プロローグ~歩き出すまで
15年前、世界初のVRMMORPG≪グラビティワールド≫が発売された。
巨額の制作費がかかったと云われるそれは、システム面での作りこみも素晴らしく、当時は爆発的な人気があった。
しかし世界初と言うのは問題も多く、搭乗型の操作媒体である<スフィア>も高額であった上に少々脆く、改良版が出るまでは買い控えする人も居たくらいだ。
再現できるポリゴンは少し荒いものだったし、10年経った今でも基本スペックはさほど変らないので今では少々時代遅れに成ってしまったが……。
そう、今はもう殆ど人は居ないのだ。
理由は色々あるが、一番はやはり、4年程前に発売された新作ソフトだろう。
最新型の<スフィア>と同時発売されたそれは、従来のものより数段上がったスペックを利用して現実と見紛う程の世界を創る事に成功していた。
会社の方もプレイヤーの引止めのため、様々なイベントやキャンペーンを行ったが、一時的な効果しか出せず、10以上あったサーバー(世界)が5つまで統合されたのを期に、残り1年半でサービスを終了すると告知した。
そんな寂れたゲームに、一人の男がログインしている。
近藤零夜ことキャラクター<レオ>は、発売当初からの古参プレイヤーの一人で、今年で28歳になる社会人だ。
彼が操作するアバターは黒髪のハイエルフ。15年の歳月で自分の分身様な存在になっている。
発売当初は両親が会社勤めで高給取りだったのもあり、<スフィア>も簡単に買ってもらえたのだが、ゲームを優先した生活をしていたせいで、彼自身はバイトしていた近所のホームセンターの平社員であり、多少の貯金も作りたかったので新型の<スフィア>とソフトが必須の新しいゲームには、手が出せなかったのだ。
「やっぱ赤龍は倒すだけでテンション上がるな」
灰色の塊になって消える赤龍を見ながら、レオは草原に座り込み、ドロップ品を確認する。
そこは≪神域≫と呼ばれる、天使や龍や天馬が徘徊する草原のようなエリア。
レベル130の火竜は、レベル150のレオにとって本来苦戦する敵であった。
しかし、度重なるキャンペーンと過疎化による人口減少に対する緩和によって、プレイヤーの大幅な強化が成された結果、気楽に倒せる敵になったのだ。
具体的に言うと、世界に一つだけのアイテムが、もう一つ取れるようになるキャンペーンと、本来メインジョブの半分のレベルまでしか能力を発揮できないセカンドジョブを、同じレベルまで引き上げるダブルジョブに変えたと言うもの。
それによる現在の彼のステータスは
種族:ハイエルフ
ジョブ:忍者150(上限)/学徒150
力 :220
知恵:187
信仰:255
耐久:180
器用:240
俊敏:255
魅力:210
装備はメインジョブの忍者仕様。学徒は攻撃魔法はあまり使えないが、回復とサポート魔法が得意な特化ジョブ。ちなみにステータスの最高値は装備も含めて255までとなっている。
ちなみに、本来後衛向けのエルフにしては力が高いのは、ステータスを2ずつプラスする高難易度クエストを、複数クリアした報酬である。
本来なら小太刀の二刀流がメインの忍者では、これでも赤龍は相手には苦戦するのだが、レオの所有物の中でも……このゲームの中でも最強と言われる武器≪天羽々斬り≫があるため、雑魚と言っても過言ではない。
≪天羽々斬り≫は、どんな物でも紙の様に切り裂き、斬撃時に両手武器並みの大きさに伸びる為、両手武器と同等の威力があるのだ。
そのほかにも一つ、この武器には隠し機能がついているのだが、ここでは割愛する。
世界に一つだけの素材を三つも使ったこの武器にかかれば、赤龍など何匹来ようと物の数ではない。
この刀については、一度あまりに強すぎるとして、1度弱体された事があるのだが、プレイヤーの猛反発を受けて元に戻した経緯がある。
「さて、約束の時間までもうちょいあるし、適当に狩って待つかね」
レオは現状レベル150のキャラクター数人分の能力を持つため、過疎化が進んだこの世界では知人にパーティ規模の戦力としてよく頼られる。
その後、2~30匹の幻獣やら龍やらを狩った頃、メールの着信を告げる音が聞こえた。
視界の隅の操作ウィンドウ表示ボタンに指を当て、画面を引っ張ると新着メール1件と書かれてた場所をチェックした。
『手伝い頼んだのにすまん。急用で行けなくなった……今度お詫びに勤務シフト都合するからカンベンして~(>_<)』
メールには職場の同僚から、今日の予定が無くなった事を知らせるメッセージが書かれていた。
昨日会った時の話から察するに、大方彼女からの小言に耐え切れず、そちらを優先する事になったのだろう。
「全く、30分待たせてキャンセルの挙句にリア充とは……どうしてくれようか」
ウィンドウを閉じて平原を見渡した。最近では殆ど人を見なくなった最高レベルのダンジョンに一抹の寂しさを覚える。
ここはレオ位の能力がないと、5~6人のパーティ以上でなければ危険な場所。
一昔前はレベルを上げる為に人が溢れ返っていた狩場も、今では無人に近い状態だ。そこでふと、最近このエリアを探索した人が少ないのではないかと思い至る。
この所、運営側が殆どやけっぱちになって色々なイベントを追加している(滅茶苦茶な内容が多く、あまりやっている人はいない)が、この≪神域≫でも何かやっているかもしれない。久しぶりに見て回るのも悪くない。
それから数時間かけて≪神域≫を見て周り、そろそろ帰ろうとした時、ありえないモノが目に入った。
「なんじゃこりゃ……」
それは何の冗談か、暁の草原に白い門のような建造物が建っていた。そこまではいい、だが問題はその建物が色とりどりのネオンで虹色のゴテゴテした光を放っている事だ。
呆然としながら歩いて近づくと、白いローブを着た目つきの悪い魔術師風の男が現れた。
彼を見てレオは驚いた。
体の特徴を自由に選べる代わりにポリゴンの荒いプレイヤーと比べ、モンスターやNPCは総じてクオリティが高い。しかし、それを踏まえても目の前の男は信じられないくらい完璧で滑らかなCGで出来ていた。
「いやぁ、ようやく人に会えました。もう誰も来ないんじゃないかと不安になっていた所ですよ」
目の前に立った男が突然口を開いた。
自分から話しかけてくるNPCと言うのは聞いた事が無いのだが、AIの試験導入でもしているのだろうか。
「えっと、これは何かのイベントか?」
取り合えず会話の選択肢も出ないので普通に返してみる。
「イベントと言えばイベントですね。私の人生の全てを掛けたイベントです」
「はぁ……」
何とも重い返事が返ってきたが、ずっとここに居るしかないNPCとしては、人生の全てはこのイベントに掛かっているのかもしれない。
「貴方は凄いですね。この辺りは魔物が来ないので私でも何とかなりましたが、近くの魔物を見たときは私では絶対に勝てないと確信しましたよ」
「まぁ、そこそこ頑張っているので……」
とても謙虚な方だ……と、大仰に頷く男を見て、このAIリアクション過多じゃないか?等と関係の無い事を考えていると、男が真剣な表情で見つめてきた。
表情が変る事自体が驚きなのだが、男から気迫と言うか威圧感のような物が感じられて、レオは一歩後ずさってしまった。
「貴方には是非、この門を潜って頂きたい」
「え、えぇ……」
先ほどから驚きの連続で、完全に相手のペースに乗せられてしまっているレオは、否定とも肯定とも取れる声を漏らした。
「門の向こうの世界は、ここよりずっと鮮明です。それに、沢山の出会いや冒険が待っています。多少の不便はありますが、冒険者の貴方なら、きっと気に入るハズです」
「うーん」
鮮明と言う事は、CGのクオリティが増すと言う事だろうか。それに新しい冒険……βテストかなにかだろうか。
とは言え、胡散臭いのも確かだ。もし参加してこのキャラクターのデータが破損でもしたら目も当てられない。
「私の力では一人を送る事が精一杯ですが、貴方ならばきっと何の問題も無いでしょう」
悩んでいる様子を見て、もう一押しだと思ったのか、先着1名のみだと暗に告げてくるNPC。ここまで言われたら、ゲーマーならば乗らねばなるまい。
「オーケー、行きましょう。このまま入れば良いだけですか?」
「おお……行ってくれるのですね。そうだ、それとカークスと言う人に会ったら、この手紙を渡してくれますか」
黒い毛皮で作られた便箋を渡され、それを背負っていた収納袋に入れた。
収納袋は入れた物の大きさを小さくし、沢山の物を入れて歩く事が出来る収納アイテムだ。
これがこのイベントのキーアイテムなのだろう。と考え、特に気負わず門に入る。
「んじゃ、入りますねー」
何やら男が真剣な目で見ていたが、その時はその理由が解らなかった。
そしてその日、時間が経てばどんな死体も消えるゲームの中に、永遠に消えない白いローブを着た男の死体が置かれた。
入った瞬間、プツンという軽い音がした。
その音は聞き覚えがあった。数年前落雷によってゲーム中に停電があった時、強制終了させられた時の音だ。
何でこのタイミングで……と思ったが、冷静で居られたのはそこまでだった。
気がつくと彼は裸で半透明な紫色の泥の中に居た。
何が起きたかと混乱している間に、全身に激痛が走った。
「いぎぃぃぃいぁあああああ--」
身体が解けてドロドロになっていた。
骨も内臓も皮膚も、脳以外が全て溶けているのを感じる。
「っ---…………」
肺が溶け、声すら出せなくなった。
その状態で、どんどんと泥の深くへと堕ちていく。
暫くすると、身体が少しずつ形を取り戻してきた。
どこか違うような気もするが、なじみの物のような気もする。
「……--くっ……あぁっ」
何とか声が出せるまで回復してきたようだ。すると、目の前に入った時と同じような門が見えてきた。
本能的に這い寄って全力で門の外へ身を乗り出す。
「はっ」
気がつくと草原に倒れていた。
大の字になってゼイゼイと荒い息を吐く。
額の汗を拭おうと、手を当てると、ゴツゴツした感覚が感じられて目を剥く。
視界に入っているのは確実にレオの手だ。しかしその手には見慣れたようで何かが違う、革と布で出来たグローブがつけられていた。
慌てて起き上がって全身をチェックするが、そこに在るのは≪グラビティワールド≫でいつも操作していたハイエルフの身体に、ピッタリと合う忍び装束だけだった。
「マジかよ……」
呆然と呟いたが、答えをくれる物は居ない。
そこでふと、左手に引っかかっている紐に気がついた。
手繰り寄せると見慣れた収納袋があった。
しかし、ゲーム中での常に風船のように膨らんだ形ではなく、いかにも中身が入っているような潰れかけた形になっていた。
それを見ただけで嫌な汗がじわりと背中に浮かんだが、中身を確認すると特に変ったところは無かったので、一応の安心ができた。
「データは破損してないみたいだ……しかしこの世界……」
物を掴むと掴んだ感覚があった。頬をつねると痛みがあった。
≪グラビティワールド≫ではその辺りは、『何となく触れている』程度であったので、それにはかなり驚いた。
「グラビティじゃないのは確かだけど……とてつもない完成度だ」
草の葉一本一本まで完全に作りこまれ、頬をなでる風の感触まである。
数種類出ている新作のVRMMORPGは、試しに一度だけ友人宅でやった事があるが、それとも比べ物にならないリアリティだった。
「黙ってても仕方ないし、ちょっと歩いてみるか」
立ち上がって見回してみると、左側に森が見えた。右側は見渡す限りの草原なので、森に入る事を選択した。
森に入って少し歩くと、狼のようなモンスターが群れで襲い掛かってきた。
荷物を置いて応戦したのだが、一太刀目を振った後、絶句する程驚く。
「おいおい……」
胴を真っ二つにされた狼が、内臓をぶちまけて崩れ落ちた。
その様子に硬直していると、四方八方から狼が襲い掛かってきた。
慌てて全力で飛びのくと、あり得ないほど遠くまで飛ぶんでしまい、思わずたたらを踏む。
距離にして7メートル程だろうか。元のゲームでは移動速度が一定に決められていて、それを越えた速度で移動する事は出来なかったはずなのだが、此方ではそれは関係ないようだ。
それでもまだ追い縋る狼達に、舌打ちしつつ応戦する事にした。
刀身の短いサブウエポンでは頭部を狙い、≪天羽々斬り≫は無理せず胴体を狙う。
少し心配な要素もあったが、喚き散らす鳴き声さえ無ければゲームの虎型モンスターより戦いやすかった。
右手の≪天羽々斬り≫で斬る分には殆ど感触が無いから問題ないのだが、左手の武器で斬る時、肉や骨を断つ感触がモロに伝わってきて、気持ち悪い事この上なかった。
およそ半数を切り伏せた所で、狼達は逃げていった。
色々と違和感を感じて考え込みたい所だったが、むせ返るような血の臭いにその場に立っていられず、先に移動する事にした。
走ってある程度離れた後、ふと魔法を使っていなかった事を思い出した。
移動速度がどこまでも反映されるならば、行動を早くする魔法、クィックで更に速度を上げられないかと思ったのだ。
「クィック」
単語登録したハズの言葉を口にしても、変化は見られない。
仕方なくメニュー画面から選択しようとしたが、そもそも、常に視界の端にあるはずのメニュー画面展開用のボタンが見当たらない。
「嘘だろ……」
狂ったように手を視界の端で動かすが何の反応も無い。
「GMコール!メッセージ発信!えぇと……そうだ、ログアウト!」
必死にメニューバーの単語を連呼するが、反応は無い。
「なんでだよ……GMコール!クィック!ログアウト!」
半泣きになりながら喚き散らすが、何の効果もない。
ログアウトが出来ない……その事実にゾッとした。だが、喚いている内に辺りからガサガサと何かが近づいてくる気配がして慌てて逃げ出す。
あんな弱い狼が居るような森だ、なにが出てきても勝てるだろうが、ログアウトが出来ないという事実と、さっきの狼の血肉を見たときの嫌悪感が、レオをその場から移動させた。
「とにかく、魔法だ……魔法が無くちゃ怪我したら死んじまう」
できれば何も無いさっきの平原に戻りたいが、森に入ってあちこち走り回ってしまった。方向が解らなくなった以上、どうにかここで生き残れるようにしなくてはならない。
呼吸を整え、再度魔法を呟く。
「クィック」
何も起きない、ガクガクと震える膝を抑え、どうすればいいか考える。
メニューは開けない、≪グラビティワールド≫の魔法には、詠唱なんて無かった。しかし、魔法が使えなければ<レオ>の実力の半分も出せない事になる。
クィックには何時も助けられていたのに……と、使っていた魔法の、体が淡い金色に光るエフェクトを頭に思い描いた瞬間。
体が金色に光り、軽くなったような気がした。
「よしっこれか……」
思わず拳を握り締めた。その後ついた安堵の溜息で、力が抜けて座り込んでしまった程だ。
その後回復魔法を一通りと、防御力強化の魔法を試して、取り合えずは安心する事が出来た。
気を取り直して歩き、狼や大きめの鳥を蹴散らして数時間進んだ所で簡素なバリケードを両脇に立てた道が現れた。
「街道だよな……さて、どっちに行くか」
土を固めただけの街道は、カーブが多く、見通しが利かない。
判断材料が無いので、森で拾った木の棒が倒れた右側に進む事に決めた。
胸を抉るような不安があったが、その正体がなんなのかはなるべく考えないようにして前へ進む。
生身のような手足の感覚は氷のように冷たく強張り、微かに震えているような気がした。
どうも、作者です。
勢いだけで書いてみました。一応第一部の内容はある程度決まっています。
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