决心
主人公の神島譲は特殊な“見る”能力を持ち、喫茶店のバイトの傍ら、探し屋をしていた。
先日も人体発火事件を解決はしたものの‥
人体発火の事件以来、俺は内心焦りの様な物を感じていた。
先日の事件は機転と大西刑事の協力で何とか解決した。
しかし、一歩間違えば、俺も涼花も命を落としていたかも知れない。
今後、厄介な仕事になればそれに関わる危険も大きくなる。
それに対処するだけの能力が俺には足りないのだ。
俺は意を決して、ある人に連絡をする事にした。
翌日、俺は大西刑事の入院している病院の近くのファミリーレストランに居た。
休日の夕方近く、店内はほぼ満席だ。
「急に連絡して申し訳ない」
「いえ、神島さんの頼みならいつでも」
向かいの席に座る風香ちゃんは優しげに微笑む。
少し髪が伸びたせいか、男装の時の雰囲気はもう無い。
むしろ落ち着いている分、年齢より少し年上の少女らしく見える。
「それで、連絡した件なんだが‥」
「はい、陰陽の勉強をしたいんですね」
「必ずしも陰陽、と限った訳でも無いんだが‥。俺は自分のこの能力でさえ、何故使えるかも分からないんだ。それに‥」
「大切な人を守れる様に成りたい、ですか?」
風香ちゃんは興味深げに俺の顔を覗き込む。
「いや、そんな大それた考えじゃ‥ただ、振りかかる火の粉を払える程度には‥成りたい」
「でも、探し屋を辞めようとは思わないんですね?」
風香ちゃんの言う通り、探し屋をきつぱり辞めればトラブルも無くなるかも知れない。
でも、それは‥。
「それは‥‥」
「私もです」
「え?」
「私も陰陽師を辞めようとは思いません。それは私のアイデンティティですから」
風香ちゃんはスッパリと言った。
苛烈な運命を乗り越えてきた彼女は、俺よりもっと自分を見つめて来たのだろう。
その言葉には一切の迷いが無かった。
「うん‥そうだ。言われてハッキリしたよ。探し屋は俺の、俺自身の選んだ自分の生き方で自分自身の価値なんだ」
「はい。私もそれで良いと思います。それに‥」
「それに?」
「神島さんの名前は密かに、かなり広まっています。今更廃業は難しいかも」
「え、そこまで?」
「はい、私も知っていた位ですから。でしたら‥」
風香ちゃんは声を潜めて俺に耳打ちした。
それから数日。
今の所、探し屋の依頼も無い俺は、普段通り喫茶店でのバイトをしていた。
事件もなく平穏な日常‥それはそれで文句のない日々のはずだった。
「どうしたんだい、難しい顔して」
そう言って店主がコーヒーの入ったカップを差し出す。
今日体調が良いのか、店主も店に出ている。
今の所、客は居ないので店内は2人だけだ。
俺は受け取ったカップのコーヒーを飲みながら思い出した。
実は以前にも店主には悩みを打ち明けた事があった。
その時がきっかけで、俺はこの店で働こうと思ったのだ。
「店主はコーヒーの腕を磨くためにどんな事をされましたか?それに迷いは無かったんですか?」
素直に聞いてみた。
店主ほどの腕前になるには、相当の苦労があったと思ったからだ。
「迷いか‥その時の私にはコーヒーしか、無かったからね」
「それは‥どういう?」
「少し長くなるけど、私の昔の話をしてみようか。それが神島君の参考になるかもしれないからね」
「はい、お願いします」
「元々は私も喫茶店をしていた訳では無くってね。趣味でコーヒーを淹れるのが好きだっただけなんだ」
「元は趣味だったんですね」
「うん、淹れたコーヒーを飲んで友人や妻が喜んでくれればそれで満足だった。その時は商社の仕事をしていてね、海外で暮らして居たんだ」
「え、店主、商社マンだったんですか?」
世界を飛び回って仕事をする商社マンは今の店主のイメージとはかけ離れている。
「でもその頃の現地は、あまり衛生状態が良くなくてね、妻と子供を病気で亡くしてしまった」
「そんな事が‥」
「その時はとても苦しかった。自分がこんな仕事で無ければ、妻や子供が死ぬことは無かったんじゃないか、と自分を責めたりしたよ。本気で妻達の後を追う事も考えた」
俺の質問で店主に辛い過去を思い出させてしまったのでは無いだろうか。
自責の念で息が苦しかった。
でも店主は言葉を止めない。
「その時に私を支えてくれたのが、コーヒーだった。何もかも無くした私でも、淹れたコーヒーを美味しいと言ってくれる人達が居て‥その笑顔のおかげで生きる事ができた。だから私はもっと美味しいコーヒーを煎れられる様に、世界中旅して勉強したよ。それしか無かったからね」
「それでコーヒーの腕を磨かれたんですね」
「ああ。皮肉な事に妻の生命保険でまとまった金が手に入ってね。その時だけは悩んだかな。妻の命の代償とも言えるこの金を、コーヒーの腕を磨くことなんかに使って良いのか。もっと有効な使い道があるんじゃないか、ってね」
「それは‥わかります」
店主の気持ちは痛いほど分かる。
俺も同じ事があれば悩むだろう。
「でも、私にはコーヒーを淹れる位しかできなかったし、ある時こう思ったんだ」
オーナーは一瞬目を閉じた。
「1杯のコーヒーはほんの小さな笑顔をあげることしかできなくても、それを何千杯、何万杯と続ければ、それは大きな幸せをあたえた事になるんじゃないか、ってね。それが一番妻の望む事だと思っているよ」
俺は店主についてきて良かったと、この時ほど思った事はない。
だから店主のコーヒーはあれほど温かく、幸せな気持ちにさせるのだ。
「そう思ってからは、コーヒーの腕を磨くのを辛いと思った事は無いよ。コーヒーを淹れるその時が、一番、妻達を身近に感じるんだ。これからも身体の動く限りコーヒーを淹れ続けるつもりさ。参考になったかな?」
「はい、とても!」
やはりこの人に聞いて良かった。
俺は意を決してある事を店主に打ち明けた。
新章の始まりです。
今回はちょっと雰囲気の違うお話になります




