第二話 誘惑的彼女。〔1〕
彼女は小悪魔系である。……うん、ちょっと違う。
彼女は天使のようである。……これは過去のこと、もはや事実ではない。
彼女は二重人格である。……うーん、猫を被っていることが二重人格か?
彼女は「変態的」である。
……ああ、やっぱりこれが一番しっくりくる。
完全なる変態ではないが、その素質は十分ということ。よって「変態“的”」。
――哀しいことである。
超☆変態的彼女。 第二話~誘惑的彼女。~
重い、重いまぶたの向こう側で、大音量で何かが鳴り響いている。
まぶたの向こう側に、とても重要なことがあった気がする。
しかし今の僕に、そんなことを気にしている余裕はなかった。
そう、この状況である。絶体絶命、危機的状況。
仰向けに横になっている僕、そしてその僕に覆いかぶさっているのは――
ふと、彼女の手が僕の頬を撫でる。この前、なんとか逃れることができたこの事態。
けれど今日という今日はもう助かるすべはない。
「修ちゃん……」
猫なで声で僕を呼び、あさひが魅力たっぷりにほほ笑む。
瞼の向こう側の何かが、警報のように音を大きくして――
「はっ!」
――覚醒。鳴り響く、目覚まし時計の不快な音の中。
沢田修二郎、予定より約二十分遅れての、悪夢からの起床。
……非常に、やばい。
それからの僕の支度の手早さと言ったら、尋常じゃなかった。
約束したばかりなのだ。あさひのいとこで、少し――いや、かなりきつめで、年下なのに年上のような迫力と美貌を兼ね備えた、“萌さん”と。
――“一分でも遅れたら承知しないから。わかった? 修二郎”
萌さんの台詞を思い出してぞっとした。
さっそく遅刻なんてしたら、何を言われるかわかったものじゃない。
変態的で猫的、元彼女あさひ。冷たい美女萌さん。どちらも顔はいいがキャラが濃い。
あの二人との登校なんて気後れするばかりだったが、僕には従う道しかないのだ。
息を切らしてたどり着いた、安藤家の立派な玄関。
そこには待ち合わせの予定通り、二人の美少女が立っていた。
「遅い! 修二郎、何やってんの。時間守らない男ってサイテー」
僕を見つけるが早いか、萌さんがきれいな顔をしかめてにらみを利かせる。
さすが、筋金入りの男嫌いということか。これじゃあ男は近寄れないだろう。
外見だけ見れば、かなりモテそうなのに。もったいないばかりだ。
たじろぐ僕に、エンジェルスマイルのあさひがフォローとばかり「おはよう」と言った。
裏があると知ってはいても、やはり長い間慣れ親しんだ笑顔だ。
ほっとした僕がおはようと返すと、あさひがその可憐な唇を尖らせた。
「もうっ! 遅いよ修ちゃんてば。一緒に行く約束したって聞いてたから、私張り切って待ったのに。寝坊しちゃったの?」
「うん、ごめん……」
僕はもごもごと言葉を濁した。
寝坊したというか、あさひの夢にうなされていた。
――だなんて、とても言えない。
そんな僕の内心なんか知らないあさひが、男なら誰でも好きになってしまいそうな、それはそれは可愛らしい笑みを深める。
「しょうがないなぁ、今度から寝坊したら私が迎えに行ってあげるよ。だけどね……」
そこでいったん言葉を切って、背伸びしたあさひが、僕の耳元に顔を寄せる。
何か耳打ちしたい様子だ。何だろうと耳を貸すと、ひっそりとした彼女の声がとんでもない言葉を運んできた。
「気を付けたほうがいいよ? そのうち、寝込みを襲われるかも……ね?」
「えっ!?」
我を忘れるほどの衝撃を受けた僕は、思わず叫び声を上げた。
今朝の夢が頭にちらつき始める。知らずと背筋に冷や汗が流れた。
「修ちゃん、どしたの? かたまっちゃって」
マイペースなあさひは何でもなかったかのように、涼しい顔である。
そんなやり取りのさ中に、もう一人の美少女のきつい声が、再び僕を攻撃した。
「ちょっと! なに和んでんのよ。修二郎は遅れた罰として、今日の放課後、おごりね。私パフェ食べたい」
萌さんも、別の意味でとんでもないことを言っていた。
待ち合わせに遅れたくらいでいちいちオゴっていては、僕の財布が持たない。
たじろぐ僕に、あさひがとどめとばかり便乗する。
「私も行きたいな、修ちゃん。私、駅前のお店がいいなっ。すっごくおいしいって、評判なんだ」
大きな瞳で僕を見上げながら、僕の服の裾を指先でつまみ、つんつんと引っ張る。
僕がいつも負けてしまう、可愛すぎるあさひのおねだりであった。
結局、完全に二人のペースに飲まれている。
パフェの話なんかしながら、女の子らしくきゃっきゃと笑う二人。
僕は見つからないようにひっそりと、盛大なため息をつくのだった。