新婚初夜に夫から「君を愛する事はない」と言われましたが、その理由が……
「君を愛することはない」
新婚初夜、豪奢な天蓋付きベッドが鎮座する夫婦の間で、夫となったフェアファクス侯爵家の若き当主、アルフレッドが私にそう言ったのを聞き、私は絶望すると同時に、どこか納得した。
あぁ、やっぱり駄目だったわね。
私、ソフィアには前世の記憶がある。
前世の私は泌尿器科の医師で、ここが恋愛小説の世界であり、私が【夫の愛を得られず失意のまま死に、悪霊となって侯爵領を滅ぼそうとする元伯爵令嬢で、最終的に聖女により浄化される】という役柄を与えられたキャラだという事も覚えている。
……今思えば、あれって本当に恋愛小説だったのかしら? どう考えても怪奇事件簿よね?
まぁそれはそれとして。
私が前世の記憶を取り戻したのは16歳、王立学園に在学中の時だった。
思い出した時は
『いやいやいや無理無理無理! 愛されない結婚なんて1回すれば十分! 前世で愛されない結婚生活を送ったんだから、今度こそ愛し愛される結婚生活を送ってやる!』
と、シナリオからの脱却に励んだ。全て物語の強制力ってやつに阻まれてしまったけど。
そしてその結果が、このザマだ。泣きたい。こんな人生送りとうなかった。
……あら?
何故か、夫であるアルベルトが泣きそうになっている。いや私の方が泣きたいんですけど?
……あ、あれですか。自分がいかに罪作りな男なのかと自分に酔うナルシー的パフォーマンスですか。死ね。
「すまない、言い方が悪かった。ソフィア、私は君を愛することができないんだよ……」
彼は深い藍色の瞳を曇らせ、苦痛に顔を歪めながらそう告げた。
整った彫刻のように端正な顔立ちに、すらりと引き締まった長身という完璧な美丈夫。
夜会に出れば王都の貴婦人たちが放っておかない、誰もが羨む超絶イケメンにして、王立学院在籍時は卒業まで成績トップの座を譲らなかった秀才にして、領主として領民からの支持が絶大で、陛下からの信用も厚いスーパーマン。
対して私は、この世界ではありふれた茶色の髪に、これまた特徴のない凡庸な顔立ちの地味な元伯爵令嬢。ちなみに王立学院の成績は中の中という、凡庸中の凡庸。THE☆凡庸な女。
『見た目の釣り合いもだが、中身も釣り合いが取れていない夫婦だな』
と宴席で陰口をたたかれていた事も知っている。私が悪霊になったら真っ先に呪ってやるからな、お前ら。
とはいえ…… そんなセリフあったっけ?
私は心の中で首を傾げた。
この展開は十分に予想できた。確かにショックではあるけど、何故目の前の夫が申し訳なさそうに震えているのかがわからない。被害者ムーブならブン殴ってもいいですか?
「愛せない……とは、どういう意味でしょうか?」
「私には……貴族家当主としての務めを果たす事ができないんだよ」
アルフレッドは美しい顔を両手で覆い、まるで血を吐くような声で呟いた。
「恥ずかしい事に、性的に気持ちが高ぶると……その、局部に耐えがたい激痛が走るんだ」
………………。
…………。
「……はい?」
「だ、だからその、私はアレがアレだから、君を抱けないんだ! 幼い頃に貴族の嗜みとして受けた『割礼の儀』の呪いか、あるいは神の怒りを買ったのか……。閨教育で一度試そうとしたが、張り裂けそうな激痛で意識を失いかけた」
割礼の儀? 張り裂けそうな激痛? アレがアレだから抱けない?
ツッコミたいところは色々あった。『だったら何故結婚しようと思った?』とか、『何故私を結婚相手に選んだ?』とか。だがそれ以上に、私の元泌尿器科医としての血が騒いだ。
「アルフレッド様。差し支えなければ……アルフレッド様のお大事を拝見、いえ診察させていただけますか?」
「なっ!? 何を言っているんだ、君は! 婦女子に対し、このようなモノを見せるわけには――」
「私はあなたの妻です。それに……その『呪い』、私なら解けるかもしれません」
私は彼を宥め、失礼して彼の局部を観察、もとい診察させてもらった。
(ああ……なるほど。割礼の後の処置が悪かったのね)
通常、正しい処置が行われていれば問題ない筈の割礼。
しかし彼の局部は、幼少期の不十分な術後管理によって傷跡が硬い組織(瘢痕)となって残ってしまい、それがリング状に亀頭を強く締め付けていた。
「アルフレッド様、これは呪いでも神の病でもありません。単なる瘢痕性包茎ですわ」
「はんこん……ほうけい……?」
アルフレッド様は端正な眉をひそめ、聞いた事もない単語に困惑した様子で首を傾げた。
私は真面目な顔つきになり、医師として解説を始める。
「いいですか? 割礼の際、傷跡が綺麗に治らずに硬い組織――つまり瘢痕となって残ってしまったのです。それがリング状に、アルフレッド様のお大事を締め付けている状態なのですよ」
「あ、あぁ……?」
「そのような状態の事を瘢痕性包茎と申します。あなたが気持ちを高ぶらせる度、その伸びない硬い傷跡の輪が締め付け、お大事に激痛を引き起こしていたのです」
「な……! 私のこの長年の苦しみが、ただの……幼い頃の傷跡のせいだというのか……!?」
「ええ。決して呪いなどではありません。治療可能な機能障害です」
そう。前世の私がいた世界なら保険診療の手術適応になる、ごく一般的な症例だ。私も手術を担当した事が何度もある。
世間の女性たちが黄色い声を上げるモテモテのイケメン夫が、一人でこんな悩みを抱えて絶望していたなんて、医師としても妻としても見過ごせるわけがない。
「アルフレッド様、いえ旦那様。私に全てお任せください。旦那様の苦しみは、この私が治してみせましょう」
「……君に任せても、いいのか?」
「当然です。とりあえず、今夜はこれでお休みください。全ては明日からです」
◇ ◆ ◇
そうは言ったものの、それからの準備は困難を極めた。
極小の医療用メスと、皮膚を緻密に合わせるための極細の専用縫合針。そして何より、生体に安全で強度のある縫合糸が必要だった。
私は旦那様にお願いし、領内の腕利きの鍛冶職人を紹介してもらった。
その職人に事情を伏せて頼み込み、何度も試作品を作ってもらい、半年かけて折れない極細針を完成させてくれた。
それと並行して、絹糸を特殊な薬草液で丹念に煮沸・コーティングすることで、感染リスクを抑えた医療用の頑丈な細糸を作り上げる。
更には領内にいる薬師達に協力を願い、彼らの知見を総動員して局所麻酔薬と強力な消毒液の調合・試作を繰り返し完成させた。
そしてもう一つ、絶対に欠かせない準備があった。
転生して貴族令嬢のひ弱になってしまった手で、かつての技術を取り戻す特訓だ。
知識はあっても、今の私の身体は一度もメスを握ったことがない華奢な令嬢のもの。指先の器用さや感覚を完璧に戻さなければ、夫の大事な局所に傷をつけてしまう。
私は自室にこもり、厨房から譲り受けたブドウや柑橘類の果皮を皮膚に見立てて切開・縫合の特訓を重ねた。
皮を破らずにミリ単位でメスを走らせ、ミカンのかすかな筋を一本ずつ極細針で縫い上げる日々。
「奥様、またミカンを縫っていらっしゃるのですか? そのようなまじないに何の意味が……普通の貴族家夫人なら、夜会やお茶会に勤しまれるというのに……」
私付きの侍女の冷めた視線をスルーし、私は何十個もの果物と豚肉の塊を相手に、元泌尿器科医としての完璧な指先の感覚を徐々に取り戻していった。一部の侍女や使用人達から
『まさか奥様は、どこぞの邪教にでも入信されたのでは?』
と陰口を叩かれたが、邪教じゃなくて技術習得のための鍛錬な。あとで旦那様にチクるぞお前ら。
そうして万全の医療セットと熟練の技術を揃えるまでに、およそ半年。
その間、私は旦那様にも重要な『宿題』を与えていた。
「旦那様、最終確認です。半年前に私が指示したお大事のマッサージと、入浴時の適切な洗浄、そして栄養のある食事の摂取は毎日欠かさず続けましたか?」
「あ、ああ……。君に言われた通り、この半年間、毎日湯の中で少しずつ皮を柔らかくするマッサージを続け、処方された薬草の軟膏を塗り、野菜中心の食生活で体調も万全に整えた」
よし。元の世界とは違い、この世界では失敗してもリカバリーできる男性専用クリニックは存在しない。
全てが私の技術にかかっていると思えば、少しでも成功する可能性を上げたくなって当然だろう。
「……正直最初は『何故私がこんな事を』と思ったが、妻である君が私、いやこのフェアファクス侯爵家のために考えてくれたんだ。これも侯爵家当主としての義務だと思ってやり通したよ」
「お見事です、旦那様。よく頑張られましたね」
半年の歳月を経て、私たちはただの政略結婚の夫婦から、医師と患者、そして共に病に立ち向かう戦友のような深い絆で結ばれていた。
「では、始めましょう」
「ま、待て! いくら医術の心得があるとはいえ、妻である君がそんな……せめて侯爵家お抱えの医師か、助手の看護師を呼んで」
「馬鹿な事を仰らないでください」
私はピシャリと言い放つ。
「言い方は悪いですが、侯爵家当主である旦那様の恥部を、医師や看護師達に見られたいのですか?」
「そ、それは……」
「幸い、ここは私達夫婦の寝室です。許可がなければ私と旦那様以外は入れないのです。これほど患者にとって精神的負担の少ない環境はありません。違いますか?」
ぐうの音も出ない私の正論に、旦那様は美しい顔を羞恥で染めながら、観念したようにベッドの上でシーツを握りしめた。生娘ですか旦那様は。
「少しチクッとしますよ。麻酔が効くまで数分待ちます」
「うっ……た、頼む……」
処置自体は包皮環状切除、および形成術だ。熟練の泌尿器科医にとってはたいした手術ではない。
冷や汗を流しながら震える夫をよそに、私は前世の泌尿器科医としての経験を思い出しながら、特製のメスと針を動かした。
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半年間の特訓で培った完璧な運針と、極細糸による丁寧な縫合により、わずか20分ほどで処置は完了した。我ながらよくやったと思う。
たった20分。でもその20分のために、そして今後の侯爵家の繁栄のために、私は半年を費やしたのだ。自分で自分を褒めてもよかろう。よくやった私。ビール飲みたい。
「――はい、綺麗に整えましたわ。抜糸の日まで安静にしてくださいね」
「な……もう終わったのか……!?」
アルフレッドは信じられないといった様子で、自分の下半身とおそるおそる向き合った。
「ええ。もう旦那様を苦しめるものはございません」
「お、おぉ……っ!」
端正な顔を歪め、静かに涙を流す旦那様。
イケメンって得ですね、理由が理由ですけども。
◇ ◆ ◇
かくして長年彼を苦しめ続けた瘢痕性包茎は消え去り、術後の経過も驚くほど良好。
数週間後、抜糸を終えた旦那様は、かつてのセリフを忘れたかのように、潤んだ瞳で見つめながらこう言った。
「君は私の命の恩人であり、フェアファクス侯爵家の恩人だ。世界で一番美しく愛しい、最高最愛の妻だよ、ソフィア」
「さすがにそれは言葉が過ぎます、旦那様」
こちとらキングオブ凡庸、いや女だからクイーンオブ凡庸の方がいいのかな?
いずれにせよ、これで世継ぎの問題がクリアになったんだから、もう私はお役御免でしょ。貰えるもの貰ったらいつでも離縁届けにサインしますよ。
「……あの日の言葉を撤回させてくれ、ソフィア。お願いだ」
うーん、どうしよう? でも今更離婚しても、侯爵家の恥を広められたくないからって口封じされるかもしれないし……それに男性が陰部の悩みを女性に言うのって、結構勇気のいる事だしね。あの時点で正直に口にできた時点で立派だわ、旦那様。でもねえ……。
「私の質問に答えて頂けたら、考えさせて頂きます」
「か、考えるだけか……で、どんな質問なんだ?」
「何故こんな凡庸な私を娶ろうと思ったのですか?」
「あー……」
すごく気まずげな表情を浮かべる旦那様。
いいから早よ答えろ、早よ。ずっと気になってたんだからさ。
「君には大変失礼な事を言うが、どうか最後まで聞いてくれるだろうか?」
「ええ、構いませんが」
「実は私は、その……他人が美しいというものが、美しいと思えない人間なんだ」
………………。
…………。
「……えーっと、どういう意味でしょうか?」
「友人達が言うには、『お前は美醜感が逆転している』と」
……なるほど。つまり凡庸中の凡庸、クイーンオブ凡庸な私が、旦那様には絶世の美女に見える、と。
「だからその……わ、私にとっては、君が最も魅力的に見える女性なんだ」
「だったらどうして『君を愛する事はない』なんて言っちゃうんですか?」
原作のソフィアは、それで失意の上悪霊になってしまうのに。
「だ、だから言ったじゃないか! 私は君を抱けなかったから、ああ言わざるを得なかったんだ!」
「つまりご自分のプライドを優先させ、私を傷つけたと?」
「それは! ……確かにその通りだ。すまない」
「すまないで済んだら騎士団は必要ないんですよ」
「その通りだ。心の底から悔いている。あの時の自分をブン殴りたい気分だ」
「じゃ、代わりに私がやってあげましょう」
「え? ――ガッ!」
バコーン! という音と共に、旦那様が吹っ飛んだ。
うむ、我ながら会心の右フックであった。
これで勘弁してくれ、原作のソフィア。私はどうもこの旦那様を憎みきれない。悪霊になる気にもなれない。これがイケメン補正ってやつかも。
「どうです? これで離縁したくなったんじゃありませんか?」
「ぐっ……な、何故だ? 私を殴っていい存在なんて、この世には君以外存在しないんだ。殴られるだけの事をした、私が悪い」
お、今のはちょっとキュンとしました。でもちょっとだけですね。
まぁいいでしょう。旦那様の今後の言動に期待してあげようではないですか。
「もうしばらくは添い寝だけですよ? 旦那様」
その後、私達は子宝に恵まれ、二男二女という賑やかな家族に囲まれながら、末永く幸せに暮らしたのだった。
それにしても……私が悪霊化する運命の原因が、まさか夫の瘢痕性包茎だったなんて。
あの小説の作者さん、そんな裏設定があるなら後書きにでも書いておいてよね。
恋愛系の「君を愛する事はない」ってやつ、大抵は言った奴に愛人がいるわけですけど
「そもそも普通にS〇Xできる男しかいない前提っておかしくね? ……あ、割礼って文化があるのか。でも中世~近世ヨーロッパが元のナーロッパ世界で、そんなに綺麗な処置ができるものなん? 下手したら余計ひどくなるんじゃ?」
と思ったのがこの作品のきっかけでした。ご笑納頂ければ幸いです。




