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毛根シネマティック・ユニバース(MCU)~秘密結社事件記録~

生えないすね毛を取り戻そうとする藤田の件

作者: kawauso2017
掲載日:2026/10/04

生えないすね毛を取り戻そうとする藤田の件


 薄暗い地下室。


 技術主任は、机の上の資料から顔を上げた。


「藤田幹部。どうされました」


 藤田は、扉の前に立っていた。


 背筋を伸ばし。


 両手を体の脇につけ。


 重要な報告に来た者のような姿勢だった。


「少し、時間をもらえるか」


「もちろんです」


 藤田は部屋に入り、扉を閉めた。


 室内には技術主任のほかに、二人の部下がいた。


 先日の、毛根破壊玉の照射試験を担当した者たちである。


 藤田は、その場で一度、深く息を吸った。


 かつて。


 この言葉を口にすることなど、考えられなかった。


 部下の前で。


 幹部が。


 すね毛の話など。


 だが、今は違う。


 必要なことは、言わねばならない。


「すね毛を、どうにかしてくれ」


 室内が、静まり返った。


「……すね毛、ですか」


「そうだ」


 藤田は、はっきりと言った。


「生やしたい」


 技術主任は、手にしていたペンを置いた。


「詳しく、お聞かせください」


     ◇


 藤田は話した。


 この夏、脛ばかりを蚊に刺されていること。


 露出を減らしても、刺され続けていること。


 半月にわたって、記録を取ったこと。


 手帳を開いて見せる。


 技術主任と部下たちは、日付と時刻と数字が並んだページを、真剣な顔で覗き込んだ。


 藤田は、少年時代の記憶も語った。


 すね毛の中へ入り込み、絡まり、動けなくなる蚊。


 自分は長い間、それが何を意味するのか気づいていなかったこと。


「すね毛は、防御壁だったのだ」


 藤田は言った。


「失って初めて、わかった」


「失った、というのは」


「先日の照射試験だ」


 藤田は、まっすぐに技術主任を見た。


「あのとき、足に被弾した。それ以来、一本も生えていない」


 部下の一人が、はっと顔を上げた。


「……あのとき」


 彼は、覚えていた。


 次々と飛ぶ破壊玉。


 右へ左へ身をよじる藤田。


 そして、足に当たった瞬間。


 ――藤田幹部!?


 ――大丈夫だ……続けろ。


 ――しかし今、足に。


 ――続けろ!


「やはり、あれが……」


 部下の顔から、血の気が引いていった。


「申し訳ありません!」


 二人の部下が、そろって頭を下げた。


「我々が、もっと正確に頭を狙っていれば……!」


 藤田は、首を横に振った。


「顔を上げろ」


「しかし」


「続けろと言ったのは、私だ」


 それ以上は、何も言わなかった。


 言えなかった。


 角度を調整し、自ら脛を差し出したのが誰なのか。


 それだけは、口にするわけにはいかなかった。


     ◇


 技術主任は、しばらく黙って考え込んでいた。


 やがて、口を開いた。


「正直に申し上げます」


「頼む」


「毛根破壊玉は、毛包を完全に不活性化させるよう設計しています。毛根再生剤も、毛包再構築治療も、効かないように作りました」


「知っている」


「さらに、市販の毛根再生剤は頭皮専用です。頭部以外への効果については、メーカーも開発を中止していると聞いています」


「それも、知っている」


 藤田は、技術主任から目を逸らさなかった。


「それでも、試してほしい」


 技術主任は、藤田の目を見た。


 そこに、迷いの色はなかった。


「……わかりました」


     ◇


 試験は、地下の実験室で行われた。


 かつて、藤田が破壊玉の照射を受けた部屋である。


 藤田は椅子に座り、ズボンの裾を膝まで捲り上げた。


 部下たちの前で脛を出すのは、これが初めてだった。


 照明の下で、両脚は妙な光沢を放っていた。


 部下の一人が、小さく息を呑んだ。


「……一本も」


「一本もない」


 藤田は静かに答えた。


 まず、市販の毛根再生剤。


 規定量を、右脛に噴霧する。


 経過を観察する。


 一日。


 三日。


 一週間。


 生えない。


 次に、量と回数を増やした。


 朝と夜。


 右脛と左脛。


 技術主任が、毎日自ら記録を取った。


 一週間。


 二週間。


 生えない。


 産毛すら、生えなかった。


     ◇


 最終日。


 技術主任は記録用紙を手に、藤田の前に立った。


「……反応、ありません」


「そうか」


「毛包は、完全に不活性化したままです」


 技術主任は、そこで言葉を切った。


 その顔には、複雑な色が浮かんでいた。


 破壊玉は、設計通りに機能している。


 再生剤にも負けない。


 時間が経っても、戻らない。


 技術者として、それは誇るべき結果だった。


 この兵器に、穴はない。


 だが。


 目の前には、その兵器によってすね毛を失った幹部がいる。


 技術主任は、深く頭を下げた。


「我々の技術は、完璧でした」


「……」


「申し訳ありません」


 藤田は、黙って頷いた。


 誰も、何も言わなかった。


 そして、誰一人として。


 この破壊玉がすね毛の永久脱毛に使えるかもしれない、などとは考えなかった。


 ここにいる全員にとって、それは「被害」だった。


 藤田は、それを確かめるように室内を見渡し。


 静かに目を伏せた。


 あの夜の誓いは、守られている。


 だが、脛は戻らない。


     ◇


 扉が開いた。


「報告は聞いた」


 会長だった。


 全員が、姿勢を正した。


 会長は、ゆっくりと実験室に入ってきた。


 机の上の記録用紙に目を通す。


 一枚。


 また一枚。


 それから、藤田の脛を見た。


 しばらくの間、何も言わなかった。


 やがて。


「藤田」


「はっ」


「生えないのだな」


「……はい」


「どうやっても」


「はい」


 会長は、目を閉じた。


 そして、静かに言った。


「生えないなら、装着すればいい」


 室内の空気が、止まった。


「……装着」


 技術主任が、呟いた。


 会長は、目を開けた。


「我々は、何者だ」


 誰も答えなかった。


 答えは、全員が知っていた。


「毛を失った者に、毛を与えてきた。それが我々だ」


 会長は、藤田の脛を見下ろした。


「頭であろうと、なかろうと。それは変わらん」


     ◇


 カツラ。


 ただし、頭ではなく。


 脛。


 沈黙が落ちた。


 誰も、笑わなかった。


 技術主任は、藤田の脛を見ていた。


 部下たちも、見ていた。


 それはもう、幹部の脛を見る目ではなかった。


 職人の目だった。


 毛流れは。


 密度は。


 固定は。


 境目は。


 全員の頭の中で、すでに何かが動き始めていた。


 藤田は、立ち上がった。


 そして、会長に向かって深く頭を下げた。


「……頼む」


     ◇


「脛用カツラの開発に着手する」


 会長が宣言した。


「カツラに未来を!」


「カツラに未来を!」


「カツラに未来を!」


 地下の実験室に、声が響いた。


 藤田は、捲り上げた裾の下の、自分の脛を見下ろした。


 光沢のある、何もない脛。


 だが今は、少しだけ違って見えた。


 ――待っていろ。


 藤田は、心の中でそう言った。


後日談第2話

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