彼の戦い
領主の館に行った後、レオは商業区の宿に泊まっているセシリアの部屋に来ていた。
ノックすると返事が返ってきて、直ぐに扉が開いた。
「どうぞ、入ってください。昨日は有難う御座いました」
セシリアはそう言って余った金貨をレオに手渡した。
それを受け取ってサイフに入れる。
奴隷のエルフも涙ぐんでお礼を言う。
「本当に助かりました。もう一度人間に買われていたらと思うと、ぞっとします」
あまりに感謝されて照れ臭くなったレオは、手を振りながら答えた。
「俺はちょっと金を貸しただけですよ。そういえば、公国では奴隷は貴族しか買えなかったけど、こちらでは買えるんですね。それとも代理を頼むんですか」
「いえ、本来は買えないんですが、エルフは神の口ぞえがあって、同族に限り買える事になっているんです」
この前は、精神的に追い込まれていた所に色々な事を聞いて、その上時間も無かった為に詳しくは聞いていなかったが、購入した後首輪はどうしているのだろうか。
「それならアンロックスタンプはどうしてるんですか、お金を払って貸してもらうとか?」
「いえ、一般人は忘れていますが、エルフを陥れた貴族や奴隷商人の間では有名な話で、報復を恐れている彼らには、誰でも首輪の効果を発動できるように細工した上で、絶対にエルフにアンロックスタンプを渡してはならないと言う暗黙の了解があるんです」
「なん……だって……」
それを聞いたレオは青ざめた。
なんてこった、スタンプは絶対に貸せないと言うのは、俺のせいで……。
レオは絶句するが、セシリアは気がつかずにそのまま続ける。
「開放されたエルフは、人間が殆ど入ってこれない森の奥深くで静かに暮らしているので、あまり問題では無いのですが……できれば取ってあげたいですね」
そう言って幼馴染の首輪を見るセシリアだったが、レオには最早何も聞こえていなかった。
そんな……俺の、俺のせいでリサが……。
たった1日で、領主にも話を伝えてしまうバスラの影響力に、更に血の気が引く。
リサの容姿まで含まれたあの情報は、瞬く間に貴族中に広まってしまうだろう。
前日の夜にトランプをして笑っていたリサの顔が思い出される。
一瞬バスラに土下座でもして許しを乞おうかと思ったが、許す条件として何を要求されるかなど目に見えている。
それだけは、もう絶対に不可能だ。
「あの、レオさん、どうかなさいましたか」
「あ、ああ、大丈夫だ」
セシリアの声にようやく我に返ったレオだったが、そのまま顎に手を当てて考え込んでしまう。
暫く黙って考え込んだレオは、やがて低い声で唸るように言った。
「なあセシリア、エルフには魔物の軍に詳しい者も居るよな」
レオのあまりの剣幕に少したじろいだが、何とか答える。
「えぇ、ハイエルフの長老は何度も戦いを経験しているって……」
「できれば今すぐに、その人に会いたい。森までどれくらいかかる」
「今すぐですか……着くのは夜になると思いますが」
「構わない、俺は一度宿に戻って話してくる。その後直ぐに行こう」
その後魔軍の襲撃時期の予測を聞いて2人のエルフに挨拶をし、部屋を出ると、仲間の待つ食堂へ向かった。
食堂で、一度皆に事情を言おうかと悩んだが、まだ何の策も無いので止めておいた。
その後部屋に戻って忍び装束に着替え、大急ぎでセシリアと合流し、街を出た。
奴隷だった女性はレオがおぶって行ったのだが、かなり体力が弱っており、あまり急ぐ事が出来ない。
魔物にも何度か遭い、結局着いたのは夜中だった。
「さすがに今から長老を起こすのは不味いので、今日は私の家に泊まってください。明日の朝にでも会えるよう頼んでみます」
気が逸って仕方がないレオだったが、こればかりは仕方がないので諦めて朝を待った。
翌日長老に会いに行くと、仲間を助けた恩人と言う事もあり、かなり手厚く迎えられた。
長老とは言え、見た目はレオと同じで十代後半か二十歳くらいの男性なのだが、数万年は生きていると言われて驚いた。
「始めまして、アルフと申します。こちらの大陸ではもう、高齢の霊木は無いので、新しい仲間に会えてとても嬉しく思います。恩人でもありますし、是非遠慮せず何でも聞いてください」
レオは付き添いのエルフに会釈して、これまでの経緯を話し始めた。
始めはワイバーンを倒した事などに笑顔で驚いて見せていたが、次第に顔つきが悪くなってきた。
「なるほど、確かにそれは不味いですね」
「どうしても敵将の首が欲しいんです。何とかなりませんか」
アルフはかなり渋い顔で顔を顰めて考えていたが、やがて口を開く。
「レオ殿はワイバーンやジャイアントを単独で撃破したと仰りましたが、本気を出せばどの程度の強さなのですか」
「そうですね……本気を出せば、単独でドラゴンくらいなら倒せます」
実際にこの世界のドラゴンと戦った事は無いが、ワイバーンの強さは≪グラビティワールド≫と同じくらいだった。恐らくは火龍クラスが出ても勝てるだろう。
レオの言葉にエルフ達はざわめいた。それを制止すると、躊躇いながらもアルフが続けた
「それなら可能性はあります、しかし……」
「取り合えず聞かせて下さい。無理なようなら諦めます」
「解りました。では、お話しましょう。本来は方法として他人に言うべき内容では無いですが……正直、もし本当にスタンプが手に入ったら使わせて欲しい、と言う欲目もありますから」
レオはそれに頷く。
元よりリサを開放した後、用が済んだら協力の代償に彼らにスタンプを渡すつもりだった。
「まず、順番に魔物の軍から説明します。
彼らは確かに力での上下関係がありますが、基本的に知能が低く、そのままでは軍隊と成る事は無いのです。しかし魔神と言う存在が≪原始の海≫から数百年に1度生み出される事で、そのカリスマに惹かれて命令に忠実に動き、軍隊となります。
魔神はかなり強いですが、それでも単体の生命。それを要にしている彼らが最も恐れるのは、精鋭による魔神の討伐です。
よって彼らの序盤の戦いは、繁殖力の高いゴブリンやオーガを餌に将来脅威になりそうな精鋭を炙り出し、その芽を摘む事から始めます。
具体的に言うと、数代前の魔神が敵の城の地下に作った巨大な魔方陣へ本陣ごと転移し、本陣まで攻め込んでいた強者を孤立無援にして潰すと言うものです。
その設備はとても強固に出来ており、壊す事ができずに戦争では苦労しました。
これにより戦場で敵将を倒す事は困難になりますが、転移で飛んだ先では敵に逃げる場所はありません、外壁は無いはずですし、そこで詰め寄って殺し、全力で逃げればアサシンの貴方なら……」
そこまで言ってアルフは首を振った。
「すみません、夢物語を語ってしまいました……」
自分で言っていて不可能だと思ったのか、諦めたように溜息をつく。
だが──
「実はちょっと、変った力がありまして」
──そう言って、目の前から忽然と姿を消したレオを見て愕然とした。
再び現れたレオにエルフ達は皆驚愕、アルフが興奮したように続ける。
「凄い……魔法も使わずに姿を消せるなんて……」
「少々事情があって、こういった能力が使えるんです。それと」
更に、ビューテレポートもしてみせる。
詠唱無しのテレポートが珍しいのか、周囲のざわめきが更に大きくなった。
「この通り、短距離用のテレポートも使えます。長距離は向きませんが、先ほどの能力と組み合わせれば、もし見つかっても逃げ切れる可能性はあります」
それでも少し悩んだアルフだったが、やがて決心したのかレオに向き直った。
「解りました。そこまで言うなら、我々も全力でサポートしましょう。話から察するに時間はまだ有りそうですし、森の奥の宝物庫から色々と持ってきますので、レオ殿も今日は準備をしてしっかりと休んで、明日の朝発つのがいいでしょう」
その後アルフは宝物庫へ向かい、レオはエルフ達を相手に色々と準備をした。
まず解ったのは、どれだけ隠蔽スキルを使っても、レビテイト等の常に効果がある魔法を使っていると、魔法使い相手には魔力でばれてしまうという事だ。
それでも姿が消えていればかなり見つかり難いが、確実を求めるなら魔法は避けたほうが無難だろう。
次に、倒した証拠に体の一部を持って帰る手段として、保存の為に盗賊が使っていた破壊力の少ない凍結魔法を学んだ。
調節が多少難しいが、凍れば良いだけなので取り合えずよしとする。
そうこうしている内にアルフが戻り、作戦会議を行う事になった。
「まず、こちらの地図をご覧下さい」
中心に城が書かれ、周囲に山や森、平野といった大体の地理が書かれた羊皮紙の地図が広げられる。
「これは魔界の地図で、中心が敵の城になります。こちらに戻る時は空間の歪を通らなければならないのですが、歪は常に一定の範囲でズレ続けていて、探す必要があります。
最も近いのはドリューク村の近くですが、あの辺りは強力な魔物が多くいるので、探し回るのには適していません。
次に近いのは今魔軍が居る所なので、その次の、歩いて3日ほど南に向かった所にある歪が宜しいかと。ゴブリンの生活する穀物地帯でこちらで言えばダールの近くなので、そこで探すのがいいでしょう。
それと城の中は最後に見てから数千年経っているので、今はどうなっているか解りません。
さて、レオ殿には念のためこちらの地図を2枚と、昔の戦争で使っていた魔法のコンパスを差し上げます。
魔界は空間のブレが酷いのであまり宛にはなりませんが、無いよりはマシでしょう。
それとこれは、奴隷になっていた者達に渡している霊木の若葉と言われる薬草で、多少の傷の治療と精神的苦痛を緩和する効果があります。十枚程しかありませんが、持っていってください」
3種類の道具を受け取り、頭を下げる。
霊木の若葉は、エルフの書いたメモには、今では霊木自体の数が減ってとても貴重な薬草になったと書かれていたはずだ。
「有難う御座いますアルフさん。大切に使わせてもらいます」
「もっと手助けが出来ればいいのですが、一緒に行っても足手まといで、迎えに行こうにも着いた頃には終っているでしょうから……」
「これで十分です。それじゃ、今日は寝ますね。明日は長い一日になりそうだ」
「必ず帰って来てください。お待ちしています」
レオは力強く頷いて屋敷を出た。
その日はセシリアの家でゆっくりと休み、これからに備えた。
翌日、セシリアに見送られて森を出る事になった。
「では5日後にはハウラに行きます。数日は待つので、この間の宿に来てください」
「勿論です。期待して待っていてください」
そう言って笑いかけ、街へと急いだ。
行きと違って1人だったので、昼にはハウラに着く事が出来た。
戻ったレオは直ぐに自室に行き、森で貰った品を収納袋に隠した。
こんな無謀とも言える作戦を、仲間達に言うつもりは無い。
オリハルコンと宝石を取り出し、こっそりと街へ出ようとすると、ゲオルグに見つかった。
タイミングは最悪だったが何とか誤魔化して、買い物に出かける。
レオはまず、織物ギルドで長い布を買った。
次に昨日の路地裏に隠れてオートリザレクションが3回分かかった指輪を4つ作る。
それから冒険者ギルドへ向かい、ダールに逃げる低ランク冒険者に正式な依頼をして、宿の女将宛の金貨の入った小包を渡した。
最後にギルドの隣の酒場に居た偵察兵の老剣士に、魔軍の情報を聞き、伝言を頼む。
予定では5日で戻るはずだが、余裕を持って6日後にと伝えた。
そこでレオはゲオルグに見つかり、宿の食堂へと戻った。
途中でホワイトパールと同じローブを着た青年を見かけ、つい反射的に声をかけてしまう。
転移魔法の専門家である彼は、魔軍の転移について知っている様子で、レオはかなり焦ってしまい、強引に話題を変えた。
ホワイトパールの事も聞きたかったが、今は雑念など無い方がいいので、後日会う約束をしてその場を去った。
食堂での報告では、特に情報は無かったと言って誤魔化そうとしたが、リサに怪訝そうに詰め寄ってきた。
「何か隠し事してませんか」
「いや、何も無いよ」
眉を寄せて見つめてくるリサに、「ああ、そう言えば」と言って話題を変える。
「皆これを着けてくれ、気付け効果のある魔法が3回分込められた指輪だ。多少の怪我なら同時に治してくれる」
込められている魔法、オートリザレクションは、戦闘不能を直す魔法でこちらの世界では蘇生に当たるかもしれないと思ったが、確証が無いので気付けと言っておいた。
これまで≪グラビティワールド≫でのソロ活動でよくお世話になっていた指輪に、仲間を守ってくれと願いを込めて渡す。
そして彼らが指輪をつけるのを見て、レオは安堵して頷いた。
代わりに警笛の指輪を返してもらう。一人旅では、非常に役に立つはずだ。
部屋に戻ると、織物ギルドで買った長い帯をサラシのように巻きつけ、前面に霊木の若葉とコンパス、背中に昨日保存食専門店で買った干し肉と地図を入れてきつく縛り、皮袋を右脇に、薄く作ってもらった水筒を左脇に括り付ける。
レオが準備を終えて宿を出ると、またゲオルグに声をかけられた。
本当に勘がいい、気をつけなければ。と、ゲオルグを盗み見つつ、北門へ向かった。
リサに戦場に立ちたいと言われたとき、レオはかなり困った。
予定ではレオは途中で居なくなる。何かあったらどうするんだと思ったが、核心については言えず、説得し切れなかった。
レオはもう少し粘ろうかとも思ったが、≪イージス≫も持っているし、ゲオルグとギルを後方に置く理由にもなるだろう。
ゲオルグ達のためにもなると諦め、了承する事にした。
戦闘が始まり、レオは敵軍から目立つように撹乱攻撃を仕掛けた。
あまりにも強すぎる。と思われないように、空を飛んだりクィックで超人的な行動をしたりするのは避けて、徐々に疲れていく風を装う。
やがて増援の騎士団が到着し、手柄を焦った貴族が馬に乗ってやって来た。
「まて、こっちへ来るなっ」
「喧しい一兵卒がっ、貴様はその場で待機だ!」
返事をしたのは、領主の館で見かけた貴族だった。
「危険なんだっ」
「ここは戦場なのだ、そんな事は当たり前だ、いいから貴様はそこにいろ!」
全く話を聞かない相手に舌打ちしつつ、状況を確認する。
敵の本陣が集まってきている。レオを囲む包囲網が、そこへ誘導するように形を変えてきた。
そこでふと、左手の刀を見た。
そういえばエルフ達は装備の魔力など解らないと言っていたが、バルドは鞘に入った刀の魔力を感じていた。
多少解るようになって来た位のレオは刀の魔力など、持っていてもさっぱり解らないが、魔物の中には解る者も居るかもしれない。
スキルを解いた時ばれてはいけないし、念のためにこちらで捨てておく事にすした。向こうで捨てたら確実に戻らないし、レオの予定ではそれ程戦闘は多くないハズだ、≪天羽々斬り≫があれば十分だろう。
「レオ、戻れ罠だ!」
投げた刀を目で追ったゲオルグが、転移に気付いたのにはヒヤリとした。
巻き込むかもしれないと焦って振り返ったが、こちらに来る寸前に転移が発動する。
バヂンッ!という音と共に魔方陣が展開し、視界が暗転した───
───が、予定通りに行ったのはそこまでだった。
「がぁっ……」
戦場で隙を見せる事の意味を、レオはまだ解っていなかったのだ。
ゲオルグに気を取られて振り返っていたレオの右脇腹に、忍び装束の隙間から滑り込むようにして、ゴブリンの細い槍が入った。
慌てて槍を斬り払い、柄を短くしたレオだったが、焼け付くような痛みの前によろめいてしまう。
遠くで転送に巻き込まれた貴族兵の絶叫が上がるが、今はそれ所では無い。
今がチャンスとばかりに群がる魔物の兵を飛び越えた時、部屋の奥で護衛と共に階段を上る将軍が見えた。
着地と同時に口元の布を取って少し吐血したレオは、何とかテレポートで追いすがろうとしたが、激痛で集中する事ができない。
地に下りたレオは槍を抜こうとするが、元は狩猟用だったらしく返しがついていて簡単には抜けない。
「クソ……ッ」
かなり痛いが、奇襲以外では切り札の魔法は使えない。攻撃を避けつつサラシから霊木の若葉を2枚取り出して口に入れた。
槍先は刺さったままだが、一応出血は止まり、痛みで混乱した頭にも多少の冷静さが戻る。
周囲の魔物を斬り伏せ、飛び上がって様子を見たが、将軍は既に部屋を出た後だった。
気を取り直して状況を確認すると、貴族の兵は最早ほぼ全滅していた。
それに安堵したのか、転移を行った魔術師がぞろぞろと階段を上っていく。
レオは『断裂』を使い、広範囲の敵を殲滅すると、敵陣に突っ込むようにして<透身>と<無心>を使い、姿を消した。
しかし幾らレオが驚異的身体能力を持つとはいえ、苦痛を絶えながらぶつからないように進むのは困難で、階段へ着いた時には最後の1人が柵を越える所となり、飛び込むような格好で滑り込んだ。
「ん?」
強引に滑り込んだせいで、魔術師のローブの裾に当たってしまい、冷や汗がながれる。
魔物の魔術師は多少首を傾げたものの、それ程気にせずに階段を上っていった。
床に少し血もついてしまったが、元々そういった用途の部屋でもあり、薄暗いので気にならなかったようだ。
魔物の城は全体的に薄暗く、1階は床も綺麗とは言えないものだった。
地下室を出たレオはまず、兵士達の詰め所を探す。
レオは名称が解らなかったが、城の内部はトロールと呼ばれるオーガより少し大きく、知性もある魔物が多く居た。
声を殺して彼らの後をつけながら城内を散策し、開けっ放しの部屋へ入った。
中は雑魚寝のようで、藁に布を被せた簡易ベッドが並んでいる。
2~3匹ほどトロールが居たが、交代制なのか今は眠っていた。
近場のベッドを巡り、少々錆の見えるナイフ、所々黄ばみがある布、枕元にあった酒を盗んだ。
それを持って2階へ上がり、人通りの少ない物置の奥で隠蔽魔法を解いた。
「いってぇ……」
霊木の若葉の効果も切れてきて、苦痛で汗が噴出し始めていた。
時間もそれ程余裕がある訳ではない。急いで槍先を取り除く作業を始める。
≪天羽々斬り≫を使わないのは誤って伸ばしてしまうと大変な事になるからだ。
酒を掛けた布でナイフを拭い、ある程度汚れを取った後、もう一度酒で濡らし、サラシでふき取った。
始める前に霊木の若葉を数枚取り出し、2枚程噛み砕いて少しずつ飲み込んでいく。
布を巻いた來国俊の鞘を咥え、短くしていた槍の柄を持ってナイフで抉り出す。
「──ッ!」
血を止める代わりにくっ付いてしまった肉を裂き、槍先を取ろうとするが、切れ味の悪いナイフでは激痛で上手く行かない。
仕方なくある程度切った所で≪天羽々斬り≫を取り出し、返しの周りを切った。
痛み無く切れた事に安堵し、霊木の若葉を飲み込んで槍先を取る。
傷口を抑えるが血が溢れ、鞘をかみ締めて酒を掛けた後、懐から出していた霊木の若葉の残り3枚を全て食べた。
何とか傷口が閉じたので、服についた血を絞って布で拭き、右脇にあった皮袋を見た。
皮袋には大きな穴が開いてしまったので、2枚ある羊皮紙の地図の内、1枚を三層の皮袋の穴の部分に入れた。
作業を終えたレオは隠蔽スキルを使い、急いで部屋から出て行く。
将軍を探すために歩き回ろうとした矢先、大量の剣を腰に下げて槍を背負い、赤い鎧を着た、エイリアンのような黒いテカテカした顔の悪魔と、その従者と思しき人狼のような魔物が通路の奥に見えた。
かなり豪華な鎧だったので、上位種かと思い念のため<一体化>を使う。
レオの輪郭がぼやけ、体が溶けるような違和感に襲われる。
ただ、先ほどチラリと見た将軍は肌が赤く角が生えていて、白い鎧を着ていたはずだ、彼らは将軍ではあるまい。
<一体化>によって、魔力とSPがガリガリと削られていく。できれば長居はしたくないと、無視して通り過ぎようとした時、背後で悪魔が呟いた。
「はて、こちらから強い武器の気配を感じたのだが……」
≪天羽々斬り≫を使った時の事だろう。
気付かれてはいない筈だが、レオは反射的に身を強張らせる。
「勘弁して下せぇよグレイヴ様。こないだも同じような事言って、部下殺してまで武器を奪って、謹慎させられたばかりでしょうに。真面目に戦えば、王以外で最強とまで言われてんですから、もう少し自重してくださいよ」
「それは解っているが……」
小言をもらってもグレイヴは首を傾げ、未だ納得が行っていない様子だ。
彼は従者の人狼に連れて行かれたが、騒ぎが大きくなれば、物置の血の跡が見つかるのも時間の問題かもしれない。
それから一時間近く城内を駆け回ったが、一度見失った将軍の姿は簡単には見つからなかった。
見かける敵は雑魚ばかりで、使用しているスキルは<透身>と<無心>だけとはいえ、使うのには魔力とSPを消費する。レオは常人を遥かに越える量を持っているが、それでも無限ではない。
いっその事魔神の方を狙おうかと思ったが、上階にレオでも解る魔力の動きを感じて止めた。
恐らく、周囲を包む常在系の攻撃魔法か結界の類だろう、暗殺には不向きな相手だ。
けれど傷も完治した訳ではない、徐々に痛みがぶり返してきているのだが、霊木の若葉は残り3枚だ、帰りの道程を考えれば耐えなければならない。
一度外に出て回復を図りたいという思いが幾度となく頭を巡る。
戻るのは駄目だ、この機を逃せば隠蔽スキルを警戒される。それに初見で通じなかった罠など、俺相手には2度と使おうとはしないだろうし……。
諦めかけたその時、見覚えのあるローブを着た老魔術師が廊下を走るのが見えた。
そのローブは転移魔法を行った魔術師達のローブに似ているが、多少豪華にしたような物だった。
<一体化>を使って後を追おうとして一瞬逡巡する。
恐らく、魔力的にもSP的にも上位の者が居る階に行けるのは1度切りだ、もしハズレなら後がない。
だが、1時間探し回ってようやく巡ってきたチャンスだ。これを逃したらもう次はないだろう。
そう自分に言い聞かせ、<一体化>を使って後を追う。
4階へ上った老魔術師が、大き目の扉の前で息を整えるのを見て、アタリだと思った。
扉の枠の上に跳び乗り、壁に張り付く。
やがてノックの音が響いて、返事が帰ってきた。
「入れ」
「失礼します」
老魔術師が扉を開けるのに合わせて、扉を少しだけ外側に押す。
腕に違和感を覚えた老魔術師は、自分の腕を見て眉を顰めた。
その隙に室内に身体を滑り込ませ、反対側の枠に手を掛けてその上に上る。
部屋の中に居たのは、赤い顔に巻き角を生やし、白い鎧を着た将軍だった。
「何をしている」
「いえ、何やら腕が……」
それを聞いた将軍は溜息をついた。
「いくら魔術師とは言え、怠けすぎじゃないのか。お前とて魔族の一員なのだぞ……良いから、とっとと入れ」
「し、失礼しました」
慌てた老魔術師は、室内に入ると言いにくそうに額を掻いた。
扉の上に張り付いたレオは、ゆっくりと息を吐いて苦痛に耐える。
「どうしたんだ」
「それが……例の黒いアサシンが、忽然と姿を消したとかで……」
それを聞いた将軍は、元々皺だらけだった顔をさらに顰めて怒声を上げた。
「何をやっているっ、今回は奴を確実に引き込むために、予定より早く飛んだんだぞ!」
「も、申し訳ありませんっ、門は閉まっているので、城内に居るはずなのですが……」
話が長引きそうになり、レオは焦ってきた。顔を伝う脂汗で口元の布は最早びしょびしょになるほどだからだ。
汗が落ちないよう祈りつつ、会話が終るのを待った。
「転移を使ったのでなければ、魔法を使って姿を隠しているはずだ、城中の魔術師を使って意地でも探し出せ」
「しかし、奴は怪我をしても魔法を使わなかったと言うので、魔法は使えないのではないかと」
「魔法の道具を使っているかもしれないだろう、いいから今すぐ探しに行け!」
老魔術師は震え上がって頭を垂れた。
「は、はいっ、了解しました。必ず見つけます」
そう言って老魔術師は部屋をでた。
扉が閉まるのに合わせて、レオが床に降り立つ。
「全く、またあの我侭な魔神に小言を言われるではないか……」
そう言って、机の上の羊皮紙に目を向ける将軍の背後に、息を殺して回り込む。
ゆっくりと腰から≪天羽々斬り≫を鞘ごと外し、首の位置に構え、痛みで逸る気持ちを抑えて静かに機会を待った。
やがて将軍が羊皮紙から目を離し、「ふぅ」と言って背もたれに身をゆだねた瞬間────
────漆黒の刃が、横一線に払われた。
鮮血を避けるため、僅かに後方に飛び、鞘を腰に戻す。
震える手を何とか動かし、皮袋を取り出して床に落ちた将軍の首を押し込むと、強引に懐に入れた。
扉の前に立ち、カチカチと鳴る歯を食いしばって耳を当てて外の様子を伺う。
気配は無い。
少しだけ扉を開けて更に外の様子を伺うが、誰も居ないようだ。
素早く外に出て扉を閉め、全隠蔽スキルを使い直す。
その後1階まで降りようとしたのだが、警戒が厳重すぎたので断念して戻る事にした
2階へ戻ると、ちょうど血痕が見つかったのか、さっきの部屋に人が集まり始めていた。
急いで建物の反対側へ行き、同じような物置を探して中に入る。
小さな窓には柵がかけられており、グレイヴの事があって迷ったが、切り取る事にした。
隠蔽スキルを一旦切って、少し大きめに窓の周りを切り取り、柵を取っ手に引き抜いて床に置く。
姿を消して下の様子を見ると、丁度近場の衛兵が入り口の衛兵に話を聞きに行く所だった。
一思いに飛び降り、周囲を警戒するが、気付いたものは居ないようだ。
衝撃で血を吐きそうになるのを何とか堪え、街の外へ向かった。
アルフからは外壁は無いはずだと聞いていたが、かなり高い外壁があって冷や汗をかく。
グレイヴの事があって城を出てから<一体化>を使っているため、疲れで足元が覚束なくなってきていた。
それでも何とか門を見つけると、暗殺の話はまだ来ていないのか、空いたままだった。
急いで門をくぐり、<一体化>を止め、距離を取るために走った。
スキルは魔力も使うがSPの消費の方が圧倒的に多い。
「はぁ……はぁ……」
完全に息が上がってしまっているが、外壁の周りは草原だ、今スキルを切って休めば目立つので、離れなければならない。
外壁が小さくなった頃、ようやく木陰を見つけてスキルを解くと、それに合わせたように門が閉まっていった。
とりあえず、傷に解毒と治癒魔法をかけ、SPと魔力を持続回復させる魔法を使う。
痛みから解放された事に安堵しつつ、警笛の指輪をはめて上着を脱いだ。
水鉄砲で汚れを落とし、水筒で水を飲むと、袋に入った首に凍結魔法をかける。
流石に極限状態が続いていたので、服を着て少しだけ木陰で休む事にした。
だが、暫くすると外壁の門が開いて犬のような物に跨った者や、巨鳥に乗った者が飛び出してきたので、再び進まざるを得なくなる。
元々≪グラビティワールド≫はMPやSPの回復が遅いゲームだったが、現実では更に遅いようで、あまり回復できなかった。
それでも気を取り直して走り出したのだが、問題はそれだけでは無かった。
次の日の午後、予定通り穀物地帯に入ったのだが、畑を見たレオは愕然とした。
「ウソだろ……」
穀物地帯を通ると言う事で、食料についてはある程度現地で調達しようと思っていたのだが、畑はその殆どが枯れていた。
魔物が痩せていて、食べ物は少ないだろうとは思っていたが、広大な畑が殆ど枯れていると言うのは、流石に想定外だった。
無事な場所もほんの少しあるにはあるが、オーガやトロールが見回りをしていて安易に取りには行けない。
今は目立つ行動は避けたい、殺しても良いなら奪えないことも無いが、森に入ったほうが無難だろうと考えを改めた。
しかし、森の中も木の実は喰い尽されており、ウルフのような食用にできそうな魔物も居ない。
見るからに毒がありそうなカラフルな大蛇や、紫色の植物の魔物などは居るが、とても食べられるとは思えなかった。
干し肉はとうに底を突き、メモの知識を生かして必死に薬草や山菜を探し、霊木の若葉を1枚噛むと、水鉄砲で作った水筒の水を多めに飲んで飢えを凌いだ。
何とか2日目の夜には歪の移動範囲内に入ったのだが、魔界の森は魔物が多く、どんなに隠れても、警笛の指輪をつけて寝ると2時間としない内に起こされた。
しかも移動し続ける歪は1人で探すのは非常に困難で、同じ場所に留っている事もあり徐々に焦りがレオを蝕んでいた。
丸1日近く探し回った頃、既に霊木の若葉は切れ、魔法によって魔力とSPは回復していたものの疲労困憊という体になった時、上空から3羽の巨鳥と1頭のレッドワイバーンが飛来した。
巨鳥からは人狼の従者と兵士、レッドワイバーンからはグレイヴが降り立った。闇雲に探しても見つからないと考え、歪を張り込もうと言うのだろう。
隠蔽を警戒してか、兵士は結界魔法を、グレイヴは常に微弱な雷を纏っている。
グレイヴが居るので、レオは仕方なく持続回復の魔法を止めて<一体化>を使った。
「いいかっ、絶対に結界を切らすな。標的を見つけても無理に挑まず、必ず笛か魔法で連絡しろ!」
グレイヴがそう怒鳴ると、兵達は敬礼をして素早く散った。
彼らに先を越されると不味い事になるだろう。雑魚の兵士なら一瞬で倒せるだろう、しかしどの道≪天羽々斬り≫を使えばグレイヴにはばれてしまう。
見つかっても強引に突破する事は出来るが、そうなれば中継地予定のダールに寄る事が出来なくなる。
幸いこちらは、1日中探し回ってある程度予想範囲を狭めていた。賭けになるがそこを探すしかない。
彼らから距離を取りつつ、必要な時だけ隠蔽スキルを使い1時間程探してようやく歪を見つけた。
だが、安堵したのも束の間、視界の端にグレイヴが見える。
必死に走るが、<一体化>でSPが削られ疲労と睡眠不足で思うように走れず、徐々に距離を詰められていく。
やがてグレイヴの魔法範囲が足に着こうかという頃、ギリギリで歪に飛び込むことが出来た。
距離を取って様子を見ると、グレイヴは歪から出て暫く辺りを歩き回った後、やがて魔界へ戻っていったようだ。
魔界に入ってから3日目の夕方にしてようやく元の世界に戻ったレオは、何とか中継地点のダールまではとコンパスを頼りに南を目指した。
街道に出た時には安堵で膝を突いてしまったが、まだ安全になった訳ではないと思い直し、ゴブリンやオーガを蹴散らしながらダールへ向かった。
数時間歩いて、夕刻、外壁の衛兵が、レオを見て慌てて駆け寄った。
「お、おい大丈夫か」
その頃には最早レオは足取りもおぼつかず、視線も定まらない状態になっていた。
「魔物の……将軍のく、首……」
そう言って広げられた皮袋の中をみて、衛兵は目を剥いた。
隣国が魔物の軍に襲撃されているのは聞いていたからだ。
「ハウラに……持って……」
「これを持って行けばいいのか?」
衛兵がレオから袋を取ろうとすると、レオはその手を振り払う。
「駄目、だ……俺が……でも、少しだけ、やすませ……」
「わ、解った。とにかく入れ」
レオは衛兵に肩を借り、宿の名前を言って街へ入った。
宿に入ると女将が慌ててカウンターから出てきた。
「ちょっレオ、どうしたんだ!」
「女将……頼み……が」
「頼み?なんだ、何でも言いなっ」
掠れるようなレオの声に、女将は口元に耳を当てて聞いた。
「ギ……ルドの……フィルに……この袋、凍らせ……魔術師を……」
「解った。フィルに頼んで魔術師を探してもらうから、アンタはとにかく部屋で休め」
女将はそう言うと衛兵にマスターキーを投げつけ、前掛けを脱いで宿を出る。
「どこでも良いからベッドに寝かせろっ、先客が居たら隣に移らせな!」
朦朧とする意識の中、何とかベッドについたレオは、そのまま泥のように眠った。
「──オ、レオッ、そろそろ起きるんだ」
女将に呼ばれて目を覚ますと、既に翌日の昼だった。
ベッドの脇に、食事が置かれている。
「腹痛くなるだろうけど、取り合えず食うんだ。ゆっくり食って、また少し休め。フィルが駆け回って良い魔術師2人捕まえてくれたから、袋は大丈夫だ。それと、他に何かあったら、今のうちに言ってくれ」
レオは食べながら簡単に経緯を説明した。
女将は心底呆れたとばかりに頭を抱え、黙って聞いている。
「すいません……あ、お金は後で届くようにしてあるんで、ツケでお願いします……」
「はいはい。しかし、バカな奴だとは思ってたけど、アンタマジで本物だよ……」
反論しにくい女将の言葉に頭を下げつつ、どうせなのでもう1つ頼む事にした。
「それと、鍛冶ギルドの近くのバルドインと言うドワーフの工房に行って、刀を取ってきてくれますか。事情を話せば返してくれるはずなので」
「わかった。持ってくるからもう少し寝ときな」
2時間ほどしてレオが目を覚ますと、窓の外に女将が見えたのでロビーに向かう。
すると女将が、刀と保存食を持ってきていた。
そろそろ出ると言うと、従業員に皮袋を取りに行かせ、待ちながら話をする。
「鍛冶屋から伝言だ、『使い終わったら直ぐ返せ』とさ」
バルドらしい言い草に苦笑しつつ、刀を受け取る。
「これ俺の物なんだけど……」
「そう言うと思って聞いたら、『あんな見送りさせといて、たった10日程度で戻ってくるヤツにはこの位の扱いで丁度いい』だとさ」
何とも言い返せないレオは、観念したように笑う。
それを見た女将も、面白そうに少し笑っていたが、丁度その時、従業員が皮袋を持ってきた。
それをレオに渡すと、いつもの顔に戻って言った。
「さて、そろそろ行くんだろうけど……気をつけるんだよ、ここまで来て油断して死んだりしたら、承知しないからね!」
女将の叱咤に、苦笑して頭を下げる。
「絶対に辿り着きます。いつも世話になってばかりで、すみません」
「ウチは冒険者の世話を焼くのが仕事だからね。ほら、とっとと行きな、リサが待ってるんだろ」
呆れたように微笑む女将に頷いて街を出ると、全快したレオは空を蹴って真っ直ぐにハウラへ向かった。
森の中を蛇行しながら進む陸路と違って、空では一直線に進む事が出来る。
途中何度か巨鳥に出合ったが、刀も戻ったレオの敵ではない。
問題と言えば警笛の指輪をつけて寝ても、何も襲ってこない事があって、一度将軍の頭部が解凍された事があったくらいだ。
5日の道を2日で通る予定だったが、これまでのアクシデントで疲弊していため3日掛かり、昼過ぎ、遂にハウラが見えてきた。
地に下りて門へ向かうと、衛兵が困惑したようにレオの顔を見た。
「な……お前死んだんじゃ……」
レオはそんな衛兵に構わず、皮袋から将軍の首を取り出す。
顔に驚愕を浮かべる衛兵を前に、高らかに宣言する。
「敵将の首だっ、今すぐ領主に取り次いでもらいたい!」
衛兵は驚愕して腰を浮かせ、「わ、解った、ちょっと待っててくれ」と言い残して門の中へ消えた。
暫くして門を通され、直接領主の館へ向かった。
元城という事もあり、通された謁見の間は完全に玉座の間という雰囲気だった。
首は本物かどうか確かめると言われ、実際に将軍を見た兵士や偵察兵、魔物に詳しい者などによって鑑定が行われている。
不機嫌そうに待っていた領主のクラウスは、本物と思われると言う報告を聞いて、「そうか」とだけ答えた。
「まぁ、違うだろうと言う意見は無かったし、あれは確かに敵将の首だろうな」
クラウスは渋々と言う顔で認めた。
「では、約束通り──」
レオが続けてスタンプを要求しようとすると、クラウスは手を上げてそれを遮った。
「しかしな、同行していた貴族兵が戻ってこないのはどういう訳だ」
「それは、彼らが自ら付いて来たのです。私も止めましたが、聞く耳を持って貰えませんでした」
「貴族兵の中には、バスラ公爵も居たと言う、まさか故意に見捨てた訳ではあるまいな」
それならば確かに疑われても仕方の無い部分もあるだろう。
だが、転移先ではそのような余裕は無かった。負傷していた事を告げ、血塗れのサラシを見せると、クラウスは顔を顰めて「もう良い仕舞え」と手を振った。
「しかし、あの条件は戦時下で出したもの。一時休戦となった現状では首の価値も下がるからなぁ」
「それは私が将軍を倒して、敵が混乱しているからです!」
必死に抗議するが、クラウスはとぼけた様子で視線を逸らし、周りの貴族は薄く笑っている。
長旅の疲れと暗殺の重圧で、精神的に疲弊していたレオは、青筋を浮かべながらも今暴れれば台無しになると何とか堪える。
「そうだな、手柄は手柄だ、あの首は私ならば有効に使えるし、条件着きで良ければスタンプを貸してやろう」
「条件?」
「そうだ、お前にはこの領の軍に入ってもらう」
「なっ……」
つまりは都合の良い手駒になれと言う話だ。
しかもそれを受けたからと言って、直ぐにスタンプを貸すとは限らない。レオがどれ程スタンプを欲しているか解って居るのだから、反逆を恐れて焦らして来るだろう。
もういっその事この城の兵士を皆殺しにしてスタンプを奪ってやろうかと思い始めた頃、謁見の間の隅から、凛とした女性の声が響いた。
「随分と興味深い話をしているな」
声のした方を向くと、金髪の女性騎士が警備の兵士と思われる男を気絶させて脇に置いていた。
彼女を見たクラウスは、震え上がって危うく玉座から落ちる所だった。
「ぶ、ブルーローズ様、どうしてここに……」
「その名で呼ぶなと言っているだろう、恥ずかしい……私の事はシャンティと呼べ」
ブルーローズことシャンティは、気絶した衛兵を蹴飛ばすと、クラウスの傍らへゆっくりと歩み寄りながら話続けた。
「言われた通り客間で待っていたが、なにやら城内が騒がしくなってな。歩き回って聞き耳を立てると、敵将の首が届いたとか言っているではないか。
そこで様子を見に来てみれば、絶対に私は通せないと言われたので、衛兵を気絶させて来たんだ。ま、無作法だったがそこは許せ」
顔だけ見れば美女のシャンティを前に、クラウスはガタガタと盛大に震え、周りの貴族も真っ青になっている。
そんなクラウスの肩に左手を置くと、震える彼を無視して右手を件の柄に置き、困惑しているレオに向き直った。
「名乗りが遅れたな、私はシャンティ。Sランクの冒険者で、今はナルバ共和国の親衛隊団長をしている。対魔軍の増援としてこの街に来たのだが……迷惑をかけたな、エルフのアサシンよ」
「なるほど、貴方が……」
シャンティは青い鎧を着ている、恐らくはそこからブルーローズと呼ばれる事になったのだろう。
「さて、前置きは終わりだ。私の耳が腐っていなければ、そこの者は敵将の首を単独で取って命からがら戻り、金も地位も名誉も要らないから約束の物をよこせと言ったが、貴様はそれを誤魔化そうとした。と言う風に聞こえたのだが、違うか?」
クラウスは冷や汗をながし、何度か喉を鳴らしてから震える声で答えた。
「し、しかし、エルフにアンロックスタンプを渡すのは、色々と不味い事が……」
「だからこそ無茶を言ったのだろう、そしてそれを実現された。これはエルフの失態ではなく貴様の失態だ。しかも敵将の首と言う成果は自分で使おうとしたらしいでは無いか。
確かにお前の方が共和国から多くの報酬をもぎ取れるだろう。だが、そんな事が許されるとでも思っているのか?」
最早返す言葉が無いのか、黙りこくったクラウスに、シャンティは「スタンプは何処にある」と聞いた。
「部屋の金庫に……けれど渡すのは……」
尚も食い下がるクラウスの首に、瞬きの間に白銀の剣が添えられた。
「2度は言わん、鍵を寄越せ」
シャンティは震える手で懐から出された鍵を引っ手繰ると、レオに声を掛けて謁見の間を後にした。
使用人に場所を聞いてクラウスの部屋に向かう途中、人通りの無い廊下で、シャンティは突然話し出した。
「これは独り言なのだが」
気が抜けて朦朧としていたレオは、その言葉で現実に引き戻される。
顔を上げたレオを視線で確認すると、シャンティは続きを語りだした。
「この国は強いエルフに対して警戒感を持っている。今はまだ無いがいずれ近隣の領主から、私にも君を捕縛してでも軍に入れろと言う命令が下ると思う」
それを聞いたレオは頭を抱えた。
折角長旅から戻ってきたのに、直ぐに発つ事になりそうだ。
「私は誰からも君の名前を『聞いていない』から、報告書にも書く事は出来ないが、数日中にはこの街を出て、奴隷制度と関係の薄い教国か、魔術帝国へ向かった方が良いだろう」
「色々とすみません、ご迷惑お掛けします」
それでも何日か余裕が出来るのは助かる。正直もう歩くのも辛い。
よろよろのレオをみて、シャンティは面白そうに笑った。
「別にいいさ、罪は全部領主のクラウスのせいにするし、そもそもこの国のエルフに対する扱いには不満があったんだ。首になっても冒険者に戻るだけだし、気にする事は無いよ」
部屋の前に着くと、シャンティは扉を蹴破り金庫を開け、スタンプについていた鎖を剣で断ち切った。
そのままそれを投げて寄越し、レオに向き直ってニヤリと笑って敬礼をする。
「じゃぁな英雄、また会えるときを楽しみにしている」
「はい……」
鋭い眼光でじっと見つめるシャンティを見て、助けてもらった手前正直には言えないが、出来ればあんまり頻繁に会いたくないタイプだなぁと思うレオだった。
街へ出たレオは、仲間がどうなったか聞こうと思い、老剣士の待つギルドの隣の酒場へ向かった。
酒場へ入ると、丁度旅支度を終えた仲間達が老剣士と話しこんでいる所だった。
「あれ、まだ居たのか」
疲れたレオが何の感慨も無い再開の挨拶をすると、驚いた一同が目を見開いて振り返った。
刀と収納袋を持っていたリサは、右手に持っていた収納袋を取り落とし、目に涙を湛えていたが、疲労困憊でスタンプを取り出すレオは気付いていない。
「ほら、見てくれよリサ、アンロックスタ──「ばかぁっ!」──ゴフゥッ」
渾身のグーを左頬に貰ったレオは、スタンプを床に落としかけ、右手でわたわたと握り直す。
白金で出来たスタンプは落としたくらいでは壊れないが、苦労して手に入れたレオは落とさずにすんで安堵の溜息をついた。
──ふと、そのレオの胸にリサが泣きながら抱きついて来た。
そのまま大声を上げて、いつかのように号泣を始める。
疲労で頭がぼやけたレオは、「あれ、リサってこんなカンジだったっけ?」等と見当外れな事を考えて仲間を見渡すが──
──ゲオルグは「抱き返してやれよ」とばかりに顎をくいくいと上げ、
──ギルは意地の悪い顔でニヤニヤと笑い、
──アルザダさえも困ったように苦笑していた。
遂に助けも逃げ道も無くなったレオは、羞恥と照れで耳の先まで真っ赤に染めて、ぎこちなくリサを抱き返した。
さて、解った方も多いかとおもいますが、ここまでの話のコンセプトは「スパイ映画みたいな事をファンタジーでやる」です。
忍者と言えば暗殺ですしね。
女性の登場人物が続いてますが、ブルーローズさん実は男で「ブルーローズは止めてくれ」と言う設定だったのが書いてる途中で、「ブルーローズって名前の男」が思った以上に寒い事に気付いて性別変更しました。
もっと良く考えて名づければ良かったです。
それと霊木の若葉の件ですが、10話で奴隷のエルフとの会話を入れるつもりだったのですが、丸ごと11話のトリガーになってしまい、唐突な感が出てしまいました。修正しておきます。
本当はここまでに10件くらいお気に入り登録してもらって、この先は友人に希望とか聞いて多少プロットいじりつつマッタリ書くつもりでした……。
作者は基本もうちょい真面目な物をかこうとするのですが、この作品に関しては本当に悪乗りで始めたので変更しきれません……そこはご了承ください……。
次回ですがちょっと先を考えるのと、誤字脱字修正……それと体重が減ってしまった作者の蘇生の為に休憩入ります。このままでは死んでしまうのでご了承ください。
この先もマッタリ読んで頂けると嬉しいです。