「3日前まであれだけ無茶したばかりだって言うのに、今回も聞かせてもらえないんですか」
「う……」
これまでとは違う本気の怒りの声に、レオは反射的に2歩ほど後退してしまう。
しかし他の仲間ならまだしも、リサにだけは軽蔑されたくないレオは何とか踏みとどまった。
「こ、今度は帰ってから全部正直に話すから、頼むから待ってて……くださいお願いします」
レオが何とか声を絞り出すと、リサは返事もせずに部屋へ戻ってく。
「あらら、ちょっとタイミングが悪かったかな?」
がっくりと項垂れるレオの背中を撫でながら、リスィは気楽な調子で言った。
これまでの苦労が水の泡となってしまったレオは、このまま休憩所で小一時間休みたいと思ったが、あまり時間も無いので何とか心を立て直す。
「いえ、多分どのタイミングでもこうなったと思います……」
そのまま背中を撫でられつつ、レオは自らの宿を出て赤いレンガの宿へと向かった。
リスィの宿泊している宿は、領主の居た城の近くということもあり、富裕層向けのわりと大きな間取りとなっていた。
もうすぐ街を出るのか、入り口の扉の脇に荷物が置かれている。
部屋に入ったレオは、中央に置かれた艶のあるテーブルセットを勧められた。
勧められるまま分厚い絨毯を踏みしめて席に着くと、対面にリスィが腰掛け、苦笑しながらレオに話しかけた。
「それにしても、貴方には驚かされる。私の忠告を完全に無視した事もそうだけど、何よりあんな功績を立てた方がこんな性格とは……ああ、すみません悪い意味では……」
「まぁ、悪い意味で言われても仕方ない姿でしたし……」
どういう意味で言ったかは想像に難くないが、あまり掘り下げても聞いたレオの方が落ち込むだけなので、深くは聞けない。
またしてもネガティブになりかけるレオを、パンッという手を叩いた音で引き戻すと、「では」と言ってリスィは本題へ入った。
「先生の事についてどうしても話したい事があると言ってたけど、どんな内容ですか」
答えなければここに来た意味の無い質問だが、やはり知性的な人物相手に異世界がどうのと言う話をするのは、躊躇われるものだ。
幾ばくか逡巡したものの、言わなければ進まないと言い聞かせ、レオが口を開いた。
「その……少し前にホワイトパールさんと思われる人物に会ったのですが、その時の状況が少し特殊でして」
「ああ、先生が現れる時は大抵が特殊な状況なので、ある意味それで普通かと思います」
あくまでも冗談めかして答えるリスィをみて、専門家でもあるし、たとえ信じてもらえなくても言ってみて損は無いだろうと思えた。
この先を言って困惑されたり訝しがられたりしませんようにと祈りつつ、レオは躊躇いがちに言葉を続ける。
「実は、俺が彼に出会ったのは異世界で……して……」
部屋の空気が凍りついた。
『異世界』の単語が出た瞬間、リスィの穏やかな表情は激変し、真剣な表情で睨むようにレオを見つめている。
そのあまりに予想外な反応に、レオは二の句が告げられなかった。
「どうぞ、続けて」
本当に続けて良いのかと確認したくなる程の眼光を向けられ、レオは困惑しつつもどうにか話を続けた。
「彼は人気の無い場所で、光る装飾のついた巨大な門の前に立っていて、俺を見つけると『この門の向こうへ行ってみないか』と誘ってきたんです。そうして門を越えて気付いたら、ダールの北にある平原に──」
「レオさん」
だが、レオの説明はリスィの声によって中断される。
不気味なほどに低い声を上げたリスィの顔には、最早隠す事無く憤怒の色が浮かんでいた。
──その顔を見たレオは、一瞬的外れな焦燥を感じたが……その後リスィが続けた言葉に、無理矢理現実に引き戻された。
「一応忠告しますが、この世には言っても良い冗談と、悪い冗談があります。もしそれが冗談であれば、間違い無く後者の方ですよ」
数瞬我を失っていたレオだったが、脳がその言葉の意味を解すると同時に慌てて訂正する。
「ま、待って、最後まで聞いてください。その時この手紙を渡されたんです、ここに書かれてるカークスと言う人物に心当たりはありませんか」
直ぐにでも追い出されそうな雰囲気に焦ったレオは、腰を浮かせて手紙を取り出した。
差し出された手紙を、懐から杖を取り出したリスィは、細心の注意を払って受け取った。
緑色の宝石が付ついた杖をレオに向けた彼は、レオと手紙を交互に見ながらも何度も裏返して手紙をチェックする。
だが、リスィの表情は次第に険しくなり、そのうちに手紙を見つめたまま考え込むようにして動かなくなった。
暫しの間「ありえない……けど、確かに印の魔力も紋章も、筆跡まで先生の……しかも、この宛名は……」等と独り言を言っていたが、やがて顔を逸らし、横目でレオを見ながら小さな声で呟いた。
「グリエルモ・エテルノ」
「は?」
突然意味不明な単語を言われ困惑するレオを、無言のままのリスィが探るように見つめる。
「えっと、もし誰かの名前なら俺には解りませんが……」
どれだけ表情を探ってもレオの顔には困惑しか写らない事を確認すると、彼は視線を逸らして頭を振った。
リスィは冷静さを欠いたことを後悔するように目を伏せ、疲れた様子で言う。
「申し訳ない、さっきのはただの独り言です。まず異世界については、私は先生ほど高位の魔法は使えないから、詳しい事はわからない。それとカークスさんについては、知ってますが教えるには1つ条件があります」
「条件?」
先ほどのリスィの様子からどんな事を言い出すのかと思われたが、彼の出した条件は意外なものだった。
「私の紹介で行く以上、あまり異世界の事を言触らさないで欲しいので、手紙を本人に渡すまでこの件を口外しないよう、契約の刻印を胸に刻ませてください。手紙を渡せば消えるものだけど、無理をして他人に伝えれば後悔する事になるでしょうね」
「それは俺の仲間にもですか」
「誰にも、です」
レオは不審に思ったが、理由を聞いても今は教えられないと言うばかりだった。
仲間には元々、信じてもらえる目処が着くまで言わないつもりだったし、他に聞く当ても無いので諦めて受ける事にした。
躊躇いがちにレオが頷くと、リスィは安堵したように溜息をついて席を立ち、対面からレオの前へ回り込んだ。
「服はそのままで。ただ、多少気持ちが悪くなるかと思うけれど、終ればすぐに直るので抵抗はしないように」
リスィはレオの隣まで歩み寄って胸に手を当てると、ボソボソと聞き取りにくい声で詠唱し続ける。
その度に不快感が胸から広がってきたが、数分耐えた所でリスィはあっさりと手を離す。
吐き気によってレオが少しむせてしまい、背中をさすってそれが治まるのを待ってから、彼は続きを話した。
「では、約束通りカークスさんの話を。
私の知る限り、先生の知り合いでカークスと呼ばれる方は1人しか居ません。
訳あって同行は出来ないので間違っていても責任は取れないけれど、恐らくはファーツ教国の首都にある大聖堂で、依り代の巫女の世話係をしているカークス・マートンで間違いないはずです」
「依り代の巫女というと、もしや」
レオはハウラに来る途中、ギルが話していた事を思い出した。
愛の神イシスを、その身に宿せる巫女がいる。と言う話を聞いたはずだ。
「ええ、貴方の話が本当なら、向こうに行けば、場合によっては何らかの啓示が得られるでしょう」
神様と話が出来そうだと言うのは、大きな前進だ。
もしかすると、元の世界に戻る方法等を聞けるかもしれない。
そう考えた時、一つの光明得と同時に、これまで思いも寄らなかった不安がレオの中に生まれた。
「ところでレオさん、先生がその後どうなったか知ってますか」
思考が脱線していたレオはその言葉に咄嗟に反応出来ず、うろたえてしまう。
「えっ、ええと……残念ですが、俺は向こうで会ったきりです」
「……そうですか、申し訳ない。少し、疲れたので話はここまでで。私はこれから北の魔術帝国にある、ラウロという街へ戻るので、北に来る機会があったら是非寄ってください」
「ありがとう、俺も明日には教国に向かいます」
そう言って部屋を出て行ったレオを見送ると、1人部屋に残ったリスィは椅子へ座り直して深い溜息をついた。
話が終った後、宿に戻る前にどうしても一人になりたかったレオは、衛兵に薬草を取りに行くと告げて街を出た。
あまり奥に入るとモンスターが出るので、森の入り口で倒れていた苔むした倒木に腰掛けると、口元を押さえて考え込む。
最初、異世界の事を知って居そうなリスィが怒りの視線を向けてきた時、レオは反射的にこの世界の人間を殺した事を怒っているのではないかと思った。
よく考えればギルやゲオルグのみならず、リサでさえも盗賊相手には容赦なく攻撃していた。ましてや何の関係も無いリスィが、そんな事で怒るわけが無いと一度は落ち着いた。
だが、会話が進むうち、ある事に気付いた。
レオ自身はゴブリンやオーガといった、知能の低い人型の魔物を倒していて感覚が麻痺してきている。
けれど、もし元の世界に居るホームセンターの後輩や他の知人、それに両親に、レオが3人の人を殺し、知性ある魔物の将軍を殺した事を知られたら、どう思われるだろうか。
彼らに知られたら、嫌悪感を抱かれるかもしれない。そう思うと、急に元の世界に戻るのが怖くなった。
勿論黙っていれば良いのではないかとも思ったけれど、レオにはそんな重大な事を隠したままにできる自信が無かった。
(もし本当に帰れると言われたら、俺は……迷わずに帰れるかな)
幾らゲームの能力や財産があるとはいえ、こちらでの生活は色々と不便だし、楽なものではない。
それでも、リサや仲間達と居る時間は楽しいが、レオはまだこの世界全体に対する不信感も捨てきれていない。声に出して言っても八つ当たりにしかならないから言わないが、「なんで俺がこんな目に……」と思うことなどしょっちゅうある。
しかもゲームやネットや小説が好きだったレオが、今更娯楽が殆ど無いこの世界に永住する事になれば、後々精神的に辛くなるだろう。
いつの間にか袋小路に入ってしまったような感覚に襲われ、まだ何も解っていないというのに、レオは混乱と恐怖に駆られていた。
木漏れ日の中、そんな答えの出せない事を考えていると、あっという間に時間は過ぎてしまった。
目的地の変更も告げなければならないし、あまり遅くなっても皆に心配されるので、レオは座り心地の良い倒木から立ち上がると、近くにあった山菜を適当に毟って街へと戻る事にした。
それ程ゆっくりしていたつもりも無かったのだが、レオが宿の前に着いた時には日が大分傾いてきていた。
宿の食堂に入ってみると、既にゲオルグを除く全員が集まってレオを待っていた。
レオがテーブルにつくと、いつものようにギルが代表して聞いてくる。
「どうだった、何かわかったか」
「その事なんだが……例の手紙のあて先が教国の人らしくて、急ですまないが、俺は予定を変更してそっちに行かなきゃならなくなった」
教国は位置的に魔術帝国より遠い。既に仕入れをしてしまったアルザダには悪いと思い、レオがここで別れても良いと言うと、アルザダは笑って首を振った。
「いえ、レオさんの帰りが遅かったので、食料品は殆ど買っていません。多少移動に掛かる日数が増えても、問題ないですよ」
それを聞いて安堵するレオに、ギルも頷く。
「アルザダもこう言ってるし、ゲオルグは依頼の報告に行ってるが、俺もアイツも教国行きでも別に問題無いぞ。後はリサちゃんだが……」
「ここまで来て置いて行くと言われたら、今度こそ本当に怒ります」
今日までの怒りが本気じゃなかったという意味のリサの発言に、レオは戦々恐々とするが、もう1つ謝らなければならない事を思い出した。
「あー……それで、事情を話すと約束してたけど、カークスって人の情報を聞くための条件として、手紙を届けるまで秘密を守る為の、契約の刻印とかいうのを受けたんだ。手紙を渡せば消えるらしいんだけど──」
そう言ってレオが胸元を見せると、彼を除く全員がポカンと口を開けてそれをみた。
レオは気にする素振りを見せないが、彼の胸には重ねすぎて最早ほぼ真っ黒と化した魔方陣の円が描かれている。
仲間3人を代表して、魔術師のリサが詰問した。
「あの、こんなの無抵抗に刻ませるなんて……何を話したんですか?8属性の上位攻撃魔法に、毒、呪詛、痙攣、その上転移魔法みたいな刻印まで付いてますけど……レオさんならどうか解りませんが、これ、普通の人なら口を滑らせたら間違いなく即死ですよ」
「え"」
てっきりちょっと電撃が走るとか、言おうとすると口が動かなくなるくらいだと思っていたレオは、それを聞いて冷や汗をかいた。
慌てて解いてもらおうかと思ったが、既に後の祭りだ。あれからかなりの時間が経っているし、リスィはもうとっくに街を出てしまっただろう。
「ど、どうしよう」
「いや、どうしようって言われてもなぁ」
混乱して助けを求めるレオの声に、魔法に疎いギルとアルザダは渋い顔で視線を交えた。
唯一リサだけは「私を連れて行かないから、そんな事になるんです」と、呆れたように溜息をついたが、流石の彼女も今回はお手上げのようだった。
しかし、それを聞いて力なく項垂れたレオを見かねたのか、仕方なく声を掛ける。
「ともかく、教国にいけば刻印は消えると言われたみたいですし、行って見ましょうよ」
「そうだな……今更騒いでも仕方ないか……」
当たり前の事を言われて落ち着いたレオは、自分が先ほどの思案で混乱していたのを自覚して目を伏せた。
何故か妙に元気の無いレオを気遣うように、ギルが声を掛ける。
「おいおいどうしたんだ、気分でも悪いのか?」
「あ、あぁ、実はこれを刻まれた時ちょっと気持ち悪かったんだ。出発の準備は大体終っているし、部屋に戻って少し寝るよ」
レオはそう言い残すと、足早に部屋に戻っていった。
残った3人は気になったものの、内容は刻印の事もあって聞けないので、明日の出発に備えて準備の仕上げをしに散っていった。
部屋に戻ってすぐに眠ったレオは、夜中に目を覚ましてしまった。
明日の出発に備え寝なければならないのは解っていたが、悩んでいた事もあり一度目を覚ますと中々寝付けなかった。
仕方なく部屋を出て食堂に向かうと、閉店の準備をしていた店主に、無理を言って酒を売ってもらった。
休憩所のテーブルに座って、殆ど人通りの無い街を眺めながら干し肉を肴にちびちびと水割りを飲んでいると、対面に誰かが座った。
「どうしたんですか、こんな夜更けに」
機嫌が悪かった筈の彼女が、何故現れたのか一瞬疑問に思ったけれど、レオは困ったように笑って返した。
「リサこそ、寝ておかなくて良いのか」
出発は明日の昼なので多少の余裕はあるが、長旅の前だ、しっかり寝ておかないと後々辛いだろう。
だがリサは特に気にする様子も無く「ちょっと気になったので」と言って、持ってきたグラスにレオの水割り用の水を入れた。
手に持ったグラスを凝視し、「肌を刺す冷気よ」と呟くと、中の水が3割程、シャーベット状になった。
「いいなそれ、俺も試しに……」
「間違いなく、中身が全部凍ってグラスが砕けるのでやめて下さい」
リサの的確な指摘に、悲しい事に自分でも納得できてしまったレオは溜息をついた。
するとリサがもう一度魔法を使い、レオのグラスを冷やしてくれた。
「ありがとう、それにしてもリサは魔法が上手いな」
「こんなの大した事無いですよ。それに得意属性が氷だというだけで、他の魔法はどちらかと言うと大雑把です。レオさんに比べればずっとマシですが」
そんないつも通りの切り返しにも、「だよな」とぼんやりとした返事しか返せないレオに、リサは遠慮がちに訊ねた。
「詳しい事は聞きませんけど、リスィさんに言われた事がそんなにショックだったんですか?」
心配そうに言うリサに、レオは慌てて手を振った。
「いや、それとは関係ないんだ──」
酒のせいでつい口を滑らせてしまったが、結局は言えない事なので、黙っていれば良かっただろう。
だが、それを聞いたリサは「じゃあ話してください」と言わんばかりの顔でレオを見つめている。
本当は話したくなかったが、ここまで来て言わなければ後が怖いし、心細かったのもあって思い切って話す事にした。
「俺が住んでた東の島国は、凄い平和な所で……実はこっちに来るまで、人を殺した事なんて無かったんだ」
「それは解ってました」
その言葉に、何とか誤魔化していたつもりだったレオは、驚いてリサを凝視したが「レオさんは物凄く解りやすいので」と、言われて苦笑した。
「今日、ちょっと故郷の事を思い出す事があってね。もし平和な向こうの人達がその事を知ったらどう思うかって、不安になったんだ」
「なるほど」
リサは一度相槌を打って考え込んだ。
そして暫し黙った後、彼女は懸命に言葉を選んで続けた。
「レオさんは、私を助けた事を後悔しているんですか?」
「そんな事は……」
ない。と答えようとしたが、あの時の事を後悔している自分には、言う資格が無い事に気付く。
それが解って反射的に顔を向けると、レオの真意を汲み取ったリサが優しく微笑んでいた。
「だったら、私の為にも胸を張っていてください。助けなければ良かったなんて言われたら、私だって流石にショックですよ」
初めて聞くリサの本心を前に、レオは何の反論も出来なかった。
実年齢の半分程度しか生きていないリサに諭されたレオは、何だか急に情けなくなり、苦笑して頭を掻く。
「ああ、そうだな。ごめん」
いつも通りのレオの反応を見て、満足げに「解ればいいんです」と言ってグラスの水を飲んだリサは、暫く外の暗い街道を眺めてから言った。
「……明日、出発の前に少し街を歩きませんか。教国までは、農村ばかりらしいですし」
「いいね。それじゃ、コレはここまでにして寝直す事にするよ」
そう言ってレオが水差しやグラスをお盆に乗せて立ち上がると、部屋に戻る途中のリサが別れの挨拶をした。
「おやすみなさい、レオさん」
暗くて表情まではよく解らないけれど、その声だけでレオは肩の荷が下りた気がした。
「ああ、おやすみ。リサ」
水割りのセットを食堂に戻し、部屋に帰ったレオは、この世界に来て初めての、安らかな眠りに落ちていった。
おお作者よ、復活に2週間もかかるとは情けない。
一週間で蘇生できると思ってた時期が、ボクにもありました。
プロットの練りが甘いのも痛感して色々と準備がかかりました。すいません……。
さて、内容ですが、伏線メインの内容で意味深な発言はアレなんですが、ファンタジーなのでその辺はご愛嬌と言う事でお願いします。
それと感想で葉っぱの回復力弱いけど、あれで高級なのか……という話が出ました。詳細は8話くらい後で出てくるのですが、あの葉っぱのメインは傷の回復ではなく、精神面での回復効果です。
偉い人は肉体的な傷よりストレス等の方が切実な問題なので、そっちの需要がメインとなります。
ブランク明けでちょっとクオリティが不安な部分もありますが、楽しんでもらえたら幸いです。